檻 3
いつもは闇など恐れない
猫科の目は、暗闇も見通す
それでも、今のアレックにとって闇は、自分を飲み込むマンティコアでの忌まわしい記憶そのものだった
「・・・っ・・?」
それでもどうにか歩き出したアレックだが、やがてA区画に入った辺りから背後に一つの足音を察知する
一定の距離を保って付いて来るそれは、偶々同じ方角に用事が有るという気配ではない
そして勘が正しければ、その足音の僅かな癖は最も出会いたくない人物を示していた
それは、アレックの闇、そのもの
「・・・・・っ、お前は・・」
するとアレックが気付いたと解ったからか足音ははっきりとした音で迫り、やがて暗がりから大柄なシルエットが浮かび上がる
「久しぶりだな、X5-494」
「・・・っ・・」
逞しい長身に、銀色の髪
冷たい氷のような、冷酷な瞳
あの頃と少しも変わらない、研究所での支配者
「そんな顔をするな、懐かしい教育係の先輩との再会だ・・嬉しいだろう?」
ゾッとする寒気が、アレックの背筋を走った
「・・・・ヘルマンっ・・・お前、生きて・・っ」
本来ならマンティコアの組織側に立って長年働いたこの男は、研究所の崩壊と共に仲間に八つ裂きにされても仕方が無い立場だった
だが、アレックの拷問と洗脳に励んだこのジェネスティックは、沢山の仲間に紛れてターミナルシティに紛れ込み、まんまと生き延びていた
「もちろん、私が死ぬ訳がないだろう?・・・私はこれでも君達と同じ仲間だ」
「っ・・お前が仲間だって?・・笑わせるっ・・」
「・・ふん・・・まぁいい、兎に角494・・・私と来い、話が有る」
そして、あの頃と変わらずアレックに当然の顔で命令する
まるで従わなければ罰を受けさせるとでも言うように
今だあの檻の中にアレックは居るのだとでもいう態度で
だから、アレックは彼の方へと踏み出しそうになる足を必死の思いで止め、叫んだ
「・・俺はもう・・494じゃないっ、アレックだっ!・・・あんたの命令になんかっ・」
「ほぅ・・あの女王様気取りのマックスの教育のお陰か?、494
お前みたいな淫乱の殺人マニアが、人間らしい名前を付けて貰ってその気になってるなんてな
・・・驚きだよ・・・・みんな騙されてるらしい、お前の潜入任務で鍛えた表向きの仮面に」
「・・黙れっ!」
アレックは思わず周囲を見渡し、ここでこの男を殺してしまいたい衝動に駆られた
しかし
「私を殺せるとでも?、お前に?」
「・・っ・・出来るさっ」
「出来ないさ・・・忘れたのか?、494・・・随分と可愛がってやった
その度お前は泣き喚いて、最後は私の靴にキスをして赦しを請うたというのに?」
「・・っ・・・・・」
殺せない
アレックはいまだ自分を縛り付ける、潜在意識での枷を自覚する
ジリジリと近づいて来るヘルマンに殴り掛かろうとしても体は竦んで言う事を聞いてくれず、ただガクガクと無様に震えるだけ
このままでは伸ばされるヘルマンの手に絡め取られ、再び暗闇に堕ちるしかない
そう思った
その時
「おい、アレックか?・・こんな所で何してる?」
振り返れば何時ものように葉巻を口に咥えたモールが、ショットガンを片手に立っていた
「・・っ・・モール・・」
「亡霊にでも会ったって顔だぜ、どうした?」
「それは・・・今っ・・」
モールと話し再び見ればもう、ヘルマンの姿は忽然と消えている
まるで今まで見ていたものが、モールの言うとおり本当の亡霊だったのではないかと疑いたくなる位、見事に
「・・・・・・」
「ぁぁ、もしかして・・暗がりで誰かに妙な事をされてたんじゃねぇのか、アレック?」
「・・・・ぇ・・あ?・・・・・違う・・妙なことって・・なんだよっ?」
取り合えずホッと安堵の息を吐き出していると、いつの間にかモールの体は直ぐ後ろに有りアレックを背後から抱き締めて来る
「こんな所にお前が一人で来るなんてのは、襲って下さいと言ってるのと同じだ
・・・危ないから俺が守ってやるぜ?」
「・・・いい加減にしろ・・」
トカゲのDNAが色濃く現れた姿
口元にはトレードマークの太い葉巻
最近顔をあわせる度に口説いてくるそのしつこさに閉口していたが、こんな時は少しだけ何時もの自分を取り戻すのに使えると苦笑する
「全く・・A区の奴がみんなお前みたいだとは限らないだろ、モール・・離せよっ」
「・・ふぅん・・そうか?」
「そうだよっ、俺に言い寄ってくる奴なんかお前だけだ」
アレックは内心、言い寄って来るだけの奴は多く居たが、痛めつけても全く懲りないのはお前だけだと付け足す
だがモールは相変わらず背後からアレックを抱き締める手を緩めようとはせず、首筋をぺロリとその長い舌で舐めた
「っ!!・・なっ・・」
「んーっ、いい味だぜっ・・・お前、あと一月もしないうちに発情する・・・そうだろ?」
「ち・・違うっ!」
実は当たっているのだが、そんなことまでこのドサクサで知られては堪らないと急いでその腕の中から逃げ出した
そして密かに後のモールの気配を頼もしく感じながら、A区の中を早足で中心部へと進んだ
「アレック・・・とうとうモールと仲良しか?」
拳を突き出す下卑た仕草の意味を解っているのかいなのか、アレックがモールと共にA-S区の中枢部に着くと途端にジョシュアは言って来た
「・・なんでだよ・・」
「匂いで分かる、アレックの首筋からトカゲ種の唾液の匂いがする」
「・・・・・」
そんな事より研究所での教育係のヘルマンが生きて此処に居るという事の方が大事だと言いたいが、それに付随して告白しなくてはならない過去は、ジョシュアといえども知られたくない事実だ
「これは・・・奴が勝手に舐めたんだ、それより話が有る・・大切な話だ」
するとまだクンクン鼻を鳴らしながら、ジョシュアは向かい側の黒豹タイプのジェネスティックをデッサンしていた手を止めた
「俺にとってはアレックが、誰かと仲良くなる・・・これが一番大事
仲良くなれば、暗闇に光が・・・そうしたら本当のお祭り騒ぎが、出来る」
「・・・・・」
拙い言葉だが、いつもジョシュアは真実を言い当てている
それは一夜の遊びの相手ではなく、真実の愛に巡り会い幸せになって欲しいという願い
自分の恋は哀しい結末を迎えてしまったというのに自分の幸せを願うジョシュアの優しさに、アレックは不意にローガンへの想いも忌まわしい過去も全てを打ち明けてしまいたい衝動に駆られ唇を噛んだ
「でも焦らない・・・今日はアレックの大事な話を聞く、なんだ?」
「・・・・・ぁぁ・・・・・実は少し前から、シティの内部で問題が起きてる・・」
改めてきちんと向き直ってくれたジョシュアの前で、アレックは声を落とした
「・・問題?」
「外から俺やマックスが盗って来た物や金を保管している部屋が荒らされて、盗まれた
まだ俺達しか知らない事だが・・・何か聞いてないか?、この地区で」
「・・俺達・・・金を盗んでも使うところも無い・・」
ジョシュアに促されて周りを見渡せば、確かに犬科は匂いに敏感過ぎて大麻など吸えないし、爬虫類種は人とかけ離れたDNA過ぎてハイにもならない
第一人間が麻薬として使っている物質が彼等にとって即死するほどの毒物か否かも調べられていないのに、使用するリスクは高すぎる
「・・いや・・お前達が、って言うんじゃなくて・・噂だよ、匂いとか」
「匂い・・・?・・昔俺が吸った・・吸っておかしくなったヤツか?、次の日死ぬほど気分が悪かった」
「ああ、それとか・・こそこそ何か取引してる奴とか・・見てないか?」
ジョシュアは暫らく首を傾げて考えていたが、やがて手にした赤のクレヨンで宙を指した
「そういえば、この前人間区との境辺りに行った時・・・初めて嗅ぐ匂いがした
それでその側で小さな包みと金を交換してる奴が・・
・・その後モールもレイも見たと言ってた・・いつも売る側の男は決まってて・・」
「っ!・・見たのかっ?、どんな男だっ・・その、包みを売り捌いてた奴はっ!?」
これで少しでも容疑者を絞れると、アレックはジョシュアへと身を乗り出した
だが、次に聞いた言葉に戦慄が走る
「銀髪で青い目のデカイ男・・・俺よりは小さいが、人間タイプであんなのは珍しい」
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