鋼の錬金術師は旅を終えて今は故郷であるリゼンブールに舞い戻り、かつて
自らの手で火を放った生家の焼け跡に再び家を建て弟とふたり平穏に暮らして
いた。軍からも遠ざかり、平穏に。それがある日突然ちょっくら旅にいってくらーと
まるで近所に散歩にでも行くようなあっさりした言葉を残して鋼の錬金術師は
いなくなった。今までの生活が生活だけにアルフォンスは最初のうちあまり心配
などしていなかったのだけれど散らかった本を整理していた際に見つけた俺を
探すなと一言残された書き置きに、ただならぬ何かを感じて急ぎ軍に連絡を
取った。兄さんを探してください、その訴えはすぐに中央司令部にも届き、情報は
軍の力をもって集められた。リゼンブールの駅員がトランクを持ってセントラル行き
の汽車に乗るのを見ていた。その汽車のなかで車掌がセントラル行きの切符を
確認する。セントラル駅の売店の店員が駅を出て行くのを目撃した、それ以降の
情報はなく行き先はようとして知れない。最後に鋼の錬金術師の姿を見たのは
兄弟も顔馴染みである元東方司令部マスタング大佐配下の軍人数名で久方
ぶりに見かけた旅装にハボック少尉は「よう大将どこか行くのか」などと質問して
いる。対する返答は曖昧で何も手がかりになるようなことはなかったという。
そうしてセントラルで鋼の錬金術師の足跡は途絶えて、それから一年。白く
塗られたコンクリートの床をホークアイ中尉はこつこつと軍靴を鳴らして歩いた。
訓練を受けた者のきびきびとした歩き方だ。案内役の白衣の男が先導する。
廊下には格子がついた小さな窓のある扉がいくつも並ぶ。その一番奥、男は
ここですと足を止めた。扉の横にかけられた札を一瞥し、ホークアイは無言で頷き
男に立ち去るよう命じた。廊下の角を曲がって男が見えなくなるとひとつの扉と
ホークアイだけが静寂のなかにあるようだった。しかし耳を澄ませばなにか呟きの
ようなものが聞こえる。それは長年部下を務めていたホークアイには間違いようも
ない、マスタングの声だ。盛んに誰かと会話している。が、聞こえるのは一人分の
声だけだ。部屋のなかにはマスタングしかいないし、壁を隔てて会話が行われる
ようなそんな安易な作りではない。そこは病棟を兼ねた監獄だった。マスタングは
会話をやめない。穏やかな口振り、楽しげに笑う声、そして呼ばれる名前。鋼の。
鋼の。鋼の。もうマスタングはずっとそうだった。そこには存在しない相手に
ひたすら話しかけるマスタングはすでに大佐の地位になかった。鋼の錬金術師が
消えてしばらくして、焔の錬金術師も軍籍から消えた。やがて、ホークアイはここ
に行き着いた。格子の窓を開くと薄暗い室内にマスタングは簡素なベッドに
腰掛けていた。隣に誰かいたような不自然な体勢で、何かを言いかけてやめた。
ホークアイに気づいて何事もなかったようにすっと姿勢を正すとマスタングは
まるで執務室にいたころのような雰囲気で、「やあ、ホークアイ中尉」と微笑んだ。
何度も見かけたことがあるマスタングらしい対応だ。懐かしさと、それ以外の
もので胃が重くなった。しかしホークアイはここに来る前からすでに覚悟を決めて
いた。「今日はお伺いしたいことがあります」その声は強張っていたが毅然とした
口調は崩さない。「ああ、なんだね?」ひとつ呼吸をおいて応えるマスタングは
本当に、大佐であった頃と変わらない。ホークアイは背中を嫌な汗が流れるのを
感じた。覚悟は決めた、だがそれを口にするのには勇気が要った。「…エドワード
くんはどこです?」失敗した、ホークアイはそう思った。もっと逃げ場もないように
直接的に聞くつもりだった。けれど覚悟が足りずにそう言ってしまった。降りた
沈黙は一秒にも満たないだろう。そのあいだに、表情を変えないマスタングを
見て、なんのことだねと得意のポーカーフェイスを通そうとしているマスタングを
予感して、逃れられずホークアイは強く重ねた。「エドワードくんの遺体は、どこ
です」実際己の口からその台詞が飛び出して、自身の言葉にホークアイは
項垂れそうだった。あのエドワードの、遺体。ホークアイは震える拳を握り締めた。
閉じた目蓋に浮かぶのはあの頃の。だって、アルフォンスから連絡があっても
そんなことは到底信じられなかったのだ。リゼンブールで元の体を取り戻した
アルフォンスとふたりで幸せに暮らしているはずだった。だから初動捜査は
完全に誤りだった。身内ばかりで心当たりを回り、暢気にエドワードくんはどこに
行ったんでしょうねなんて言いあっていた。そのときに気づくべきだった異変。
途方に暮れる部下へと投げかけられた言葉。『鋼のはもうどこにも行かないよ、
大丈夫だ』どこか異質な響きを持っていた男に気づくべきだったのに。ふう、と
長く息を吐いたマスタングに再び目を開いたホークアイはその一挙手一投足を
見逃すまいと目を凝らした。長い沈黙だ。睨み合って時間が流れた。しばらくして
マスタングはひとつ笑むと「鋼のはここにいるよ中尉」と答えた。マスタングの
隣には空間ばかりがあった。「大佐、あなたは幻覚を見ていらっしゃるのです」
ホークアイには何も見えなかった。誰の目にも。「いや、ここにいる」マスタングは
確信めいたものを持って言う。目を細めて、愛しそうに隣を見る。ホークアイは
呼んだ。「大佐」戻ってきて欲しい、祈るような思いでホークアイはもはやそうでは
ない男を大佐と呼んだ。元のマスタングに戻ってほしいと。かつて野望を両目に
ともした男に、今のような幻想に溺れる姿は似合わない。エドワードの命が
叶わぬなら、せめてマスタングだけでも。ホークアイは待った。すると、マスタング
は「まったく君には敵わないね。確かに私には君には見えないものを見ているよ。
だが鋼のがここにいるのは本当だ」と真剣な目で告げるマスタングが嘘を言って
いるようには思えなかった。それではたとえば、それが嘘ではないとして、その
発言が意味することは。ホークアイは本能的に考えることを拒否した。思考が
止まってよくわからない。マスタングの口元に笑みが浮かぶ。「…どういう、こと
です?」たまらず、答えを聞くのを恐れながらもホークアイは聞き返した。「ここ、に
いるんだよ鋼のは」そう言ってマスタングは己の胸元から腹部にかけてゆっくりと
撫で下ろす。うっとりと、酔うような笑顔を見せた。「私たちは常に共にある、そう
だろう鋼の」そこに甘く話しかけるマスタングに、ホークアイは鋼の錬金術師の
行方をようやく知った。



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