「君、もしかして迷子?名前は?」
思わず声を掛けてしまったのは多分、何のことはない習性で。
郵便局員なんて仕事柄、外面の愛想だけはすこぶる良くなってしまったからで。
普段の俺なら間違いなく見て見ぬフリを決め込むに違いないのに、なんて内心考えながら、それでも制服着用・勤務中の俺は“あなたの街の郵便屋さんモード”なのでこの事態を無視できないでいた。
橘慎吾(たちばなしんご)、24歳。
体裁ばかりを取り繕う日々に少々ウンザリな今日この頃…。
「……」
「あれ?もしかして名前も忘れちゃったの、かな??」
俺はその場に屈み込むようにして、その子と目線を合わせる。
人と話をする時は相手の目を見ろ、なんて子供の時にそりゃもう耳タコなくらい言い聞かされた気はするけれど、やっぱりそんなもの成長するにつれてワザと反発してしまう類の礼儀なワケで、これも社会人になってから身に付いた処世術の一つだったりする。
そりゃ、最初は無理矢理だったけれど、毎日毎日反復練習してればサルでも身に付くもんで。
今さらながら『小さいことからコツコツと、コツコツやるのがコツになる』ってのを妙に実感したりしている。
でも、俺が幾らそんな努力をしたところで、ずっと俯き加減のその子と俺の視線は一向に交わることなく、
「あら、慎ちゃん?どうしたの、その子?見かけない子だけど」
「こんにちは、桜井さん。大方旅行にでも来て両親とはぐれたんでしょう?心配なさらないで下さい。私が責任を持って交番まで送り届けますから」
近所のおばちゃんで、郵便局の常連の桜井さんからお節介とばかりに声を掛けられて、俺はビクリと小さく肩を震わせた。
よりによって、桜井さんに見つかるとは…。
この人に捕まったら最後、永遠2時間はその怒濤のようなおしゃべりに付き合わされること必至なだけに、俺は慌てて当たり障りのない返答をしてみせた。
そうして、
「あら、これならさぞや頼もしい旦那様になること間違いないわね。ねぇ、慎ちゃん。いいお見合い話があるんだけど、どうかしら?」
「光栄ですけど、私には勿体ない話ですよ」
なんて感心顔をしながらもまだまだ居座りそうな彼女から、得意の営業スマイルで何とか逃げ出すのに成功した。
「とりあえず交番行こう?おいで?」
そのまま無理矢理その子の腕を浚って、半ば強引に歩き出す。
…ったく、まだ配達の途中だってのに……。
もしかして今日は厄日か!?
俺はズルズルと無反応な“物体”を引き摺りながら、ふはあと超特大の溜め息をつ吐く。
しかし、これは厄日のほんの入り口でしかなかったことを、俺は後で知ることになるのだが、それはもう少し先の話。
「君のパパとママ、君を置いてどこ行っちゃったんだろうね?」
「……うっさい」
そんな風にすっかりいぬのおまわりさん気分の俺を突如襲ったのは、
「ん?何か言った?」
「うっさいつーてんのや!人が真剣に考え事しとんのに、横からごちゃごちゃと……ほんまけったくそ悪いわ!大体、自分何様のつもりやねん!」
その愛くるしい風貌からは想像もつかないようなドスの利いた声。
それはどう考えても、変声期を疾うに過ぎた少年のそれで。
「……そんな言葉遣い…どこで、覚えたのかな?」
それでも、空耳と信じて疑わない往生際の悪い俺は、顔をピキピキと引き攣らせながらも尋ねてみせる。
しかし、それは空耳でも、幻聴でも、もちろんなく…。
「ガキ扱いすなっ!」
「……ガキをガキ扱いして何が悪い」
「悪口なら聞こえんように言いや?」
そう言って片眉を吊り上げて、口端から八重歯まで覗かせて、関西なまりの独特のイントネーションでそいつははっきりと断言してみせた。
「俺はこう見えても16なんや!」
てっきり小学生かと思ったその見目愛くるしい少年は実年齢16歳のれっきとした高校生で…。
その時初めて俺は、随分と厄介な拾いモノをしてしまったことに気付いたのだった。
「そりゃお前…充分迷子だろ……」
迷子ちゃう!とか何とかさんざ言い張った挙げ句、豪快な腹の虫を響かせてへなへなと屈み込んだそいつに、何故か俺が奢る羽目になって、小さな公園のベンチで二人してハンバーガーをパクついてた矢先。
ほんの雑談程度のノリでこれまでのいきさつ経緯を喋り始めたそいつに、俺はわざと聞こえるように独りごちる。
そいつの名前は、葛西亮輔(かさいりょうすけ)。
「ほんまに失礼なヤツやなぁ、自分。悪口なら聞こえんように言いや言うたやろ?」
バーカ。わざとに決まってんだろ?
人の給料日前のサビしい懐に横から手突っ込んでぬくぬくぬく温まってるヤツへの、俺からのささやかな復讐だ。
我ながらみみっちいヤツだとも思うけれど、
「居眠りもせずにどうやったら駅9つも乗り過ごせるのか、そのコツを是非に伝授して欲しいもんだ」
「……」
それでも俺は底意地の悪い笑みで以て、確実にいたぶる。
そこはそう、24年間培ってきた性格はそうそう変えられるもんじゃない。
そのあからさまな皮肉に不貞腐れて、半ば躍起になって、リョースケは5つ目のハンバーガーに手を伸ばした。
何でもこの食欲魔人は夏休み中のバイト先へ向かう途中だったらしい。
そのバイト先というのはここから駅9つ手前の、最近ではちょっとした避暑地として有名な、しかし実際大自然だけが取り柄の、辺鄙な片田舎にあるペンション『のあ』とかいうところらしい。
この金食い虫の叔父さんとかいうそのペンションのオーナーは、多分都会にも会社にも嫌気がさして脱サラした挙げ句、半分隠居のような生活に夢と希望を抱いて離京してくる、よくいる病んだ大人の一人だろう。
かく言う俺のオヤジもその病んだ大人の一人で、『自然は人間に平等に優しい』とか何とか、口癖のように小学生だった俺に言って聞かせたっけ。
幾ら空気が汚れてて、水が不味くて、人口密度がやたら高くても、そこは俺の生まれ故郷で、原点で、それなりに愛着もあった。
離れがたい友人の一人や二人だっていた。
それでも、無力な子供は大人の後ろについて歩くしかない。
子供は親の背中を見て育つ。
ならば、親の背中を見るしかない子供はどうだろう?
まっ、大人の事情に振り回される子供の気持ちも考えろ!って怒鳴りたいところだが、住めば都の境地で、今じゃすっかりこの地に馴染んだ俺には文字通り今さらなことだ。
「連絡はしたのか?」
知らず知らず、遠く故郷に懐郷の念を抱く。
その突然の真顔の問いに、すっかり自己嫌悪気味のリョースケは訝しがりながら、それでもコクリと頷いてみせる。
「それで?」
「……」
「クビか?」
「……っ!」
しかし、そんな突発的なホームシックが長続きするハズもなく。
何だかしおらしいリョースケをいたぶるのが癖になりそうな俺は、内心心躍らせながら遠慮もなく問いを重ねていた。
「~~~ああっ!もううっさい!うっさい!!そうや!全部俺の方向音痴の所為なんや!!悪かったなっ!!!」
俺の心ない一言に、リョースケはとうとう逆ギレして一気に捲し立てる。
「イタイケな少年の傷口に荒塩擦り込むマネばっかしよってからに!」
「……荒塩」
「うっさい!」
即座に一喝されて、俺は大人しく口を噤む。
これは別にリョースケの迫力に怖じ気づいたからでは、断じてない。
時にはぎゃんぎゃん吠える犬の言い分も聞いてやらないと、な?
「…そやかて、しょうがないやん。叔父貴は他人に甘く、身内にはめっちゃキビしい人やねんから。遅刻した時点でもう完璧アウトやったんや……」
最初の強気が段々弱気になっていき、結局最後には再び俯いてしまったリョースケはやっぱり小さな迷子のように見えて、俺の手が自然とその頭を撫ぜる。
きっと弟がいたらこんな感じなんだろう、と一人っ子の俺は漠然とそう思う。
憎らしいのに愛おしい、そんな矛盾した感情。
「泣きたいなら俺の胸貸すか?」
「……子供扱いすなっ、ボケぇ」
「子供扱いなんかしてないぞ。さあ!遠慮なくこの胸に飛び込んでおいで?」
「……きしょいわ」
相変わらず俯いたままのリョースケの手が俺の制服の裾をぎゅっと握って。
だから。
その声がわずかに掠れ震えてたことに、俺はわざと気づかないフリをした。
「ウチ来るか?」
この夏の身の振り方を真剣に悩んでいたリョースケに、俺の口は迷わずそう告げていた。
何故咄嗟にそんなことを言ってしまったのか、自分でもよく分からない。
ただ、少なくともリョースケに対峙している時は素の自分でいられたから。
それが心地良かったのかも知れない。
こんな自分は本当に久しぶりだから。
それから。
「今なら限定一名様、住み込みバイト可なんだけどな」
俺のウチはいわゆる小さな街の小さな喫茶店ってヤツで、それが昨年女性向けの雑誌の片隅に載ってしまったオリジナルメニューの所為で、田舎にしては結構な盛況ぶりだったりする。
それは、オヤジもおふくろも暇さえあれば『猫の手も借りたい』とぼやくほどに。
ま、これも幸せな悲鳴というヤツなんだろうが、休日の度に当てにされる俺はたまったもんじゃない。
それなら誰かを身代わりに、と我ながら姑息な発想が俺の頭を過ぎったから。
「ほんま?ええの?」
しかし、そんな我が家の事情に巻き込まれたとは露知らず、リョースケは無邪気に喜んでみせる。
そんなリョースケを見ていると、純粋に可愛いと思う。
だから。
やっぱり、俺がこいつのことをもっと知りたい、それが一番の理由なのかも知れない。
「いらっしゃいませぇ」
小さな街の小さな喫茶店に、小さな看板少年の弾んだ声が木霊している。
この辺りでは珍しい毛色の少年はたちまち街中の噂となって広がり、たちまち実の息子の俺を押し退けて看板少年になったワケで。
店は益々繁盛。
本日は世間が三連休と相まって、実質オヤジとおふくろ、そしてその小さな看板少年リョースケの三人で切り盛りしている小さな街の小さな喫茶店もまさに書き入れ時だ。
もちろん、公務員の俺は愉しい休日。
肩の荷も降りて久々に有意義な休日を、と普段なら羽目を外しまくるはずの俺だが、今日は珍しく窓際の特等席を陣取ってもうかれこれ三時間も店内を眺めてたりする。
最近では休日の新たな日課だ。
「ご注文を繰り返します。ホットサンドピザが一つ、アイスコーヒーが一つ、山葡萄ソーダが一つ、木苺のミルフィーユ妖精風が二つ。以上でよろしいですか?」
一見上手に話せている風だけれど、微妙にイントネーションの違うリョースケのまことしやかな標準語。
何でもその一生懸命さが女性客の保護欲を誘うらしく、この界隈でリョースケは秘かに街のアイドルの座を手に入れつつある。
ちなみに、木苺のミルフィーユ妖精風というのが女性雑誌に三ツ星で載ったウチのオリジナルメニューだったりするが、この際この状況があまり喜ばしくない親不孝息子な俺にはどうでもいい。
「お客様、ご注文の方お決まりでしょうか?」
「……エセ標準語」
「水だけで三時間も粘るのは他のお客様のご迷惑になりますので、ご遠慮願えませんか?」
「……」
「~~~ええ加減にせいっちゅうとんのやっ!!シンゴっっ、自分ここの息子やろ?こんな営業妨害みたいなマネしとる暇あったら、店手伝ったらどうや!」
八重歯を覗かせてきゃんきゃん噛みついてくるリョースケの姿は、まるで敵意剥き出しの子犬のようだ。
ならば、これを宥めるのも飼い主である俺の務めだろう、と俺はリョースケの腕をぐいっと引き寄せ、自分の懐にすっぽりと引き込む。
そうしてから、それと同時に何故か沸き上がった黄色い歓声も、俺の胸元でもごもごじたばたと格闘するミクロな物体も無視して、その小さな頭を撫でてやった。
「よしよし」
「~~~っ!!」
しかし実際、俺の取った行動はと言えば、子供が自分のぬいぐるみを取り上げられたくなくて必死でしがみつくのと大差なくて。
「シンゴっっ!!いつまでくっついとる気や!?」
「……あっ、悪い」
数分の後、観念して大人しくなったリョースケをぎゅっと抱き締めながら、俺はいつの間にか自分の中のわだかまりがすっと消えていくことに気付く。
「…ほんま…ガキ臭いことばっかしよって……」
それから。
頬を薄紅に染めながら拗ねた口調で呟いたリョースケを見た瞬間、俺は自分の正直な気持ちにも気付いてしまった。
リョースケのお披露目からこっち、ずっと感じてた胸のモヤモヤ。
それが紛れもなく、嫉妬、だったということに。
俺はこの際ギャラリーも無視して、その華奢な身体を抱き締める。
「あ゛あ゛!!俺がどないやきもきしてるか、シンゴ全然分かっとらんやろ?ただでさえ不利やのに…これ以上ライバル増やしたかないわ、ほんま……はよ、自分ん部屋引っ込め!」
しかし、その腕の中から聞こえてきたのは意外な台詞で。
黄色い声の渦から俺を庇うように威嚇しながら呟くリョースケが、今の俺にとっては大事な存在で、一生手放したくない、そんな風に初めて思った。
俺は時々考える。
自分の居場所はどこなのだろう、と。
幼き日に捨てたあの場所?
それとも、流され、辿り着いたこの場所?
そして、俺は時々考える。
居場所なんて自分で探し、作るものだ、と。
それなら、ここが俺の居場所で、ここがリョースケの居場所であって欲しい。
そう、いつまでも。
「俺、シンゴのこと、めっちゃ好きやねんぞ。分かっとんのか、こんボケぇ」
耳元で新たなホームが甘く囁いた。
「シンゴと俺のおかげで売り上げ倍増や、なぁ?」
「は?なんで、俺??」
「今さら何言っとんのや?客の半分はシンゴ目当てや。…これだから、自分の魅力分かっとらんヤツは……」
リョースケの大袈裟な溜め息が、キレイに磨き上げられた床に落ちる。
しかし、その実。
この妖しげな雰囲気の漂う掛け合い漫才見たさに、足繁く通う女性客が後を絶たないことを、二人はまだ知らない…。
Happy End
2001/10/7 fin.
戻ル?
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