雨のち晴れ!シリーズより
『杏太クンのスキャンダラスサマー』

◇前編◆

『んじゃ、イイバカンスを~』




何が“んじゃ”だっ!
何が“バカンス”だっっ!
バカなのはお前らだっっっ!!
二人きりの旅行じゃ家族にも友達にも勘繰られるからって人をさんざアリバイ作りに利用しといて、現地に着いたら『ハイサヨナラ』かよ!?
結局、俺は隠れ蓑でお邪魔虫でしかないんだよ、な?
…まっ、別に構わないけどさ……。

言葉とは裏腹に完璧不貞腐れながら、俺はどんよりと曇った空を見上げる。
奥田杏太(おくだきょうた)16歳、見知らぬ土地の見知らぬ駅前ベンチに一人腰かけるの巻……。
自分の言葉に本気で悲しくなってくる。

おまけに天然晴れ男の洵平(じゅんぺい)がいなくなった途端、これかよ?
…天気までアイツらの味方なワケね……。
これじゃ、バカンス必須アイテムの使い捨てカメラより質悪いぞ……。
せめてもの救いと言ったら、このベンチの座り心地がまずまずなことくらいだ。

一雨来そうな灰色雲を仰ぎながら、俺はもう9回目の後悔先立たずを始める。



『そっちもな』



なんて“しかと心得てますよ”さながらの理解ある大人のフリなんかしなきゃ良かった。
全く…俺って本当とんだお人好し者だな……。

せめて残りの幸せが逃げてかないように溜め息を空に向かって吐こうとすると、ぽつりと雫が頬を濡らした。

「げっ!もう最悪……」

…なんでこう悪いことって次から次に立て続けに起こるんだろ……?

とうとう降り出した雨を避けて吐いた超特大の溜め息が地面に落ちる。
何だかそれが自分の末路を語ってる気がして、俺は慌てて吐き出した幸運の欠片を拾おうと手を伸ばした。
その時だった。




「君、濡れるから乗って。ほら、早く」




今にして思えば、俺の危険な夏のプロローグはその言葉だったのかも知れない。
気がつけば地面スレスレまで迫ってた右手をふわりと浚われて、俺は強引に車の中に押し込められていたのだった。





「……」

見知らぬ土地。
見知らぬ人。
見知らぬ車の中。

……これって立派な誘拐じゃん!?
突然の出来事で呆気に取られてて気づかなかったけど、これってマジでかなりヤバイんじゃ…??

助手席にシートベルトでがっちりと固定されたまま、俺は探るみたいに横目で運転席をちらちらと覗き込む。

キャラメル色の柔らかそうな髪と優しい瞳。
しっとりと滑らかな乳白色の肌。
すらりと伸びた手足。

その姿がまるで天使を思い出させて、俺は一瞬自分が既にこの世の住人ではないような錯覚に陥ってしまう。

日本人…だよ、な……?

「……僕の顔に穴あける気?」

いつの間にか魅入っていた横顔そのままに言葉を紡がれて、俺はその時初めて食い入るように運転席の男を凝視してたことに気づかされた。

「…あの…俺、一体どこに連れてかれるんですか……?」
「?」

あちゃ……。

それでも、照れ隠しに口を滑って出てきたのは、いきなり核心を突くやら墓穴を掘るやらのマヌケこの上ない無謀な質問で。
その考えナシの問いかけに誘拐犯?は一瞬だけ眉を顰めて、

「葛西君って面白い子だね」
「??」

それでもふんわりと笑ってみせた。
こんなに柔らかく、優しく、まるで砂糖菓子のように笑う人を俺は見たことがない。
そんな風に笑う人が極悪な誘拐犯だなんて到底信じられなくて、俺は正直に自分の素性まで明かしてしまう。

「あの…俺、奥田ですけど……」
「……君、葛西亮輔君でしょ?」

その所為で似合わない眉間の皺が更に深くなっても、俺は無言のまま首を横に振るしかない。

だって当たり前だろ?
俺は奥田杏太で、カサイリョースケなんて名前じゃないし、第一そんな奴の心当たりなんてちっともさっぱり心当たりすらないんだから。
…そりゃ、ちょっと…かなり…気の毒な気はするけどさ……。

「……君、誰?」
「奥田です、奥田杏太」

「……」
「……」

気不味い沈黙。
更に更に深くなる眉間の皺。

おいおい…すっげ考え込んでるよ……。
多分人違いなんだろな。
俺がここにいるってことは…要するに本物さんは今頃待ち惚けを喰らってるってワケで……やっぱ責任とか取らされたりすんのかな?

「……ねぇ君?杏太クン?」
「はい!?」

そんな風に色々考えすぎちゃってる時に突然声をかけられたものだから、当然俺の返事なんて上擦りひっくり返った最低最悪な声で。
それが何だかやたらと気恥ずかしくてまごついてると、誘拐犯?は今までカチコチに強張っていた表情を途端に和らげて、

「大丈夫。別に喰っちゃおうとか言うんじゃないから、そんなに緊張しないで」

自分だって多分それどころじゃないのに、俺を気遣ってくれるその優しさが、見知らぬ土地でセンチメンタルになった心を少しだけ癒してくれる。
その台詞と容姿のギャップが微妙に頭の隅に引っかかったけど、その厚意は素直に嬉しかったので、俺はにっこりと微笑み返してペコリと頭を下げた。
すると、多少引き攣ってたかも知れない俺の笑顔をさらに綻んだ誘拐犯?の横目がじっと見つめてきた。

「杏太クンってイイコだね……それにカワイイ」

横顔が不意にくるりと反転する。
至近距離で見るには迫力のありすぎる顔に、身動きの取れない狭い密室の中でも俺の身体は反射的に後ずさった。
後頭部にコツリとウインドウが当たる。
ウインドウ越しの流れる景色は既に止まっていて、そこで俺は漸く人気のない片田舎の道端で路上駐車中の現状に気づかされた。

「ふ、普通、男に…可愛いは言わないんじゃ……」
「そうかな?でも、杏太クンはカワイイと思うよ?」

俺はなるべく平静を装って答える。
育哉ならともかく、俺が可愛い部類に入るとは到底思えない。
それなのに誘拐犯?は少し小首を傾げてみせただけで、まるでそれが当然の如くカワイイを繰り返す。

「……」
「杏太クンってすっごく僕好みなんだよね…外見とか……多分中身も、ね?」

長くしなやかな指先が俺の髪を弄び、それから頬をつつっと撫ぜる。

これってやっぱり危険なんじゃ……?
もしかして俺、殺られる?…ってか犯られる……!?
……ダメだって!
『殺戮の夏休み!16歳少年の惨殺体発見される!!』なんて明日の朝刊に載るのヤダだかんな!
そ、それに俺なんか育哉と違ってきっと喰っても美味くないって!

「な、なんかお腹空きません?」
「もうペコペコ。だから、味見させて?ね?」

親指の腹が唇の輪郭を辿る。

「俺……そう!中華!俺、中華喰いたいな」
「やっぱり生モノは新鮮な内に食べないと、ね?」
「夏場は中華ですよっ、中華!生モノなんて喰ったら下痢ピー、最悪食中毒っすよ」

「……」
「……」

当たらずとも遠からずの奇妙な会話を続けながら、二人して遠回しな牽制をし合う。




「色気ないなぁ。今僕、口説いてるんだけど?君のこと」
「……口説かれても困りますっ。それに俺、これでも会って数分足らずの人の告白を真に受けるような世間知らずじゃないつもりですからっ」
「なら、こんな胡散臭げな人間にホイホイついてきちゃ駄目でしょ?知らない人の車に乗っちゃいけませんって幼稚園で習わなかった?」
「……」

それを言われると痛いよなぁ……。
さっきは俺、どうかしてたんだ…ってこんなの言い訳にもならないけどさ……。
強がってみせても、知らない街…知らない景色…知らない人混み……知らないだらけで内心すっげ不安で、完璧鬱入ってて、正直誰でも構わなかったんだ。
俺をこの知らないだらけから救ってくれる人なら。
たまたまそれがこの人だっただけで、もし他の誰かに声をかけられたとしても、俺は大人しく誘拐されてたに違いない。

「甲斐保(かいたもつ)」
「え?」
「甲斐。甲斐保。19歳。9月11日生まれの乙女座。AB型。身長176・、体重52・。一応医大生、医者の卵」
「はぁ…でも、なんでまた突然……?」
「なんでって、君言ったでしょ?」
「え??」
「これで堂々と口説ける」

キャラメル色の瞳が優しく覗き込んできて、免疫のない俺の頭はくらくらしてくる。
緊張やら目眩やら、不整脈やら動悸やらが一気に襲ってきて俺を混乱させる。

「え??そ、そんないきなり!?」

お陰で妙なことまで口走ってしまう始末だ。
だって口説くなんて書くくらいだから、呼んで字の如く最初は口でするもんだろ?
…え?く、口でするって??

……。

そりゃ口でするっつったって、愛を囁く以外にも色々用途はあるワケで……って!ああ!!もう完璧洗脳されてるって!!!
きっと今俺の頭を真っ二つにしたら皺の隅々までピンク色なんだろな。

……。

で、でも、だってしょうがないじゃん?
俺だって16歳の健全な青少年なんだしさ。
しっかし、しょうがないって…会ったばかりの人に迫られて心臓バクバクさせてる俺って一体何者……??

「へぇ……」

そんな俺の動揺なんてお見通しとばかりに、意味ありげな視線が唇をなぞる。

「もしかして、ファーストキスもまだなんだ?」
「ぐっ」
「杏太クンって、本当カワイイなぁ……」

可愛い言うなっ!

「お願い……杏太クンの初めて、僕に頂戴?」

そ、それに初めてって勝手に決めつけんなっっ!
……って、確かに初めてなんだけどさ、そう言うののアルナシって男の沽券に関わるって言うか…何て言うか……

「んっ…!」

窓の外に視線を逸らしていた俺の耳元を生暖かい風が擽る。
続いて襲った未知の感覚に、俺は慌てて思考回路を中断させた。

「なっ、何すんですかっっ?」
「何って…耳舐めただけ、だよ?」

な、舐めただけって……幼気な少年の心を弄ぶなっての!

「そんなに嫌、なの?」

遠慮がちなその問いに、俺は首の骨が折れんばかりの勢いでコクコクと頷く。
一瞬視界の隅に寂しげな顔が映った気がしたけど、きっと、絶対、眼の錯覚だ!

「なら、選ぶ?」
「な、にを……?」
「①ここでこのまま僕に喰われる。か?②責任取って君が葛西君の代わりに働く。か?」

ねっとりと耳殻を舐られ、吐息と共に甘く囁かれて、俺はそれから逃れる為だけに条件反射的に叫ぶ。

「②!」

それが子供騙しの究極の選択だったことに気づくのは、もう少し先のこと。
俺の貞操がどうなったのか…それはまた別の話……。



To be continued.
2001/7/19 fin.





◇中編◆

「な!なっ!」

なんでお前らがこんなトコにいるワケ!?
その先は言葉にならなかった、驚きの方が大きすぎて。
何せ見知らぬ土地に俺を見捨てた張本人達が目の前にいるんだから。
今度会ったら愚痴や嫌味の一つや二つぶつけてもバチは当たらない、ってくらいに恨んでたのに…いや、憎んでたほどなのに……。
俺の予定は予想外の事態にあっけなくお流れとなった。

「何?杏太クンの知り合い?」

誘拐犯?…もとい、甲斐さんが俺と薄情な二人組を交互に見比べて尋ねてくる。
しかし、今俺にできることと言えば、金魚みたいに口をパクつかせるくらいで。
指先なんか二人を指したまま、全身はプルプルと痙攣を起こしている。

「ねっ、杏太?」

そんな感動の再会よりか未知との遭遇でもしたかのような俺なんかそっちのけで、何やら不機嫌な調子で言ったのは他の誰でもない育哉だった。
でっかい目を訝しげに歪めて俺の隣を凝視している。

「“杏太”ったら!“コレ”、誰?」

コ…レ……?
二人を指していた俺の指先がぐにゅっと力なく垂れ下がる。
も、もしかして怒ってます?育哉さん?

「誰って…甲斐保さん……だけど??」

意味不明・理解不能の憤慨を感じながらも、俺は何とか当たり障りのない返答を返す。

「~~~っ!!」

しかし、その返答がどうやらお気に召さないらしい育哉は益々怒りを増長させて、俺の隣を睨み上げた。
その重圧に耐え切れなくなって育哉の恋人兼保護者の洵平に助けを求めれば、アイツはニヤニヤと事の成り行きを楽しむばかりで、助け舟など泥舟でも出す気はないらしい。

「ちっ……」

非友好的な親友をジト目で睨みながら、俺は小さく毒づいた。
三度の飯より他人の不幸が蜜なアイツを頼ろうとした俺が馬鹿だった……。

「路頭に迷ってた“杏太クン”を“僕”が拾ったんですよ」

二人の間に見えるはずのない火花が散った気がしてあたふたする俺を横目に、大人の余裕ってヤツなのか平然と答えたのは甲斐さん。
心なしか挑戦的な口調に聞こえるのは気の所為だろうか?

「拾っ…た……?」
「そう。で、そのままスカウトしたの、僕のところでバイトしないかって」
「バイト……??」
「そう。だから、気安く話しかけないでくれる?君らはタイセツなお客様で、僕らはそれにカシズク従業員。OK?」

強引な論法で怒りMAXの育哉をねじ捻伏せて、それじゃと俺の肩を抱いてさっさと去ろうとする甲斐さん。
それが更に事態の悪化を招くことを知ってか知らずか。
何にせよ、育哉と洵平はこのペンション『のあ』の客人で、俺はしがないアルバイター。
それが今の哀しい人物相関図だった。




「すみませ~ん。紅茶おかわり」
「あっ、おれも。砂糖控えめミルク多めのミルクティーね」
「……ハイ。……タダイマ」

ペンションでのバイトは思ったよりキツかったけど、思った以上に楽しかった。
お人好しな性格が功を奏してか元より人様に奉仕するのは嫌いじゃないし、オーナー夫婦も従業員も感じのイイ人ばかりだ。
…が、まるで八つ当たりのように元親友で今はしがないアルバイターの俺を、ここぞとばかりに扱き使い、弄ぶアイツらには心底腹が立つ。
いっそ毒でも盛ってやろうかと乱暴にティーカップを扱った時、

「それ、一つ10万円の代物。割ったら、杏太クン一生タダ働きかもよ?」

人の神経を逆撫でし放題の甲斐さんの一言に俺はびくりとして、思わず手に持ったバカ高いカップを落としそうになる。

「うぎゃっ!」
「杏太クンって案外おっちょこちょいなんだから、全く……カワイイったらありゃしない」

体勢を崩しかけた俺の腰に然り気なく、あくまでも然り気なく手が回される。

「ちょっ!」
「嘘だよ、嘘。もし割っても、一日タダ働きくらいが関の山だから」
「ちょっ…離し、て」
「まっ、万が一そんな楽しいことになったとしても、僕が身請けしたげるから安心して割っちゃって?」

割れたティーカップの向こうに悪魔の微笑みを垣間見た気がして、俺の肌が粟立つ。
割る割らない云々より、そっちの方がよっぽど怖い気がする……。

「ほらっ、杏太クン。そんなんじゃ折角お見えになったお客様が逃げちゃいますよ。笑顔!スマイル!」

そう言って、自分の想像に顔面蒼白状態の俺を甲斐さんはやんわりと諭してみせる。
キャラメル色の柔らかな眼差しがくらくらするほど眩しくて、だけど何故か心地いい。
営業スマイルもここまで来ると立派な特技かも知れない、なんて天の邪鬼な誉め言葉で自分を落ち着かせて、俺は何とか平静を装った。

「甲斐さん!好い加減にしないとセクハラで訴えますよ?」
「ひっどぉ~い。ここに愛はあるのに」
「……それとも。ストーカーの方がいいですか?」
「くすぅん。僕ら、キスまでした仲なのに」
「なっ!あれなら未…す、い……っ!!」

ぐいっと引き寄せる腕に抗って押し退けた途端、視界に飛び込んできたのは俺より更にブスっ面な育哉の顔。
人差し指の先が苛立たしげにテーブルに打ちつけられている。
しかも、コツコツと小さなハズのその音がやけに反響しておぞましく響いている。

「ねぇ?彼、育哉クンだっけ?彼、杏太クンのこと好きなんだね?」
「は?」
「だって、僕にヤキモチ焼いてるでしょ?『俺のモンに手出すな!』って感じで、敵意ビシバシ」
「へ?育哉が…俺に…ヤキモ、チ……」

甲斐さんの言葉をただ反芻しただけなのに、何だか急に顔が上気してきて。
脳味噌まで沸騰状態で。
多分…俺の顔、そりゃもうユデダコ並みに真っ赤なんだろな……。
畜生…格好悪りぃ……。
疾うの昔に封印したはずの気持ちがまた頭を擡げる。

「あれ?ひょっとして、君らって三角関係ってヤツ?」
「……」

……言うな。

「ああ、確かにカワイイもんね、彼。“育哉クン”?」
「……っ」

……言うなっ!

「今は隣の彼とラヴラヴみたいだけど、この様子だと案外脈アリかもよ?」
「……それ以上言うなっ!!」

俺は手に持ってたトレーごとテーブルに打ちつけるみたいに置いて、その場を逃げるように飛び出す。
…いや、逃げるようにじゃなくて……本当に逃げたんだ。
自分の醜い本心を、会ってまだ少しの他人にズバズバと言い当てられて、これ以上自分を穢すのが嫌で、だから逃げ出したんだ。
育哉からも洵平からも、甲斐さんからも、そして自分からも……。




「はぁぁ、夕日が目に染みるぅ。…初日からサボって怒ってんだろな、オーナー……」

沈みゆく太陽にパンダ…よりか熊に似たオーナーの姿が重なる。
普段は温厚なオーナーだが、体格が大柄なだけに怒ると迫力がありそうで、俺は自分の想像にびくっと身を震わせる。

「なんでこんなんかなぁ、俺って……」

図星指されてムキになるなんて、まるっきりガキのすることじゃん。
オマケに弱虫で意気地なしで、更に女々しいと来てる。

「自殺志願者ってこんな気持ちなんかなぁ……」

丁度好い具合にそこは断崖絶壁。
ふと自分の存在まで消してしまいたくなり、谷底を覗き込んでみると、その予想外の高さと吹き上げる海風に、高所恐怖症の俺はへたり込んでしまう。

「夕日が目に染みる……」

夕日と意気地のなさが災い…幸いして踏み止まる。



「杏太クンっっ!!」



そして、それから、あともう一つ。
俺を探す必死の呼び声。




「きょ…う、た…ク…ン……?」

キャラメル色の髪が汗で額に張りついている。
乳白色の肌もわずかに上気して、薄く開かれた唇からは弾んだ吐息が漏れていた。
そのあまりの艶やかさに、俺は不謹慎にもしばし目を奪われた。

「……良かった、本当に良かった」

天使と呼ぶにはあまりにも妖艶すぎるその人に姿を捕らえられた瞬間、俺は力任せに抱き締められる。
鼓動が早い。
体温が高い。
そして、ほのかに薫る汗の匂い。
もしかしたらあれからずっと探してくれてたんだろうか?
何故だか、俺の胸も熱くなった。

「ごめん。ごめんね」

まるで譫言にように俺の耳元で何度も繰り返すその人を、俺は初めて愛おしいと思った。

「…甲斐、さ…ん、苦しぃ…痛い、って……」

その言葉に俺を抱き締める腕の力が強まったから、俺も仕方なく甲斐さんの背中に手を回して力を込める。
…この気持ちは一体何なんだろう……?

「キレイな夕焼け……杏太クンの色だねぇ?」
「へ?」
「杏太のキョウってアンズって書くんでしょ?だから」

並んで座った断崖絶壁の丘の上、甲斐さんが何とはなしに呟く。
その言葉に俺はちょっと…いや、かなり、正直言って驚いた。
それが育哉からもらった言葉と同じだったから。

「甲斐さんって案外ロマンチストなんだな」
「案外は余計でしょ?」
「ホント強引で意地悪で冷徹で…かと思えば、意外に熱血だったり」
「意外は余計…でも、ないかな」

甲斐さんはふと考え込むように顎に手を当てると、すっかり火照りの消えた顔で説き始める。

「僕って基本的に頭脳労働派なんだよねぇ。行動するより先に頭で考えるタイプ。杏太クンとは正反対」
「余計なお世話!」

どうせ俺はバカですよっだ。
俺が不貞腐れて言うと、甲斐さんはくすりと一つ笑みを漏らして続ける。

「だけどね、杏太クンといると僕が変わるんだ。新しい自分を次々に発見できて、そういうのって楽しくない?楽しくて楽しくてしょうがなくて…だからつい無茶しちゃう……」
「……」
「こんなの初めてなんだ…好きで好きで、向き合う度にその想いは際限なく膨らんで、愛しくて愛しくて、もう手放すことすら考えられない」
「……なんか…そんなの似合わないよ」
「似合わない、かな?」
「似合わない!甲斐さんにそんな真剣な顔、似合わない!!アンタはいつも余裕で、余裕綽々って顔で、あちこちに営業スマイル振りまいて、そのクセ、陰で舌出して笑ってる。そういう人だろ?そうじゃないと…俺……」

そうじゃないと…俺……好きになっちゃいそうで、今よりもっと。




「ご褒美、もらってもいい?」
「……ご褒美?」
「そう、ご褒美。どうも僕、肉体を酷使しすぎたのかまだ夢の中みたいなんだよねぇ。だから、王子様…ん?お姫様かな?……とにかく君のキスで起こしてくれない?そしたら、いつもの僕に戻れると思うから」

そう言って、甲斐さんは草の上に寝転がり目を閉じる。
上から見下ろすそれは白雪姫よりも美麗で、これじゃやっぱりお姫様は甲斐さんの方だ、と俺は数時間ぶりの笑顔を漏らす。

「俺、王子様って柄でもないんだけどなぁ」

そうしないといつまでも寝転がったままのような気がして、この人なら絶対やりかねない、と俺はゆっくりと薄紅の唇目掛けて顔を近づける。

「ん……」

触れ合ったそれは意外なほど柔らかくて、温かくて、ほんのり甲斐さんの匂いがした。
これが俺のファーストキス。
優しく、美しい想い出…そう思った瞬間……立場は逆転した。

「やりっ、杏太クンの初めてGet!」
「ん゛ん゛!!」

いきなり挿し込まれた舌に俺の甘い想い出はガラガラと崩れ落ちたのだった。





「実はさ、俺……育哉のこと好きだった」
「知ってたよ、んなこと」

まさに命懸けの決意で漸く向き合ったってのに、元ライバルで今は親友の洵平は何を今更って顔であっさり受け流しやがった。
なけなしの勇気まで使い果たした俺はがっくり肩を落として、へなへなとしゃがみ込む。

「それで隠してるつもりだったワケ?」
「ぐっ……」
「まっ、親友のよしみでニブ鈍ちんな育には黙っててやるよ。それより“だった”ってことはやっと吹っ切れたんだな」

吹っ切ろうが吹っ切るまいが育を渡す気はさらさらなかったけどな、そう言って洵平は笑ったけど、そういうことを笑って言えるそんな洵平に育哉は惚れたんだと改めて思い知らされた気がして。

「……結局俺に勝ち目なんてないじゃん」

思わず吐いた負け惜しみのような台詞も洵平は聞こえないフリをしてくれた。

「で、吹っ切らせたのはアイツか?」

くいっと親指の先でどこかを指し示して、洵平は二ヤリと笑う。
そのどこかにはもちろん甲斐さんがいるワケで……。
何故か赤面状態の俺を楽しそうにニヤニヤと眺めてから、駄目押しとばかりに洵平は言った。

「そんじゃ、邪魔者はさっさと退散しますか」
「へ?」
「すみませ~ん。チェックアウトお願いします」
「おい??」

そ、そんなの聞いてねぇぞ。
また俺を“おいてけぼり”にして二人で楽しむつもりかっ!?
そ、それより何より!俺と甲斐さんを二人っきりにすんな~~~っっ!!




…俺のスキャンダラスサマーはまだ始まったばかり、らしい……。



To be continued.
2001/8/23 fin.






◇◆後編◇◆

「カーニちゃん、あそぼ?」

ミクロな物体が甲斐さんの足元をうろちょろしてる。
俺の腰丈くらいのそれは、オーナー夫婦の愛娘埜亜(のあ)ちゃんだ。

「埜亜ちゃん?僕ね、今大事なお仕事の最中なの。だから、これが済んだら一緒に遊ぼ?ね?」

程良く糊の利いたテーブルクロスを手慣れた様子で被せ、その上に小洒落れた食器を並べていた甲斐さんが遠回しに断りを入れる。
この人の許容範囲は老若男女際限ナシの見境ナシなんじゃないか、なんて勘違いしてしまいそうな極上の笑顔だ。
俺はそれを横目で盗み見ながら、甲斐さんとまではいかないにしろ、大分慣れてきた手つきで一輪挿しの花瓶なんかを飾ったりしてる。
今日の花はアガパンサス、花言葉は恋の季節・恋の便り・恋の訪れ。

この知識は“はゆり”さん直伝だ。
毎朝、ペンション脇の温室からその日の気分に合わせて花を摘んでくるのははゆりさんの仕事だったりする。
今年三十歳って女性がガーデニングと同じくらい花言葉にご執心なんていささか少女趣味だとは思うけど、食卓に花ってのは案外悪くなくはない。
気分は和むのに雰囲気は華やぐって言うか…とにかく、それなりの効果があるってことはこの鈍感な俺で実証済みだ。
あっ、ちなみに、はゆりさんってのは埜亜ちゃんのお母さんで、つまりオーナーの奥さん。
あの熊のようなオーナーには勿体ないくらいの美人だ。多分こういうのを美女と野獣って言うんだろう。
うひぃ…それにしても、今日はいつもにも増して乙女チックな選択……。何かイイコトでもあったんだろうか?



「やあっ!のあ、カニちゃんといまあそびたいの!あそぶの!」
「埜亜?ワガママ言わないの!保くん困ってるじゃない」
「やぁだ!あそぶったらあそぶのっ!」

余計な邪推に気を取られてると、俺の足に何かがぶつかった。
どうやら正攻法では無理だと悟った埜亜ちゃんが泣き落としにかかったらしい。
子供ってのは無邪気で素直で、時に残酷で、俺は苦手だ。
こうやって暴れる埜亜ちゃんからの二次災害を受ける度に、俺から漏れるのは甲斐さんのような営業スマイルでも、はゆりさんのような怒声でもなく、全く覇気のない溜め息だったりする。
子供って大人の生命力まで糧にして生きてるんじゃなかろうか…マジで……。
げっそりとくたびれた様子でその場に立ち尽くしてると、埜亜ちゃんの奥の手に少しばかり苦笑しながら、それでも甲斐さんは逃げることなく、その屈み込む姿が俺の目に飛び込んできた。
この人はホント…ある意味尊敬に値する……。
そうこうしてる内に、小さな背丈に合わされた目線で、キャラメル色の瞳が黒目がちのつぶらな瞳をしっかり捕らえた。

「それじゃあね、この仕事が終わったら、埜亜ちゃんの大好きなニンフの森に木苺摘みに行こう?それでい?」

甲斐さんの言葉に、埜亜ちゃんの暴走がピタリと止む。今度の今度こそ埜亜ちゃんが大人しくなったみたいだ。
それこそ、『ニンフの森』が魔法の呪文であるかように。

「ほんと?」
「うん」
「ぜったい?」
「うん、約束」

甲斐さんの長くしなやかな小指と埜亜ちゃんの紅葉のように愛らしい小指が絡み合う。
その様子が何だか一枚の絵画のようで……。
俺はしばらく見惚れてから、ハッとする。

今、何考えてた?俺!
き、気の所為だよな…埜亜ちゃんが羨ましいなんて……。
突如芽生えた理解不能な感情を無理矢理捩伏せて、俺は労働にいそ勤しむことにしたのだった。




「あのさ、甲斐さん?ニンフの森って…何?」

オーナーの作った賄い料理を啄みながら、俺は思い切って訊いてみた。
別にどうしてもってワケじゃない。ただもう滞在から10日近く経つっていうのに、そんな地名初耳だったから気になっただけだ、誓って!

「ああ、ニンフの森ね。ちょっと少女趣味な名前でしょ?」
「ニンフって確か…妖精のことだよな?ひょっとして……」
「ビンゴ。名づけ親ははゆりさんだよ」

やっぱりか……。
ここはメイドインジャパンの片田舎。
いまでこそ避暑地として名高いところだけど、その色眼鏡を取って見ればなんのことはないただの田舎だ。
そんな田舎の大自然相手にそんなファンタスティックな命名をするのは、世界広しと言えどもはゆりさんしかいないかも……って、俺は薄々勘づいていた。

「それで。どこにあんの?そのニンフの森って」
「気になる?」

あくまでも然り気なさを装って俺が尋ねると、それに合わせて甲斐さんがやんわりと微笑む。
でも、その目は決して笑ってなくて、まるで茶化すような瞳が俺を余計に苛立たせる。

「別に。ただお客さんに訊かれたら困るから」

なんでこんなにイライラするんだろう?
苛立ちを隠そうとするほどに、自然と自分の口調が素っ気なくなるのがハッキリ分かる。

「なんなら杏太クンも一緒に行く?」
「行かない。甲斐さんと埜亜ちゃんとの約束だろ?」
「でも……」
「……結構!」
「杏太クン?」
「……ごちそうさま。俺、仕事あるからもう行くわ」




別に特別そこに行きたかったワケじゃない。
ただ羨ましかったんだ…ふたりで交わした約束が……。
ただ妬ましかったんだ…ふたりだけの秘密みたいで……。

ふと窓から空を見上げると、そこにはどんよりとした曇り空。
そう言えば、甲斐さんと初めて逢ったのもこんな空模様の時だった。
ひとりぼっちだった俺をポツリポツリと雨が濡らして、最初はただの人違いで無理矢理車に乗せられたんだった。
ほんの少し前のことなのに非道く懐かしく、まるで遠い過去のように思える。

「あっ、雨」

その時、まるであの日を再現するかのように、ポツリポツリと水滴が窓を濡らし始めた。
それと同時に、俺は何故かほっとする。
これで甲斐さんと埜亜ちゃんの約束が消えてなくなるから。
…俺ってホント格好悪りぃ……。
でも…それでも…あの人が……。
狂おしいほどの熱情ーーー俺、いつの間に甲斐さんのことこんなに好きになってたんだろ……?



「ねぇ、杏太くん?埜亜見なかった?」
「いえ、見てないですよ」

突然襲った豪雨の所為ですっかり夜のような夕空を窓越しに見遣りながら、はゆりさんが尋ねてくる。

「一体どこにいるのかしらねぇ?」

部屋中にきょろきょろと忙しなく視線を泳がせながら、それでもどこか母親の威厳を感じさせる落ち着きでのんびりと呟く。
確かに埜亜ちゃんはおてんばで、おままごとよりかかくれんぼやおにごっこが好きな女の子だけど…。
何だか妙な胸騒ぎを感じる。
これは決して、はゆりさんのジャガイモを剥く指先に彼女の視線が注がれてないからとか、甲斐さんの瞳が昼間からじぃっと俺を追いかけてるからとか、そんなことの所為じゃない。
今の時刻は午後4時。普段なら貴重な自由時間で、今日が晴天なら甲斐さんと埜亜ちゃんが木苺摘みに出かける時間だったから。

「……はゆりさん!どこ?」
「え?」
「ニンフの森!!」
「あっ、このペンション右手の獣道を10分くらい昇ったところよ。でも、今はこのどしゃぶりで危…って、杏太くん!?」
「ちょっ、杏太クン!?」

背中越しに甲斐さんの呼び声が聞こえたけど、俺はそれを振り切って走った。
埜亜ちゃんは絶対そこにいる。
そんな確信めいた予感が、俺にはあったから。

スニーカーも服もドロだらけだったけど、水分をたっぷり含んだ身体は不思議と重くはなかった。
多分自分の被った罪の方がずっと重いから。
その証拠に、木陰でうずくま蹲る埜亜ちゃんを見つけた瞬間、俺の心の曇り空がすっと晴れていくのを感じたんだ。




「埜亜ちゃ……」
「………カ、ニ…なぁんだ、きょおたくんか」

思い切り堂々と落胆されて、俺はがっくり肩を落とす。
ドロと雨水をたっぷり吸った身体が途端に重くなる。

「それが、命懸けで迎えに来た王子様に向かっての第一声?」
「たすけてなんてたのんでない」
「……可愛くないなぁ、もう」
「べつにいいもん」

うっすら感じてはいたけど、どうやら俺は埜亜ちゃんに好かれてないらしい。
まっ、俺の方から積極的に接することもしなかったから、当然と言えば当然かも知れないけど。
とは言え、嫌ってない人間に嫌われるのはあんまり気持ちのいいものじゃない。

「埜亜ちゃん…帰ろ……?」

やや鬱に入りかけた気分を奮い立たせて、俺は埜亜ちゃんに向かって背中を差し出す。

「のあ、まってる。カニちゃんがくるまでずっとまってる」
「こんな嵐じゃ無理だよ。だから帰ろ、ね?」
「だってやくそくしたもん」

約束ね…だから苦手なんだ。子供ってのは無邪気で素直で、時に残酷で、それでもやっぱり、羨ましいほどひたむきで……。

「甲斐さんだって心配してる」
「……きょおたくんはかえっていいよ?のあ、ひとりでまってるから」

本当は寂しいクセに…。
寂しくて寂しくてしょうがないクセに……。

俺は小刻みに震える小さな身体をぎゅっと抱き締めた。
あの雨の日、甲斐さんが俺をひとりぼっちから救い出してくれたように、今度は俺がこの子を救ってやるんだ。
そんな似合わない正義感みたいなものを抱いて、俺は掌に力を込めた。

「分かった。俺も一緒に待つよ」

埜亜ちゃんの身体がびくっと跳ね上がったのにも気づかないフリをして、小さな身体を優しく包み込む。
小さな小さな宝物を濡らさないように。
雨が一途な温もりを奪ってしまわないように。
今だけ俺がこの子の傘になろう。
大粒の水滴が額に張りついた髪を滝のように流れては、伝い落ちていった。

「きょおたくん、だいじょぶ?」
「大丈夫。絶対来る。信じてるから、俺…甲斐さんのこと、信じてるから…約束だから……」

俺は譫言のように呟いた。
それが埜亜ちゃんの願いで…同時に俺の願いでもあったから……。
それなのに…つぶらな瞳が俺を心配げに覗き込んでくるのが見える…のに……抱き締めた小さな小さな身体が、どしゃぶりの雨より冷たく感じるのはなぜだろう?
そんな疑問を抱えながら、俺は必死で埜亜ちゃんの身体を抱き締めた。




それからどれくらい時間が経ったんだろう……?

「きょ…た…ク…」

あれ?あの光って…もしかして妖精……?
ニンフの森って本当だったんだな?ね、埜亜ちゃん?

「……杏太クン!」

ちかちかと点滅する光がふわりふうわりと漂って、俺は辛うじて繋ぎ止めていた意識を手放した。
ーーー妖精が今一番逢いたい人を連れてきてくれた気がした。




「…ん」

俺は無意識の内に失われた体温を求めて彷徨った。
そうして探し当てた“何か”にぴったりと身体を寄せる。
あったかい……。
朦朧とした意識の中で、ぎゅっと“何か”に包まれる。
それが何なのか?今一つ俺には分からないけど、肌寒さの中で纏う穏やかな温もりは心底心地良くて。
俺は足元にじゃ戯れついて擦り寄る子猫のような気分で、全身をその“何か”に擦りつけた。

「ん」
「こらこら、そんなに動かないの」
「んん」
「じっとしてないと飢えた狼に喰われちゃうぞ?」
「……?」

その耳元で囁かれる声の響きが、その鼻孔を擽る微かな匂いが、どこか懐かしくて、俺は重い瞼に力を込めて無理矢理こじ開ける。

「…甲斐、さん……?」

そこにいたのは紛れもなく甲斐さんで、そのキャラメル色の瞳に映るのは紛れもなく俺だった。

「おはよ、杏太クン。身体の具合はどう?」
「体の具合……?」

そう言えば…ちょっと怠いような……っ!!
俺は毛布の下に隠れた自分の身体を見て唖然とする。

「うわあっ!な、何これ!?」

次の瞬間、俺の視界に飛び込んできたのは、したたかに絡み合う二つの裸体で。
一つは幼い頃から慣れ親しんだ見覚えのあるもの、もう一つは…。

「なっ、なっ、なんでふたりともハダカなワケ?」

俺は慌てて目の前に広がる艶めかしい胸を両手でぐいぐいと押し返してみるけど、

「人命救助。僕も一応医者の卵だからね」

なんてやんわりと微笑む甲斐さんの身体は意外と逞しく、病み上がりの俺の力ではビクリともしない。
そりゃ仮にも命の恩人だから強くは言えないけど、何も、だからって二人してすっぽんぽんにならなくてもいいだろ~~~っ!!

「だってこれが一番効果的なんだよ?」

目の前の狼はそう言って砂糖菓子のように甘く微笑んでくれちゃったけど、そこに下心がたっぷり含まれているのを俺は身を以て知ってる。
何せ初対面で耳舐められたくらいだし。
だから、両手できっちり抱き寄せられながらも、自然と腰だけは逃げ腰になってしまうワケで…。

「病人は大人しく看護されてなさい」

しかし、腰に添えられた腕によって俺は呆気なく引き戻される。
見かけによらず怪力だよなぁ、甲斐さんって……って、そんな感心してる場合じゃなくっ!

「ちょ、ちょっと…当たってる…んです、けど……」
「何が?」
「~~~っ!!」

甲斐さんの鬼!悪魔っ!!
幼気な少年に一体何言わす気だぁよ!
何がって…ナ…ニ…に決まってんじゃん……。

「な・に・が、当たるのかなぁ?杏太クン?」

全身を朱に染めて打ち震える俺もまた一興ってな具合で、甲斐さんは自分の腰をぐいぐい押しつけてくる。

「かっ!甲斐さん!!」

さわさわと擦れ合う感覚に、次第に下半身に熱がこもってくるのを感じて、俺は慌てて絶叫に近い声で叫ぶ。
しかし、それも瞬時に甲斐さんの人差し指によって制される。

「しぃ、埜亜ちゃん起きちゃうよ?」
「…埜亜ちゃん………そう言えば!埜亜ちゃんは?」

その言葉にふとこれまでの経緯を思い出して慌てて詰め寄ると、甲斐さんはくすりと小さく笑んでから部屋の一角を指差してみせた。
そこにあったのは奥へと続く部屋の扉。
自分の目で確かめないことには安心できない、と俺は即座に立ち上がろうとしたけど、思うように身体に力が入らない。
そんな俺の頭を甲斐さんの掌が優しく撫でて、そのまま髪の毛を梳かれる。

「心配ないよ、ぐっすり眠ってる」
「怪我は?」
「大丈夫」
「体調は?」
「大丈夫」
「えっ、と…それから……」
「………………………大丈夫。ちょっと衰弱してるだけで、どこも悪くないよ。今晩しっかり眠れば朝には回復する」
「よかったぁ……あ…っ?」

埜亜ちゃんの無事に、そして甲斐さんの笑顔に、俺は心底安心して、穏やかな鼓動の調べを聴きながら漸く安堵の溜め息を吐いた…つもりが、同時に股間を掠めた掌の感触に思わず艶が混じってしまう。
髪の毛を梳いていた手はいつの間にやら毛布に潜り込み、俺はドサクサ紛れに握り込まれる。

「何言ってるの?それもこれも杏太クンのお手柄でしょ?」
「ちょ、やぁっ、か、いさ…ん……ぅんっ!」
「ご褒美あげないと、ね?」

甘い声が耳元で囁く。

「病人は大人しく看護されてなさい」

ひやりとした掌が半ば勃ち上がっていた俺をやんわりと包み込み、そのままゆっくりと上下に蠢かされると、俺の口からは少し熱を帯びた吐息しか出なくなった。




「凄く熱いね?杏太クンの」
「やっ、だよ…うぁっ、んん!」

掌がひらひらと閃きながら、それでもねっとりと絡みついてくるようで、俺は堪らなくなった。
拒絶の言葉を吐きながら、その言葉とは裏腹にまるで媚びるように自然と腰が揺れるを俺はどうしても止められない。
そうして快感に溺れていくだけの自分の身体が少し恨めしかったけど、それでもいいと思った。甲斐さんとならそれでもいいと思えた。
何だかんだ言っても、精力…もとい、好奇心旺盛な年頃だし。

「ココも、ココも、ココも、全部美味しそう。だけど……」
「んっ……ぁっ……はぁっ」

甲斐さんは唇に、胸の飾りに、蜜を漏らすクレパスに小さなキスを次々と捧げていく。
俺はそれだけで身悶えるほど感じてしまって、唇が辿る度に小さく仰け反っては甲斐さんの背中にしがみついた。

「やっぱりココが一番かなぁ」

片足を担ぎ上げられて、誰も触れたことのない蕾を露わにされる。
まるで花を愛でるように蕾をじっくりと眺めてから、愛おしむように優しくくちづけされる。

「んゃあっ!そん、なト…コ、汚…いよ……」
「そんなことない。とってもキレイだよ?」
「ひゃぁ、んっ……ぅあ、ん」

キャラメル色の瞳が俺を見てる。
そう思うと、実際に触れられるより数倍強い羞恥心を感じて、俺は慌てて開かれた足を閉じようとする。
しかしそれより早く入り口を指先で丸く擽られ、舌先を捩るように挿し込まれると、俺を支配し始めたのは羞恥心よりも蕩けるように甘い未知の感覚で。

「力、抜いてくれる?」
「え?……ぁっ、んっ?」
「そう、上手上手。最初はキツイかも知れないけど…ほら、この辺どう?」

妙な異物感を伴いながら押し入ってきた指の先が、俺の中の一点を掠めると、その刺激が快感となって俺の頭の中でスパークした。

「くっ、ん…ぅん、あっ……はぁっ、んん!」

な、に…この、感覚……??
内部を掻き回す指が二本に増やされる。
なんで、こんなケツの穴なんかが感じるワケ??
ひょっとしたら前触られるよりか気持ちいいかも。

「……ああっ…ん、ふっ…ん、あっっ」

閉じ合わさることを忘れた俺の口端からは飲み切れなくなった唾液が伝い落ち、完全に艶ばかりになった吐息と共に床を濡らしていく。

ヤバイ…ヤバイって俺!完全にハマってるって!!
このまま俺…童貞より先にバックヴァージン喪失しちゃうのか……!?



「やっぱり熱いね……」
「……んあっ?」

その瞬間、まるで俺の不安を感じ取ったかのように今までさんざ内壁を撫でさすっていた指が抜かれる。
これで安心するはずだった。
しかし、安心するはずの俺の口から漏れたのは不満めいた快感の余韻を残す声で、おまけに満たすものを突然失ったそこは物欲しげにひくついてるらしく……。

「なんで?」

それが嘘偽りない俺の本心だ、と無意識の台詞が教えてくれる。

俺、甲斐さんが好きだ。
いつの間にか子供相手に嫉妬するほど甲斐さんが好きだから、俺…俺の全てを甲斐さんで満たして欲しい……。
俺は精一杯の意思を込めて、甲斐さんを見つめる。



「杏太クン?アンズの花言葉って知ってる?」
「え?……??」

なのにまるではぐらかすように問われ、俺はただ小首を傾げるしかない。

「アンズの花言葉はね、遠慮・気後れ・乙女のはにかみ・慎み深さ」

一体、甲斐さんは何が言いたいんだ?

「それから…誘惑……」

かあっと顔が熱くなる。

「したい?」
「……」

俺は思い切って首を縦に振る。
だって、この機会を逃したらもう二度とこんな勇気振り絞れない気がしたから。

「そんなにしたい?」
「……っ」

恥を忍んで、俺はもう一度コクリと頷く。
だんだん甲斐さんの顔つきが意地の悪いそれに変わっていくのが分かったけど、この際もうそんなの気にしてられない。

「…っとに、しょうがないなぁ、杏太クンは……」

それが幾ら棚上げな台詞でも絶対、ぜぇーったい気にしない。

「病気より性欲の方が勝っちゃうんだぁ?」

気にしない…気にしない……。

「杏太クンってホント……イ・ン・ラ・ン」

~~~っ!!



「もういい…しなくていい……俺寝るから」
「冗談だよ、冗談」
「やめっ!こんな淫乱なヤツのご機嫌取りなんか今さらいいよ」

宥めるようにおでこにキスされて、それが何だか妙に子供扱いされてる気がして、俺は毛布の中でくるりと拒絶の背を向ける。

「しょうがないなぁ……」
「しょうがないで抱かれたくなんかない」

完全に拗ねた俺を、後ろから伸ばされた腕が抱き寄せる。

「我慢して優しくされても嬉しくない」
「……我慢できないのは僕の方、だよ?」
「??」

耳元で甘く囁かれて、そのまま俯せにさせられる。

「折角杏太クンの為を思って我慢してたってのに、狼より赤ずきんちゃんの方が積極的なんて童話、聞いたことないよ?」

太股に熱い昂ぶりが当たる。

「ちょっと脚に力入れててくれる?」
「な、何する気!?」
「何ってス・マ・タ、プレイ。知らない?」

甲斐さんの爽やかすぎる声が項を擽る。
背中の向こうの甲斐さんは多分相変わらずふうわりと微笑んでいて、その性格と容姿とのギャップに改めて苦悶する。
でも、それが紛れもなく甲斐さんだから。
甲斐さんだから、俺は……。

「お楽しみはこの次ってことで」

そこから先はあまり覚えていない。
ただ…うねる熱の塊と擦れ合う水音、何度も何度も俺を呼ぶ掠れた声だけはうっすらと記憶の断片として残っている。




「ゆうべ、カニちゃんときょおたくんチュウしてたでしょ?」

台風一過。
こうやってると仲のいい家族みたいだよなぁ、なんて幸せボケしてた俺を襲ったのは埜亜ちゃんのこの一言。
甲斐さんの左腕と俺の右腕にぶらりとぶら下がりながら、ちっとも全然悪びれないで埜亜ちゃんはそんなことを言う。まっ、子供だからしょうがないんだろうけど…。

「あれ?埜亜ちゃん起きてたの?」
「うん。なんかね、きょおたくんくるしそうにしてたから、大丈夫かな?って」
「そう、埜亜ちゃんは優しいね。でもね、あれは苦しいんじゃなくて、気持ちいいの。分かる?」

甲斐さん…頼むから4歳児相手に性教育しないでくれよ……。

「わかるよ。だってパパとママもときどきくるしそうにしてるもん。でも、やっぱりくるしくないんだって」

げっ、オーナーとはゆりさんが!
……って、夫婦なんだから当たり前なんだろうけど、ちょっと、あんまり想像したくないかも。

「ねっ?カニちゃんときょおたくんってこいびと?それともふうふ?」
「夫婦…って言いたいところだけど、残念ながら今は恋人かな?ね、杏太クン?」

これ以上ボロを出すのも醜態を晒すのも嫌で、俺はとりあえず素直にコクンと頷く。
刃向かったら、どんなしっぺ返しが来るか分からないし。
第一昨日の今日でそんな気力も元気もないし。

「それじゃ、のあ、“らいばる”だね」
「ライバル?」
「そう、きょおたくんに“よこれんぼ”する“らいばる”」

埜亜ちゃんがきゅっと俺の腕を抱き締める。

「え?」
「杏太クンに?」
「うん。のあね、はじめはカニちゃんのおよめさんだったの。でもね、きょおたくんのこと、カニちゃんよりもっともっとだいすきになったから。だから“らいばる”でしょ?」

どうやら、いつの間にやら俺は埜亜ちゃんのライバルから、お婿さん候補に昇格したらしい。
何と言うか…嬉しいやら悲しいやら……。



こうしてオレのスキャンダラスサマーは無事?終わりを告げた。
…のだが、オレと甲斐さんの物語はまだまだ終わらない……らしい。

こうしてこの夏、俺には風変わりな恋人が、甲斐さんには小さな小さな“らいばる”ができたのだった。



Happy End
2001/9/15 fin.

戻ル?

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