君の頬を雨が伝う
それはまるで涙のように
君の頬を涙が伝う
それはまるで雨のように
その雨が僕を潤し、その涙に僕は癒された
僕の頬にも雨が伝う
それはまるで涙のように
僕の頬にも涙が伝う
それはまるで雨のように
その雨が僕を潤し、その涙に僕は癒される
雨の中の凛とした背中
涙の中の凛とした瞳
「ナニナニ…それを揺るがすのはいつも僕でありたい……うへぇ、相変わらず変態チックだな?綾兄も」
項近くで控え目に結わえた後ろ髪がくるりと翻る。
「覗き見なんていい趣味とは言えませんよ、小池屋クン。僕の朝の嗜みを邪魔しないで下さいね?」
優しく諭されて、元汰はギクリと身を竦ませる。
公私混同禁止のポリシーを持つ綾人とは言え、公が私に必ずしも無関係とは限らない。
その矛盾した理屈も、3倍返しの法則も、腐れ縁で弟分の元汰は長年の経験から学んでいた。
そして、今日もどうやら綾人の機嫌を損ねてしまったらしい。
こういう時は早々に謝るに限る、と元汰はあっさり降伏した。
下手すれば、3倍どころか数倍になって跳ね返ってくる可能性だってある。
それも陰湿でねちねちとしたヤツをお見舞いされるのだ。
「ヘイヘイ。スミマセンでした。朝の有意義な一時を邪魔しちまって。んじゃ、これにて失礼します」
朝から詩人と化すのもいい趣味とは言えないがな、と元汰は心の中で悪態を吐いてさっさと退散を決め込む。
「はい、さようなら。今度は君の恋人も連れてきて下さいね」
その背中をにこやかな顔で見送り、扉が完全に閉まるのと同時に再び椅子を回転させて綾人は業務机に向かった。
「…僕の上には、今宵も、快感の雨が降る、っと」
AM8:30 綾人の朝はポエムから始まる。
***
青い空。
白い雲。
化学室。
「……」
黒板。
実験台。
愛しい人。
「……」
凛とした背中。
凛とした瞳。
あられもない姿。
「あの、先生。気分悪いんスけど…」
「……」
「あのっ」
「…あぁ、はいはい。そこの薬、勝手に塗っててくれるかい?」
「……」
ストーカー。
職権乱用。
職場放棄。
AM10:00 推定無罪。
***
「すみません、遅くなって。お腹空いたでしょ?」
「いいえ、大丈夫ですよ。それより穂積先生の方こそお忙しかったのでは?」
「途中で生徒数人に捕まってしまって、そこから先は延々質問攻めですよ」
「相変わらず熱心なんですね、穂積先生は。さぁ、急いで昼食を済ませましょう?」
息を弾ませる紳耶の肩にそっと手を置いて、飽和状態から解放され始めた学食の椅子に腰を落ち着かさせる。
穏やかな午後の一時。
「穂積先生。今日の放課後予定あります?」
「?…いえ、特には」
「化学部の方は?」
「いえ。化学部は幽霊部員だらけ、化学室も今では上総君と小池屋君の貸し切りじゃあね」
くすくすと紳耶が柔らかな笑みを零す。
この笑みを、この感情を、この心を蘇らせたのは自分なのだという事実が紳耶と自分との絆に思えて、綾人はこの上ない喜びを感じずにはいられなかった。
「口元…」
「?」
おもむろに顔を近づけて紳耶の口端の汚れを舐め取ると、綾人はそのまま軽く唇同士を触れ合わせる。
すっかり人気のなくなった学食にちゅっと甘ったるい音が響いた。
PM0:50 綾人の昼は甘いキスから始まる。
***
「紳…おっと、穂積先生。今日俺に付き合わん?」
「?…それって、今晩?」
「そうだけど…何か先約か?」
「……違うって。行く。行くよ…一緒に……」
「そうか?じゃ、放課後、準備室迎えいくから」
周防は不機嫌そうな顔を少しだけ緩ませてから、背中越しに掌をひらひら揺らして去っていった。
憂さ晴らしだな、と親友のあまりの分かり易さに紳耶は苦笑する。
「…別に、大丈夫……だよな?」
紳耶はまるで言い訳のように独りごつ。
「蔵重先生と約束ですか?」
「石居先生!聞いて…っ」
瞬間、真後ろから突然話しかけられて、紳耶の肩がびくっと跳ね上がる。
慌てて振り向いた彼の表情は驚きと気不味さとで引き攣っていた。
「…すみません、俺……」
「折角の親友からの誘いじゃないですか?断ったら勿体ないですよ」
恋人と親友を天秤にかける彼は嫌いじゃない。
親友と恋人を天秤にかける彼は好きじゃない。
「僕の方はまた今度でも……」
「……いえ。行きます。周防…蔵重先生の用事の後で必ず」
彼にとってはどちらも大切な人。
「それじゃ、僕の自宅の方に直接来てくれますか?」
「はい」
凛とした背中を見送りながら、後ろ髪に手をかけて束ねた髪を解く。
これは勤務時間外の合図。
PM5:00 波乱含みのアフターファイブ。
***
「いしいセンセっ、おそくなりましたぁ」
数度鳴った呼び鈴の後の、呂律の回らない叫び声。
これはしこたま飲まされましたね、と綾人は複雑な面持ちで玄関へと向かう。
まさかこんな泥酔状態で訪ねてくるとは、とんだ誤算だった。
さっきまで燻っていたイライラ・モヤモヤが溜め息と共に吐き出される。
完全に毒気を抜かれた。
「紳耶クン…そんなに酔って…大丈夫かい?」
「だいじょぶ、だいじょぶ」
悪いがとても大丈夫とは思えない。
普段の倍以上は口数が多いし、テンションも高い。
そんなに親友との時間が楽しかったのだろうか?
吐き出したはずのイライラ・モヤモヤが再び頭をもた擡げ始める。
「幾ら親友との付き合いだからって、こんなになるまで飲んでは身体に毒ですよ?」
「あれぇ?しんぱいしてくれるんですかぁ?こんなおれを、あなたよりあいつをゆうせんさせたおれのこと、しんぱいしてくれるのぉ?」
……ああ、だからか。
普段常識的な飲酒しかしない彼がこんな酔い方をしているのは。
罪悪感が彼にそうさせたのだ、と綾人は気づく。
「でも、君は僕のところに来てくれたでしょう?最後に僕のところへ戻ってきてくれるなら、それだけで僕は充分ですよ」
嘘だ。
本当はいつでも、どこでも、彼を独占していたい。
彼は自分だけのもので、自分は彼だけのもの。
そうありたいくせに、変なプライドがそれを口にするのを拒む。
彼にとってはどちらも大切な人。
自分も親友も同じ価値なのだ、と無理矢理自分に言い聞かせて。
「……おれはいやだ」
「はい?」
「……おれはいやだっ!そんなあいまいなきもち、いらない。ほしくないっ!!」
「…そんなこと言われても、ねぇ……」
曖昧な張本人から出る台詞じゃないでしょう?と綾人は溜め息を落とす。
「…いしいセンセはざんこくだ。やさしいふりして、ひどいことばかりする……」
(…否定はできませんねぇ……)
「ねぇ、どうしてとめてくれなかったの?どうしていくなって、いっしょにいろっていってくれなかったの?」
(どうしてって…君に嫌われたくないからに決まってるじゃないですか?無理強いや束縛はみっともないでしょう?)
「…おれ、ひきとめてほしかった……いくなっていってほしかったっ!」
「え?それってど……」
「………………どうせ、どうせっ、いしいセンセにとっておれなんてそのていどなんでしょ?」
『石居先生にとって俺なんてその程度なんでしょ?』
その程度…?
その程度!その、程度っ!!
綾人の瞳にあの日の狂気が蘇る。
「それ本気ですか?本気で言ってるんですか?」
綾人は千鳥足に誘われて壁にもた凭れかかっている紳耶の両手首を同じく両掌で掴み、視点の定まらない瞳を自分の瞳で捕らえる。
そのあまりの迫力に、紳耶はビクリと萎縮するしかない。
「もしそれが本気なら、僕の方にも考えがあります」
綾人は凍りついた紳耶の身体を抱き上げ、寝室に運び込むと、自分の身体ごとベッドに縫いつけた。
そうしてそのまま荒々しく彼の唇に噛みつき、口腔を激しく貪る。
舌を執拗に絡め、口内の粘膜を全て犯し、シャツのボタンを引き千切って肌を露わにさせる。
「ひゃっ!」
冷たい…。
火照り尽くした自分の肌と、胸の尖りを弄ぶ綾人の掌との温度差に、紳耶が少しだけ正気を取り戻す。
「…センセ……ん、んぁ…ぅん」
「綾人、でしょう?紳耶」
綾人は紳耶を膝の上で抱え、背中に自分の胸板をぴったりと密着させる。
その上で、後ろから紳耶自身に右手を伸ばし、ゆっくりと上下に扱き始める。
その間も左の指先は敏感な左胸の突起を弾き続けていた。
「ぁっ、んっ…ああっ!」
「どう?気持ち良いでしょう?」
「ん…あや、と…っあぁ…イ、イ」
「今日はどちらも素直でイイコですねぇ。これはご褒美です」
アルコールのお陰で理性の箍が外れた今の紳耶は快感に従順だ。
綾人は緩急をつけて彼自身を揉み扱きながら、先走りの蜜を漏らす先端に軽く爪を当てる。
そのままグリグリと親指の腹を先端に擦りつけると、くちゅくちゅと粘着質で卑猥な音が部屋中に響き渡った。
粘度の増した蜜は紳耶の欲望を煽り立てる。
「…やっ、もう…イ、ちゃ……んあ!」
「おや?もう限界ですか?…でも、今日はそう簡単には達かせませんよ……」
「……やぁっ!」
射精感に打ち震える紳耶の欲棒を綾人は右手でぎゅっと握り込む。
「こうすると達きたくても達けないんですよ。辛いでしょう?」
そう言うと、綾人は俯せにさせた紳耶の双丘に顔を寄せ、蕾を舐り上げ始めた。
ぴちゃぴちゃという淫猥な響きが紳耶をより一層煽り立て、綾人の掌の中の彼が一際膨らむ。
「やっ、だ……はなし、て…ひぃっ!」
「辛いでしょう?苦しいでしょう?」
「なん、で…こんな……あんっ!」
「好きだからですよ。愛してるから、僕は我慢した。本当は今日だって行って欲しくなかった。ずっと僕の傍にいて欲しかった…でも、そんな我が儘、君を困らせるだけでしょう?だから、辛くても苦しくても我慢したんですよ。君も…紳耶も僕のことが好きなら、これくらい我慢してみせて?」
内壁の感触を貪っていた舌先を引き抜き、代わりに中指を挿し入れる。
掻き回すように指を進入させ、探り当てた紳耶の前立腺を執拗に摩り上げると、掌の欲棒が悲鳴を上げ始める。
「ひゃあん!んっ!あひぃ!!」
「我慢できるかい?」
「んんっ…も、う…がま、ん…な、んか、しな…いで……っんあ!!」
『もう我慢なんかしないで』
「…え?」
「ああっっっ!!」
紳耶の言葉に、綾人は一瞬困惑する。
と同時に右手の束縛が緩み、紳耶の欲望は漸く解放を許された。
「…先生……」
「…どうやら酔いが覚めたようですね……」
「先生……綾人…もう我慢しないで……」
「それは一体…」
「もう我慢しないで…俺、綾人に独占されたいし、綾人に束縛されたい。今日だって、本当は引き止めて欲しかったんだ」
脱力し切った融通の利かない身体を何とか起き上がらせると、紳耶は真っ直ぐに綾人を見つめる。
その凛とした姿に全ては擦れ違いだったのだ、と綾人は気づいた。
「……紳耶…まさか、僕のこと好きな、の?」
「勿論」
「……蔵重先生よりも?」
「勿論」
綾人の子供染みた口調に、紳耶はくすくすと柔らかく笑みながら繰り返した。
「綾人のこと、周防とじゃ比べ切れないくらい好きになってるよ」
「本当に?」
「本当だよ。俺愛してる、綾人のこと」
「本当に?」
「信じられない?」
「……信じる…に決まってる、でしょう?」
綾人は紳耶の背中に腕を回し、その胸に自分の顔を埋めてみる。
そこは穏やかな表情とは裏腹で、早鐘のような鼓動が鳴り響いていて。
心地良い旋律だ、と素直に思える。
綾人はふとあの紳耶に恋した雨の日を思い出す。
あの日は眺めるだけだった安らぎが、今は自分の傍にある。
二年越しの恋が漸く実を結んだ気がした。
「綾人、今日はご免なさい。必ず埋め合わせするから、さ」
「気にしないで下さい。……でも、僕の想いを侮辱した罪はきっちり償ってもらいますよ?」
そう言って、綾人はにやりと口端を歪ませる。
「これも愛故です。覚悟して下さい」
PM10:30 綾人の禁断の夜はまだまだ始まったばかり。
HAPPY END
2001/3/27 fin.
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