縁結び本舗より
『Episode.1 元汰の場合』

◇その壱◆

オレ、小池屋元汰(こいけやがんた)。
“元旦にオギャ~と生まれた”から元汰。
何て言うか、単純な両親にも安直な名前にもほとほと呆れ果てるが、これはこれでオレ自身、結構気に入ってる。
趣味は縁結び。
一応、趣味と実益を兼ねて縁結び屋なんてやってる。
世間で言う所の恋の橋渡しとか恋のキューピッドとか、そんなようなもんだ。
ま、それはそこ!自他共に認める世話焼きでお節介なオレにはまさに天職ってヤツかも知れない。
『縁結び本舗』ーーーそれがオレの看板。
恋愛成就、商売繁盛!今日も張り切って行きますかッ!!




「元汰。お前、最近商売上がったりらしいじゃん」
「…まァな」

「小池屋。そろそろ店仕舞いでもするか?」
「……おはようっス。先生、朝から冗談キツイっスよォ~」

「よっ、ガンちゃん。儲かってまっか?」
「………ぼちぼちでんな」

爽やかな朝だというのに、元汰を憂鬱にさせる不躾な野次が飛び交っていた。
しかしこの男、これで結構なかなかの人気者なのだ。
ひとたび歩き出せば数歩ごとに声をかけられるのだから、この悪意の籠もらない皮肉めいた会話も彼の人気のバロメーターと言ってもいいかも知れない。
例えばそう、子犬同士のじゃ戯れ合いのような。
これも相手が他の誰でもない、元汰だから為せる技なのだ。
誰とでも気さくに話せるその裏表のなさは、大方長所として役立っていた。



「元汰先輩、聞きましたよ!何でも強力なライバル出現らしいじゃないですか?確か破縁屋でしたっけ??」
「…………佐助。お前、ホント絶妙のタイミングで現れてくれるよ、なァ?全く…助かる、よ!」

感謝の意など全然籠もっていない感謝の言葉を吐きつつ、元汰は瞬時にして青冷めた後輩の後ろ襟を引き摺って歩き出す。
その足先は朝露に濡れる校庭を横切り例の場所へ、歩き慣れたルートを辿っていた。

「先輩、許して下さいよ。…誰かっ……助けて下さいっ!」

ズルズルと人気のない方向へ拉致されていくか弱き後輩の叫びは、誰の耳にも届いているはずなのに、生徒も教師も誰一人としてそれを咎めようとはしない。
そればかりか、口元に笑みさえ浮かべて黙認する様は、さながら集団イジメのようにさえ見えた。

このなまっちろい男の名は、御手洗佐助(みたらいさすけ)。
元汰とは中等部からの顔見知りで、一年後輩に当たる。
黒縁眼鏡に冴えない風体、一見一昔前の典型的なガリ勉タイプだが…

「先輩って、本当強引。そんなに焦らなくても僕は逃げませんよ。その麗しき姿も、心までも、我が手中に収めるまでは、何人たりとも僕等を引き離せない運命ーーーそれで、今日のっ…ん、んんっ!」

その実、世間で言う所の同性愛者。ホモセクシャル。ゲイ。それも傍迷惑なことに、完全なる誘い受タイプである。
そんな訳で、例の場所に着くなり倒錯癖を晒し始めた佐助の五月蝿い口を、元汰は苛立ちそのまま荒々しく自分の唇で塞いだ。
そうして義務の如く一頻り彼の口腔を貪ってから、相手にだけ余韻を残して離れる。

「…相変わらず上手いですね、先輩。……何なら、続き試してみません?今なら先着一名様、試用期間中」

その荒々しさが、その強引さが、彼の情欲を誘うことに元汰は気づいていない。
しかし、トロンと蕩ける瞳で頭一つ分下から見上げるように覗き込んでくる後輩の強かさは、誰よりも知っているつもりだ。
だから元汰は、彼から放たれる挑発的な色香を手加減なく冷たく切り捨てた。

「情報料はキス一回だろ?料金は払った。手っ取り早く。情報だけが欲しい。」

平静を装うようにわざと言葉端を強めて言うと、佐助もここを潮時と即座に野心的な商売人の顔に豹変する。

(…ッたく、なんで好きでもないヤツとこんなコトしなきゃならないんだか……)
元汰は心中で疾うに使い古された悪態をつ吐いた。

これでもオレと佐助は仕事上の関係でしかない。
別に友達でも、ましてや恋人でもない。強いて言うなら相棒ってヤツか?
同じ穴の狢、裏商売の横の繋がりで知り合ったオレ達は、互いの利害の一致を理由に今まで一緒に組んできた。
そこに、それ以上もそれ以下の感情もない。互いに束縛する気も、束縛される気もない…と思う。
少なくとも、オレ側にその気がないのは確かだ。
あの行為は文字通りビジネス、仕事上の取り引きってワケだ。
正確には……頭ではそう理解してる。
でも、どうやらオレはそう簡単に割り切れるような大人でも、落ちぶれても擦れても荒んでもないらしい。

「…ッたく、こんなのもらっても嬉しかないだろ?普通……」
「いいじゃないですか、別に。僕がそれで満足を得る代わりに、先輩は必要な情報を手に入れられる。ギブアンドテイク、実に基本に忠実でしょう?」

不覚にも今度は零してしまった愚痴に、ご丁寧に佐助は両者の取り引き事情を確認してみせる。
ちなみにオレ、偏見なんて厄介な代物は持ち合わせてない。
まっ、こんな風変わりな学園に五年も在籍してれば、そんなちっぽけな常識に囚われてるのが馬鹿らしくなってくるのは当然かも知れない。
でもそれ以上に、仕事上、オレの場合、その手の感情は枷にしかならないんだ。

私立十六夜(いざよい)学園、別名自由恋愛学園。
文字通り、この学園での恋愛は自由。異性同士はもちろん、同性同士でも、それこそ生徒と教師でも。
若い内に青春を謳歌しろってのが理事長の意向らしいが、謳歌どころかこの学園は今や恋愛無法地帯と化してる。
そんな恋愛自由主義者達の集まるこの学園で、佐助のような人種は少なくない。あッ、人種ってのは少々語弊があるか?
…とにかく。
その無法地帯で商売を営むオレにとって、そういう偏見や差別は無用の長物なんだ。

それはさておき。
もう一度念には念をで、オレは誓ってノーマル。さっきのキスはビジネスだ。
それを踏まえた上でオレが取り引きする理由、これは至って単純。
佐助の情報、その信憑性の高さ故だ。
加えて仕事上での相性もいいし、信頼もできる。
オレの欲しい情報を、オレの欲する時に提供してくれるのはアイツしかいない、今の所。
少々アクの強いヤツだが、キス一つで有益な情報を得られるなんて損得勘定するまでもない。
オレも商売人の端くれとして、それを利用してるだけ…。
佐助の言う通り、これはギブアンドテイクの関係。
絶対に損なんてしてない…。
そう割り切れてこそ、この取り引きは成立するんだから。
そうひたすら自分に言い聞かせてる。

「…それで、テイクの方は?」

割り切れ、割り切るんだ…元汰は呪文のように心中で繰り返し、沸き上がってくる感情を何とか捩伏せる。

「はい。噂の破縁屋のことですよね?」

相手の意図を的確に判断する佐助の対応に、元汰はいつもながら凄いと素直に感心しつつ無言で頷いた。
取り引きの場所、取り引きの最中は必ず外す黒縁の分厚い眼鏡を指で器用に弄びながら、血肉に飢えた獣の如く鋭い眼差しでギロリと元汰を射抜く。口元は既に卑しげに歪められていた。
いつ見ても背筋の凍るようなその変貌振りに、それでも気圧されまいと元汰は眼光鋭く睨み返す。
その反応に満足したのか、佐助は整った片眉を吊り上げると件の情報を披露し始めた。

(…コレッて……完璧むっつりサドだよなァ………)

縁切り屋、通称“破縁屋”。
オレや佐助のように表立って商売をやってるヤツじゃないらしいが、縁結び屋のオレと対極に位置する人間ってコトだけは確かだ。
近頃この破縁屋による被害が相次いでいて、オレの苛立ちと憂鬱のそもそもの発端はヤツだったりする。
年齢・性別、全てが不詳。
何とかこの学園の誰かという所までは嗅ぎつけたが、如何せん一向に尻尾を現さない正体不明の謎の人物だ。
しかも、ヤツのターゲットは全てオレが結んだ縁。
オレが結んだ縁をヤツが片っ端から切っていくのだから、『縁結び本舗』の客足はめっきり遠退くばかりなんだ。

(…ッたく、営業妨害で訴えるか?)

「縁切り屋、俗称破縁屋。その名の通り、仲を引き裂くのが仕事、というより趣味ですね。手口は王道、横恋慕。カップルの内どちらかを標的・誘惑し、散々惑わした挙げ句、その事実を暴露して破局に追いやるという単純明快かつ最も効果的な方法です。何故先輩が結んだ縁がことごとくターゲットになるのかは不明。可能性として挙げられるのは怨恨かと。年齢不詳、性別不詳。掴めたのは、この学園の誰かということだけです。…結論、犯人像として言えるのは、用意周到・厚顔無恥、人の不幸に蜜の味を覚える知能犯という所ですね。加えて言うなら、美形のフェロモン人間。以上」
速すぎる提供終了の台詞に半ば拍子抜けしながらも、元汰の顔が一気に紅に染まる。
怒りなのか、照れなのか、あえて言うならその両方かも知れない。

「…コ、ノヤロォ……オレの唇返せっ!」
「先輩の落ち度でしょう?料金先払いなんて、慣れないことするから」

今更責めても仕方がない、それは重々承知している。
もちろん『嫌なコトはさっさと済ませたかった』などと、本人を目前に言えるはずもないワケで。
後悔先立たずとはまさにこのことだ。
詰まる所、当てにした佐助からの情報は元汰のそれと大差なかったのだ。
全く以てキスの浪費。

「ご馳走様」

その一言で、元汰の堪忍袋の緒も千切れた。

「アレは次回の情報料に繰り越しだからなッ!」

首筋まで朱に染め上げて目の前の確信犯を睨み下げ、ドスドスと学園中に響き渡りそうな勢いで元いた人の流れに戻っていく。

「あのじゃじゃ馬を手懐けたい気持ちは、僕としても分からないでもないな」

興奮に震える華奢な背中。
薄紅に上気した儚い首筋。
縁結び屋と呼ばれ親しまれる男の後ろ姿を感慨深げに眺めながら呟いた佐助の台詞に、既に遥か向こうに仰ぎ見るしかない元汰の身体が何故かビクリと震えていた。



「…ッたく、オレはこう見えても純情なんだよッッ!」

意味不明の怒声を響かせて闊歩していく男。
火照り膨らむ頬。
尖らせた唇。
忙しなく泳ぐ瞳。
何処をどう見ればこう見えてもなのかは定かでないが、彼が純情なお子様体質ということだけは紛れもない事実のようだ。

「小池屋」

ただでさえ虫の居所が悪いのに、今日何度目になるかさえ分からない不愉快極まりない台詞など聞きたくない、と元汰は不穏に澱んだ眼で声の主を振り返る。
しかし、その視線の先にいたのが男子棟専属の数学教師蔵重周防(くらしげすおう)その人だと知ると、彼は針で刺し破られた後の風船のように萎み切ってしまった。

「小池屋。話があるんだけど、ちょっと時間いいか?」
「…はァ」

普段より二回りは小さく見える身体を更に縮こまらせて、何とも元汰らしからぬ気弱な返答をしてみせる。
その曖昧な返答に周防は一度苦笑すると、手近な空き教室へとその“万年落第生”を促した。

先生の言わんとするコトは大体予想できた。
オレの成績は下の中、その中でも先生の受け持つ数学は万年ドン尻だ。
だけど、オレが先生に対して感じる後ろめたさや罪悪感の理由は、別に成績の悪さの所為じゃない。
人間成績だけが全てなんて到底思えないし、そんな陳腐な“ものさし”で誰かを計ろうとするなんて正直無意味だと思ってる。
まッ、そんなの典型的な落ちこぼれの言い分かも知れないが、オレの中では揺るぎない真実なんだ。
それでも、端から見れば人生半分放棄してるような落ちこぼれのオレを、蔑むでも無視するでもなく皆と同様、いやそれ以上に扱ってくれた初めての人。
それが先生だった。

『陽射しがキツけりゃ、影も濃くなる。小池屋、お前は影に飲まれるなよ?』

先生の台詞は今でもオレの支えだ。
オレを陽射しと言ってくれたあの日から、オレは自分にも他人にも優しくなれた。
そうしたら、皆がオレに優しくなった。オレを取り巻く空気が優しくなった。
今のオレがあるのは先生のお陰だ…なんて使い古された台詞しか浮かばないのが情けないが。

「俺な、成績なんてちっぽけな“ものさし”だけで人間を計ろうとするなんて、正直間違ってると思う」

ほら。
こんな風にオレの気持ちを真っ先に汲み取ってくれるのは先生だけなんだ。

「でもな、どんなにちっぽけでも必要な“ものさし”だと俺は思うワケ。だって、そうだろ?そうじゃなきゃ、こんな職業好きこのんでやってない。…なぁ、小池屋。それだけで誰かを計ろうとするなんてやっぱり危険なことだと思う。でも、だからと言って無視するのも同じ位危険なことなんじゃないか?」
決して頭ごなしに否定せず、オレという人間と真正面から向き合って優しく諭してくれる。
だから。
先生が優しいから。先生の笑顔が優しすぎるから。
オレの中に罪の心が芽生える…。
教師としてと言うか、人間としてと言うか…とにかくコレが生きてきた人生濃度故の格の差なんだ……と思う。
その辺のハゲ面年配教師陣よりかずっと生徒の扱い方が上手くて、何より生徒ひとり一人を思いやってくれてる。

「…分かってる。努力もする。……それに、テスト毎回赤点じゃ、先生の体裁も悪いもんな」
「サンキュ、助かる。俺にできることなら何でも協力するからさ。…手始めにお前さえ構わないんなら、優秀な人材を派遣できるけど……どうする?」
「へ?マジ?助かるッ、スッゲェ助かるッッ。一人で足掻いても埒明かなくって」

それは身に染みて分かってる。
先生にこうやって説得される度に後ろめたさや罪悪感を覚えて何とか努力してみるものの、結局は空回り、依然として汚名を濯げないでいるんだ。
オレにはどうやら独学の素質はないらしい、と半ば諦めかけてた所だった。

「ちなみに、俺の弟で中坊なんだけど…それでもいいか?」
「OK、OK、全然OK……へ?中坊??」

こう見えても、オレはれっきとした17歳、十六夜学園高等部二年生なんだが…。
まっ…精神年齢や知識レベルについては触れないでおこう……。

「そう、中坊。十六夜学園中等部三年、蔵重上総(くらしげかずさ)。小池屋なら知ってるよな?」
「…あッ、あの!」
「そう。アノ蔵重上総だ」

あの蔵重上総が…この学園のマスコット的存在の蔵重上総が先生の弟君だったとは……。
世の中広いようで、案外狭いものだ。

「お前の気持ち次第だから無理強いはしないけど、即戦力にはなれると思うよ?」
「…」
「まっ、返事は急が…」
「……………………あッ、いや。是非お願いします。こんな不束者でも構わないなら」
「何か嫁にでも行くみたいな台詞だな…よし、分かった。とりあえず紹介するから、放課後準備室まで来てくれるか?数学準備室」

(不束者…?嫁…??)

元汰は自分の台詞と周防のそれとを交互に反芻しては上気した顔で、ひたすらコクコクと頷いた。

「お前の陽射し、諦めんなよ」

その様子をさも可笑しげに眺めていた周防も、いつの間にか目の前から消えていた。
予鈴の名残と忍び笑い、そしてとっておきの言葉を残して…。
一人取り残された元汰には、熱い頬の火照りと放課後の約束、そして静かに燻る敵意とが色濃く渦巻いていた。



◇その弐◆


「はじめましてっ、蔵重上総です。ん?あれ??はじめましてじゃないかなぁ…でも、ちゃんとした面識はないしなぁ……」
「こらこら…」
「あっ、兄貴どう思う?この場合のおれの挨拶ってはじめましてでいいのかなぁ……?」
「上総…」

自分を完全に無視して始まった兄弟談話に、元汰は横槍を入れる気にもなれず黙って成り行きを見守るしかない。

「はじめましては初めて会った相手にする挨拶…とすると、やっぱりこの場合正しくないのかなぁ……?」

どうやらこの蔵重上総という男、相当ユニークな男らしい。
兄弟談話と言いながら周防に口を挟む隙さえ与えず、今や完璧に彼の独壇場だ。

(…ッたく、ホントに大丈夫か?)

途端に元汰は不安になってくる。
別に周防を信用していない訳でもないし、蔵重上総という男を全く知らない訳でもない。
この場合、彼の苦悶の行き着く先はハジメマシテ=正しくないであるべきだ。



『ごめんなさい』
『すみません』

何度も繰り返された台詞。
耳にこびりついて離れない言葉。
…オレの敗北の証。
オレは既に数度コイツと会ってる。…あっ、数度なんて仮にも商売人の端くれとして好ましい表現じゃないな。
正確には7度、今日で8度目だ。
その理由は語るまでもなく縁結び、もちろん蔵重上総は告白される側。
何せコイツの容姿、男の園ではある意味反則に値するからな。

緩く波打つ絹糸のように繊細な髪も。
くっきり二重瞼の奥で揺れる琥珀のような赤茶色の瞳も。
穢れさえ浄化するような木目細かい乳白色の肌も。
身体のパーツ全てが精巧な人形の如く整ってる。
これをペナルティーと言わずに、何をそう呼べるのか…。

そして、加えてオレの商売人生の中で唯一“三度目の正直”が効かなかった相手。実はそれが一番重要だったりするんだが。
その蔵重上総を、あの蔵重上総を、オレが忘れるワケない。
七戦全敗、0勝7敗、それがオレの商売成績。
見事惨敗、悔しいが負けは認める。
負けは負け、失敗は失敗だ。
それを今更グチグチねちねちと掘り返すつもりは毛頭ない。
大切なのは現在、そして未来だ。
例え三度目の正直より二度ある事は三度あるが勝る相手でも、七回転んで八回起き上がるのがオレの性分なんだ。

「オレ、バカで飲み込み悪いから、手に負えなくなるかも知んないケド…ヨロシクお願いしますッ!」

懲りずに消化不良の疑問を噛み砕こうとしていた上総も、深々と頭を下げてしまった元汰の姿に一瞬呆然となる。
だが、すぐに元のペースを取り戻し、穢れさえ知らぬようなあどけない顔を無邪気に綻ばせる。

「あっ、はい、こちらこそ。おれ、こう見えても結構スパルタですから、覚悟しといて下さいよぉ」

自分を知り、相手を知る。
それが縁結びの近道だ、とオレは思う。
まず己の限界を見極め、己の力量を知る。
そして、同様に依頼者の限界を見極め、その力量を知る。
失敗は成功を生む。
失敗の中にこそ、成功への鍵があるんだ。
とすれば、蔵重上総を知るコトは必ずオレの糧になるに違いない。
これはチャンス。絶好の機会。
尻込みする必要なんて何処にもない。

「さっ、ビシバシ行きますよぉ」

まっ、当面の目標は赤点脱出なんだが…。



「…せ…い。…せ…ぱい。……先輩っ!」

誰かが呼んでる。
誰かの呼び声が聞こえる。
夢?…はたまた現実?

「こらっ、おれの講義の最中に寝るなんて失礼だぞっ」

講義?…あッ、そうか。オレ、勉強中だったんだ。
それで数字とか公式とか聞いてる内に案の定睡魔が襲ってきて…オレってホント重症だな、こりゃ。
でも、最近破縁屋の所為でめっきり寝不足だからなァ。

「ぅん。……・・・」

自分自身にちゃっかり言い訳をして、元汰は再び深い眠りへと誘われていく。

「っ!………そんな不届き者には…天誅だっ」

暫しの間食い入るように元汰の寝顔を見つめていた上総だったが、琥珀の瞳を揺らす西日の所為で現実に引き戻される。
そして何を思ったか用意周到の手際で何かを企てると、ニヤリと愛らしい口元を歪ませた。

「・・・・・・・・・・・・……ひゃッ!ちょッ!!」

元汰の首筋から背中へと、何かが伝い落ちていった。
そのひやりとした感触とゾクリとする感覚に、元汰は強引に覚醒させられる。

「??…何だ、今の……」
「これですよぉ、これっ」

寝起きの覚束ない手つきでも必死で身体をまさぐり続ける元汰の様子に、上総はくすりと笑んでから得意げに右掌を差し出す。
そこにあったのは、スポイトとその中に僅かに残った透明の液体。
どこの学校でも化学室にならある代物だ。
しかし、それでもまだ不可解極まりないといった面持ちの元汰は、首を傾げたままにんまりと含み笑いを決め込んだ上総に目線を移しただけだった。
その漆黒の瞳は上総の悪戯(元を糺せば居眠りした元汰に非があるのだが)を咎める風でもなく、ただ不可解さと探求心、そして好奇心だけを孕んでいた。
そこにそれ以外の感情はない。

「だから、このスポイトで先輩の首に水を垂らしたんですよぉ。先輩があんまり気持ちよさそうに眠ってるから…おれ、ついからかいたくなっちゃって……」

元汰の真っ直ぐな瞳に、上総の方が罪悪感を感じてしまう。

「なんで、そんなのあんの?」
「…だって、ここ、化学室だから……」

上総は思わず逃げ腰になりながら、それでも几帳面に問いに答えてくれた。

化学室?…そうか、化学室だったんだ、ココは。
んと、確か先生の計らいで学習場所としてココを借りたんだったよな?
まッ、先生の居場所を横取りするワケにはいかないし、化学の穂積紳耶(ほづみしんや)、通称ホズシンとはいわゆる腐れ縁ってヤツで親友同士らしいし、幽霊部員だらけの化学部の為の空き教室が標的になるのは当然かも知れない。
あれ?こんなの、今は関係ないか??

低血圧故の思考回路の不具合に頭を掻きながら、何気に後輩兼教師を見遣る。
すると、何故か彼はしょぼくれてガクリと肩を落としていた。

「なんで、落ち込んでんの?」
「…反省してるんです、悪いことしたなぁって。だって、先輩全然怒らないし……普通怒るでしょ?」
「そうか?でも、悪いのはオレの方だしな」

嘘でも慰めでも社交辞令でもなく、それは元汰の本心だった。

何故こんなに純粋でひたむきなのだろう、と上総は思う。
直情径行で自由奔放に見えるのは、己の感情に、心に、正直な証。
時に自分以上に他人を思い遣り、時に他人以下に自分を切り捨てる。
何故。
どうしたら。
そんな生き方ができるのだろう、と上総は考える。
あまりに真っ直ぐで。
純粋すぎて、時々切なくなる…。
そして、時々泣きたくなる…。
彼の心に共鳴しているのか?
それとも、自分の犯した罪の意識に嘆いているだけなのか?

(…おれには優しくされる資格なんてないのに……)

「なぁ、一つ訊いていいか?」

より一層気落ちした様子の上総に、元汰は再び問いを重ねる。

「なんで付き合えないんだ?なんでダメなんだ?」

元汰の問いが何を示しているのか、上総にはすぐに理解できた。
元汰と自分の繋がりなど、その一点のみだ。
今日以前にそれ以上の接点など皆無だったのだから…。

「……好きな人がいるから」

橙色に染まる部屋に、囁きにも似た答えがいつまでも木霊していた。



『好きな人がいるから』

初めて聞いた拒絶の理由だった。
今まで聞いたのは『ごめんなさい』とか『すみません』とか、謝罪の言葉だけだった。
縁結び屋を始めて丸4年、元汰は幾度もこの言葉を聞いた。
誠意を含んだそれ。誠意の欠片さえ持たないそれ。
その意味合いの大半は体のいい振り文句なのだと気づいた時、元汰はそれを一切信用しなくなった。
だが、彼のそれは頑なに何かを拒み続けていた。
元汰には思いの外、それが気になっていた。
何を拒んでいるのか、それがやたらと彼の好奇心を揺さぶり続けていた。
その長年の疑問が、今の台詞で漸く明らかになった。
上総が拒み続けていたのは全て。
自分が想いを寄せる人以外全ての者に向けての拒絶。
それはひたむきなまでに強い想い…。

何故か元汰の胸の奥がツクンと微かに疼いた。

「…ゴメンな……んじゃ、またな?」

それだけ告げると、いつの間にか藍色の混じり始めた化学室を元汰は逃げるように立ち去った。



『…ゴメンな……んじゃ、またな?』

そう呟いた元汰の表情を一言で表すなら傷心。
非道く傷ついた顔をしていた。
傷つけたのは自分だろうか?
しかし、罪悪感にも勝りそうなこの歓喜の感情。これは罪に違いない。
再会の約束がこんなにも嬉しいなんて。
この狂おしい葛藤さえもが嬉しいなんて…。

(今頃何言ってんのかなぁ、おれ。傷つけたのも傷つけるのも知ってて近づいたのに……)

「上総、こういうのって職権乱用って言わないか?」

沈みかけの太陽を琥珀の瞳に宿らせて佇んでいた上総。
夕焼けを映す琥珀の瞳はより一層赤みを増して潤んでいた。
自分も元汰と同じ翳りをその瞳に宿していることに、当の本人は気づいていない。
その傷心の背中越しに聞き慣れた声が聞こえた。
振り返らなくても姿くらいなら容易に想像できるほど、慣れ親しんだ声とその声の主。

「…兄貴ぃ、タイミング悪すぎっ。それ、今のおれには核兵器並みの地雷でしょ?」
「確かに、我が弟ながら卑劣なヤツだもんな、お前。今回は今回で、こんな姑息な手段使うし」
「なっ!自分の教え子に手出してる不良教師には言われたくないなぁ!」
「いーの、俺らは愛し合ってるんだから。そんなの障害にすらなんないの!」
「げぇ、この色ボケコンビ。バカップルがぁ……」

どちらが年上でどちらが年下か分からないような子供染みた口喧嘩を繰り広げるさまは、まさに蔵重兄弟此処にありといった感じだ。
しかし、互いが互いに不可欠な存在ということを二人は良く知っている。だからこそ、こんな馬鹿げた罵り合いもできる。

「けどさ、そんなリスクを背負ってまで逢いたかった相手なんだろ?実は自分が悪名名高い破縁屋でした、なんて冗談抜きにキツイかも知れないけど、可愛さ余って憎さ百倍って気持ちは分からないでもないし。まっ、結局さ、お前の道はお前自身が決めるしかないんだ。…でもな、これだけは覚えとけよ?俺は小池屋と上総、どっちの味方にもならないけど、敵にも回らないから。後はお前がどう動くか、だ」
「……ありがと、兄貴」

結局の所、上総にとって周防は頼り甲斐のある兄で、周防にとって上総は可愛い弟。その事実だけは、どう転んでも変わらないのだ。
そして、この二人が紛れもなく兄弟だということは、その双方の面影を含んだ笑い顔が証明していた。



「元汰先輩、今日は一段とお美しい…その身に纏った色香は僕の心を惑わす媚薬……」

繊細で上質な烏の濡れ羽色の髪。
猫目の奥に収まる威圧的な光を帯びた黒曜の瞳。
嫌味にならない程度に整った鼻筋。
紅を引いたように艶やかな唇。
そのどれもが、元汰の美少年ぶりを際立たせていた。
ただし、お口にチャックの条件つきだが…。
それ故に、その条件をクリアした現状において、元汰はまさに美少年だった。
その上、黒曜の瞳にはいつもの威圧的な光は宿っておらず、それ所か珍しく憂いさえ帯びている。
開けば乱暴な言葉しか奏でない勝ち気な唇すら、今は大人しく閉じられていて、そこから醸し出される色香は魅惑的に誘っているようにさえ見えた。

その甘い色香に惑わされた、というより弱っている元汰に付け入る強かな男が一人。
佐助は元汰の背後から腕を絡め、哀愁漂う首筋にそっと唇を寄せた。

「…ん」

そのまま左耳の裏側を舌先で擽ると、数瞬前まで静かに座していただけの唇から甘い吐息が漏れた。
その意外すぎる反応に、佐助の邪な心が増長していく。

「…先輩…何か、僕もう……」

佐助の両掌が虚ろな元汰の頬を優しく包み込み、ゆっくりと二人の唇の距離が縮まっていった。
今まで幾度も交わされた二人の取り引きでは常に元汰が能動的な立場だったのだから、今確実に迫りつつある唇の持つ意味合いが全く違うことは火を見るより明らかだ。
佐助が望んでいるのは勤務時間外のキス。
しかし、その危機的状況さえも今の元汰の瞳は捕らえていなかった。

二人の唇の距離が更に縮まる。
元汰の唇に慣れない佐助の吐息がかかった。


『好きな人がいるから』

昨日の余韻が、今日も色濃く残っている余韻が、頭の中で鳴り響く。
その刹那、元汰の身体がビクリと揺れた。

長い間抱き続けていた疑問は昨日解決した。
しかし、代わりに抱き始めたもう一つの疑問。
その答えが昨日聞いた幾多の言葉よりも、元汰の心を患わせていた。
そう、昨日聞いた幾多の言葉よりも…。

「…誰なんだ?好きなヤツって……」

至近距離にあった佐助の唇に、元汰の問いかけがぶつかる。

「愛の懺悔を欲する愛しきその唇を…」

近づく佐助の顔が故意に傾けられる。

「言葉より饒舌な僕のこの唇で塞ぎ伝えま…」
「………………………………………………ッたく、誰なんだよッ!」

触れるか触れないかのギリギリ。
ほとんど触れる寸前で佐助の唇が止まり、そして離れていった。

「す、すみませんっ!」

言葉と共に跳ね退き、悪戯を咎められた子供のような諦めの悪さで見ざる言わざる聞かざるを決め込む。

「ん?あれ…佐助??……何してるんだ?」

教室の隅で小さく蹲る佐助の存在を漸く目に止め放った一言に、背中越しでも佐助が怯えるのが分かる。
どうやら今の今まで、元汰はその存在にすら気づいていなかったらしい。

「あッ、オレ、時間だから行くな」

相変わらず元汰の一言一句にビクついているある意味不憫な佐助を余所に、元汰は化学室へとひたすら急いだ。



◇その参◆


昨日から散々悩んだ挙げ句、辿り着いた答え。それは…。

「分からないんなら、本人に聞くまでだ」

我ながら単純って言うか、短絡思考って言うか…。
でも、考えるにも悩むにも限度がある。
幾ら考えても分からないコトを、いつまでもズルズルと引き摺るのは時間の無駄ってヤツだ。
それに、聞くは一時の恥知らぬは一生の恥って言うしな。
さっきまでの憂鬱も貞操の危機もそっちのけ。
普段の自分をすっかり取り戻した元汰は、物悲しささえ生まれ始めた放課後の廊下を闊歩していった。



「sinΘ=y/r、cosΘ=x/r、tanΘ=y/x。この公式を用いてcos300°を解いてみて下さいっ、先輩」
「ん~、んと…300°ってコトは座標(1,-√3)で…直角三角形の比は1:2:√3…cosってヤツはx座標/半径だから……1/2!1/2だろ?」

上総お手製のプリントの空白に、不必要に大きな円を描きながら必死の形相で解き進め、それを解き終えた途端に元汰の顔が無邪気に綻んだ。

「はい、正解。やればできるじゃないですかっ、先輩」

まるで大事のように喜ぶ元汰の笑みも。
自分事のように喜ぶ上総の笑みも。
互いの満面の笑みがこんなにも眩しいのは何故なのだろう。

「ま、ま~な。…でも、なんで公式なんか必要なんだ?」
「なんでって…そんなこと考えるから余計に悩むんですよぉ。数学なんてロープレと同じなんです。問題は宝箱、公式は鍵。鍵を使って上手く宝箱を開けれれば、その中のご褒美が手に入るんですよ。ね?そう考えれば楽しいでしょ?」
「へェ、そんな風に思えるなんてスッゲェな。でも、オレには無理かもな。だってさ、ご褒美たって点数だろ?正直な話、点数なんかに喜び見出せないもんなァ」

そんな切り返しをされたら元も子もない。
が、あまりに元汰らしい返答が何だか嬉しくて、目の前にいるのが紛れもなく彼なのだと実感できるから上総からは自然と笑みが零れる。

「じゃあ、おれがあげますよ、ご褒美っ。何がいいですかぁ?」
「お、お前なァ、んなコトめったやたらに言うもんじゃない…お前のコト狙ってるヤツ……まッ、いいか」
「え!?」

オレ、一体何言ってるんだ?
こんな無防備なヤツに警告したって、余計な不安与えるだけだろ?
そんなコトで神経磨り減らす必要なんてない。
不安なんてオレが守って、オレが取り、除い、て……ッて!何考えてるんだ?オレ??

「……んと、そんじゃ…一問正解ごとにオレの質問に正直に答える。これでどうだ?」
「え?そんなのでいいんですかっ?」

上総の面持ちが一瞬にして緩む。拍子抜けといった表情だ。
普段通りの天真爛漫そのままに見えたが、意外に気を張っていたのだろう。
自分で言い出した手前、幾ら無理難題を突きつけられても逃れようがない訳だから。

(…ッたく、イヤラシイコト要求されたらどうするつもりだったんだろうな……?)

大体警戒心薄すぎ…そこまで考えて、元汰は再び自分の思考に苦悶する。
そして、無理矢理そこに通じる回路を封鎖し、目の前の難題に取り組み始めたのだった。


「質問その壱。オレ、お前のコト何て呼べばいい?」

五問中三問正解。
苦戦の結果、オレは三つの質問権を獲得した。
商売人の端くれとしても、オレ個人としても、これを有効利用しない手はない。

一つ目は呼び名。
呼び名って案外難しいと思う。
幾ら相手が年下だからって、お前とかコイツとかヤツとか、そんな風には極力呼びたくないしな。
相互の合意さえあれば、相手の希望通りに呼ぶのが最善だろ?
改めて聞くようなコトじゃないかも知れないが、察しの通り、オレって考えるのも悩むのも苦手だから。
それに、初っ端から核心突くワケにもいかないしな。
とどのつまり、時間稼ぎってヤツだ。
上総の都合っていうよりか、オレ自身の心の準備の問題だな…。

「それって質問とは違うような…まぁ、いいや。えと、そうですねぇ……名前で構わないですよぉ、上総で」
「ん、上総ね、OK。…あっ、なら、オレの方も名前でいいから。元汰でも、ガンちゃんでも、好きなように呼んでな」
「それじゃ……元汰先輩、元汰さん、元汰くん、ガンちゃん…元汰。うん…元汰って呼び捨てでも構わないですか?」

一通り試し呼びした結果、それが一番しっくりするらしく、上総は控え目に同意を求めてきた。
その様子が何だか無性に愛しくて、元汰の口元が不覚にも緩んでしまう。
それでも、この後の展開を暗に想像してしまい、その笑顔の寿命は1分と保たなかった。

「いいよ、元汰で。んじゃ、敬語もなしな…」

呼び名と話し方が変わっただけで二人の間の距離が急激に縮まった気がして、上総は何だか妙に気恥ずかしくなった。
しかし、それと相反するように険しくなった元汰の表情に沸き上がったのは不安、そして恐れ。
何に不安を抱き、何に恐れを抱くのか、それは分からない。
それでも確かに感じる胸騒ぎに、上総は無意識の範疇でゴクリと生唾を飲み込んだ。
その音が沈黙の教室に響いたようで、それが余計に上総の不安感を煽る。
いつの間にか二人を包む全ての空気が、静寂へと切り替わっていた。


「質問その弐。上総の想い人って誰だ?」

最初に静寂を破ったのは元汰だった。
そして、そのまま上総の答えを待たずに問いを重ねる。

「質問その参。破縁屋との関係は?……聞かせてくれるよな?」


「……もしかして、聞いちゃったんですか?昨日の兄貴との会話」
「ああ、別に他意はなかったケド、結果的に盗み聞きと同罪だな」
「……」
「なぁ、オレ、どうしても分からないんだ。もし、もしも、上総の想い人ってヤツがオレだとしたら、そう自惚れてもいいとしたら、なんでお前が破縁屋なんだ?オレはお前に好かれてるのか?それとも疎まれてるのか?」

琥珀の瞳を真っ直ぐに射抜く黒曜の瞳。
それならば自分も本音で応えるしかない、と上総の瞳が元汰の瞳を捕らえ返した。

「…好きですよ、もちろん。ずっと…ずっと好きでした。ああいうの一目惚れって言うのかなぁ。初めて逢った日からずっと好きだったんですよ?」

上総の瞳が遠く想い出を辿るように、窓の外の景色を漂っている。

「なら、なんで…」
「………………破縁屋なんかに?ですか?」
「ああ」


「そんなの至って単純明快。嫉妬と復讐ですよ」

外見にそぐわない生々しい台詞に一瞬言葉を失った元汰を嘲笑うかのように、上総はわざと自分の本質を紡ぎ出そうとする。
その姿も言葉もやけに痛々しくて、元汰は目を逸らし耳を塞ぎたくなる。
しかし。
それが逃げだと分かるから。
上総の精一杯への裏切りだと分かるから。
元汰はそれでも真っ直ぐに彼の横顔を見つめ続けた。

「意外ですか?おれだって一応人間だから…観賞用の人形なんかじゃないから、妬みとか憎しみとかの黒い感情も渦巻いてますよ、ここで」

視線を外から元汰に戻すと、上総は右手の親指で自分の胸の辺りを示してみせる。

「二年前のあの日から7回…6回ですか?おれが幾ら拒んでも、幾ら突き放しても、あなたは懲りずに近づいてきた。その度に新しい縁を持って…新しい希望を抱いて……その時のおれの絶望感、あなたなら分かりますよね?」

時に自分以上に他人を思い遣り、時に他人以下に自分を切り捨てる。
そんな元汰なら。
そんな元汰だから。
自分以上に自分の想いを汲んでくれるだろう、と上総は確信している。
だから。
こんな問いを突きつけることで、元汰がどれだけ苦しむか、どれだけ彼を追い詰めるかも分かっているつもりだ。
分かっているのに止められない。
分かっているから止められない…。
一体自分の本心はどちらなのか?
上総はそのジレンマに戸惑い続ける。
その葛藤が上総の本心をあやふやにする。

「拒絶するしかないはずの縁が好きな人との唯一の縁だなんて…本当皮肉ですよね。あなたに逢う度におれの想いは育って、その隣で確実に黒い芽も育っていくんです。…だから、時々どっちが本心なのか分からなくなる…好きなのか、嫌いなのか、それさえも分からなくなる……」

誰かの幸せが叶う傍らで、確実に幸せを失う誰かがいる。
そんな当たり前のことを忘れていた自分自身に元汰は苛立った。

有頂天になってた証拠だ。
自分の驕りの所為で、一体何度上総を傷つけた?
上総の想いを軽んじて他人との縁を取り持とうとした6度。
そして、こうしてる今も確実に上総を傷つけている…。
……何が守るだッ!
何が不安なんてオレが守ってオレが取り除いてやればいいだッ!!
上総を一番不安にさせていたのは他の誰でもない、このオレじゃないか…。

「情けないな、オレ。責められるべきはオレの方だろ?誰かの笑顔願ってたつもりが、いつの間にか自分の笑顔守るのに必死になってたなんてな。…失格だな、オレ。縁結び屋失格……」

黒曜の瞳が自嘲に歪む。

「先輩……」
「元汰でいいって言った」
「…がん、た」
「…何?」
「…元汰」
「……何だ?」
「元汰。元汰」
「………だから何だって?」

「元汰好き。やっぱり好き。死ぬほど好きっ、大好きっっ」

自分より小さな腕が元汰を優しく包み込む。
繰り返される好きの言葉と好きの体温が、乾いた心に直に浸透していく。

「なんで自分のこと責めるの?なんで、おれのこと責めないの?」
「なんでって…そりゃ、オレの方が悪いワケだし……」
「でも、おれの方が悪いこといっぱいした」

「…」
「…」

「い~や、オレの方が…」
「………………………違うって。おれの方」

次第に元是ない子供の喧嘩染みてきたと気づき、二人は同時に吹き出す。
そうして一頻り何もかも忘れて笑い転げた後、最初に口を開いたのは上総の方だった。



「おれ、自分の気持ち分からなくなってた」
「ん。」

元汰は寝転がったまま、ただ小さく短く相槌だけを返す。

「好きなのか、嫌いなのか、本当はどっちなんだろうって。悩んで、悩んで、悩み疲れて、そしたら別の繋がりが欲しくなった。元汰との別の接点が欲しくなった。自分の気持ちはっきりさせたかった。だから、兄貴に今回のこと頼んだんだ」
「ん。」
「でも、本当はそんなの必要なかったのかも知れない。だって、昨日初めて逢って、初めて言葉を交わして、それだけで、それだけなのに、今のおれは自信持って言えるから。元汰が好きだって、元汰が大好きだって」
「ん。」
「こんなことなら、もっと早く自分で行動を起こせばよかったんだ。告白でも何でもしてさ。なのに、おれってばグチグチ悩んで、おまけに逆恨みやら八つ当たりやら、とんでもないことばっかりして…遠回りして……」

琥珀の瞳が後悔に潤む。

罪の意識が全くないと言えば嘘になる。
同情かと問い質されても、それを否定する強さが今はまだない。
しかし、上総のひたむきなまでの強い想いのベクトルは自分を差していた。
それを思うと、元汰は底抜けに嬉しくなった。
それが恋と呼べるものなのか、自分の色恋沙汰にはめっきり疎い元汰には分からない。
しかし、大切なのは現在。そして未来。
今嬉しいと思う気持ちを。
今一緒にいたいと願う気持ちを。
今を大切にしたい、と元汰は思う。
それが未来に繋がると信じているから。

「ん。オレも好きだな、上総のコト」

オレ達の本当のハジメマシテは昨日だったんだな?
ちゃんと向き合って、挨拶を交わして、そこから始まるオレ達の距離。
それなら、昨日の答えはハジメマシテ=正しい、だ。

「……多分」

その言葉が琥珀色の涙を別の意味に変えることを、元汰は知らない。

「何それ?多分って」

上総は霞む視界の原因を気取られまいと素早く指で拭ってから、満面の笑顔で応えた。

「……オレはこう見えても純情なのッ!」
「…何が純情かなぁ。平気で、それも損得勘定だけで、好きでもない人とキスできるるくせに……」
「へ?なんで知ッ……じゃなくて!上総、お前の方はどうなんだよ?一体どんな手使って、あれだけの縁引き裂いたんだ?」

上総の持ちカードが佐助との取り引きだということは容易に想像できる。
それでも、今の今まで誰一人にも悟られていないと自信があっただけに、元汰の内心の動揺は計り知れない。
しかし流石は元汰と言うべきか、それを紙一重の所で躱して、何とか反撃を試みる。
元汰が苦労して結んだ20組もの縁を、ことごとく、それもいとも簡単に引き裂いたあの破縁屋が上総だとはどうしても納得しがたい。
そう、納得しがたい所ではあるが、反面好奇心を擽られるのも事実だった。

(…ッたく、何が美形のフェロモン人間だっ。佐助のヤツ、ガセ掴ませやがったな!)

佐助の犯人像はどちらかと言えば、元汰の方に近い。
当の上総に至っては、まるきり正反対だ。
そのギャップが余計に謎を呼び、好奇心を増長させる。
故に、元汰の質問は自分の欲求に正直なだけで、反撃にすらなっていない。

「どんなって、色々かなぁ」
「イロイロって……」

色々と言われれば、イロイロ想像してしまうのがこのお年頃だ。

「元汰のえっちぃ」
「なッ!」

元汰の顔が見る見る内に上気し、黒曜の瞳がその熱で僅かに潤んでいる。
反撃、敢え無く失敗。

「元汰可愛すぎ…おれ、ちょっと危ういかも……」

その上、愛くるしい見目に全く以て似つかわしくない台詞を平気で吐く始末。
どうやら、上総の方が一枚も二枚も上手なのは火を見るより明らかだった。


「ちょッ…ん」

人間見た目で判断してはならない。
何やら人生の教訓めいたものを経験を以て学び噛み締めていた元汰の唇を、上総の唇が強引に塞いだ。
元汰の思考も抗議の声も、同時に吸い取られていく。

「なッ!何サカってる…ひゃッ、んん」
「だいじょうぶ、大丈夫。ハウツーは兄貴仕込みだから」

大丈夫って?
それに兄貴仕込みって?
そう言えば、昨日教え子に手出してる不良教師とか何とか話してたような…。
それって、この男子棟では佐助のような人種と同類になるワケで。
…って、このままじゃオレも仲間入り??

「ちょ~!ストップ、ストップ~!!」
「何?これからって時に」
「なんでオレの方が組み敷かれてるワケ?」
「なんでって、これからお楽しみだからに決まってるでしょ?」
「…じゃなくて、なんでオレが抱かれる側なワケって訊いてんの?」
「そんなの簡単。おれが元汰を抱きたいから。それだけ」

「だからッ…ひゃッ…ん……や、だ…ッて……ぁ」
「気持ちいい?」
「ん……ぁ、んッ」

そりゃ、気持ち悪くはないが。
だからって、不貞不貞しく訊くか?普通…。
それに何か根本的に間違ってる気が、オレはする。

「……いッ、痛!」
「力抜いて。大丈夫。おれに任せて」
「…くッ……ぁふ」

力抜けったって、んな急に無理だって。
そもそもの用途が違うんだから、怖いのは当たり前だろ!
おまけに、視覚的な情報が乏しい分だけ余計に不安になるし…。

「…かず、さッ……」
「お、い…上総……んッ!んふ」
「…………………………………次は元汰の方からして、キス」

それにしても、なんでこんなに慣れてるんだ?
絡まる吐息も熱も舌の感触も、理性を掻き回す指の動きも。
これって、何か詐欺だよな?

「…あん!……ん、んッ……ぁッ」
「口塞がないでね、元汰の声聴こえなくなるから」
「やッ、あ……ダ、メ…か、ずさ……」
「ねぇ、もっといっぱい聴かせて…おれのこと呼んで…」
「…かず、さ…ぅん、上総……ぁ、あッ!」
「ねぇ、もっと…」

「か…ずさ……かずさッ…上総。上総ッ」

名前を呼ぶ度に。
名前を呼ぶごとに。
二人の距離が縮まっていく気がするのは何故だろう?
ただでさえ火照る身体の熱が。
触れ合った部分から広がる熱が。
蕩けそうにこの身を蝕んでいく気がするのは何故だろう?


『……元汰、もういい?』



(…確かに言えるワケないな、こんなコト)

本日二度目の人生勉強を済ませた元汰は、男としてのプライドやら自信喪失やら自己嫌悪やらに嘖まれながら溜め息を吐いた。
現状で破縁屋の手口はおおよそ理解できた。
まさに自分の身体を犠牲にして勝ち取った真実という所だ。

恐らく手口はこうだ。
破縁屋、つまり上総が狙ったのは本来なら能動的立場の男。
そいつを誘惑し、手懐け、自分に溺れさせる。
まッ、上総の美貌と魅力を以てすれば、いとも簡単に達成できるだろう。
そして、ここが一番問題。最重要事項だ。
それは上総自身も同様に能動的立場ってコトだ。
そもそも攻側だった人間が反転受側に回るワケなんだ、とどのつまり。
大概はこれで堕ちるだろう。
男なんて所詮プライドの塊みたいな生き物だからな。
まッ、それを抜きにしても、普通の男ならこんな一見純真無垢な少年にヤラれたなんて口が裂けても言えないが…。

「しッかし、キャラ変わってないか、お前…」
「そうかなぁ。別に猫被ってたつもりはなかったけど、無意識に被ってたのかも。何せ好きな人の前なんて緊張しちゃうでしょ?普通」

猫被ってたって、上総、お前…。
それに緊張なんて殊勝なヤツじゃないだろ?実は…。
まッ、オレも人のコトは言えないが。
何せあれだけ堂々と、しかも執拗に、ノーマル宣言しときながら、結局こういうオチで。
しかも受?オレが受なんて、世の中間違ってるッ!

「…ッたく、ん~!ん゛ん゛」

勢い余って尖らせた唇に、隙ありとばかりに上総が吸いついてくる。

「第2ラウンド行きますかっ」

上総って見かけによらず絶倫か?
若さって怖ひ…。
まッ…今の所文句なしに幸せだし、許すとするかッ……?

「元汰、可愛いっ」
「男が可愛いなんて言われても嬉しかない。それに上総、お前だけには言われたくない」
「なんで?元汰は可愛いよぉ。照れてる時とか、怒ってる時とか、感じてる時とか、特に可愛い」
「なッ!」
「ほら。またそういう顔するから、おれ危うくなるんだよぉ」

そんな経緯で、第2ラウンド開始。



たまにはこんな縁結びもいいかも知れない。
幸せな欠伸を噛み殺しながら、元汰は隣で安らかな寝息を立てている恋人を優しく見つめた。





HAPPY END
2001/3/6 fin.

戻ル?

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