真夜中午前2時。
草木も眠る丑三つ時。
5日に一度、俺の耳はダンボになる。
隣から漏れ聞こえる衣擦れの音。
小さな小さな、押し殺すような喘ぎ声。
健康な男子なら3日で限界までタマりきるって言うけど、彼のサイクルは5日に一度。
そのサイクルを覚えてしまうほどに続けられた真夜中の儀式。
そして、その儀式に俺はまんまと魅了されてしまったわけで。
その5日目が今日ーーー俺の足はまた夢遊病患者のようにそこに向かう。
俺を誘う(いざな・う)ように薄明かりの漏れるその一室に。
***
「和思クン…何か最近顔色優れないけど……悩み事でもあるのかい?」
花柄のエプロンで意気揚々と朝食の準備をしていた三十路間近男がおたま片手に突然振り返ったもんだから、油断してた俺はちょっとマジでノックアウトって感じだった……。
「いえ。別に。……それより味噌汁沸騰してますけど?」
「あああっっっ!!」
あの分だと今日の朝食も期待できないな、と俺はもう諦めに近い溜め息をふうと吐いた。
毎朝のグロテスクな朝食然り、毎朝の色とりどりなエプロンも慣れればそれなりに楽しめるもんだが、何事も急はいただけない。
何事も準備、心と身体の準備ってもんが必要なんだ。
幾らそれが海外単身赴任中の母親のそれであっても、母親よりもその花柄が似合っていても、だ。
と言うか、女よりも男の彼の方が似合うっていうのがまず問題。
そして、それが最近の俺の寝不足の原因ということ。これが俺にとっては大問題なんだ。
6歳しか違わない母親の再婚相手。
そもそもの悪夢の始まりはその男の自慰シーンを目撃したことだった。
あれから、あの瞬間、熱に浮かされ吐息混じりに自分の名前を呼ばれた瞬間から、俺の中で何かの歯車が音を立てて動き始めた。
それからというもの、毎夜襲ってくる残像に俺の睡眠時間は減る一方で、そろそろその我慢も限界に来ている今日この頃。
どうすることもできないこの想いは消化不良のまま、この胸の中で相変わらず燻っている。
だって、分からないんだ……。
自分は何を期待しているのか?一体全体何を求めているのか?
ひとりぼっちで眠ったあの頃のように、今は羊を数えても眠れないんだ……。
***
夜毎の頭の中に浮かんでくるのはーーー
月夜に浮かび上がる白くのたうつ裸体。
銀色の雫を滴らせながら雄々しくそそり立つ雄の象徴。
それはまるで神聖な儀式のようでいて、反面禍々しくもある。
その相反する危うさに、俺は捕らえられ、虜になる。
「う…ぁ、ん……はあ」
欲望に乾いた唇から止め処なく溢れる濡れた吐息。
その先の甘い呻きを期待して、俺はいつものように扉をそうっと開いた。
そうして、そこで繰り広げられる真夜中の儀式に囚われる。
「ん…く、っ」
無意識に上下する自らの手を止めることも煽ることもできないまま、部屋の内と外、ふたりの刻むリズムが同じビートを紡ぎ始める。
これは途轍もない快感を伴う一体感。
罪悪感さえ生み出す膨大な熱量。
ある種の中毒。執着。
そんな中、理性の箍が外れる音、鈍い、それでも確かな音がする。
そうさせたのは、煽ったのは、紛れもなく視線。
俺へと注がれる、部屋の内から外へと向かうベクトル。
俺を誘う甘い誘惑。
「んっ、あ…もっと……」
「ふ…っん」
「平気だから…もっと奥まで、来て………」
その夜。
俺は初めて、猛り狂う欲望をリアルの中に突き立てた。
***
「か・ず・し・く・ん」
「ん……」
耳元で俺を呼ぶ声がする。
ちょっと低めの、それでもとびきり甘い。
それは例えて言うなら、腰にずしんと響くような……って!
「うわっっ!!」
隣に寄り添う、アップにも耐えうる顔を見た瞬間、俺は半ば強引に覚醒させられる。
そう、隣に居たのはーーー
「た、泰斗さん!!」
天馬泰斗、紛れもなくその人。
母親の再婚相手で、俺の義理の父親たるその人。
その人が今、全裸で、俺の隣で微睡んでる。
しかも、何気に下半身は俺の内股辺りにピッタリ寄り添ってたりして……。
あ、当たってる!当たってるって!!
整いすぎた顔から視線を逸らすように時計を見ると、長針は2を短針は8を指していて……。
「げっ!もう8時10分!?完璧遅刻っっ!!」
「あ~、それなら大丈夫だよ?和思クンとこの社長サンにちょっとお願いして、今日はお休みにしてもらったから」
「はあ!?」
「だ・か・ら。今日は、ね?」
ね?と媚びるように言われて、さわっと胸の辺りを指でなぞられる。
…これって誘われてる……とか?
朝だと言うのに、下半身が危険信号を発し出す。
ね?と小首を傾げる仕草が似合う男がいるのもおぞましいが、それでその気になる自分が一番憎々しい……って!なんで泰斗さんがうちの社長にお願いしただけで休みなんか貰えるわけ??
うちの社長って自分の代で弱小からのし上がっただけあって、今でも現役現場バリバリだし、遅刻とか休暇とかにはめちゃくちゃ厳しいし、社内でも“鬼の桝川”って恐れられてるのに。
無断欠勤なんぞした日には……ああっ!恐ろしいっっ!!
「あ、萎えちゃった」
いつの間にか下半身にまで伸びていた掌の先で俺が急に意気消沈したものだから、泰斗さんはさも残念そうに嘆いたが、それでもヤル気満々って感じでシーツの中に潜り込み始めたもんだから、俺は焦って質問を投げ掛ける。
「ちょ!泰斗さん!!」
朝っぱらから何する気ですか?もう!
「どうして、うちの社長と貴方が知り合いなんですか?」
きちんと説明して下さいと無言の威圧で語り掛けると、やっぱりそれに弱いらしい泰斗さんは渋々、本当に渋々といった感じでシーツの中から顔だけ出して、
「取引の接待の時にいたく気に入られちゃってねぇ、それ以来桝川サンには懇意にして頂いてるんだよ」
毎日花束やらプレゼントやら、カード付きで届けてくれるんだよねぇ、って。
…それって熱烈にあからさまにアプローチされてるんじゃ……。
それにうちの社長自らが接待って……一体泰斗さんって何者!?
「そんなことより……」
不審気に眉を潜める俺の耳元に泰斗さんが息を吹き掛ける。
「んっ!」
「あ、和思クンって耳弱いんだ♪新発見♪」
「…って!朝っぱらから何サカッてんですか!?」
「ダーメ♪ようやく僕の努力が報われたのに、もう離さないよ?」
再婚と同時に海外へ単身赴任した母。
作為的な夜のサイクル。
その日は決まって小さく開け放たれていたドア。
全てが俺を陥れるための罠だったのだ、と今さらながら点が一本の線に繋がる。
くすりと笑った泰斗さんの顔が悪魔に見えた気がして、俺はこういうのも虜になるって言うんだろうか?なんてちょっとだけ頭を抱えたくなった。
Happy
End
2001/10/14 fin.
戻ル?