オレはアイツが嫌いだ。
ルックス良好、性格良好、成績良好、運動神経良好で、地位も名誉も権力も、全てがアイツの味方だ。アイツを見ていると、オレが弱者で敗者だということを思い知らされる。
アイツの名前は、伊集院神那(いじゅういんかんな)。
男子棟専属の生徒会長、つまり男子生徒の頂点に立つ男。
アイツはオレの目の上のタンコブなんだ。
俺は君に嫌われているのか?
人懐こくて無邪気で、努力なくして誰からも好かれる。君を見ていると、取り繕う日々の中にしか自分の存在意義を見出せない愚かな俺に気づかされる。
君の名前は、秋葉神楽(あきばかぐら)。
君はいつも俺を見ている。羨望の中に混じる、唯一軽蔑の眼差し。
等身大の俺を認めてくれる人間など、この世にはいないのかも知れない。
「えェ~、何でオレがアイツと組まなきゃなんないワケ?」
悪態にしても陰口にしても、少々無遠慮で不躾なボリューム。
しかし、そんな下手すれば皮肉とも嫌味とも言える態度さえも好感に繋がるのだから、天性の人気者という人種は全く以て羨ましい限りである。
大袈裟に拒絶を繰り返しているのは十六夜(いざよい)学園在学中の秋葉神楽、16歳。
大袈裟に拒絶され続けているのはこれまた十六夜学園在学中の伊集院神那、16歳である。
入学からわずか三ヶ月で、犬猿の仲と悪名名高い最低最悪の組み合わせだ。
「俺は一向に構わないが?」
駄々をこねる神楽の傍らで先に肯定の意を示した神那に、周囲から賞賛の声が沸き上がる。
流石は生徒会長、という羨望の眼差しが投げかけられる。
この十六夜学園は世間一般の常識から懸け離れた学園で、その内の一つとして『生徒会長に学年制限なし』という掟がある。それに最も相応しい器を持った者が、結果的に生徒会長に選ばれるという単純明快なシステムだ。
神那は若干16歳にして、十六夜学園男子棟専属の敏腕生徒会長だった。誰もが羨望と尊敬の念を抱くような。
「イヤだ。名前に同じ漢字がつくだけでも堪らなくイヤなのに、これ以上気分悪くしたくナイ」
神楽の強情さほど厄介な代物はないかも知れない。
見目は少女のように華奢で可愛らしいのに、これで結構かなりの頑固者だ。
それは誰もが承知していた。訝しげな論法であくまでも拒否し続ける神楽の態度を、やれやれといった調子で誰もが愛情たっぷりのジト目を纏わせる。
「これでは埒が開かない。俺は別の誰か…」
「……………………………………………イイ。組む」
これ以上の議論は時間の無駄でしかない、といった様子で半ば強制的に収拾させようとした神那の言葉尻を奪って、神楽が渋々肯定してみせる。
「へ!?」
これにはその場にいた誰もが茫然自失・点目状態だった。
あの神那でさえも無言・無表情のままだが、内心はかなり動揺している。
過去も現在も、そして未来もずっと続くと思われた絶対拒絶が、今まさに崩れたのだから。
一体どういう心境の変化なのだろうか?
「組んでやるって言ったんだよっ。どうせ……どうせ、オレが組んでやんなきゃ…他に組むヤツ、いないんだから」
「それは同情か?」
「違うっ。同情なんかじゃナイ。お前と対等に渡り合えるのは、オレくらいしかいないっての!」
そう言いながら、段々口調が突っ慳貪になり、照れ臭さげに頬まで上気し始めているのは何故なのだろう?
何れにしても、クラスメイトは二人の一応の和解と丁のいい厄介払いの成功に安堵の溜め息を吐いていた。
結局オレと神那は厄介者扱いなのだ、とクラスメイトの反応を見て確信した。いや、どちらかと言えば、厄介者は神那で、オレはその厄介者を飼い慣らす使命を仰せつかったと言った方が正しいかも知れない。
「…確かに、オレ以外の手には負えないかも」
神楽は独り言を呟き、自己暗示と自己完結を強制終了させた。
『違うっ。同情なんかじゃナイ。お前と対等に渡り合えるのは、オレくらいしかいないっての!』
心の中で先程の台詞を反芻してみる。
実際のところ、この台詞は嘘半分、真実半分だった。
オレは神那をずっと見ていた。生徒会長としての神那ではなく、一人の人間としての神那を見ていた。
そして、ある時、ふと気がついた。神那は孤独だということに。
誰もが羨望や尊敬の眼差しを向けるが、誰一人として生徒会長ではない普通の一人の人間である彼に近づこうとする者はいなかった。
そう気づいた瞬間、オレは正直同情した。神那の境遇を哀れんだりもした。そして、同時にオレは恵まれていることに気づいた。
そしたら、今まで感じていた神那への嫉妬とか妬みとか劣等感とか、心の中で燻っていた黒い感情が掻き消えた気がした。自分では認めない、認めたくなかった彼へのコンプレックスが少なくとも薄れた気はした。
だから、同情かと問われれば、きっぱり否定することはできない。
しかし、オレには一人の人間として、神那と接する自信があった。今までずっとそうして来たのだから。
「せめて、俺の足だけは引っ張らないようにしてくれ」
「…たかが、課題でしょ?」
「君にとっての高がなことが、必ずしも俺にとってそうだと思ったら間違いだ」
「~~~っ!!」
神楽は声にならない叫びを上げつつ、わずか数分前の出来事を既に後悔していた。
「オレ、やっぱり…」
「…………………男に二言はなし」
辞退を申し出ようとした神楽の言葉を即座に窘める神那は、やはり彼にとっては相変わらずいけ好かないヤツだった。
しかし、彼の言葉に以前のような刺々しさは微塵も感じられなかった。
神楽が自分への拒絶を解いた時、俺は内心かなり動揺した。
それが自分に対する同情心から生まれた行為でも、俺はただ純粋に嬉しかった。神楽の方から俺に一歩踏み込んできてくれたことが、ただ素直に嬉しかった。
極自然かつ積極的に他人と向き合える神楽が、心底羨ましかった。そして、相変わらず無口で無愛想で天の邪鬼な自分が、心底恨めしかった。
そんな感傷的な気分に翻弄されながらも、二人は喧嘩を交えながら課題を完成させた。そして幸運にも、それが終わっても神楽は何故か俺の傍から離れようとせず、月日は静かに流れていった。
いつの間にか二人の関係は、犬猿の仲ではなく『月と太陽』と呼ばれるようにさえなった。月が自分で、太陽が神楽。静が俺なら動は神楽、陰が俺なら陽は神楽。
そんな風に呼ばれること自体は別に構わなかった。構わなかったが…。
「月は太陽がないと、光ることさえできない…」
俺が神楽を求める気持ちは、明らかに彼のそれとは違っていた。
神楽をなくした自分の姿は、太陽をなくした月の姿そのものだった。月は太陽の光なくして尚、輝き続けることはできない。
「神那、何か言ったか?」
最近、神楽は名前で呼んでくれる。
俺も一応名前で呼んでいる。
互いの意見が食い違うことなど日常茶飯事だったが、それはそれで嬉しかったし、その時間は自分にとっての有意義な時間だった。神楽は一人の人間として、俺を認め、接してくれる。
しかし、俺は未だ等身大の自分をさらけ出せないでいる。何故なら、この想いは禁忌だからだ。神楽に対するこの想いは、俺にとって、何より神楽にとって穢れでしかない。
神楽を汚したくない、神楽に嫌われたくない…。
その気持ちが歯止めをかけていた。
「俺は、神楽がいないと光れない…」
「はァ!?」
神楽の素っ頓狂で脳天気な口調が、神那の中の闇をより一層際立たせる。
「神楽が太陽で、俺が月なら、月の俺は君がいないと輝けない。自分自身の力では光れない」
「……オマエ、バカか?月も太陽も、静も動も、陰も陽も二つで一つなんだよ。どちらが欠けても不完全なのっ。だから、そんな下らないこと考えるな」
「それなら、俺は神楽の傍にいていいのか?」
「当たり前のこと聞くなっ、二人で一人なんだから。ったく、オマエは他人に気を遣いすぎなのっっ!もっと自分をさらけ出してもイイんだからな」
そう言って無邪気に笑ってみせる神楽の姿に、神那は確信した。
きっと彼なら、自分を、等身大の自分をぶつけても、絶対に受け止めてくれると。
今の神那に躊躇いはなかった。
「…俺、神楽にキスしたい」
「へっ!?」
「俺、神楽のこと好きだ。だから、お前にキスしたい」
再び持ち前の脳天気さを露わにする神楽の言葉に、神那は自分の想いをぶつけた途端、返事を待たずに唇を重ねた。
「ちょ、…ん!」
一瞬の抵抗の後、神楽は大人しくなった。
それを肯定の意と受け止めた神那は、等身大の自分でキスを再開した。
最初は軽く触れるだけのキスを何度も繰り返し、小鳥が啄むように神楽の唇の弾力と感触とを堪能した。
そして、滑る舌先で彼の唇に沿って幾度も舐め上げる。緊張から乾いていた唇は、神那の蜜を受けて次第に潤っていった。
神楽は唇を堅く閉ざし、ぎゅと瞑った瞼の下の長い睫毛を揺らしている。
「やっ、擽ったいから…んっ、んん!」
緊張と口元の抵抗が緩んだ隙をついて、神那の舌が神楽の口腔に進入を果たす。
一瞬苦しげに眉を顰めた表情は、すぐに口内を満たす甘く蕩けるような熱に浮かされて恍惚としたものに摺り替わる。
神那の舌は神楽の歯列をなぞり、その隙間に巧みに入り込んでいく。そうして、体温より高い熱と滑る内壁と甘酸っぱい蜜をじっくり味わう。
「んふ、んっ…っ……はふぅ、んん」
一頻り堪能した後で、喉元近くで縮こまっている神楽の舌を吸い寄せ、自分の舌を絡ませ、舐り上げる。
神楽が息苦しそうに顔を歪めれば、一旦束縛を解き、再び前より深く唇を合わせる。
神楽の舌を強く吸い寄せては自分の口腔へと誘い、反対に自分の舌を彼の口腔に押し入れてはその中を貪る。
最初は受け身だった神楽も煽り立てられるように、神那の舌に自分のそれを絡め始める。
神那と神楽の蜜が混じり合っては、二人の交わりの隙間から零れ落ちた。
「…神楽、好き、好きなんだ」
「オレも、んっ、んん…ふあっ、っん」
ぴちゃぴちゃ、と粘着質で卑猥な音がひとけ人気のない放課後の教室に響き渡っては、二人の聴覚を刺激し、より深くその行為に没頭させた。
何も考えずに、何も考えられずに、二人は互いの唇を貪り合った。
唇の感覚が麻痺するくらいの強烈な行為に、神楽の膝が突然脱力し、神那は唇を触れ合わせたまま彼の腰を引き寄せる。
そうして、初めて、時を止めるほどに深く長いキスを繰り返した二人の唇は、名残惜しげに余韻の糸を残して離れていった。
「先、進んでいいか?」
両腕で神楽の身体を支えたまま、神那の唇は彼の耳元へと近づく。
「………………………ダメっ!」
吐息と共に耳元で囁かれて、放心状態だったはずの神楽ははっと我に返り、そしてキッパリ拒否した。
「ホントはべろチュウだって早いのに、無理矢理してさ。そりゃ、気持ち良かった…気持ち良すぎたケド、先はまだダメ!!」
キッパリハッキリ拒絶されながら、くるくる変わる神楽の百面相は神那に安らぎをもたらしていた。
この世にないと決めつけて、疾うの昔に諦めていた、自分の居場所を漸く見つけた気がした。
「それにしても、神那上手いな、チュウ。オレ達、相性イイのかなァ。…でも、先はダメだかんな!」
偶発的に完成してしまったシャレに気づいて、神楽は無邪気で快活な笑い声を上げる。神那もそれに釣られたのか、思わず吹き出してしまう。
そんな優しい空気に包まれながらも、意外に頑固で、意外に身持ちの堅い自分の恋人に、神那の笑いは次第に苦笑に変わっていったのだった。
HAPPY END
2000/11/27 fin.
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