オレとアイツの青春シリーズより
『今宵、アイツと新年を。』

「…ん、っんん!」

夕暮れの恩恵を受けた杏色の教室で、神那(かんな)はくちづけを徐々に深くしていった。
熱と吐息とを含んだ唇は何か別の意志を持ち始めたように、普段はダイヤモンド並みに頑丈な理性を切り離していく。
絶妙の角度で目の前に迫る神那の顔に夕暮れ色が射し、端正な面立ちをより深く浮かび上がらせた。眼鏡の奥で意外に長い睫毛が影を落としている。

…キレイだなァ……。

神楽(かぐら)は情熱的な接吻を施されながら、それは上の空で、焦点の定まらなくなり始めたにも関わらず、悪戯好きの子猫の瞳で神那の顔を観察している。
付き合い始めて約半年。
初日に既にキスを済ませた二人は、現在も何故かキス止まりだった。これも神楽の身持ちの堅さと神那の強固な理性の賜物だった。
別に神楽とのキスに不満があるわけではないが、そろそろ次のステップに進みたい。
神那は時々無性にその欲望を掻き立てられた。
その発生頻度は次第に高くなり、間隔も狭まり、神那の理性にまで影響をきた来すようになっていた。
いわゆる、俗に言う欲求不満である。
しかし、年頃の健全な男子なら至極当然の欲求だし、それにこれは愛故の欲求なのだ。決して若さ故の性の暴走などではない、断じてない。
そんな想いもあってか、今日の神那はどこか可笑しかった。あるいは、我慢の限界だったのかも知れない。
何故なら、理性の枷が今にも外れてしまいそうな危うい前兆さえ、今の神那には感じ取れなかったのだから。

「…神楽、先、進んでいいか?」

神那の顔に釘づけ状態の神楽の耳元に吐息と共に囁き、そのまま柔らかい部分を甘噛みする。

「…っん…ぁっ」

神楽の白く細い喉が仰け反り、不意に艶を含み始めた嬌声が漏れる。
神那の蠢く舌が耳孔を擽り、そのまま滑らかな首筋を伝い落ちていく。
その節榑立った長い左の指先は、器用に制服のシャツのボタンを外していく。
一つ…二つ……三つ目のボタンを難なく外し、ひんやりとした掌がシャツの合間を縫って子供並みに体温の高い神楽の肌を撫で上げる。

「…ひゃっ!」

自分の熱が奪われる感覚と、それ以外のゾクリとした感覚が同時に神楽を襲い、不意に無様な叫びを上げてしまう。しかし、その背中を駆け抜ける、認め難い快感の波で、神楽は一気に現実に引き戻された。

「ちょ、ちょっと、神那!何、ドサクサに紛れてサカってるワケ!?」

神楽はいつの間にやらすっかりはだけていた制服のシャツを慌てて引き寄せた。

外方を向いて着衣の乱れを正す細く儚い首筋。
わずかに乱れた髪の毛を纏う項。
チラリと垣間見れる朱色に染まった頬。

全てが神那の衝動を抑えられなくしていた。
神那は背後から神楽をスッポリと包み込み、うっすらと汗ばんだ項に欲望に乾いた唇を這わせた。

「なっ、何するっ!?神那、ちょっ、やめろっ、て…っん!」

明らかに普段と違う恋人の様子に抵抗を見せる神楽を半ば強制的に振り向かせ、無理な体勢のまま唇を押し当てる。何とか逃れようとする彼の右腕を鷲掴みにして、神那は更に深くくちづけた。
口腔を激しく犯されながら、神楽の瞳からは涙が零れた。
普段なら一番に自分の涙を拭ってくれるはずの恋人が、今は涙の元凶であるという事実が神楽の胸に突き刺さる。
目の前の愛しい人が別人のようで、見知らぬ赤の他人に強いられる行為は屈辱的で、哀しくて、苦しくて…。
いつもは彼の背中に必死でしがみついていた左手を、神楽はそれでも快感に飲み込まれそうになっている理性を掻き集めて、神那の頬目がけて放った。




ばしぃぃぃぃぃん!!




「…キライ、大キライだっ!オマエとなんか絶交だからなっ!この性欲魔人っっ!!」

教室中に響き渡った平手打ちの木霊と子供染みた捨て台詞、そして胸を掻き毟らずにはいられない嗚咽を残して、神楽は朱色と藍色のグラデーションに変化した教室を飛び出した。
神那はただ一人、右手で打たれた頬を、左手で胸を押さえながら呆然と立ち尽くしていた。






「ウルサイ。オレには関係ナイ」
「…知らん」

クリスマス当日、クラスメイトの無遠慮で不躾な詮索と質問責めに対する二人の反応がこれだった。
神楽の絶交宣言が12月22日(金)の放課後で、それから48時間経ても状況は全く改善されなかった。
この端から見れば痴話喧嘩とも呼べる二人にとっての大喧嘩は、もちろんクリスマス・イヴという神那にとっての千載一遇の機会をも奪ってしまった。
24時間後にはめくるめく愛と官能の世界が待ち受けていたことも忘れて、一瞬の衝動に惑わされた神那は今や一生分の不運を背負った気さえしていた。これでは半年間の禁欲生活が水の泡というものだ。
神楽とて、23日からの一泊二日の旅行に際しては、それなりの期待とそれなりの覚悟を決めていたのだ。無理強いされたのは確かに屈辱的だったが、今はそれ以上に旅行を潰されたことへの逆恨み的な気持ちの方が勝っていた。内心、緊張の糸が切れてほっとしたのも否定し切れない事実だが。
そんな二人の喧嘩事情も、頓挫した下心含みの旅行事情も知らないクラスメイトの野次馬的な好奇の視線を浴びながら、二人の険悪ムードは永遠を思わせる居心地の悪さを伴って続いた。
以前ならむしろ自然だった二人の不仲を目の当たりにして沸き起こる不自然さに、誰もが人間とは全く以て順応性の高い生き物だと改めて悟らされたのは語るまでもない。

「神楽も、会長も、下らない喧嘩と一時の感情に任せて、年に一度で、今世紀最後のクリスマス・イヴを無駄にしたわけ?…へぇ、ふぅん……まっ、僕には関係ないけど。僕は自分が幸せなら、それで一向に構わないし」

クラスメイトの一人、羽住律(はずみりつ)が自分の最高のクリスマス談で不幸のどん底にいる恋人達の神経を逆撫でしながら、それでも二人の不仲を改善させようと試みる。

「その上、クリスマスで終業式の今日も仲直りせずにこのまま別れて、挙げ句の果てに今世紀最後の大晦日まで無駄にするつもりなんだ?」

限定とか今世紀最後とか、希少価値を連想させる巧みな話術の所為で、完璧に意地の張り合い合戦になっている二人でも、自分達が人生最大の過ちを犯しているような気にさえなってくる。

「…でも、オレ、レイプされそうになった」
「誰に?」
「…神那」

子供染みた曖昧かつ拙い口ぶりで、神那の罪を暴露してみせる。
幾ら終業式後で足早に帰宅してしまったクラスメイトが多いとは言え、まだ教室は明日からの年末年始休業に向けて浮き足だった生徒達で賑わっているのだ。
ただでさえ目立つ存在の神楽の重大発言に、教室中の誰もが一斉に三人の茶番に対する興味を聴覚から視覚へと移行させる。
十六夜学園の男子棟専属生徒会長である神那にとっては、それだけでも充分な償いに思えた。
仮にも彼は男子棟生徒のお手本となるべき存在。スキャンダル紛いのことは、噂でもタブーに値する。幸い、この変わり種の学園で、その世間一般的な常識は通用しないが。
というわけで、やはり痴話喧嘩としか思えない神楽の言い分も至って平静に受け入れた律は、中立の立場として、今度は加害者で、ある意味被害者でもある神那の言い分を聞くべく彼を促す。
しかし、神那は全ての責任が自分にあるという具合に、無言の返答を返しただけだった。今何を言っても言い訳にしかならないことを、本人は重々承知していたのだ。

「結局のところ、神楽は嫌なわけ?会長とセックスするの」

今や完璧に幼児化した神楽相手にいきなり核心を突いてくる律の質問で、教室中の空気が更に張りつめる。誰もが聞き躊躇う一番聞きたい質問をいとも簡単に放った律は、今まさに羨望と侮蔑の眼差しを同時に浴びていた。

「へ!?」
「結局のところ、神楽は嫌なわけ?会長とセックスするの」

あまりに耳慣れない言葉にその意図するところが分からず、素っ頓狂な反応を返してしまった神楽にも、我が道を進み続ける律は台詞を完璧に反芻してみせる。
恐るべし…羽住律……。

「…せっくす」

自分でもあまり言い慣れない言葉の響きに、思わず口に出してしまったことを後悔するほどの羞恥が神楽を襲う。

「全部、俺が悪い。俺の焦りが招いた結果だ」

頬を極限まで上気させて外方を向いているほとんど免疫のない恋人を庇って、神那は質問の矛先を自らに向けさせようと自分の非を認める。

「それじゃ、会長は何故セックスしたいの?」
「俺?俺は…神楽だから…神楽が好きだから…神楽がいないと駄目だから…」

普段の神那からは想像もつかないほどにしどろもどろになりながら、彼はそれでも自分の心中に見合う言葉を一生懸命探そうとする。
そんな見慣れない、意外に不器用で、頼りない神那の姿と、以前自分に弱音を吐いた時の彼の姿とが重なり、途端に神楽は何故か妙に面白くない気分になった。

「…ダメっ、見るなっっ!」

自分だけにさらけ出してくれる本当の神那の姿を、彼の弱い部分を、他の誰にも見せたくなくて。
だから、神楽はその叫びと共に、恋人の顔を自分の胸に埋めるように抱き締めた。
予期せぬ展開と不可解な神楽の行動に他の誰もが首を傾げる中、神那だけが恋人の胸の中でボソリと呟いた。
正しくは、神那ともう一人、天の邪鬼な彼の気持ちを汲めた人間がいたが。

「悪かった。俺が甘えるのも、弱音吐くのも、この世でただ一人。神楽だけだ」

聞き取り難いくぐもった台詞だったけれど、何故か愛しい人の愛しい言葉ははっきりと神楽の耳に届いた。

「…オレ、イヤじゃないよ、神那とえっちするの。ただ、二人一緒にキモチヨクなりたい。自分だけでも、神那だけでもダメなんだ。だから、無理強いは絶対にイヤ」
「今度から気をつける」
「…ウン」

抱き合ったままでどこかピントのずれた会話を進める二人に、クラス中の誰もがやはり痴話喧嘩だったと安堵とも軽蔑とも取れない溜め息を吐いた。
ただ、今回一番の功労者である律だけが二人を優しく見つめ、その彼の姿を戸口から同様に優しく見つめていた一人の男の存在に気づき、迷わず駆け寄っていった。






「今年も、今世紀も、あと3時間で終わり〜」

カウントダウンを179分50秒後に控えた神那の部屋で、恋人達はクリスマスの甘い一時を取り戻すかのように…二人……こたつの中でミカンを頬張っていた。
大晦日に泊まりにいくからと神那にとっての爆弾発言をした神楽の身体を冷やしてはいけないと、この日の為に彼はわざわざこたつを用意してくれたのだ。
なるほど、確かに部屋とは微妙にそぐわない代物のようだった。

「ぬくいおこたには、やっぱりミカン!しあわせ〜」

ミカンの皮の山にまた一つ残骸を増やしながら、首元までこたつに潜り込み、顎だけを台の上に乗せた神楽が、これぞ極上の幸せという風に顔を綻ばせる。

「…そんなに喰うと、手が変色する」

その幸せを自分の幸せのように噛み締めながら、それでも雛を世話する親鳥の如く神那は甲斐甲斐しく世話を焼く。
その親鳥を雛にも似た縋る目つきで見つめる神楽に、神那の理性がぐらりと揺れた。

「ねェ、する?えっち」

上目遣いで見上げる仕草が溜まらなく情欲的だった。
雛に欲情する親鳥の話など聞いたことはないが、この時の神那は確かに神楽に欲情した。
神那は神楽の丁度真後ろにあったベッドの縁に彼の頭をそっと横たえ、不安定な腰を自分の腕で支えながら軽く恋人の唇に自分の唇で触れた。

「…神楽、好きだ。愛してる」

再び唇にキスを落とす。

「…ミカンの喰いすぎで、手ェ黄色くなっても?」

神楽も首を伸ばして、神那の唇にくちづける。

「もちろん。それに日本人は元々黄色人種だから、そんなに大差ないだろ」

内心、目の前にある雪の如く白く繊細で儚げな恋人の肌がなくなるのは惜しいと嘆きながら、その問いがあまりに神楽らしく思えて、くすりと小さな笑いを落として神那はキスを再開した。
その触れた唇が少しカサついているのに気がつき、神楽が指先で神那の唇をなぞる。

「…唇、荒れてる。ビタミン不足じゃない?」

皮肉を込めた言葉と共に、喉奥でクスっと笑ってみせる。

「冬だから乾燥しているだけだ。何なら、神楽が潤してやってくれ」

負けじと放った皮肉返しに動じる気配もなく、神楽はペロリと神那の口端を舐める。

「…こうやって?」

その後で、小狡げな笑みを添えて首を傾げながら舌を覗かせる。

「そう、神楽からして」

今度は皮肉合戦なのか、背中を支えていた腕に力を込めて神楽を起き上がらせると、彼を促して自分も一緒にベッドに乗る。
そうして、二人で向き合った後で、神那はそっと瞼を閉じて神楽からの恩恵を待った。

「プっ、変な顔ォ〜」

最初は茶化していた神楽も、至って真剣な神那の様子に釣られて、次第に神妙な面持ちになる。その所為で、部屋中に居心地の悪い空気が流れても、神那はひたすら待ち続けた。
これは彼にとって一種の賭、二人で一緒に極上の幸福を感じる為の一つの儀式だったからだ、
神那は自らの枷を外すか否か、恋人に選択の余地を与えたかった。裏を返せば、それだけの心の余裕が今の神那にはあった。
無理強いは絶対に嫌なのだ、と宣言した神楽の様子に抱いた不信感と底知れぬ不安感の正体は分からない。多分の彼の胸には大きなトラウマがあるのだ、と漠然とだが確信めいた予感を感じる。
それを癒して欲しいのか、埋めて欲しいのか、それとも触れずに放っておいて欲しいのか、今の神那に汲み取ることは正直言って無理だろう。
しかし、いつ如何なる時でも、それを汲み取れるだけの心の余裕とスペースを持って彼に接したいと思う。
彼の望みを聞くのも、支えるのも、叶えるのも、自分でありたいと心から願う。



「…分けてあげる。オレのビタミン」



相変わらず瞼を降ろしたまま正座している神那の向かい側で、膝立ちになった神楽が恋人の頬を両掌で挟み込んで額にキスを落とす。次に鼻先、右頬、左頬、最後に唇に軽く触れ、ひとまず両掌の束縛から神那を解放する。

「…終わりなのか……?」

それ以上続かない施しに業を煮やして瞳を開いた神那が、心から残念そうにガクリと肩を落とした。

「物には順序ってモノがあるでしょ?…それに、オレ、どうしたらイイか分かんないし……」

吐露された神楽の本音に、神那が滅多に見せない笑顔を惜しみなく見せる。

「二人のキスを思い浮かべて、俺がやってるのを真似てごらん?」
「…ウン。じゃ、もう一度、目閉じて」

跳ね上がり脈打つ心臓の旋律を感じながら、それを落ち着かせるようと神那の額と自分の額を触れ合わせた。額越しに伝わる恋人の体温を確かめ、そのまま二人の体温を同じ温度になるまで分け合った後で、ゆっくりと自分の唇を神那のそれに重ねた。

「…蜜柑の味がする」
「だから、分けてあげるって言ったでしょ?オレのビタミン」

二人でミカンの芳香と味とを共有する。
辿々しい仕草で、それでもできる限り深く交わりたいと、幾度も重ねて幾度も離れては絶妙な角度を探す。
手探り状態の中で漸く記憶に残る角度を探し当てた時には、二人揃ってすっかりその行為に没頭し、辺りには熱を帯びた弾んだ吐息と官能的な旋律が響き渡っていた。
初めての能動的な行為に最初は戸惑っていた神楽も、恐る恐る忍び込ませた自分の舌で神那の口腔を探る内に、次第に我を忘れてのめり込んでいく。

「…っん、んふ…ぁっ…んっ」

神那の滑る舌と自分の舌とを絡ませ、ほんのりとミカンの味の残る蜜を掻き混ぜる。
神那の舌を吸い寄せて自分の口腔に引き入れては、彼が優位に立とうとする瞬間に抗って押し返す。
まるで神那が施すように彼の歯列をなぞり、上顎を舐り上げる。
時に小鳥が羽根を休める如く深いくちづけを解き、時に小鳥が啄む如くキスの雨を降らせる。
拙い戯れの中でも確かに芽生えていた神楽の献身的で貪欲な欲求に突き動かされた神那は、呼吸の乱れた彼の身体を優しく組み敷いて、受動から能動に瞬時に切り替わった。
慣れ親しんだ絶妙の角度で神楽の唇に吸いつき、一頻り口内を貪る。
そして、そのまま耳朶を甘噛みされて仰け反った喉元を辿って滑り落ちた舌先は、綺麗に浮き彫られた鎖骨を舐り上げる。
器用にボタンを外されて警戒の薄くなったシャツの合間を縫って、左の掌が神楽の火照ったきめ細かな肌を撫でていく。
その節榑立った長い指先が神楽の敏感な部分を探し当てる頃には、彼のシャツはただ一つのボタンのみで辛うじて繋がった状態だった。
そして、その最後の砦は神楽自身の手で壊された。

「…早く、もっとオレに触れて」

潤んだ瞳で見上げられて、神那は自らの枷を外した。

「…ぁっ、ん……んっ、ぁん…んっっ!」

胸の尖りを両方から刺激されて、未曾有の快感が神楽を責め立てる。神那は右の尖りを舌先で、左の尖りを指先で同時に弄んでいる。
とても敏感らしい神楽のそれはその存在を誇示し始め、それが余計に二人の身体を火照らせていく。

「ぁあ、ん…やっ、あんっっ!」

神那が唇を左の尖りに移し、全てを口に含み、強く吸い上げたまま蜜を纏った舌先で擽ると、神楽の背も喉も綺麗に仰け反った。
唾液に濡れたまま外気に晒された右の尖りに、焦燥感を伴った肌寒さと痺れとが残っている。
その焦燥感を掻き消して欲しくて、神楽は神那の髪に指を絡めて引き寄せた。
それを合図に、神那の左の掌が素肌の腰を掠めて降りていく。
と……その時だった。

「神那ぁー、年越し蕎麦できたから、持っていってぇー」

階下からの呼び声で、神那の身体がびくりと跳ね上がって止まる。

神那の家は神楽の想像とはいい意味で異なっていた。柔らかくて居心地のいい空気が流れる、家族団欒を大切にする古き良き平凡な家庭。
それは、神楽が手に入れたくても、手に入れられなかった平凡…家庭だった。

「…呼んでる。…オカアサン」

呼び慣れない言葉の響きに、少しだけ戸惑ってしまう。

「…オレ、食べたい。オソバ」

名残惜しそうに自分を見下ろす神那に、花より団子の一言で神楽がムードを台無しにする。

「神那、早くぅー。お蕎麦、伸びちゃうわよぉー」

そして、それに追い打ちをかけるように、再び階下から一人息子にベタ甘の母親の声が聞こえた。

「はいはい、今行くから」

仕方なく束縛を解いてベッドに腰かけたまま着衣の乱れを正す神那に、後ろから抱きついてきた神楽が耳打ちする。
耳元を擽る吐息に神那の心臓が跳ね上がった。

「オレ……腹、減ったァ」

しかし、天の邪鬼な恋人の関心事がどうやら自分から年越し蕎麦に移ったらしいと気づき、神那はまた一つ溜め息と苦笑を漏らすしかなかった。





「ねェ、あの流れで行くと、オレってネコなワケ?」

突然の問いに、神那は眼鏡を湯気で曇らせながら啜っていた年越し蕎麦を吹き出しそうになる。
しかし、それを何とか堪えて、それでも噎せ返るに至った彼の背中をさすりながら、神楽の猥談はまだ続くらしい。

「これでも少しは勉強したからネ。で、結局のトコ、オレが受なワケ?」
「……当たり前だ。俺に掘られる趣味はない」

鼻の奥に妙な異物感を感じながらも、神那は普段通りの無愛想な口調で断言してみせる。

「やっぱり、オレがネコで、神那がタチ。オレが受で、神那が攻…」

神楽は覚え立ての英語をひけらかす新入生の如く得意げな面持ちで、まるで呪文のようにボソボソと呟き続けている。
そんな低俗な(自分は棚上げ状態だが)話題でさえ神楽の声に乗せて聴けば、何だか心地良い旋律に思えて、不意に痘痕も靨という諺を思い出した。自分はどうやらめっぽう神楽に惚れているらしい、と今更ながら再確認した。
そんな自分の変貌が気恥ずかしくて、照れ臭くて、思わず泳いだ視線の先に時計が飛び込む。

「神楽っ!そろそろ、カウントダウン!!」

いつの間にか11時59分を回っていた時計を指差しながら、慌てて呑気に年越し蕎麦を啜っていた神楽を促す。その間にも秒針は休むことなく刻み続け、二人揃って時計を見上げた時には年越しまであと30秒を切っていた。

「どこからカウントするんだ?」
「それは、やっぱり10からでしょ?…って、ホラっ、早くっっ」

何だか他愛もない行為が、その時の二人にとってはとても重要な行為に思えて。

「…10、9、8」
「………9、8、ズレてるっっ!」
「…5、4、3、2、1、」
「……4……3、2、1、0」

「明けまして、おめでとっ!!」

新たな世紀の幕開けと共に、新たな気分で神那は神楽を抱き締めた。
焦らずに、俺達のペースで進んでいこう。
俺達の未来へのカウントダウンはまだ始まったばかりなのだから。




HAPPY END
2001/1/5 fin.

戻ル?

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