THANX 800hit
『イトシイワガママ』

「…新(あらた)。オレが幾ら男前だからって、んなジロジロ見んな!穴あくっつーの」

そう言われて、俺は初めて匠(たくみ)の顔を凝視していたことに気づいた。

「なぁ、匠。お前、何か変じゃないか?」

早朝の食卓。
左手に箸を、右手に茶碗を。
それぞれしっかり握り締めたまま、どうやらもう5分以上はそうしてたらしい。

「べっ、別に変じゃねぇよ!」

怪しい…。
普段なら、
『うっせぇ!新に変呼ばわりされる筋合いはねぇよ』
とか何とか人並みに反抗期らしい我が弟の怒声が飛び交いそうなものを。

顔なんか火照ってるし。
眼なんて潤んでるし。
何より箸が止まってる。
……これは絶対に可笑しい。
俺は無言の抗議とばかりに再び凝視を決め込んだ。

やっぱり箸が動いてない。
ちょっと動いたと思っても、匠専用ビッグサイズの茶碗に盛られた飯をつんつんとつついてみるだけで、それはまだ一度も口へと運ばれていない。
中学三年、まだまだ育ち盛りの匠の食欲は凄まじいものがある。
それは決して朝も例外じゃなくて。
朝っぱらからどんぶり並みの茶碗三杯は平らげる匠の成長振りもまた凄まじいのだ。
おまけに、横へ横への成長は皆無。
縦へ縦への成長ばかりが際立つ今日この頃…。
その食欲魔人の食欲が枯れるなんて。
……これは絶対に可笑しい。

「…だから、何だっつーの!言いてぇコトあんならさっさと言いやがれっ!!」

相変わらずとは言え、この口の悪さはどうにかならないものかとふぅと溜め息を吐いてから、俺は渋々話を進めることにした。
本当はこのまま放っておいても構わないんだが。
そうすれば匠の成長期は止まって、俺は兄の面目丸潰れの危機からまんまと逃れられる訳だし。
でも、しょうがないか…。
結局、俺って何気に甘いんだよな。匠には。

「匠。お前、風邪か?」

真っ向から直球勝負を挑んだ俺の問いに、匠の身体がギクリと揺れる。
益々怪しい…。
匠の往生際の悪さは折り紙つきだ。
長期戦は不利だろうと踏んで、俺は先手先手で話を進めることにする。

「熱あるんだろ?」
「……」
「…お前、また病院行きたくないからって誤魔化そうとして……」

俺はわざとダイニングどころかキッチンまで届くように大声でそう言った。
今のそこは旦那よりも息子にベタ惚れな、窪塚(くぼづか)家陰の権力者の定位置だ。
匠の病院嫌いを捩伏せるにはそれが一番簡単で、手っ取り早い。
いわゆる陽動作戦って奴だな。

「あら匠、風邪なの。今日は学校お休みして、病院行ってらっしゃい」

俺だけに限らず、うちの家族は全員匠に甘いからなぁ…。
まぁ、それが反抗期の匠にはうざったくてしょうがないんだろう。
それにしては…俺に対してと両親に対してとじゃ、微妙に態度が違う気はするが。
最近、ずっと“新”呼びだし。

「新。母さん、今日はどうしても仕事休めないの。悪いけど、匠のこと病院まで連れてってあげて。ね?」
「え?」
「え、じゃないの。大学なんて就職逃れの口実で通ってるようなものでしょ?そんなお遊びと匠の身体を天秤にかけるなんて、ばちが当たるわよ」

我が母親ながら自己中心的なひとだよなぁ…。
普段はやれ勉強しろ、やれ真面目に大学行けって五月蝿いくせに。
……あっ、そう。俺より匠の方が数倍大事ってわけだ。
念願叶って生まれた待望の二人目だもんな?
できちゃった結婚で、子は鎹の俺とは雲泥の差だよな?
まぁ、就職逃れの口実って部分がキッパリ否定できないだけに俺の方が分が悪いが。

「風邪なんてちげぇーよ!オレもう学校行く……」
「…………………………………………………駄目だっ!」
「…………………………………………………だめよっ!」

……。
匠、病欠決定。
俺、自主休講決定…。





「ヤダ。オレ病院行かねぇ。寝てりゃ治る」

案の定、匠は鬼の居ぬ間を幸いと抵抗を始める。
一端の大人気取って反抗するわりには、病院嫌いだの薬嫌いだの、立派にガキだと俺は思うが。

「駄目だって。今年の風邪は案外質悪いんだから」
「ヤダ。オレ痛いの嫌い」
「痛いって…たかが注射くらいで駄々こね捏ねんなよ」
「ヤダ。注射はイヤだ、絶対ダメ」
「お前なぁ……」
「新、邪魔。どっか行けよ。オレもう寝んだから」
「……あっ、そう。それじゃ、お言葉に甘えて大学にでも行きますかっ」

俺はこれ見よがしに身体を反転させて、匠の部屋のドアに向かう。
が、途端。俺のベクトルに逆らって、逆方向へ発生する別のベクトル。
俺の進行は匠の指先が摘んだシャツの一点、ただそれのみで引き止められてしまった。
俺が匠に甘い分だけ、その点の持つ力は強くなる。

「…出かけんのかよ?」

俯いたまま。
俺のシャツの裾を掴んだまま。
匠はぼそりと不安と不満の意思を伝えてくる。

「お前がどっか行けって言ったんだろ?」
「…家から出てけなんて言ってねぇもん……」
「何?お前ひょっとして寂しいとか?」
「ちっ、ちげぇーよ!」

図星…だな。
本当素直じゃない奴。
まぁ、そこが匠らしいといえば匠らしいが。

「はいはい。今日は傍にいてやるよ」
「だっ、だからちげぇーよ!!」
「分かった分かった。分かったから、少しは俺の言うこと聞け。な?」

言い含めるように俺より少し下にある頭をポンポンと叩くと、匠の身体がビクリと揺れた。

「病院行けなんてもう言わないって。だから、せめて服着替えて、飯食って、薬飲んで、ゆっくり寝ろ。な?」
「…オレ食欲ねぇ……」
「駄目だって。病院で注射と点滴、家で飯と薬。俺はどっちでも構わないけど?」
「…家…でいい……」
「決まりだな。俺が即席雑炊作ってやるから、お前はさっさと着替えてベッドで寝てなさい」
「げっ、新の料理なんて食えんのかよ?」

来院の危機から逃れられてほっとしたのか、いつもの可愛げのなさを取り戻した匠をギロリと一瞥して、俺はさっさと一階に降りていく。
悪いが、俺は料理にはちょっとした自信がある。
両親が共働きの所為で自然と身についてしまったという方が正しいかも知れないが、いつの間にかそれは義務から趣味に変わって、今では一応俺なりのこだわりなんかもある。
俺は冷蔵庫から作り置きのお手製鶏ガラスープを取り出し、即席雑炊と呼ぶには手の込みすぎた特製雑炊を作り上げる。
おぼんに雑炊の入った土鍋とレンゲを乗せ、その傍らにコップと風邪薬を添えて二階へと運んでいく。
病人には刺激の強すぎる献立かも知れないが、あの食欲魔人の食欲に並の病人食では太刀打ちできないのだ。

「新、遅い。こんなん拷問だ拷問。オレを飢え死にさせる気かっつーの」

キッチンから漏れるほのかな匂いに食欲のツボをくすぐ擽られたのか、匠が期待7不満3といった瞳で俺を見る。
…自分の言葉にもっと責任持てよな……。
自己中心的な性格は母さん譲りだなと呆れ返りながら、それでも俺は自分の料理に注がれる期待の視線に満更でもなかった。

「悪かったな。ほら、ちゃんと味わって食えよ?」
「んなコトより、早くっ」

ベッドから伸ばされた腕ときゅるると鳴く腹の虫で、匠が催促する。

「あちぃっ!」
「食欲出たからって、あんまりがっつくな。お前、一応病人だろ?ほら、貸せ」

匠の指からレンゲを、腹の上からおぼんごと土鍋を、俺は有無を言わせず奪い取る。
二度目のオアズケを喰らった匠の恨めしげな視線も無視して、俺はレンゲですく掬った一匙の雑炊にふぅ~と息を吹きかけた。

「ほら。あ~ん」

吹きかけた息で適度に冷ましてから、匠の口元にレンゲを運ぶ。
猫舌の匠にはやや温めの方が丁度いい。

「んだよ、それ?オレはガキじゃねぇーよ!」
「ふ~ん。いらないんなら……」

俺はレンゲを反転させて自分の口へと運ぶ、振りをする。

「あぁっ、食う!食うって!!」
「それじゃ。あ~ん」
「……あーん」
「美味いか?」
「……ん」
「よしよし。この調子でどんどん食って、早く元気になって、バリバリ学校行けるようにならないと。な?」

何だかご機嫌な俺と何だかご機嫌斜めな匠。
それを交互に繰り返し、病人しては凄まじい食欲で匠は俺の作った雑炊を全て平らげたのだった。





「…ごちそうさま…でした……」
「はい。お粗末様でした」
「……」
「さてと、お次は……」

意味ありげな俺の台詞に、匠は再びビクリと身体を震わせる。
病院嫌いな匠は、それと同等に薬嫌いでもあるのだ。
苦痛を我慢し続けるよりかよっぽど賢い選択だと俺は思うが。
部屋の中央に置かれたテーブルの上。
そこに避難させていた水の入ったコップ、それと薬を手に取り、怯える匠に最後の仕上げとばかりに俺は詰め寄る。

「ヤダ。薬はイヤだ、絶対ダメ」
「お前なぁ……」
「新、邪魔。どっか行けよ。オレ、もう寝んだから」

記憶に浅い押し問答。
一時間前と同じ会話を繰り返す自分達にふと気づき、俺の苛立ちが少しだけ殺がれる。
思わず『薬飲めなんてもう言わないって』とか何とか口から零れそうになって、俺は慌ててその邪念を振り払う。
ここで甘やかすのは匠の為にも、匠の身体の為にも良くない。
俺は決意を新たにすると、再び炎のチャレンジャーと化した。

「匠。好い加減観念しろ。な?」
「ヤダ。絶対ヤダ」
「た、く、みぃ?」
「…新のバカ。アホ。マヌケ。とんちんかん。オマエの母ちゃんでべそ……」

俺の母ちゃんはお前の母ちゃんでもあるってことを忘れるなよ?

「駄々捏ねるのも拗ねるのもガキの証拠だぞ……」
「…ガキって言う新の方がガキだ……」

まるっきりガキだ。思考がことごとくガキだぞ。
しっかし…凄まじい往生際の悪さだな……。
ならばしょうがない、ここは一つ奥の手を。

「“新”じゃなくて“兄ちゃん”だろ?そう呼ぶんなら、俺の方が折れてもいいけど?」

並の薬嫌いなら考えるまでもない。
迷わず“兄ちゃん”と呼ぶ方を選ぶだろう。
が、匠は究極の薬嫌い。
その上、更に。それに輪をかけて究極の敬称嫌いなのだ。
匠は俺を敬称で呼ぶことを極端に嫌う。
もう遠い昔に封印してしまった“兄ちゃん”呼び。
それを選ぶ確率は万に一つだ。
それなら、選択の余地も一つ。
俺は両手にコップと薬を握り締めたまま、ずいっと更に詰め寄った。

「ヤダ」
「どっちが?」
「…ヤダ。どっちもヤダ……」
「え?」

予想外の返答に俺の方がまごついてしまう。
当てが外れて、俺の苛立ちも倍増する。

「何だよ?薬飲むんだろ?」
「ヤダ」
「それなら“兄ちゃん”って呼ぶか?」
「ヤダ」
「……あぁ、もう!何なんだよ、お前はっ!」
「…飲みたくねぇモンは飲みたくねぇ…呼びたくねぇモンも呼びたくねぇ……」

ここまで頑なに拒否されると結構ヘコむぞ、兄ちゃんでも…。
しかも。発熱の所為なのか、何か目潤んでるし。
苛めてるみたいで気分悪いし。
俺はほとほと呆れ果てて、同時にほとほと困り果てて、戦線離脱を余儀なくされた。

「…分かったよ。分かったから。もう薬はいい。もう飲まなくていいから。その代わり、ちゃんと寝てろ。な?」

俺は疲労感を引き摺ったまま身体を反転させて、匠の部屋のドアに向かう。
が、途端。俺のベクトルに逆らって、逆方向へまたも発生する別のベクトル。
俺の進行は匠の指先が摘んだシャツの一点、ただそれのみで引き止められてしまう。
俺が匠に甘い分だけ、その点の持つ力は強くなる。

「…新。オレのコト嫌いか?嫌いになったか?」

ベッドの中で俯いたまま。
俺のシャツの裾を掴んだまま。
匠はぼそりと不安と悲痛の意思を伝えてくる。

「馬鹿なこと言っ……」
「……オレ、新のコト、それ以外に呼べねぇ。だって、呼びたくねぇもん……」

匠の切なげな表情を見た瞬間、俺の身体は勝手に動いた。
…だって、なんてまるっきりガキの思考だろ……?

「……あぁ、もう!」

俺はコップの水と風邪薬のカプセルとを自分の口の中に放り込む。
そうしてそのまましゃがみ込み、匠の唇に自分のそれを押し当てた。

「……ん」

生温くなった水と少しふやけ出したカプセルを舌で以て匠の口内に流し込む。



暫くして匠の喉がコクリと鳴った。



口端から垂れ落ちる水滴を舌先で掬い、濡れた唇を親指の腹で拭ってやる。
そして、始終呆然と俺を見つめていた匠の身体をそっと抱き寄せた。
発熱の所為なのか、火照った匠の体温が直に伝わってくる。

「お前って、本当世話が焼ける奴だよ。…でも、でもな…って、おいっ」

抱き締めた匠の身体からくてっと力が抜ける。
覗き込んだ俺の腕の中には、安らかな寝息を立てる匠の顔。
その今は天使のような悪魔の寝顔に向かって、俺は甘い悪態を吐く。

「嘘だろ?もう、薬効いたのかよ…お前って、本当世話が焼ける奴だよ……」

結局、俺ってことごとく甘いんだよな。匠には。

さてと、目が覚めたらどう説明しようか?
我が儘さえも愛しく感じるその理由をーーー。




HAPPY END
2001/3/22 fin.

戻ル?

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!