10月14日は鉄道の日、らしいです




鉄道の日




 「今日はね、鉄道の日なんだよー知ってた?」
出勤の身支度をしながら、スキンブルが上機嫌に呟いた。
「知らん」
 今日は何やら行事ごとがあるらしく、通常の制服ではなく、ぱりっとした正装時の制服を着用している。深いグリーンに緋色の縁取りが印象的な三つ揃いである。革靴も、今日は履き古したいつものではなく、つやつやに磨いた余所行きを取り出していた。サイドボードに真白い手袋も乗っている。首元のベルは、駅長が洒落で特注したらしい物だが、客からの評判が良いとのことで、夜行に乗らない時に着けている。スキンブルは鏡を見ながら、その紐を器用に首の後ろで結んでいた。
 と言うことは。
「今日は帰ってくるのか?」
「うん。遅くはなるとは思うけど。鉄道の日の記念行事があるから、晩ご飯はいらないと思う」
「了解した」
「…ねえ、マキャ、今日暇?」
「は?」
ぼんやりとスキンブルの身支度を眺めていたマキャヴィティに、爛々と目を輝かせたスキンブルが、満面の笑顔を振り向けた。


 何故だ、どうしてだ、と口の中で呟きながら、マキャヴィティはなるべく知った顔に見つからないよう、帽子を目深に傾け、肩を竦めて足許だけを眺めながら歩いた。
 からん、ころんと、歩く度に揺れて金色に光る、フォルムの丸いベルが如何にも間抜けに鳴り響く。先を行くスキンブルにしっかりと手を握られているせいで、下を向いていてもさして困らないのが、良いのか悪いのか。一歩踏み出すごとに目に入る、まさか自分が着る羽目になるとは思わなかった、赤い縁取の緑のズボンが、そして裾からはみ出た足首の、ソックスの白さが目に痛かった。
「ここから列車に乗るからね」
「この駅じゃないのか?」
てっきり街の最寄り駅での催事だと思っていたマキャヴィティは、ほっと胸を撫で下ろした。他駅でなら、顔見知りと顔を合わすこともないだろう。
「そ。ターミナル駅でやるから。安心したでしょ」
そう言うと、もう逃げないよねと独りごちて、繋いでいた手を解放してくれた。流石にここから一人で逃げれば、逆に目立ちすぎる。駅正面から、職員用の出入り口へ回ると、駅長らしい年配の男が手を振っていた。こちらも同様の制服を着用している。
「おーいスキンブル、行くぞ」
「はぁい。今行きます」
「そっちは?見ない顔だが」
「これはオトートです。マキャって呼んでやってください。僕と一緒で鉄道狂なんです。マキャ、こちら僕がお世話になってる駅長」
「そうかい。よろしくなマキャ。確かに、言われてみればよく似てるなあ」
「へ?あ、その、…どうも」
誰が誰の弟か。誰が鉄道狂か。自分はスキンブルのような変態的な鉄オタとは違う。違うというかそもそも鉄オタではない。鉄道に一切興味はない。顔も全然似ていない。似て堪るものか。内心で盛大に罵倒を飛ばすマキャヴィティを余所に、スキンブルと駅長は暢気な世間話を始めた。
「あ、来ますね」
 爽やかな秋風に、微かに煤煙の匂いが混じりだすのを感じるや否や、スキンブルが嬉しそうな声をあげた。十数秒遅れて、小さな影が視界に届いた。
「お。来たぞ」
ぼぉおおと汽笛を鳴らして、列車はゆっくりと構内へ進入してきた。ゴッゴッゴ、と鈍い振動がコンクリートのプラットフォームに伝導する。
「俺は機関の方にいるから、お前達は殿に乗ってくれ」
「アイ、サー」
 駅長はどたどたと足音を立てて機関部へと走っていった。それを見送ると同時に、マキャヴィティは黙って、スキンブルの後頭部へ帽子の上から思い切り手刀を入れた。
「いったぁーい!何するのさ」
「煩い馬鹿。黙れボケ。誰が弟だ。誰が鉄道狂だ」
「言葉の綾だよ。恋人って紹介した方が良かったとでも?僕は歓迎だけど。あ、そろそろ中に入らなきゃ」
再度殴ろうとしたマキャヴィティの拳を除けて、スキンブルがするりと最後尾のデッキに乗り込んだ。追い掛けて乗り込みながら、尚も言い募る。
「普通に友人とか知人とか、表現は幾らでもあるだろうが」
「普通の友人やら知人を、駅員扱いで入れる訳にはさ。あ、動き出したよ!僕この瞬間が好きでさ」
ごとん、と動き出した瞬間手すりから車外へ身を乗り出したスキンブルとは裏腹に、マキャヴィティは迂闊にも蹌踉けて、手すりにしがみついた。
「あれ?マキャ?」
「煩い。ちょっと驚いただけだ」
列車に乗ったことは数多くあるが、最後尾のデッキで、手すり一つに縋る羽目になろうとは、思いも寄らなかった。そのせいか、上手くバランスが取れない。
「こつがあるんだよ。最初は脚を開き気味にして。そうだな、肩幅くらいで。それで、腰は落とし気味で」
「……」
腰にべったりと当てられた手が気になったが、手を手すりから放すと、揺れで線路へ振り落とされそうな気がするため、振り解くことも出来ない。仕方なく言われた通りにすると、癪ながらそれなりに揺れが収まった。この姿勢だと、膝をバネのようにして、揺れを吸収できるのだ。規則正しく流れていく線路脇の常緑樹を、漸く平常心で眺められるようになった。
 「おまえ、良くこんなの乗ってられるな」
思わず素直な感想が漏れる。
「仕事だもの。慣れだよ、慣れ」
あはは、と軽い笑いが返ってくる。
「でも、直ぐに次の駅だからね。停車する時はまた派手に揺れるから、気をつけて」
まだ揺れるのか、と言いかけたその時。
「わあ!」
ギギギィ、と鋼鉄の擦れる音と、油の臭いが衝撃と共にやってきた。視界が派手にぶれる。
「あ、もう次の駅に着いたみたい。この区間は駅と駅の間が狭いからねぇ」
「もっとさっさと言え馬鹿!」
「この体勢でそんなこと言う?」
「え」
 いつの間にか、後ろから抱きかかえられたような姿勢になっていた。正確には、スキンブルは手すりを持っているだけなのだが、その手すりとスキンブルの間に、マキャヴィティを囲い込んでいるのだ。今の揺れで、車外に放り出されたり、壁に激突しなかったのは、偏にこのスキンブルの咄嗟の体勢のお陰なのだ、と遅ればせながら気付く。
「…ふ、不可抗力だ…」
「お礼はキス一つにまけてあげる」
「…………」
 結局、終着駅に着くまでにマキャヴィティは6つの負債を負うことになった。途中からは揺れても平気なように、床に座ると言い張ったのだが、制服が汚れるの見場が悪いのなんのと言いくるめられてしまった。
「金輪際、お前と列車になんか乗らないからな」
「帰りはどう足掻いても一緒だけど、どうする?」
「切符を買うに決まって…あ」
着替えた際に、財布を忘れて来ていた。


 記念式典、等と言うからどんな式かと思えば、どちらかと言えばこぢんまりとしたフェスティバルと言った様相で、様々な列車の格納庫が公開されており、軽食を出す小さなテントや、ちょっとした物売りが出ている程度の物だった。来ているのは近所の親子連れか、鉄道マニアか、その両方を兼ねた連中ばかり、あとは各駅の鉄道員が代わる代わる顔を出すのみである。
 閑散としているが、騒がしいのは苦手だから、マキャヴィティにとっては行幸と言える。ぽっかりと晴れた空の下、長閑に流れる時間は、尻がむず痒いような、居心地が良いような、奇妙な感覚をもたらした。
 スキンブルは駅員スペースで仲間と談笑している。その輪から少し外れて、マキャヴィティは紅茶の紙コップを弄びつつ、直ぐ横に鎮座する、引退済みの蒸気機関を見上げた。
 鈍く黒光りする胴体は、この日のためにか磨き込まれている。が、所々摩耗し傷付き、この列車が如何に使い込まれたかが見て取れた。優美というには程遠い、無骨で厳つい、頑健な姿だが、人を寄せ付けない頑なさはない。薄暗くなる格納庫の奥に進み、ひんやりとしたその胴に、つと額を寄せてみた。
 「そこで、何を?」
唐突に掛けられた声に、びくりと振り返ると、スキンブルがいつの間にやら近付いてきていた。
「別に、何も」
「この列車が気になる?良かったら君も鉄道友の会に」
「入らない…!」
「素直に好きなら好きと」
「好きじゃない。おまえと一緒にするな」
「君も鉄道友の会で僕と握手」
最早何が言いたいのか、訳が解らない。
「ね、今、一つ貰って良い?」
「何を」
「さっきのお礼」
一方的すぎる、との反論を喉の奥へ飲み込んで、素早く唇を合わせ、一瞬で離れた。
「早いなあ」
「長いのとは言わなかったぞ」
ごしごしと、薄暗がりでも見えるように、強く手の甲で口許を拭う。ええー、と不満そうに口先を尖らすスキンブルを、シッシと手で追い払う。
「ほら、あっちで仕事してこいよ」
「今は休憩」
先刻だって、仕事をしているようには見えなかったが。そう言いかけたのを、ぶっちゅうーと音がしそうな勢いで、接吻けられた。
 慌てて引き剥がそうとしたが、片手の紅茶の紙コップが邪魔で、そうこうしている内に下唇の内側辺りを、思い切り吸われた。固く食いしばった犬歯の辺りを、宥めるように舐められる。
 首元のベルが鳴って誰かが来たらどうするんだ、と思ったが、よく見ればスキンブルはマキャヴィティのベルをひっつかんで顔を寄せ、自分のは何処へ置いてきたのか、着用してさえ居なかった。
 初めからそう言うつもりで、こんな奥まで追っかけてきたのか、と用意周到さに感心してみるも、空しいばかりだ。
 ぢゅううう、と凡そ雰囲気とは無縁の音を立て、たっぷり1分もした頃、スキンブルは漸くマキャヴィティから離れていった。
「強情だな君も。最後まで歯を食いしばってたろ」
開口一番、苦笑いと共にスキンブルが言った。
「今ので残り5回分、全部チャラだからな」
負けじと言い張る。抵抗するかと思ったが、スキンブルはちぇ、と言うだけで両手を挙げた。降参の意思表示のようだった。
 舌で吸いつかれた辺りを探ると、案の定ぷっくりと脹れている。ひりつくような痛みが、小さくだが感じられた。



 帰りは、最後尾のデッキではなく、貨物車部分に乗せられた。灯り取りの窓は小さかったが、ごととん、ごっとんと、揺れに合わせて、昇り始めの月が、見えたり隠れたりする。空はもうすっかり日が落ちて、薄寒い冷気すら漂っていた。
「今日、さ、ちょっとは楽しかった?」
向かいの貨物の箱に座って、じっと黙りこくっていたスキンブルが、ぽつりと言葉を吐いた。眠っているものとばかり思っていたが、そうでも無いような声だった。表情は暗くて見えない。
 昼から少しは盛況を見せた鉄道の日の祭典は、本来関係者ではないマキャヴィティすらを借り出す勢いで、請われるまま迷子の親を捜したり、子供らに菓子を配ったりなぞしたのだ。だから、行きしなはつやつやと磨かれていた革靴は、今は砂埃で白っぽく汚れてしまっている。ジャケットの隠しには、子供から貰った飴玉の包みも入っている。
「少しはな」
「そっか。重畳重畳」
ごととん、ごっとん、がたん、と列車が揺れる。昼間よりは幾らか澄んで、その分耳障りに響く車輪の軋む音が、鈍く長く続いて、ことんと消えた。ぱたぱたぱた、と足音が近付いてくる。
 ぎぎぎ、と貨物室の扉が開いて、駅の外灯が柔らかく暗闇を切り分けた。
「おーい着いたぞ」
駅長だった。
「はーい。今日もお疲れ様でした」
「俺ぁまだ仕事だよ馬鹿」
「あははー頑張ってクダサーイ」
とん、と貨物から飛び降りて、スキンブルが上機嫌の声を出す。
「ほら、着いたぞオトートよ」
「……」
逆光に照らされて振り向いたスキンブルの横顔は、疲れてはいたが声の通り、上機嫌だった。立てないの?と小首を傾げながら手を差し伸べてくる。何となくどっと疲れた気がして、仕方なく、本当に仕方なくその手を取った。
「今日は一日ご苦労だったなあ。助かったぞ」
駅長がバシバシとマキャヴィティの肩を叩いた。またいつでも遊びに来いやぁ、と少し訛った発音で、駅長が言う。
「その内、また」
お邪魔します、は口の中で溶けてしまった。それでも駅長は満足げに笑い、それじゃあと駅舎へと入っていった。
 ゆっくりと列車が動き出す。ジジジ、と外灯が鳴いた。他にも降車した駅員や、乗客が三々五々散って行き、スキンブルがそれらの一人一人にお休みを言い終わるのを、ぼんやりと待つ。皓、と昇って行った月は、いつの間にか高くなって、雲間に紛れてしまっていた。ただ、薄明りと雲の端が明るくなっている箇所があり、そこから位置だけは推測できる。


 「今日は、ご苦労様」
「…お前も」
「うん。帰ろ。疲れたろう」
確かに酷く疲れていた。ただ、それが妙に心地よくも感じられた。何故か済し崩し的に手を繋いで、とぼとぼ連れ立って歩く。

 かららん、ころろん、とベルが鳴った。





20051014-17




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