ちょいエロ。
猫人間設定。毛並みは毛皮で皮膚から生えてます。






03:飛び越える




 4,5日前からプラトーの姿を見なかった。丁度、犯罪王マキャヴィティが出た日だ。彼がもしかしたら、犯罪王に殺されたのでは、なんてバカな心配はしない。プラトー、と名乗っているのは、紛れもなく犯罪王の仮の姿なのだと、僕は知っている。心配なのは、犯罪王が出た日、マンカストラップやランパスキャット達が、あと少しで彼を仕留められたのに、と悔しがっていたことだ。いつものことだと薄笑うには、彼らが浴びた返り血の量が多かった。その上僕は仕事で、彼の様子をすぐ見に行くことが出来ずにいた。
 プラトー、否、マキャヴィティの塒は、町外れのゴミ捨て場、それも焼却炉の直ぐ側にある。僕は列車を飛び降りると、駅と反対方向の町外れまで、一直線に走った。どうせまた、僕を小馬鹿にしたような顔で、何しに来たんだと罵られるに違いない、と自分に言い聞かせて。
 行儀悪く生け垣を跳び越え、路地から路地、屋根から屋根を伝う。外れのゴミ捨て場に近付くにつれて、胸の悪くなるような悪臭が空気に混じり出す。一日中境無く、濛々と吐き出される黒煙と、様々のゴミの臭いが、彼の体臭や、血臭を隠しているのだ。
 一見ゴミの山にしか見えない、堆く盛られた一角が、彼の塒だ。過度の運動に震える脚を叱咤して、僕は塒に近付いた。ここへ通う内に嗅ぎ慣れたツン、と鼻をつく汚臭の中に、吐き気を催す腐敗臭が混じる。
「――マキャヴィティ?」
恐る恐る暗がりに声を掛ける。近付けば近付く程、ゴミの汚臭は腐敗臭に取って代わられる。堪らず僕は、彼の許可もなく暗がりに身を投じた。



 息を飲む。彼は、いた。長く躯を伸ばし、薄汚い毛布を引いただけの塒の中に、横たわっていた。一瞬死んでいるのかとも思ったが、彼は薄く目を開け、ニッと笑った。目が暗がりに慣れてくると、丁度彼の胸の辺りが大きく抉れ、じくじくと悪臭を放ちながら、赤黒い内腑が脈打っているのが見えた。周囲の毛並みは血に塗れ、カリカリに乾いている。
「…よぅ」
掠れた声で、彼は言った。
「どうしたの」
彼に釣られて、僕も囁き声で彼に問うた。艶やかな金色の毛並みは血と泥に汚れて、ぱさぱさにくすんでいる。その毛並みを撫でながら、僕は彼の枕元に腰を下ろした。彼は、少しの声を出すのも億劫な様子だった。
「…傷が壊疽を起こした」
「すっごいくさい」
「腐ってるんだ、肉が」
少し話す毎に、彼は荒く胸を上下させる。頭の隅で、嫌な警報が鳴り響く。列車に乗っていて、事故やトラブルが起きる前に良く鳴る、あの音だ。
「治るんだろ。いつもみたいに」
急き込んで、僕が言うと、彼は薄く笑って首を微かに横に振った。
「どう、して。君、不死身だって言ってたじゃないか!俺は死ねないんだって!」
思わず大声を上げた。彼は煩そうに眉を顰めると、死にゃあしないさ、と嘯いた。
「ただこの躯は、もうお終いだ」
彼が肘を曲げ、僕に手を差し伸べる。僕はそれを掴みかかるようにして握り締めた。血の気のない、ドキリとする程冷たい手だった。尖った爪の間にも、血と泥が詰まっている。
「俺は、死なない。でも躯は死ぬ。所詮、容れ物に過ぎん」
「何で…」
僕は彼の乾いた唇や、頬で乾いている血を舐めながら、声を振り絞った。口の中に生臭い錆味が広がる。
「どうなるの。これから」
「どうもせん。新しい容れ物を探すまでだ」
ゴーンゴーンと近くの工場の作業音が、聞こえてくる。ゴォオオ、とトラックがゴミ捨て場のヤードに走り込んで来、ガサガサガサとゴミを落として、また去っていった。僕達は、暗闇の中で、それを聞くともなく聞いていた。
「もう、戻ってこないの」
「暫くは」
「どのくらい」
「そうさな。百年位」
彼は僕を試すように、微笑んで言う。そんなもの、戻ってくる内に入らない。彼の手を掴んだまま、僕は彼の指を無理矢理自分の指に絡めた。
「何でこんなことになるのさ」
「仕方ない。俺も、食わねば生きられん。この数百年、ずっと繰り返して、きたことだ」
「どうしても普通の食べ物では、駄目なのか」
「駄目だ。何回同じ説明をした?」
彼と深く付き合うようになってから、幾度となく交わした会話だった。信じられない様な話ではある。だが、僕はそれについて、彼が嘘を吐いているとは思わなかった。彼の不死は、ひとの生命を食って、保たれているのだと。
 彼の瞳の中を覗き込みながら、その時のことを、僕は思い出している。恐らく、彼も同じようにその時の記憶をなぞっているのだろう。彼が犯罪王マキャヴィティだと、僕に名を明かした、夜。僕らのような、人と猫の亜種が初めて造られた頃から、自分は生きているのだと彼は言った。



 「試作品みたいなものだからな。安定していないんだ。だからこそ、俺は躯を乗り換えることで、生き長らうことができる」



 その時の彼の声が、耳の奥で谺する。つと彼が悪戯めいた視線を僕に当てた。悪企み、をしている顔だ。
「どうせもう、この躯も長くは保たない。でも最後に一回くらいなら、保つだろう」
「…何を、言ってるんだ」
「いつもやらせろやらせろと、煩かったじゃないか。それとも、こんな半分腐った躯では勃たないか」
ぺろりと、彼は挑戦的に自分の唇を舐めた。
「まだ、腹から下は無事だ」
ひょい、と長い脚を片方動かし、開く。挑戦的、なんてものではない。最早挑発しているに等しい。彼の言うとおり、下腹の辺りは薄汚れては居ても、綺麗な毛並みを見せていた。無言で、彼の足許に移動する。彼の引屈を手繰り、脚の間に躯を進めた。
「途中でやっぱり駄目とか痛いとか言っても、僕は止めないぞ」
「好きにしろ」
「感覚とか、まだ残ってるの」
「少し」
試しに内股を抓ってみた。痛みはもう感じないのだと、独り言のように彼が呟く。触れられている感覚はあるらしかった。ならば、余計な前戯は不要だろう。僕は彼の躯を物のように動かした。自重を支えるだけの力が入らないのか、嫌がらせか、彼の脚はバカみたいに重たい。必要なだけ脚を開かせると、僕は彼の脚の間に顔を埋めた。毛並みに隠れた性器をまさぐりだし、口に含む。汚れた毛並みに籠もった彼の饐えた体臭に欲情する。彼の性器は、僕の口の中で直ぐに勃起した。
「っは。まだ勃つじゃないか」
「死に際が一番硬く勃起するらしいな」
僕の茶々に、彼は平坦に応えた。何度目の死に際だよ、と言い返すと、やっと少し笑う。がっしりとしていた彼の太腿が、急速に衰えているのに気付いて、僕は思わずその部分にしゃぶりついた。張り切っていた筋肉は、まるでバターが溶け出したように外側から緩んでいる。弛んだ皮膚を唇で挟むと、奥の筋肉がクッと緊張するのが解った。
「本当に、もう駄目なんだね。この躯」
「何だ。信じてなかったのか」
「信じていなかったんじゃなくて。何というか、実感が」
太腿から膝、脹ら脛と手でさすり、口を付ける。
「何か感傷的になっちゃうな」
「所詮容れ物だぞ。この躯は、俺の本質とは無関係だ」
そう言われることは想像していたが、剰りにも想像通りのことを言われて、僕は苦笑した。あちこち彼の躯に触れ、最後に彼の下腹部に顔を擦り付けて、囁く。
「それでも、今のこの君の姿を憶えてたいんだよ」
全部。好きにしろって言ったでしょう。そう言う僕を、彼は、どこまでも興味深げに見つめていた。彼にとっては僕との事など、数百年の内のほんの一過に過ぎないのだろう。だが、決して無意味ではなかった筈だ。
「僕は、君にとってどういう意味があったのかな。マキャヴィティ」
彼に自身を埋め込みながら、僕は独り語ちた。返事を要する疑問ではないと、彼も感じているのか、頓着すらしていないのかは解らなかった。傍目には非常に冷静に、状況を観察しているようでもあり、もはや息絶えているかのようにも見える。彼の視線はじっと僕に向けられている。彼が僕に正体を明かした日、僕を殺そうかどうか、考えている時に見たのと、同じ視線だ。
「まるで、死体を相手に、やってるみたいだ」
「贅沢言うな。やらせてやってるだけ、有りがたいと思え莫迦」
「そうだね」
 殆ど無言で僕は昇り詰め、彼は最後までいかなかった。




 もう一回出来ないかと聞いたら、彼は大いに呆れたようだった。それでも即断ではなく、少し考える素振りをしてから、無理だと言った。
「君がこの躯を捨てるまで、側にいて良い?」
「もう留まる理由もなくなったから、直ぐにでも捨てるぞ」
徐々に浅く細くなっていく胸の上下を見下ろしながら、僕は意外な返答に驚いた。
「それって僕が来るのを待ってたの?」
「まあそういうことだ。頼みたいことがあったからな」
「来るかどうかも解らないのに。そんなに最後に抱かれたかったの」
「阿呆か。俺が死んだら、この塒に火を付けろと頼みたかったんだ」
後はついでだ。と彼は目を細めて僕を睨んだ。
 ここへ到着した頃は高かった陽も、だいぶんと暮れたようだった。塒の入り口から差し込んでいた光が、弱々しく影に融けかかっている。僕は改めて彼の胸の傷口をまじまじと見た。
「次の躯さ、何処で探すの」
「さあな」
「僕の躯じゃ駄目?」
何を言うんだ、と言うような視線が向く。僕は彼に覆い被さるように、彼の両肩際に手を突いた。
「僕の躯、やるよ。君に」
「…莫迦言え。それはお前が死ぬって事だぞ」
「良いって言ったら?」
暗闇の中で、彼の瞳が光る。
「…駄目だ。年を食いすぎてる」
「君に言われたかないな。大年増のジジィの癖に」
もはや表情を刻む気はないと、真一文字に結ばれていた口が、仄かに緩んだ。僕はその口に接吻けて、言葉を継いだ。
「次の君の居場所も教えてくれない。僕の躯も駄目って言うのか」
「…知ってどうする。どうせこの町を離れられない癖に」
「そんなに遠くに?」
「判らん。誰の躯でも良いと言う訳じゃないんだ」
彼の手が、ゆらりと動いた。冷たい感触が頬に触れる。かさついた硬い指先だ。蝋細工のようにもう血の気も無かった。その指先を握り締め、僕は急き込んだ。彼は薄く眼を閉じようとしていた。
「この町を捨てると誓えば、教えてくれる?だったら僕は、捨てるよ」
「…莫迦、が。そんなこと、誓われても、教えん」
うつらうつらと、微睡むような口振りの彼を、僕は怒鳴りつけた。
「ならどうしたらいい?どうしたら側にいさせてくれる!誰か殺しでもすればいいのか!」
彼は莫迦が、と再び呟いてゆるゆると目蓋を下ろした。
「ちょっとマキャ!!」
胸ぐらを掴もうとした時、彼はもう一度眼を開いた。半ば濁り始めた彼の金と赫の視線を、僕は真っ向から睨み付ける。口許は、相変わらず薄い笑みを湛えていた。単に、もう動かせないだけかも知れなかったが。
「一つだけ、手掛かり、を送ってやる。側に、いたいなら、俺を、…捜せ」
「マキャ…」
返事は返ってこなかった。胸の上下も止まっている。僅かに残っていた体温が急速に失われていくのを感じる。半眼を開いたままの目蓋を、僕は掌で閉じてやった。汚れた顔だけでも綺麗にしてやろうと、舌を這わせる。そうやって彼の、僕が初めて出会った彼の形を、憶えておこうと思った。




 燐寸に懐中時計、ペンにメモに時刻表にハンケチ。それが僕の仕事道具の全てだ。ふすぶすと音を立てて、マキャヴィティの躯と、彼の塒が燃える。落ちて来た夜の闇の中に、雑多なゴミが出す様々の色の炎が互い違いに燃え立とうとするのを、僕は少し離れた物陰に腰掛けて、ぼんやりと眺めた。せめて彼の「抜け殻」が燃え尽きるまでは、人間達に見つからなければいいのだが。そう、それに群れの連中には何と説明したものか。気のいい仲間であった、プラトーの失踪を。彼を捜す手掛かりって言ったって一体いつ頃、どんな手掛かりを送ってくるつもりなのか。色々なことが一挙に頭の中を過ぎり、何時か囂々と燃え広がる炎の色が、全てを舐め尽くして火の色一色に染まる。
 そして気付いた。僕がもう、戻りようのない一線を、飛び越えてしまったことを。必ず見つけるよ。夜空を突き上げるような炎に、僕は小さく呟いた。




20060414




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