元彼
09:笑顔が見たいから
ぼんやりと濁った冬の陽射しが、公園の芝生を柔らかく温めていた。他の季節よりも水気を失って、多少かさかさとした肌触りだったが、それでも冷たい石段やスレート屋根の上で眠るよりかはマシだ。幸い、近くには猫と見ると寄ってきて触りたがる小煩い人間共もいない。
うってつけの休息場所に、マキャヴィティは早速長々と身体を伸ばした。猫の中でも大柄な、しかも目立つ真鍮色の毛並みだが、どんな余所者や追っ手がこの場所でマキャヴィティを見つけるかもしれない、と思い至らないのは、犯罪王としての自負と自信があるからだ。襲名して数年。漸く重たい看板に中身が耐えられるようになったかなと、ささやかな、満足感もある。実際世間における犯罪王の毛並みは血の赤と信じられているし、この毛並みの姿の時は、プラトーという別名で通している。何も心配することはない。
夜通し隣町で暴れ倒してきたので、日が昇ると同時に身体が怠さを訴えた。しかし生憎冬の朝はどこもかしこも寒すぎたし、おまけに神経が高ぶったままで眠るどころではない。仕方なく、くたびれた綿のような身体に反して、爛々と冴え渡った神経を宥めながら、日が照って空気が暖まるのを今か今かと待っていたのだった。
そして午前も十時を回った頃――。ん、ん、と伸びをし、白い腹を天に向けた大胆にもだらしない格好で、マキャヴィティはうとうとと心地好い睡魔に身を任せた。
久しぶりの教会へ行くと、眉間に皺を寄せたマンカストラップに遭遇した。こういうマンカストラップは、決して珍しくはないのだが、スキンブルを見てますます眉間の皺を深くしたのは珍しいことだった。
「久しぶり…だけど。僕、何かしでかしていった?」
先手を打って訊ねると、マンカストラップは慌てて違う違うと首を振った。
「一寸厄介な問題なんだ。実はな…」
所々口籠もるマンカストラップから事情を聞き、スキンブルもまた、眉間に皺を寄せた。
「何それ。…凄くやばいんじゃないの」
厭な気分になる。無意識に腕やら背中の毛並みを逆毛立ててしまう。ひくひくと耳が動く。
「うん、まあ、そう言うことだから、その、暫く気をつけてくれ」
マンカストラップは若干頬を赤らめて、頷いた。
「解った。他の連中にも会ったら言っておく」
「頼む…」
純情なマンカストラップが、そんなことを皆に触れて回るのは拷問に等しいのだろう。教会の正面玄関から、よろよろと出て行った後ろ姿に、スキンブルは深い同情を覚えた。
「それにしても、ひどいやつらだなあ」
雄として、とても許せることではない。スキンブル自身は首輪もしているから、そうそうその様な事態に陥ることはないだろうが、首輪をしていない野良達は、うっかりすると一生を左右されることになる。
「僕らには、僕らのやり方があるんだから、放っといてよね。全く」
今日は教会でゆっくりするつもりだったのだが、流石にあんな話を聞いたのではじっとしている気になれなかった。何処を回ろうか、と頭の中で仲間達のいそうな場所をピックアップしながら、ひーどいやッつらッはみッな殺しッーと出鱈目に朗と歌いつつ、スキンブルはやって来たばかりの教会を出た。
冬の日没は早い。夏場ならばまだ燦々と日の照っている午後の遅いお茶の時間頃、スキンブルは薄暗闇に佇む一匹を見つけた。黄昏時にも見紛うことのない、派手な金色の馬鹿猫、もといデカ猫。太平楽を仏頂面で楽しむこの猫の中身が、かの犯罪王だなんて一体誰が思うのだろう。そんなことを考えながら、
「マキャヴィティ!」
そっと近寄って、後ろから呼び付けると、びくりとその背中が逆立った。いつもなら半径二ヤードの辺りでぐりんと振り返り、「明るい場所でその名を呼ぶな」と睨み付けてくるのだが、今日はどうも勝手が違うようだった。
びくびくと怯えるようにゆっくりと振り返り、スキンブルの姿を見つけると、今一番会いたくない奴に会ったと言わんばかりに、マキャヴィティは顔を顰めた。
「一寸一寸。そんなあからさまに嫌がらなくても良いでしょう。気の悪い」
会えば罵詈雑言の応酬ばかりとは言え、曾ては浅からぬ関係もあったのにそこまで嫌わなくったって、とも思う。しかしそんなことよりも、これまでに見たことのないマキャヴィティの様子を、スキンブルは訝しんだ。
「…どうしたの?何かあった?」
仮にも犯罪王にそれはないだろう、とは思ったが、スキンブルの指摘を肯定するように、マキャヴィティは視線を彷徨わせた。
「変なマキャ。あ、そうだ、知ってる?この辺今保健所の連中がうろうろしてて、野良猫を去勢して回ってるから気をつけろって、マンカストラップが」
「保健所が?」
「そ。時々やってるでしょ。失礼しちゃうよねえ。まあ、人間にとったら僕らなんてタダの小汚い野良猫なんだろうけど、さ…?マキャ?」
「…なんだ」
いつの間にやら、蒼褪めを通り越して、頬が土気色になっている。つんと吊った切れ長の目は、きんと見開かれ、左右色違いの瞳を乾いた空気に触れさせていた。
「尻尾が震えてるよ。手も」
「さ、寒いだけだ」
微かに笑みの形に歪んだ口許も、ぴくぴくと小刻みに痙攣している。スキンブルは二匹の間で保っていたある程度の距離を、思い切って一足に縮めた。信じられないことに、わっと悲鳴を上げて、マキャヴィティが尻餅をつき、後退さる。その拍子に丸まって隠されていた腹部が顕わになり、微かな血臭と、ツンとした消毒液の臭いを撒き散らした。
常に追われる身の上故か、いつもあまり体臭をさせないでいるのが逆に仇になったような塩梅で、その血の臭いの出所までがスキンブルには一瞬で解ってしまった。
「一寸待て!脚開いて!」
思わず怒鳴りながら、無様に逃げまどうマキャヴィティのしっかりした足首を掴むと、容赦なく左右に広げ、股間を覗き込んだ。普段毛並みの中に隠れている雄の証――が収まる場所に、一筋の刃物の痕が残っていた。
「あ――、あ…」
声にならない声が上がる。顔を上げると、薄闇の中でもはっきりと解るほど、顔を紅潮させ、屈辱に歪ませたマキャヴィティと目があった。
瞬間。
「ヒッ!ブァッハハハハハハハハハ!」
腹の底から笑いが弾けた。
丸い小山のような身体に顔を埋め、幾ら呼んでも顔を上げようとしないマキャヴィティの傍らで、スキンブルはまだ時々ぶり返して込み上げる笑いを噛み殺しながら、憐れな犯罪王をどうするべきか考え倦ねていた。
まさか。まさか犯罪王が、寝てる間に人間にとっ捕まって去勢だなんて。何の冗談なのだろうと思う。猫の去勢は、別に性器自体を切り落とすのではない。中国人と親しいギルバートが、昔の中国には玉も竿も切り落とした宦官と言う家来が居たのだと言っていたことはあるが、猫のやたらな繁殖を防ぐ為のそれは、玉袋を横一筋に切り裂き、中の睾丸を摘み出すのみである。性器自体はそのまま、袋も形は残し交尾は可能だが、身体のバランスは大きく崩れる。
去勢された連中は、皆概ね大人しくなる。食い気が張り、ぶくぶくと太り出す。バストファージョーンズが良い例だ。彼のような、元々飼われている連中はそれでも良いが、野良ならば自分の食い扶持を自分で賄いきれなくなり、やがては食い物欲しさで人間にべったりと媚を売るようになる。野良としてこんなに惨めな、屈辱なことはない。それが実体はどうあれ、自称、誇り高き犯罪王ならば尚更なのだろう。流石に少し可哀想になる。
ぽん、ぽんと背中を叩いて慰めながら、スキンブルはどんよりと黒く曇った夜空を見上げた。星一つ無い見事な曇り空だ。ご丁寧に気温は徐々に低下している。顔を隠しているマキャヴィティを下から覗き込んで、スキンブルは小声で促した。
「落ち込むのは良いけどさ、場所変えようよ。傷にも障るし」
「…どこへ」
暗い声が背中越しに反ってきた。顔を上げる気には、まだならないらしい。移動を促したが、さりとてスキンブルも当てがあるわけではない。一番近くて無難なのは教会だが、言えば嫌がるのは目に見えている。が。
「ま、いっか。ほら、立って。行こう」
放っておくと、一晩でもそこで蹲ってそうなマキャヴィティの腕を掴んで引っ張り上げ、スキンブルはずるずると引きずって歩いた。
失敗だったかもしれない、という思いが頭を過ぎったが、まあ所詮は他人事とスキンブルは暖炉の前に陣取って、緩く笑んだ。長老やマンカストラップやシラバブが身を寄せる教会の、少し耳が遠い牧師の私室は、常に様々な猫たちに占領されている。部屋の中にはふかふかの毛布が幾つも転がっているし、水も、食べ物も常に用意されている。そして赤々と燃える暖かな暖炉が何よりも猫たちを引きつける。
部屋の中の毛布の一つに頭を突っ込んで、先からタガーが呼吸困難に陥っていた。勿論持病などではなく、単なる笑いすぎである。犯罪王であると言うことを知らないにしても、群れで一、二を争う巨躯を持ち、普段は近寄り難いような雰囲気を敢えて造り込んでいる「プラトー」の、思いも掛けない災難話に、長老は目を丸くし、マンカストラップは眉を顰めて額を押さえ、タガーは最初こそ自分の股間を押さえて痛そうな顔をしたが、直ぐに笑い出してしまった。コトがコトだけに、シラバブとジェミマをジェニーおばさんの所へ送り出しておいて良かった、と思う。
眉間に深い皺を寄せ、唇を噛みながら顔を紅潮させて黙り込んでいるマキャヴィティ――ここではプラトーか――が、徐ろにタガーの頭を拳固で殴り付けたのも、諾なるかな、と言うところだ。スキンブルはゴツ、と鈍く低い音のした方を一瞥し、マンカストラップと長老に向き直った。
「ええと。その、そう言うわけで暫く彼の面倒見て貰って良い?」
「それは構わん。幾らだっていてくれて良いんだ」
タガーを部屋の隅に追い詰めてゴツンゴツンと絶え間なく音をさせているプラトーを、痛ましそうに見遣り、同情に堪えない、と言う素振りで首を振る。ゴッツン、と一際大きな音をさせると、どこかスッキリした表情でプラトーが顔を上げた。
スキンブルとマンカストラップ、更には長老の、計六つの目にそれぞれの色で注視され、表面上は常の冷静を取り戻したようについとそっぽを向いた。しかし覇気無く床の埃を浚う尻尾の先端を見れば、その内心は容易に窺い知れる。ふん、と短く鼻から息を吐き、スキンブルは未だ悲劇の渦中人に見とれているリーダーに囁いた。
「あのさ」
「ああ?」
「今日は僕も泊まってくから」
「構わんが?」
きょとん、とマンカストラップが首を傾げた。何故声を落とすんだ、とでも言いたげだ。一層声を落として、スキンブルはひそひそと耳打ちした。
「本人に言うと嫌がるから、黙っててくれる?」
「……」
OK、とマンカストラップが指で返事をする。先程から興味深げに成り行きを見守っていた長老が、ファッファッファ、と空気の抜けた風船のように、小さく笑った。釣られたように、もう一つの笑い声がぐふぐふと響き、部屋の隅で、ゴツンの第二ラウンドが始まった。
牧師の部屋から毛布を一枚借りだし、普段使われていない物置に即席の塒を作ると、スキンブルはやれやれとそこに寝転がった。人の気配も火の気もなく、部屋は足の裏が痺れるほど冷え切っている。窓を見上げると、夕方の曇り空が嘘のように、ほろほろと明るかった。雪が降り出していた。
「道理で寒いわけだ」
早いところ、熱源を呼びに行こう。落ち着き始めていた身体を起こし、廊下に出ると、熱源は自ら歩いて近付いていた。感情の移ろいが激しい犯罪王にしては珍しく、虚ろに抜け落ちたような表情をしていたが、スキンブルの姿を認めると、忽ち顔を歪めた。結構立ち直り早いンじゃないかと内心で呟き、よう、と片手を挙げて呼び止める。
「帰ったんじゃなかったのか」
「今夜だけは側に居てやろうかと思って」
「余計なお世話だ。帰れ」
鬱陶しそうに振る手を掴まえ、教会へやって来たときのようにずるずると物置の中へ引きずり込む。
「嫌だね。折角寝床も作ってやったのに。それにこの雪の中、一人で外へ出ろっての?バカ言うんじゃないよ全く」
重たい扉を閉じると、部屋の中の空気がぼわんと撓んだ。様々な物が置かれ、白く厚い布で全て覆われた室内は、外の明かりを受けて暗闇の中に仄かに浮かび上がって見える。その中でも一際大きな机と思しき物体の傍らに、スキンブルは寝床を設えていた。口先でブツブツと文句を垂れながらも、実際に反抗する気力はまだ戻っていないのか、マキャヴィティはすごすごとその寝床に収まり、ころりと横になった。
無防備に喉や腹を晒して脱力する姿は、それまでのどの姿よりも哀れっぽく、スキンブルの胸を掻き毟る。こういう姿を見るのは、どんな罵倒を受けるよりも居たたまれなかった。ずかずかと、故意に足音荒く近寄ると、朝靄に煙った鉄道の信号機のような目玉がスキンブルを見上げる。その目を避けて、スキンブルはするりとマキャヴィティの隣に潜り込んだ。
「久しぶりだね。いつ以来かな、一緒に寝るのは」
「くっつくな。…もう関係ないんだから」
言いながらも、自分から避ける気配はない。一切の力が抜けた、死体のような身体を、自分が寝易いようにあっちへやりこっちへやり動かしながら、スキンブルはまあまあとお座なりにマキャヴィティを宥めた。横臥し、マキャヴィティの首の下に自らの腕を枕として差し出す代わりに、冷えた爪先をマキャヴィティの両脚の間に差し入れ、暖を取る。互いの息が鼻先に掛かるくらい近付いて、スキンブルは改めて目の前に迫る青白い顔を眺めた。
目尻からこめかみにかけて、短く薄らと、濡れたような跡を見つける。その部分を指先でなぞっても、マキャヴィティは静かに瞼を閉じるばかりだった。
「口ほどにもない奴だと思ってるだろ」
「思わないよ。泣いてもどうにもならないけど、それでも泣くしかない時もあるよ」
「俺でもか」
「君でもだ」
慎重な細い溜息が、薄く開いた脣の間から漏れ出た。息を吐ききってしまうと、マキャヴィティがゆっくり瞼を開く。現れた瞳の表面は、もう乾いていた。
沈黙の合間にぼそぼそと二言三言、他愛ない言葉を交わしては黙り込むことを繰り返し、気が付くと朝になっていた。スキンブルが腕枕を引き抜いて起き上がっても、マキャヴィティが目覚める気配はない。昏々と、静かな寝息を立てて眠っている目許に、軽い接吻けを落とすと、スキンブルは教会を後にした。
一週間経ち二週間が経ち、一ト月経っても、抜け殻のようだとマンカストラップが嘆く。
「毎日飯食って、残りの時間は寝てるかボーッとしているかで、見ていられん」
教会の窓枠に背を預け、警戒心の欠片もなく腹を丸出しにして惚けているマキャヴィティを見遣って、スキンブルはマンカストラップの訴えにさもあろうと頷く。
「何とか慰めてやってくれ」
アイツには、お前しか頼れる奴がいないんだと言う、マンカストラップの誤解に基づいた発言を、訂正どころか判っていると断じて増長させ、スキンブルは笑いを噛み殺した。目顔で席を外すように指示し、マンカストラップが訳知り顔で頷いて扉の隙間から退室したのを確認すると、故意に跫音高くマキャヴィティの傍らへ近付いた。
「まだ落ち込んでるの?」
跫音と気配で気付いていただろうに、マキャヴィティはちらりともスキンブルの方を見ず、ただ一言、別にと呟く。ほんとかい、と自分も窓枠に飛び乗って顔を覗き込むと、漸く面倒臭そうにマキャヴィティがスキンブルの顔を見上げた。
「何もしたくない。それだけだ」
狭い窓枠の上には留まり難かったので、マキャヴィティの白い腹をよっこらせと跨いで座り、スキンブルは首を傾げた。以前なら即座に叩き落とされる筈の狼藉だったが、マキャヴィティは無感動にまた窓の外に目を遣った。
「暴れる気も起きない。と言って犯罪王の力を継ぐ子も作れん。俺はもう無価値だ。他に出来ることもない」
なるほど、これは重傷だ。スキンブルは独り語ちた。完全に惚けている。なまじ「犯罪王」という名跡を持ち、斯く在るべしとその名で己を支えていたせいで、尚一層のこと傷が深いようだった。
「親父にも先祖にも申し訳ないし、居ても仕方ないから死のうかと思ったんだが、それも出来ん」
小さく肩を竦め、如何にも情け無さそうに首を振るマキャヴィティを見ながら、ほんの一ト月でこうまで性格が変わるものかとスキンブルは瞠目した。
よくよく見れば、頬や顎の輪郭がふっくらとしてきているし、腹も、曾ては石畳かと思う程硬かったものだが、今は尻の下にして座り心地が良い――つまりは緩やかに筋肉が贅肉化しているのだと言うことが判る。腕や肩も円くなっているような気がした。身体が円くなると、性格も円くなるのだろうか。いやそんなわけは。じりじりと次ぎに打つ一手を考えながら、スキンブルはそろりとマキャヴィティの頬に手を伸ばした。
痩けていた頬は、淡雪が積もったようにふくよかになり、仄かに柔らかくあたたかい。抱き付くようにべったりと身体を擦り付ける。抵抗はない。福々しくふっくらとした身体は、春の日向に置きっ放しにしたクッションのように思われた。特に面積と体積を増やした腹部に手をやると、柔らかくすべすべした触り心地がたまらない。毛並みに添って何度も撫で下ろしながら、そろりと見上げると、険の取れた柔和な表情が呆れ顔で見下ろしていた。
「怒らないんだ?」
「怒ると腹が減るだろ」
神妙な顔付きで、元犯罪王は至極真面目に宣った。
「それより、何をしてるんだ、お前は」
「いやあ、えらく触り心地が良くなったなあって。天日干しした毛布かクッションみたいだ」
ああ、と複雑な面持ちで、マキャヴィティが声をあげる。
「それで、ガキ共がやたらに乗りに来るのか」
「…僕も時々乗りに来て良い?」
ふか、ふかと腹の肉を揉みながら冗談のつもりでスキンブルが言うと、あっさり好きにすれば良いと返ってきた。一瞬何を言われたか理解できず、理解してからは限界まで目を見開いて、目を擦って、ついでに頬を抓ってみる。痛い。夢ではないようだった。
そのスキンブルの様子を一頻り可笑しげに眺めた後、犯罪王は――曾ての犯罪王は、悪戯が成功した子供のように、目を細めて本当に笑った。そして言う。
「好きにしても良いが、俺もいつでも乗せるとは言ってないからな」
「え――あぁ――うん?」
「解ったら、退けッ」
「え――あぁああッ」
くるり――、とスキンブルの視界がひっくり返った。辛うじて身体を捻り、床の上に着地する。いきなり振り落とすなんて、と抗議しようと顔を上げた途端、その横をつむじ風のようにシラバブが駆け抜け、カスタード色の身体がぽーんとまりの様に飛び跳ねて、綺麗にマキャヴィティの腹の上に乗り上げた。
ちらり、とマキャヴィティが、床下のスキンブルを一瞥する。眉を顰めて、スキンブルは精一杯の抗議の意を送ってやったが、マキャヴィティは肩を竦めるだけで、元の方へ向き直ってしまった。代わりに、シラバブがマキャヴィティにしがみつきながら、ひょこりと顔を出す。
「こんにちわ!スキンブル」
「こんにちわ、シラバブ。そんなところで、何を?」
「プラトーのお腹ね、すっごくふかふかで気持ちいいの。だからお昼寝はここ!」
くつくつと幸せそうに笑いながら、シラバブはマキャヴィティの腹へ何度も何度も頬を擦り付けている。成る程、そう言うことかとスキンブルは嘆息した。
「じゃあ、お昼寝の邪魔にならないよう、僕は行くよ。お休みシラバブ」
「お休みなさい、スキンブル。またバブとも遊んでね!」
「勿論。じゃあね、バブ、マ…じゃないや、プラトー」
ばいばーい、と手を振るシラバブの向こうで、ちらりと無愛想な片手と、尻尾が上がる。けれど、それだけでも随分な変わり様だと内心で呟き、もそもそと尻の辺りが落ち着かない気持ちを抱えながら、スキンブルは教会を後にした。
薄暗く灰色の冬の陽射しが、教会の窓越しに柔らかく射し込んでいた。本来ならば鉢植えが置かれるような狭い窓際のスペースを埋めるように寝転び、窓枠を枕に、仄かな温みを感じる。それは腹の上ですやすやと寝息を立てる仔猫の体温であり、窓越しに降り注ぐ淡い陽光のためでもある。
柔らかく、それでいて弾力の残る腹の上、と言ううってつけの寝床に、仔猫は長々と身体を伸ばしている。あまりの無防備さに、つい悪戯に爪先を頬に当ててみたりもするが、最終的にはともすれば自ら頬を擦り付けようとする仔猫に、慌てて爪を仕舞う無様さである。
意図せず手を加えられ、生態を変えられた身体はまだ、幾らかの怠さを訴える。しかし邪険に追い払うには、仔猫の笑顔は酷くマキャヴィティの胸を打つのだった。どうかしていると思いつつも、あの小煩いのまでが自分の腹の上で、これまで見たことがないような幸せそうな間抜け面を晒して居るのを見て、思わず自分も釣られそうになったのだから、どうしようもない。自分の外形だけでない変質を、渋々ながら認めざるを得ない。その上に、元々の欲しいものは何としてでも手に入れたい、と言う欲求も身体の落ち着きと共に頭を擡げてきていて、マキャヴィティとしては悩ましい限りだ。
自分の腹の上に乗っかった幸せそうなあの顔を、もう一度見たいと思う。しかしそれは自分には相応しくないとも思い、しかし、やはり見たいのだ。
そして堂々巡りにもならない明らかな自身の矛盾について、考えるのに疲れた頃、マキャヴィティもまた、すうすうと温かな眠りに浚われていったのだった。
終
デブマキャ!デブマキャ!
20071002
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