番外的に友情すら未満編。
ヴィクプラ版のプラの過去話。






14:フィッシュアンドチップス




 「あれ?プラトー?プラトーでしょ」
雑踏の中を駅に向かって歩いている最中、見覚えのある黄色い頭を見つけ、僕は思わず呼びかけた。大都市ロンドンのど真ん中で見知った顔と出会うのは、そうあることではない。つい嬉しくなって呼びかけたのだが、
「残念だが人違いだ」
声をかけられた方は、無愛想にそう言い、振り向きもしない。流石にムッと来て、後ろから肩に手を掛けると、ぐるりと半回転させた。ギョッとしたような顔を覗き込んで、笑う。
「ほら、やっぱりプラトー」
パシリと、肩に乗せていた僕の手を払いのけ、彼は渋々といった態で口を開いた。
「煩いな。何の用だ」
「別に用はないけど、折角ここで会ったが百年目なんだし、晩飯兼ねて飲みに行かないか」
にこにこと笑みを浮かべて誘う僕を、彼がじっと睨め付けた。彼とは、実は精々顔と名前が一致する程度の面識しかない。ホームタウン以外の町で顔を合わせたからと言って、飲みに行くような仲ではないのだが、だったら今日を機会に飲みに行ってもいーんでないかい、というのが僕の主義なのだ。
 しかし、端正な強面は、思い切り不快そうに歪み、肩を聳やかした。
「悪いが、お前達の仲良しごっこに混じる気はない。他を当たれ」
喧嘩腰の返事の上に踵を返して、彼が僕の横をすり抜けようと歩き出した瞬間。僕は反射的にガッシと腕を掴んだ。
「おい、」
よもや僕に、そんな力があるとは思わなかったのだろう。微かに狼狽の色を滲ませた彼に、莞爾と笑って上目遣いに見上げた。
「そんな突っ慳貪に断らなくて良いだろ。わざわざそんな角の立つ言い方されたら、こっちも意地を張りたくなる」
「…何が目的だ」
「だから、晩飯でもどうって?一杯やりながらさ」
警戒心も露わな彼の腕を強引に引っ張って、僕は向かう先を、駅から近くの繁華街へと変更した。
「解った。解ったから手を放せ」
漸く諦めを付けたのか、うんざりした様子で彼は、繋がっている腕を持ち上げた。



 ここでいい?と尋ねた時には既に入り口のドアを開き、半身を滑り込ませていたが、彼も特に異論はないようで、もう渋面も作ってはいなかった。ただひたすらにつまらなそうではあったが。
 僕が選んだ店は、所謂下町の、ワーキングクラスの多い立ち飲み屋で、スーツ姿の彼に一寸した当て付けのつもりで連れて来たのだが、相当に浮いている当の本人は全く気にならないようだった。店内は既に5割の入りだが、数個しかないテーブル席が幸いにも空いていたので、これ以上目立って僕まで酔っ払いのオジサンに絡まれては適わない、と薄暗い階段の真下の席を選んだ。
 直ぐに注文を取りに来たウェイターに、ビールとフィッシュアンドチップス、マッシュルームのポタージュを注文する。彼は、今頃自分の入った店が物珍しくなったのか、店内の喧噪を不思議そうに見渡していた。
「周りが煩い?今日はやってないけど、フットボールの試合が有る時は、もっと凄いよ」
「ふうん」
フットボールは好き?と訊こうとすると、ウェイターが注文した品を一気に持ってきたので、代金と、チップを多めに弾んで渡してやる。自分の分は自分で払うと言い張る彼を抑えて、僕はビールのジョッキを手に取った。
「まあまあ、まずは乾杯」
「何にだ」
「僕達の今日の日の偶然の出会いに」
げんなりした顔で、しかし律儀にビールジョッキをカチンと触れ合わせて乾杯する彼に、僕は少し気を良くする。ごくごくと喉を鳴らしてビールを傾けると、呆気に取られたように彼が片眉を上げた。彼はごく上品に、少しずつ流し込んでいる。
「ビール、嫌い?」
「いや、嫌いじゃないが」
 俺は先にこっちが良い、とまだ湯気の立つフィッシュフライをフォークでつつき始めた。ビネガーをじゃぶじゃぶと振って、艶々した白身を口に運ぶ。ツンとしたホワイトビネガーの匂いが鼻を刺激する。余程腹が減っていたのか、彼は半分程を食べ終わるまで、黙々とフォークとスプーンを交互に口に運び続けた。子供のように食い物をせっせと口に詰め込むその様子があまりにも不似合いで可笑しく、僕がじっと彼を眺めていると、流石に決まり悪げにフォークを皿に置いた。
「もう良いの?良かったら僕の分もどうぞって思ってたんだけど」
「そうじろじろ見られたら食べ難い」
「それはごめんね。意外な食べ方するから面白くって、つい」
「煩いな。今日は忙しくて、昼を食いそびれたんだ」
彼は漸くビールのジョッキを大きく傾け、フゥと息を吐いた。成る程。やたらに突っ慳貪だったのは、腹が減っていたからか。
 「仕事、何してるか訊いて良い?」
少し躊躇うように、彼は視線を逸らせた。だがそのままぼそりと「株の仲買屋」だと呟くように言う。
「まだ見習いだがな」
「でももう長いんじゃないの?」
「いや、こっちに来てからだから、まだ1年も経っていない」
「その前は?」
今度こそ言い難そうに、彼は眉を顰めた。
「言いたくないなら…」
「別に。学生だ」
 がくせい?一瞬何を言われたのか、解らなかった。ただ、がくせい、と口の中で呟いて、漸くがくせいが学生だと行き当たる。よもや楽聖ではあるまい。成る程、と彼が口籠もった理由がわかった。基礎教育の後も学校に残ったり、進学したりするのは、僕らの種にしては非常に珍しいことだ。それをとやかく言われるのが嫌なのだろう。僕はふーんと頷いて、話題を変えることにした。
「フットボールは好き?」
「別に」
身も蓋もない。それじゃあ会話が続かないよと苦笑すると、流石に彼も苦笑った。からりと揚がったキツネ色の塊に、僕も漸く手をつける。フォークの背で少し押し潰してから食べるのが、僕のやり方だ。ビネガーと塩を少しずつ振りかけて口に運ぶと、熱くてほくほくした白身から、口の中一杯にじわりと滋味が広がる。
 「口に合った?」
「美味い」
彼はそう言って、人心地付いたように表情を和らげた。そんな顔も出来るのか、と僕は内心で少し驚く。持ち上げたビールをごく、ごくとゆっくり飲み、ますます幸せそうに見える。しかしまじまじと見る僕の視線に気付いて、彼は嫌そうに顔を顰めた。
「何だ。さっきから、じろじろと」
「美味しそうに食べてくれてるから、連れて来て良かったなあって」
「…それはどうも」
言いながら彼は、とうとうぺろりと大きな魚のフライ一匹を平らげ、今度は付け合わせのポテトを摘み始めた。
 「余程お腹減ってたんだね。仕事、いつも忙しいの?」
「……まあな」
応えまでに僅かの間があった。彼は口の中にモノが入っているから話せない、と言うような素振りで、大仰にポテトを咀嚼していたが、仕事、で何かあったらしいのは明らかだった。額の辺りが僅かばかり翳っている。少々悪趣味かなとは思ったが、一体全体客商売に向かないような彼が、どんな仕事ぶりをしているのか、僕は大いに興味をそそられていた。
「もしかしてさ、お客さんに大損させたとか?」
「まさか。まだ自分の客なんか持たせて貰えない。見習いだって言っただろ」
 茶化すように彼は言ったけれど、僕は、その言葉に、否、声音に大変聞き覚えがあった。
「そっか。そうだね。見習いのうちは大変だもんね。解るよ」
不信感をたっぷりと滲ませた目で、プラトーが僕を睨む。まるで昔の僕を見ているようで、僕は何だか嬉しくなった。
「今でこそ赤字路線のテコ入れ要員で、アイドルだなんだって重宝されてるけどさ、僕だって最初から好きな列車に乗せて貰ってた訳じゃないんだぞ」
彼の鼻先にぴっと人指し指を向けながら、僕はどう話そうかと思案する。説教じみたのは趣味じゃない。
「…お前でも、人並みに苦労してるのか。全く身に付いてないようだが」
 顔の前を跳ねていた指をぴん、と邪険に弾かれて、僕は口を尖らせた。
「失礼な。君より余程苦労してるよ。今でも、赤字対策要員って言ったら聞こえは良いけど、結局それってお前は本線には乗せないぞって言われてるようなものだし。とうとう年下の車掌も出てきちゃうし。勤続十数年になるのに、未だに平乗務員なんだよ?」
ストップストップ、と僕はつい大きくなる声を抑えた。案の定僕の剣幕に、プラトーが目を丸くしている。僕は一つ深呼吸をして、心を落ち着けた。
 「鉄道に乗りたい一心でさ、駅の菓子売りになったんだ。十二の時に。それから長距離列車の車内販売とか、雑用係にポーター清掃員何でもやったね。列車の整備員も。ちゃんと乗務員になれたのは、何と苦節十二年後だよ。それもド田舎のしょッぼい赤字路線でさ。好き勝手やれて、愉しかったけど」
「へえ」
「君も。コレで苦労してるんじゃないの?」
僕は自分のふさふさしたケモノの耳を指差した。  解放政策が取られたとは言っても、僕らはまだまだ準市民以下の扱いしかされない。未だに前時代的な使い捨ての労働力か、愛玩動物扱いしかしてくれないヒトもいる中で働くのは、なかなかに大変だ。彼は視線を逸らして、悔しそうに黙り込んだ。図星だ。だが、説教をしたいわけでも、僕の苦労話をしたいわけでもない。どっちかと言えば、彼の話が聞きたいのだが、彼は黙々とポテトに掛かりだした。
 通りすがったウェイターに、お気に入りのスコッチを二つ頼む。聞こえているのか、いないのか、顔も上げない。幾つかは知らないが、まだ、若いのだ。きっと。弟を見守るような心地で、僕も自分の皿のポテトを摘む。もくもくと、男二人芋を摘む異様な光景に、ウェイターはグラスを置くと肩を竦めてそそくさと立ち去った。
「特にブランドモノじゃないんだけど、ここのは結構行けるよ」
澄んだ琥珀色の液面をふるりと揺らして見せると、プラトーは漸く顔を上げた。
 「ストレート?」
「……何かで割る?」
「――」
言いかけて、プラトーがはたと口籠もった。決意を固めたようにキッと眉間に皺を寄せる。
「いや、そのままで良い」
「無理しないでも、別に」
「良い」
 あ、そう。剣幕に押されるように、僕も頷く。プラトーは毒杯でも煽るような面持ちで、神妙にグラスに口を付けた。ゆっくりと、薄く開いて透明な硝子を挟んだ脣のその隙間に、スコッチの液体が流れ込んでいく。瞬間、意外そうな顔をし、勢いよくごくりと喉を上下させた。
「大丈夫?そんな飲み方して」
「大丈夫だ。行けるもんだな」
 グラスから口を離し、感心するように言う。が、怪訝に見る僕に気付くと、バツ悪そうに首を竦めた。そして言いたくないけど仕方なく、という様子で、口を開く。
「昔、学生になりたての頃、ルームメイトに酔い潰されたことがあって、な」
「成る程。それで敬遠してたんだ。まあ良くあることだよね」
「ああ、まあ、でも美味いな」
言いながら、嬉しそうに目を細めて再度グラスを口に運ぶ。プラトーはあっと言う間にグラスを干すと、自らウェイターを呼び止めて二杯目を注文しだした。
「おい、おい…」
 僕の呟きは、聞こえているのか、いないのか。学生の頃のそれは、酔い潰されたのではなく、自分で勝手に潰れたのではないかと思うような飲み様に、今度は僕が肩を竦める番だった。僕が一杯空ける間に、二杯を干すペースで、僕が三杯目を飲み出す頃には、案の定目の据わった酔っ払いが一人、出来上がった。
 顔に出る質ではないようだが、視線の揺れが正に典型的酔っ払いである。心なしか頭も少し揺れている。殆ど喋りも食べもしないで飲んだので、飲み出してからまだ僅かしか経っていない。長時間べったり座り込んで飲み倒す僕にとっては、まだ出足の段階、これからが本番と言うところなのだが。
「そろそろお店出ようか。町まで帰れなくなっちゃうよ」
「ああ――もうそんな時間」
「いや、時間はそうでも…まあ、そう言う時間だね」
君にとってはね、と内心で付け足す。
 先に席を立つと、僕はプラトーの側へ回った。もしかしたら、立ち上がれないかもしれないと思ったのだ。だが、プラトーは僕の手が届く前に、ガタンと大きな音をさせて、立ち上がった。店中の視線が一挙に集中し、そうして酔っ払いの姿を見つけてまた拡散していく。暫くは恥ずかしくてこのお店に来られないなあ。内心で深々と嘆息すると、首を傾げるプラトーを引っ張って僕は店を出た。
 時間はまだ八時台とあって、中々に人通りは激しい。前方を睨み付けるように目を据わらせたプラトーが、少し手を離すと途端にふらふらと脚を縺れさせるので、駅まで連れ帰るのは一苦労になった。しかも、結局彼の話は何も聞けていない。
 「期待、してただろ。お前。話。俺の」
人の心を読んだかのように、突然プラトーが口を開いた。小馬鹿にするような口調と、脈絡を失った文法と、いやにはっきり正しい発音が、渾然一体となっている。軍隊のように勢い良く踵を打ち付けて歩きながら、プラトーは無駄に自慢げに顎を上げた。
「まあね。結局僕ばっかり喋っちゃったし。でもまあ、君のことはまた今度聞かせて貰うから」
「言うかよ。もう二度と無い。お前となんか。行かない」
「何言ってるの。今日は僕が奢ったんだから、今度は君が僕に奢る番だろ」
 てっきり拒否されると思ったその言葉に、プラトーは意外にもそうだなあと頷いた。
「馳走になった…借りは、返す」
うむ、と自分で自分の言葉に頷く。言葉遣いが妙に古典になっている。やれやれだ。
「ああ、もう、危ないよ」
 夢の中を散歩するような足取りのプラトーを手繰り寄せると、そこで漸く手を繋がれていたことに気付いたのか、うわっと叫んで手を振り払われた。
「酷いなあ。真っ直ぐ歩けない癖に」
「はん。ご親切様なことだ」
けれど幸か不幸か、背後はすぐ駅だった。
 「じゃあ、僕はここで」
「帰らないのか。お前」
訊ねると言うよりは、尋問か詰問のような語勢だ。
「今日はこっちで泊まりでね」
「そうか。まあ、しっかり仕事しろよ」
バンバン、と肩まで叩かれ、良く解らないけれど何故か僕を激励し、プラトーはザクザクと斜めに歩いて、駅の中へ消えていった。
「あれで本当に町まで戻れるのかねえ」
 思わず独りごちる。すると、それを聞きつけたかのように凄い勢いでプラトーが戻ってきた。
「わ、忘れ物でも?」
僕にぶつかるほどの勢いに、思わず後退さる。顔は相変わらず不機嫌を練り固めたような顔付きで、なまじ綺麗なだけに殺気さえ感じられた。つまりとても怖い。心なしか周囲の人並みも、僕らを軽く避けているように思う。苦虫を口の中で味わっているかのように、苦渋に満ち、絞り出すようにプラトーが口を開いた。
「今日の」
「うん」
「礼を言う」
「はぁ」
「じゃあ」
「えぇ?あ、一寸、」
 礼を言うとは、つまりは「有り難う」という意味である筈だが、「貴様を恨む」と言われた方が余程似合いの口勢でプラトーはそれを言い、僕が頭の中で言葉の変換作業を行っている内に、傾きながらすたすたと立ち去ってしまった。
 何という不器用な礼の述べ方だろう。僕は口を押さえ、人気のない駅舎の影へ入り込むと、思う存分笑った。そしてそんなに礼を述べるのが嫌なのに、律儀に戻ってきて礼を述べずにはいられなかったプラトーの内心を鑑み、その苦境に思いを馳せた。結局彼は自分のことを殆ど話さなかったが、僕の話に何やら勝手に見出すものがあったのだとするなら、それはそれで良いかとも思う。
 まだ笑いの余韻でひくつく横隔膜を宥めながら、僕は、しかし次の逢瀬には必ず何か聞き出してやろうと、決心を固めた。




しかして次の逢瀬をつるっとシカトされたりするその後。
20071002



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