晩春の子供 (0)


 ――立ち尽くす。

 灰。瓦礫。炎。泣声。煙。血痕。屍。

 一体、何が起こったと言うのだろう。いつもの深夜遊行の、ほんの数時間の事の筈であるのに、帰宅した、正確には帰宅しようとしたあたしの街は、局所的な空襲でもあったかのように、彼方此方で火の手を上げ、泣声と叫声に満ち満ちていた。足を締め付けるハイヒールの踵を折って履き直す。でなければ瓦礫に足を取られて、進むこともできなかった。真っ先に向かったのは、教会だった。この街では何か有れば、ここに集まる様に言われて、皆育ってきている。実際、辿り着くと老いも若きも区別無く、教会の中外に、人が溢れ返っていた。怪我人も多い。皆疲れ果て、ぐったりとしていた。

「リナ姉ェ!」

 絶叫とも付かない声と共に、オレンジ色の丸い物体が飛び付いてきた。一瞬何か判らなかったが、数秒でそれがディミータの頭であることが判る。しっかりとあたしの腰にしがみつき、激しくしゃくりあげる。何があったのかと聞こうとすると、今度は背後から声が掛かった。
「リナ姉、無事だったんだ」
 ホッとしたような声だった。振り向けばタントミールが煤で汚れた泣きそうな顔で、笑顔を浮かべていた。
「一体、何があったの」
「犯罪王だよ。マキャヴィティが来たんだ」
カーバケッティが泣き腫らした顔で、タントミールの後からやって来た。ディミータの側に跪き、優しく背を撫でる。
「それにしたって、街がめちゃくちゃ過ぎない?今までこんなに酷い事、無かったのに。本当に、マキャヴィティなの」
 うあぁぁぁあ!とディミータが絶叫を迸らせた。あたしは驚いて、ディミータを見下ろした。日頃、マキャヴィティなんて、あたしがやっつけてやるんだから。そう言っていたディミータの面影は無くなって、まるで幼子のようだった。
「一寸、ディミ、どうしたのよ。アンタらしくもない…」
 言いかけたあたしに、カーバケッティが弾かれたように顔を上げて怒鳴った。
「ディミはおじさんもおばさんも、殺されたんだよ!俺らの目の前で!」
タントミールが顔を伏せた。きつく唇を噛んで、影になった頬をぽたぽたと雫が伝い落ちている。
「う、そ…」
「嘘じゃ、ない。ウチの親父だって…」
カーバケッティが、再び込み上げてきた涙を乱暴に拭った。
「おばさんは、」
「母さんとは、途中ではぐれて、今探して貰ってる」
「タントは」
「私の所は、何とか無事だったの。父が怪我をして、診て貰っている最中よ。…リナ姉、何処行ってたの…」
 それは決して、あたしを責める声ではなかった。けれど答えられなかった。あたしは、呆然とディミータを腕に抱くことしかできなかった。辺りを見回すと、遠くでマンカストラップとタガーが即席の診療所らしい場所で、誘導だの荷物運びだのに走り回っている。
 「みんな、めちゃくちゃになったよ…。こんな…」
声を詰まらせながら、カーバケッティが呟いた。
「リナ姉は、もうおばさま達と会えたの?」
「…あ」
 タントの言葉に、ぞくりと、背中を悪寒が走った。何かに促されるように、あたしはディミータをカーバケッティに押し付けて、即席診療所へ駆けだした。空が白みかけている。夜明けが近いのだ。
 人混みを掻き分け、地面に寝かされている人の顔を一つ一つ覗き込む。
「母さん、母さん、母さんッ!」

 教会の裏手側の方へ回った所だった。最早治療の必要なくなった人が集っている一帯の片隅に、母は居た。いつも不幸そうだった顔は、今は断末魔の苦痛か、恐怖のためかに歪み、目尻には涙の乾いた後が残っていた。半眼になった瞳は、既に濁っている。腹の部分をごっそり持って行かれていた。一目瞭然の死だった。
 「…かぁ、さん…」


 どうやって、そこまで辿り着いたのか、その部分の記憶はない。気付けばあたしは自宅の前で、ぼんやりと窓を見上げていた。あたしの家にあたる三階部分だけに、電灯が点っている。あたしのものであってあたしのものではない脚が、勝手に階段を昇った。扉を開く。ダイニングから、畜生、畜生という呟き声が漏れている。恐怖に引きつった男の声だ。更に扉を開く。男がダイニングで恐怖に震えながら、醜悪な顔でこの期に及んで未だ酒を飲んでいた。父だった。
「て、てめぇ、何処行って、何処行ってやがったんだよッ!こ、こんな時に、親ァほっぽりだして、よぅ」
「母さんは」
「し、知るかあんな女…あ、あいつが、彼奴が勝手に飛び出して行きやがったんだ。お俺のせいじゃねえッ怖かったんだお、俺は俺のせいじゃねえッ」
 あたしは、多分笑っていたと思う。父は――がたりと立ち上がり、あたしをすり抜けて逃げようとした。あたしは何を考える間もなく、笑いながら、父、否、父だった男を追い掛け、その背を思い切り押した。

「ギィアアアアアアッ」

 醜い肉塊は、聞くに耐えない悲鳴を上げて、階段を転げ落ち、沈黙した。あたしは点っていた電灯を全て消し、肉塊の横を通り過ぎて、家を出た。
 暁の空は薔薇色に染まっていて、とてもうつくしかった。淡い金色の雲が細く棚引いている。それをみて、マンゴジェリーとプラトーを思い出した。あの二人は一体どうしているのだろうか。ぼんやりとそんなことを思いながらアテもなく歩く。あの二人のことだ。きっと生きているだろう。何だか胸と腹が急にすかすかになったような、妙な感じがした。この感覚は、いつかの何かに似ている。けれども何かを忘れている。思い出せない。何だっただろう?
 「君、君は何処の子だね?ご両親は無事か?」
煤で真っ黒になった警官が、あたしを呼び止めた。あたしは警官を見上げた。破れた制服の下には、血の滲んだ包帯が覗いていた。黙って首を振ると、似たような例がその辺にごまんと居るのだろう、警官は察したような顔で、長老の教会へ行くように言い残して去って行った。

 教会へ。そうだ。もう一度、教会へ行こう。きっとプラトーも戻っているに違いない。プラトーに会えたら、少し泣こう。途中壊れた噴水広場の水で顔を洗った。皮膚に張り付いていた化粧を刮げ落とす。水は冷たくて、洗い終わった頃には指が真っ赤になっていたが、顔を洗うと少しさっぱりした。
 教会でプラトーに会って泣く。それだけを呪文のように繰り返す。プラトーと、初めて躯を交わしたのは、そういえば去年の今頃だった。無理矢理あたしが迫ったのだ。その時の彼の真っ赤になって、慌てて困った、怒ったような顔が思い出される。あたしはクスリと笑った。あれからやっぱりあたしは、夜の徘徊を止められなくて、時々プラトーに無理矢理教会に連れて行かれたことも、あった。長老には懇々と叱られたけど、プラトーの部屋で一緒に寝るのは、見て見ぬ振りだった。プラトー本人は物凄く抵抗してたのに。あたしは、歩きながらそんなことを思い出して笑った。
 プラトーに、会って、泣く。それだけを拠り所にして、あたしは教会への道程を、突発的に笑いながら歩いた。










 あの日の犯罪王エリアD襲撃事件は、結局五百人を越える死傷者を出した。私の父もそのうちの一人として処理された。行方不明者は最終的に百三十七人で、カーバケッティの母親とプラトーはその内の一人だった。マンゴジェリーは幸い、私と同じように別の街にいて無事だった。けれど彼の両親は、ディミータやカーバケッティの両親と同じく、亡くなっていた。合同葬儀の日、一日中雲隠れしていたマンゴジェリーの居場所を知っていたのは、私だけだ。私たちは一緒に、真っ昼間から隣町で酒を飲んでいた。

 私は、だからあの時プラトーには会えず、泣くことも出来なかった。泣いたのはその五年後で、プラトーではなく、今、私と共に居る男の元で泣いた。プラトーは更にその五年後に戻ってきた。彼は何処にいたとも何をしていたとも言わず、質問責めにする私やカーバケッティやマンカストラップをただ鬱陶しそうに手で払った。それについて、私は後の二人程腹を立てなかったが、一寸した腹いせに、あたしは、彼の耳元で囁いた。

「ウチの糞親父ね、十年前の、あのどさくさに紛れて、殺してやったわ」

 彼は、瞬間ぎょっとしたように、私を見た。あたしは満足して、微笑んだ。
「あたしと、アンタだけの秘密よ」

 秘密は、今のところ、まだ、守られている。



20040112
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