夜の端境




 所在なくと言うよりは、寧ろ不愉快げでさえ有るような面持ちのマキャヴィティを、スキンブルシャンクスは敢えて無視して、声を掛けた。薄い月明かりもない。空は曇りだった。窓の外からは皓々と、街灯が窓硝子に映る。人間の光には奥行きがない。平べったい光線に刺された塒は、少し余所余所しい。
「早く寝た方が良いんじゃないの?」
右目に頭、右腕、胸、腹、脚と、至る所に包帯を巻かれた大猫は、それだけで益々不満げに口許を曲げる。毛布の海に胡座を掻いて、スコッチのスキットルを直に傾けながら、スキンブルはちらりと目線を走らせた。
「怪我、治らないよ」
「そんなこと、解ってる」
「じゃあ早くおいでよ」
いけしゃあしゃあと笑みを浮かべるスキンブルに、とうとうマキャヴィティが頭を抱えて項垂れた。
「だから、どうして其処で一緒に寝なきゃならん」
「狭いから」
大嘘だ。スキンブル一人には広すぎるくらいの廃屋で、狭いと言うことは、ない。
「グダグダ言ってないで、早く寝ようよ」
「…だから」
 一体この会話を交わすのは、これで何度目だろう。初めは満タンだったスキットルは、半ばまで減ってしまっている。流石にこれ以上は拙いと判断し、スキンブルはスキットルの蓋を閉めた。きゅ、と金属の締まる音がする。その音で、とうとう諦めたのか、ゆっくりとマキャヴィティが側へ寄ってきた。
「最初から素直にそうしてりゃいいのに」
 薄ら笑みを浮かべながら言うと、マキャヴィティは何とも言えない表情で、スキンブルが空けてやった毛布の隙間に、漸く躯を横たえた。ただし、可能な限りの隙間を、スキンブルとの間に作った上で、のことだが。
「傷つくなあ」
「知るか」
すぐさま背を向けてしまったマキャヴィティを、殊更揶揄うように、スキンブルは背後からマキャヴィティに覆い被さった。
「お前がそう言う事をするから、俺は嫌だと言ってるんだ」
「いい加減慣れれば良いのに」
そう言う事、だけでなく、仲間の優しさとか、気持ちとか、そんなこと全てに。言外のニュアンスを込める。
「…無理を言うな」
 思ったより小さな、頼りない反抗の言葉に、思わずスキンブルはほくそ笑んだ。ぐい、と力を込めて、背を向けていたマキャヴィティを、自分の正面に向けさせる。
「無茶なんか言わないよ」
覗き込んだマキャヴィティの表情は、しかし予想に反してスキンブルの期待通りのものではなかった。
「…可愛くない、マキャ」
「…可愛くてたまるか」
心底嫌そうに、マキャヴィティが顔を顰める。
「そう?僕はマキャって可愛いと思うんだけどね」
 何かおぞましいものでも見るような、マキャヴィティの視線に苦笑しながら、スキンブルはマキャヴィティの右腕にかけていた指を、包帯の上から抉らせた。
「…っ、…」
じわり、と止まっていた筈の血が滲み拡がる。それでも表情を崩そうとしないマキャヴィティの、今度は腹の傷の真上に爪を立てた。
「…っお前、止め、…」
最も深い傷をやられるとは思っていなかったのか、額際に脂汗を浮かべても飽くまで面には僅かな驚愕しか浮かべないマキャヴィティに、スキンブルは少し複雑な気持ちになる。マキャヴィティの手がスキンブルの手首を掴んだ。力でマキャヴィティに勝つことは、スキンブルには不可能なので、大人しく腹の傷を抉っていた手を離す。
 はぁ、と息を吐いたのは、殆ど二匹同時だった。
一つは安堵。一つは落胆。
「意地っ張り」
「……」
不貞腐れた様にマキャヴィティがまた、背を向けた。これ幸いと柔らかい金の髪を、指に通す。包帯で抑え付けられた後頭部には、矢張りまだ血染みが拡がっている。近辺の髪が血で固められて、束になっていた。それをぱりぱりと裂いて、こびり付いた血を落としていく。凝固した血は、細かな粉となってスキンブルの手に落ちた。舐める。鉄錆の味。
「…この後、どうするんだ」
「……」
ぽつりと漏らした問い掛けに、答えはない。
「答えたくないって?」
「……」
「返事くらいしな、よ…」
あまりの綺麗な無視加減に、思わず顔を覗き込んだ。が、即座に酷い脱力を覚える。
「…何だ、寝たの」
 寝息も聞こえない静かな眠りだったが、スキンブルにはマキャヴィティが本当に寝てしまったのだと、判る。そもそも躯中大怪我だらけで疲労困憊の極致に居たところなのだから、当然と言えば当然だ。だがそれよりも、スキンブルにはもっと手っ取り早く、マキャヴィティが寝ていると判断できる理由がある。そう言えばいつもに比べれば、先刻は割と素直だったなと思い起こす。本当に疲れて、眠りたかったのだろう。少し意地悪が過ぎただろうかと、柄にもなくばつの悪い気持ちになった。
「あの時と、同じ顔してるよ」
 照れ隠しのように言い、横顔の輪郭に視線を這わせる。大量に出血したせいで、青白い頬まで同じだ。ただ一つ違うのは、その表情の安らかさだろう。今にも死んでしまいそうな、などと言うと、マンカスあたりが眉を顰めるだろうが。
「…お休み。また、明日」
 明日は、これまでで一番、早起きをしなくてはなるまい。少し笑って、スキンブルシャンクスも静かに毛布に潜り込んだ。






20020709
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