早朝の花守
それを見たとき、一瞬蒲公英の群生かと思った。
降りたての朝露で、一日のどんな時間よりみずみずしい青さに光っている公園の花壇の前に、ぽつんと一匹の雄猫が座り込んでいる。今からようやく寝入ろうかという猫も多い中、随分な変わり者もいたものだ。そう言う僕だって、これから夜どおしの勤めを終えて、久しぶりにねぐらで一寝入りしようかといつもの近道を辿っていたところだ。こんな素敵に涼しい朝、あたたかい寝床で過ごさないなんてどうかしてる。
僕によって変人だと判断されたその猫は、それでもじっと花壇に目をやったまま動かない。僕もつられてその背中を見つめてみた。
知らない猫だった。仲間でないだけでなく、顔も姿も見たことのない猫だった。
蒲公英みたいに真っ黄色の背中は、マンカストラップよりも広い。姿勢良く座った躰は、ランパスキャットよりもがっしりしている。顔は見えないけど、きっと強面なんだろう。僕の1.5倍くらいガタイの良い雄猫が無心に花を眺めてるなんて、正直ぎょっとしない光景だ。
でも幸いなことに、僕は気持ちの切り替えが早い方だった。顔は怖いけど実は心優しくて、花とか動物が好きという奴は確かに棲息する。そんな彼らが遠くで幸せになってくれる分には、僕は何も言わない。当人の好きというものだ。
そう思って、しばらくうずくまっていた茂みの間から抜けようとした。と。
――ガサリ!
思わず目を瞑る。柄にもない失敗をやらかしてしまった。他人の図体だけで怯える様な性格でもないのに、どうやら緊張しているらしい。しっぽに引っかかった小枝をそっと落としながら、恐る恐る後ろを振り返った。
……あれ?
拍子抜けして首を傾げる。
向かっていったら跳ね飛ばされそうな背中の主は、白いペンキのフェンス前からぴくりとも動いていない。よっぽど花壇の花にご執心なのか、それとも……僕は少し笑って考えた。それとも、実は鈍いのか。
咲かない白丁花の茂みから躰を抜く。ねぐらではなく、花壇の方に。頭、前足、胴、後ろ足。最後にしっぽを確認して、前方を見る。
この間に、少しは音だって立てたというのに。
でも、彼は気づかない。
僕はすっかり面白くなって、そろりと足を動かした。
一歩動かしても、気づかない。二歩動かしても、気づかない。三歩に四歩。……まだ気づかない。
この人、絶対鈍い。
その確信が僕の恐怖を払いのけて、好奇心を煽り立てる。必死でカブを抜こうとするおじいさんも、本当は抜けない事実を楽しんでたんじゃないだろうか。
古典名作に対してそんな罰当たりなことを考えていたからか、神様はようやく寝惚けた眼を地上に向けたようだ。これで気づかなかったら仔猫以下という距離になって、眼前の黄色い毛並みが逆立った。
「…………!?」
「やあ、おはよう。気持ちの良い朝だね」
「君、さっきからずっとそうしてるみたいだけど、綺麗な花でも咲いてる?」
にっこり笑って、傍に寄る。その途端彼は花壇の前から飛び退き、およそ2メートルは離れた距離で躰を横に向け、僕を睨みつけた。完全警戒の態勢だが、ちっとも怖くない。どう見たって彼の方が怯えている。耳の後ろを掻いて、僕は自分の躰を眺めた。見た目だけで誰かを怯えさせるほど押し出しのある容姿では絶対にない。むしろ誰でもつい微笑みかけたくなると職場では専らの評判なのだけれど。
困ったような僕の顔に、彼もほんの少し警戒を解いたようだった。
「……悪かった」
視線は僕からも花壇からも逸らされている。僕は大仰に肩を竦めた。
「どうして? 僕がびっくりさせたんだもの。君は悪くないでしょう。僕の方が謝らなきゃいけないところだよ。ところで、さっきの質問には答えてくれないのかな」
「……さっき」
余程動転していたのか、僕の第一声は殆ど記憶に残っていないらしい。子どものように首を傾げる彼に、「だからね」ともう一度説明する。
「……だから、よっぽど綺麗な花でも咲いてるのかと思ったんだ。
でも……」
さっきから目の端で窺っていたけれど、花壇の花らしい花など咲いてはいない。
尻すぼみに呟いて花壇を眺め回すと、彼もつられたように首を回した。僕の視線を受けて、気まずそうに下を向く。自分から言い出す気がなさそうだったので、僕はそのまま水を向けた。
「ねえ、良かったら教えてくれない? 君は何を眺めてたの?」
「それは……」
彼は戸惑ったように僕を見、花壇を見、また地面を見て、静かに花壇に近寄り、鼻先で一本の緑の茎をそっと押した。根本から地を這うように広がった刃先のような形の葉と、茎の上に固く蕾んだ小さな緑塊。直ぐに躰を引いて、彼は優しいひとみで呟いた。
「……この間、何の気なしに木の上から飛び降りて、この花を潰してしまったんだ。それからずっと、茎が元どおり立つか、ちゃんと花が咲くか、気になって見に来ていた。……多分、もう大丈夫だ」
そう言って、目許を和ませる。
僕もまた、彼の視線を辿って緑のつぼみを見つめた。
その花は蒲公英で、植物史上稀に見る生命力の持ち主だということ。強靱に張った根のおかげで、万一茎が千切れてもいずれはまた咲くであろうということ。だから、潰したところで良心の呵責など覚える必要はさほどないのだということ。
そんな御託は、きっと彼には何の意味もないのだろう。
つぼみをそっと触ってみる。
「昨日、雨が降ったのが良かったのかも知れないね」
「……そうかもな」
「植物の生命力って、凄いって言うし」
「……かも知れん」
「何てったって、毎日こんなに心配してくれる人がいたんだもの。花だって咲かずにいられないよね」
「………………」
怒ったように口を閉ざしたのは、もしかすると照れているのかも知れない。
「ねえ、そうでしょう?」
「……たら……」
口の中で、ぼそぼそと呟く。何となく言っていることは分かったけど、僕は敢えて訊いてみた。
「え? なんて?」
「……だったら良いと、言ったんだ!」
クレッシェンドにそう叫んで、明るい黄色をした大柄な雄猫は、完全にそっぽを向いてしまった。初対面の相手に失礼だけど、本当に子どもみたいな反応だ。息を洩らすと、勝手に笑いがこぼれ出てくる。
「……笑うな」
「ふっ、ふふふふ。やだなあ、笑ってないよ」
「嘘を吐け」
目の縁を染めて言われても、やっぱり怖くも何ともない。がっしりした躰なのに線は少し細くて、それほど厳つい感じを与えないから、余計だろうか。生真面目そうな顔立ちに、色違いのひとみが映える。
「あのね、さっき君の頭が茂みの向こうから見えてたんだけど、黄色くってふわふわしてて、何だか蒲公英みたいだったよ。僕もいっつも向日葵みたいな色してるって言われてるからお揃いかも……って何言ってんだろね。ははは、これじゃ口説き文句だ」
不本意そうな顔で、彼が言う。
「……俺を馬鹿にしてないか、あんた」
「まさか。蒲公英色って言われるのは不愉快?」
「植物に例えられるのは悪い気はしないが、渾名と言われたら少し考えるな」
渾名。
とんでもないことを言われ、僕は必死で笑いを堪えながら呟いた。
「あだなって……た、たんぽぽさんとか……?」
肩を震わせて笑う僕に、彼がしっぽを地面に叩きつける。
「だって最初に君が言ったんじゃないかー」
「少し考えると言ったんだろうが!」
「少し考えたらオッケー出すの?」
「あのな……」
警戒は完全に解いたものの、怖い顔で静かにしっぽをふくらます彼に、僕は片目を閉じた。今はねぐらに帰ることなど、すっかり頭の隅に追いやっている。
「そう呼ばれたくなかったら、早めに名前を名乗った方が賢明だよ」
更に何かを怒鳴ろうとした口がぱくぱくと空気を食べ、力無く吐き出し、そして言った。
「――マキャヴィティ」
かの犯罪王と全く同じその名を聞いて、僕がしばらくの間全く信じなかったのは言うまでもない。
おわり
桃三郎様から頂きましたv
終わるなと。声を盛大に上げて言いたいんですが。
まさかの頂き物に舞い上がって舞い上がってそのまま宇宙の彼方に飛ぶと
キャッツが見られないので慌てて帰ってきてみて思ったことは
「もっと続きを…」(ゲーテ遺言風に)
でした。うをー桃三郎様有り難うーっvv持つべきは矢張り友。
そして流石猫世界一のナンパ師スキンブルシャンクス。
あっさりマキャをナンパ成功ですね!!(大いに違う)
そしてマキャの二つ名が増えましたね!これから君は「蒲公英の君」
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