After
あれから、一ヶ月が過ぎた。
After
「それじゃ、陛下、大佐、お世話になりました」
「おいおい、世話になったのはこちらの方だ。お陰で、職に関するレプリカ達の偏見は、ここ最近減って来てな。学校の卒業を条件に受け入れてくれる職場も増えて来た。この短期間でここまでの進歩があったのは、アニス――お前のお陰だ」
王座から立ち上がったピオニーはそのまま傍へ寄って、頭を撫でようと手を伸ばす。だがその手は、自分の頭に触れる前に、もう一つの手によって払い除けられる。後ろを振り返ってみれば、いつの間にやら後ろに立っていたジェイドが笑顔でピオニーを見ていた。笑顔、といっても目は全然笑っていなかったが。
「痛いじゃないかジェイド。皇帝に向かってこんな事をしていいと思ってるのか?」
「こんな時だけ皇帝ぶらないで下さい。それに、痛い思いをしたくなければ、アニスに触れなければ良いんですよ」
ジェイドの一言で触れる事を諦めたのか、ピオニーは再び王座に戻って行く。
ピオニーが離れたにも関わらず、まだ自分から離れようとしないジェイドを見て、ピオニーは面白そうに口端を上げた。それが気に入らなくて、膨れっ面でピオニーを見ると、更に笑みを濃くしたピオニーが口を開く。
「あーあ、アニスも大変だなぁ。何せ、グランコクマの女性達を敵に回したんだから」
ピオニーの言葉が理解出来ずに首を傾げると、ピオニーは再び口を開いて「こいつは一応、グランコクマでモテるからな」なんて言った。
その言葉に、ジェイドという人間をどんな事見ているのか疑いたくなったのと同時に、本性も知らずにこんな人間を好きになるなんて――と可哀想にも思えた。
「うわ、ありえない。こんなサドが好きだなんて…。だって――」
言葉の続きを言おうとして、その内容が恥ずかしい内容であった事に気付いたアニスは赤面して口を閉じる。その様子に、面白い話だと感じたピオニーは食い付いて来る。
「だって…?ジェイドに何かされたのか?」
「な、何でもないでーす。それじゃ、船の出港時間までもう少しですから、これで失礼します!」
これ以上深く聞かれる前に、ここから逃げてしまおうと考えて、早足で謁見の間を出て行く。そして城を出ようと扉に手を掛けた時、後ろから聞き慣れた声が自分を呼び止める。振り向くと、ジェイドが手に持っていた荷物を奪い取り、笑顔を見せた。
「送って行きますよ?」
「あ、有難う…ジェイド」
二人きりの時は名前で呼ぶ――その言い付けを守った為か、ジェイドは満面の笑みを浮かべて自分を先に外へ出すと、その後に外へ出た。
城の中から急に外へ出た為か、太陽の光がやけに眩しく感じられた。
そのまま歩き出そうとした瞬間、ジェイドが腕を力強く引き、自分を腕の中へ閉じ込めてしまう。突然の事で驚いた為か少し脅えたような声でジェイドに問う。すると、穏やかな、だけど窘めるような声が聞こえて来た。
「な、何…?」
「悪い子ですねぇ船の出港の時間まではあと一時間もあるというのに」
その言葉に、僅かながら引き攣った笑みを浮かべてジェイドを見る。すると、有無を言わさずに抱き上げられた。
少しばかり抵抗してみたものの、ジェイドが自分を下ろしてくれる事はなく、そのまま軍本部の方向へと歩き出す。ジェイドは奥へ奥へと歩いて行き、やがて自分の執務室の前へ着くと、少しばかり乱雑に扉を開けて中へ入る。おそらく、抱き抱えていたからだろう。
漸く解放されるのだと思っていたのだが、ジェイドは抱き抱えたままソファへと座り、膝の上へと自分を乗せた。これでは逃げる事は出来ない。
どうにかして放してもらおうと膝の上で暴れるが、ジェイドによって身体を固定されてしまった。仕方なく、唯一動く口で意思を告げる。
「はっ…放して、ジェイド!」
「ダメです。話を聞くまでは放しません」
つまり、話せば解放してくれるという事だ。そう考えてから、何?とジェイドへ問いかければ、ジェイドは耳元で囁いた。
「私みたいなサドを好きになるのはありえないって、どういう事でしょうかねぇ…?」
「だ…だって、サドじゃない。休日になれば寝室から出してくれないし、痛い事だってするし…っ!」
「ほう?そんな私みたいなサドを、アニスは好きではないと?」
反論しようとしたが、ジェイドが首筋を舐めた為に言葉に出来なかった。僅かに溜息を吐いて、近くにあるジェイドの顔を両手で挟んでから、一瞬ではあるが唇をジェイドのそれに触れさせる。
すると、思惑通りジェイドはピタリと止まってこちらを見た。それを確認してから口を開く。だが、先程の行為の後だからだろうか、顔に熱が集中しているのがわかった。
「…私にとってジェイドだけは特別だもん」
下へと移動させていた視線を再び前へ戻すとジェイドの顔が近付いて、口付けられた。急な事で見開いていた目を閉じながらもふと、心の中で思っていた。――今日も幸せだな――と。
執務室の窓から差し込む太陽の光に反射して、左手のピンキーリングが眩しく光った。