Jade
ついに、始まる。
Jade
ピオニーへと謁見し、一週間程が過ぎてから、アニスが待ち望んでいた学校が始まる事となった。今日はその初日だ。
軍から数名選び出された教員との顔合わせである。ダアトから来た教員が次々と挨拶を済ませる中で、最後にアニスが一歩前へ出る。
「初めまして。律師アニス・タトリンです。ここでは最年少なので、色々と至らないところもあると思いますが、よろしくお願いします」
軽く頭を下げて笑顔を見せる。そんなアニスの姿に、男しかいないマルクト帝国側の教員の空気が変わった。それを面白くなさそうに見た。実際、面白くない。
ダアト側の自己紹介が終わったのに、このままではマルクト側の自己紹介まで進みそうもない。わざとらしく咳ばらいを一つすると、部下達の空気が再び元に戻った。
「では、こちらも自己紹介を。私はマルクト帝国軍第三師団師団長、ジェイド・カーティス大佐です。一応、ここでの責任者となります。よろしくお願いします」
アニスが隣を見ると、ダアトから来たもう一人の女性が見惚れていた。その顔を見て、表情には出さないものの、面白くなかった。それが嫉妬だという事には、気づかなかったが。
「まずは、クラスについてですが、二人一組で担当して頂きます。組み合わせは私の方で勝手に決めさせて頂きましたので、指定されたクラスへと行って、早速、授業をお願いします」
アニスは渡された紙を見ると、自分の相方の名前を確認し、その人物の所へ向かった。
「おや、アニス。どうしました?」
「挨拶に来ただけです。よろしくお願いしますね、大佐」
「こちらこそ。では、次の講義は私ですから…また後でゆっくり話をしましょうか」
「そうですね。じゃあ、頑張って下さいね」
教材を手に持ったジェイドはその言葉に笑みを浮かべると、職員室を出て行った。それを見送ると、アニスは自分の席の椅子へと座って、教材を手に取った。
いくら簡単な内容の言語を教えるといっても、この学校の成功によって、自分が詠師になれるかどうかが決まっている。少しでもしっかりと授業が出来るようにしておきたいのだ。そう思い教材を開き、勉強を始めた。
勉強を始めて、今回の分の予習は終わるかどうかという位になってから声をかけられた。
「次の授業に向けて予習?偉いね」
「そんな事、ないですよ。えっと…」
「ジャン。ジャン・アーレント。ジャンでいいよ、アニス」
初めて話しかけたのにも関わらず馴れ馴れしく自分の名を呼んだ事に、少しばかり不満を持ったが、いつもの笑顔で押さえ込むと、出された手を握った。
「予習も大事だろうけど、今からそんな意気込んでも疲れちゃうよ。お茶でもしない?」
「すみません。お誘い頂けたのは嬉しいんですが…まだ、やるべき事が残っているので…」
「少しだけだ…」
「アーレント少尉、嫌がる女性にしつこくするのは良くありませんね」
ジャンの声を遮るように後ろから届いた声は、聞き慣れた彼の声だ。目の前にいるジャンは背筋をピンと伸ばすと、兵士の癖であろう、敬礼をする。心なしか、顔が青い。
「も…申し訳ありません、大佐!」
「結構です。それより、貴方も次の講義があるのでしょう。準備をしたらどうですか?」
慌てて去って行くジャンを見送ってから後ろを振り向くと、不機嫌そうな顔をしたジェイドが立っている。不機嫌な理由はわからないが、困っていたところを助けてもらったのだ。一言、礼を告げなければと思い、口を開いた。
「大佐、ありがとうございます。助かりました」
「いいえ。それより…ジャン以外の男にも話しかけられたのですか?」
「え…他の人とは、話してませんけど」
「そうですか。それより、もう時間ですね。行って来て下さい」
「はーい。それじゃ、行って来ます」
教材を持って、小走りで教室を出て行くアニスを見ながら自分に与えられた椅子に座ると怒りを溜息に乗せて吐いた。
朝の自己紹介でアニスに見取れていたのは、ジャンだけではないのだ。若者の大半が、アニスに対して好印象を持っていた。
今日は自分のいない間に話しかけたのはジャンだけだったが、明日からはそうはいかないだろう。場の雰囲気に馴れてくれば話しかける男は増える。
そんな光景など、自分が見ていられる訳がない。だが、恋人同士という訳でもないのに、こんな嫉妬を見られる訳にはいかない。
「(――さて、どうするか)」
人に感情を悟られないようにするのは得意だったのだが、彼女絡みではどうも勝手が違う。これからの自分の情けない姿を思うと、再び溜息が口から漏れた。
「アニス、何をしているのです?」
「はわわっ、大佐、今帰りですか?お疲れ様です」
「えぇ。ところで、何を見ていたのですか?」
「え?いや、綺麗だなって思って。ほら、早く帰りましょ!あたし、お腹すいちゃった」
アニスに腕を引かれて仕方なく歩き出す。通り過ぎる店のショーウインドーを横目で見て、驚いた。そこにあったのは緑色の硬玉と、『翡翠――Jade』のカード。
「…アニス」
「なんですか?」
「…いえ、何でもありません」
触れられたくないから隠したのだろう。なら、ここで触れるべきではない。いつか、自分の想いを彼女に打ち明けるその時に、こっそりとプレゼントしよう。そう思いながら、前を歩く彼女と目を合わせると、そっと笑い合った。