会いたくて、たまらない
与えられた部屋に備え付けてある机の上で、最後の書類にペンを走らせて数十分。今日一日分の全ての仕事が終わったアニスは、ペンを置いてから、ぐうと背筋を伸ばした。窓の外を見ると、空はもう茜色に染まっていて、夜の訪れを刻一刻と告げていた。
本当ならば、もう一時間もすれば、ジェイドが帰って来る時間。だが、今日は、どうしても明日までに終わらせなければならない仕事が増えたという事らしく、帰って来ない。
朝食の時間、そんな事を言っていたな、とアニスは思い出す。
とりあえず、夕食を済ませてしまおうと立ち上がり、一階のリビングへ向かうと、ソファーへ腰を下ろした。ジェイドとの夕食の相談がなかった為に、何を食べようか全く決まっていなかったのだ。
一人なら、ある物で食べればいいだろうと思っていたので、買い物もしていない。
暫く考えるうちに、メニューが決まるよりも先に、眠気がアニスを襲う。いつもならば、ジェイドが夕食を待っているという事もあり、我慢して立ち上がるところだが、今日は自分以外に誰もいないのだ。
寝てしまっても、いいだろうと、ソファーに身体を横たえるよ、アニスはゆっくりと、目を閉じた。
次に起きたのは、時計の針が日付の変更を告げて間もない程の時間だった。灯りも付けずに眠っていた為に、家の中は真っ暗だ。
それが、この広い家に一人しかいない事を証明しているようで、急に寂しさを感じた。
いつもならば、ソファーで寝てしまえば、帰って来たジェイドが灯りを付けて、優しく起こしてくれるのに、等と思ってしまった。以前もこうして寝てしまった時があり、ジェイドがそのように起こしてくれたのだ。
「――会いたい」
無意識のうちに口から発された言葉は、部屋に響いた。たった一日だ――と思っていたのに、その一日がこんなにも寂しくて、空虚感のある物だとは、思っていなかった。この気持ちが何であるのかも、わからない。理解する事は出来ない。
だが、会いたいという気持ちに従うように、上着を部屋まで取りに行くと、そのまま勢いよく家を出て行った。
ふと、時計を見ると、日付は変わっていた。もうそんなに時間が経っていたのか、と驚きながら、休憩を入れようとジェイドは立ち上がった。机の上の書類は、予定よりも減りが早い。このままのペースで終わらせれば、仮眠を取るくらいは出来るだろう。
そう思いながらも簡易のキッチンへ向かおうと足を進めた時、ドアがノックされた。
「(この時間に部屋に来る者なんていない筈だが――)」
方向を変え、自ら訪問者を確認しようとドアを開けた。すると、目の前に現れたのは、本来ならば家にいる筈のアニスだった。
「アニス…!?」
「大佐…えへ、来ちゃいました」
「まさか、一人でここまで来たのですか?」
答えはない。アニスは俯いたままだ。それが肯定を意味すると気付いたジェイドは、アニスの手を引き、執務室の中へ入れると、扉を閉めた。
「あれ程、一人で夜に歩くなと言ったでしょう。何かあったら、どうするつもりですか」
「だって、私だって、よくわからないけど――大佐に会いたくなって、一人が嫌になって、気づいたら、ここを目指して走ってて…」
途中まで黙ってアニスの話を聞いていたが、耐えられずに衝動的に抱き締めた。布越しに伝わる熱が心地よくて、再び眠気がアニスを襲った。それに身を任せて目を閉じる。
ジェイドは、アニスをソファーまで連れて行き、横たえると、毛布をかけてやる。そこには、安心したように笑ったアニスがいた。
「可愛い事を、言ってくれる――」
額にそっと口付けたジェイドは、再び机の書類へと手を伸ばした。