僕は父の跡を継いで公爵になった。
それは自分自身が望んだ事。決して後悔なんかしていない。政務に追われるのも覚悟の上だ。だけど…
 四六時中座りっぱなしというのは…きついと思う。
 しかもマリナスやマーカスといった仕事に心血を注ぎっぱなしという彼らに囲まれて。いや、仕事に熱心なのはいい事だよ。でも、何事もやり過ぎはよくないと思う。
 だって、彼らに気を遣って僕の愛する妻が入るに入れないんだから。
 あぁ、ニニアン…いいんだよ、入っておいで。というか入って来てくれ、頼むからっ! あ、やっぱり今日も行っちゃった…
 こんな事をもう一週間も続けている。僕、新婚なんだよ!? ちょっとくらい夫婦の時間を要求したって罰当たらないんじゃないか?
 どうなんだいマリナス、君は商人なんじゃないのかい?
 どうなんだいマーカス、君は騎士だろう?
 何で君たちが僕と一緒に書類を片付けているんだ!?
 …いや、手伝ってくれるのはとても有り難いんだけど…
 でもこれはやり過ぎだと僕は思う。僕は決心した。でもすぐ戻るつもりだ。仕事を永遠に放棄するつもりは無いよ。だから一日だけ。一日だけニニアンを連れて…


家出してやるッ!〜愛の逃避行〜


 朝、私はいつも通りに奥様をお呼びするため、部屋に向かった。エリウッド様は朝早くから執務室に篭りっきり。それは既に暗黙の了解で、一週間の間に習慣として身についていた。だから、エリウッド様の姿が見えなくても気に留めていなかった。
 奥様の部屋のドアをノックしたけれど、返事は無かった。何をしていても声は返して下さる奥様が、今日は何も反応を示されなかった。妙に思ってドアを開けてみたら、そこにあるはずの奥様のお姿は無く、部屋の隅々まで探しても、奥様はいらっしゃらなかった…
 
「ウィル! ウィル―――っ!!」

 私は慌てて夫の許に走った。気が動転していて、咄嗟に思い浮かんだのがウィルの顔だったから。訓練場で弓の手入れをしていた彼は私の大声に少し驚いた様子。でも根本的に少し呑気な彼は、いつもの調子で返事をしてくれた。
「何だ? そんなに血相変えて」
「た、た、た、大変ッ! ニニアンさ…いえ奥様が居なくなってしまったの!! 朝行ったら居なくなられてて…もしかして誘拐!? でも、そんなはずは…それとも外出なさって…? ああっでも途中で何かあったら…!」
 息を切らしながら私は必死に訴えた。頭が混乱していて、もう何が何だか分からなくなりながら。彼もそんな私の雰囲気を察してくれたのか、サッと真剣な表情になって、狼狽する私にゆっくりと語りかけてくれる。
「落ち着け。順を追って、どういう状況か説明してくれ」
 彼の口調と表情で、幾分か気分が落ち着いた。ゆっくりと深呼吸をして、ぐちゃぐちゃになった意識を整理出来るほどに。
 そして全て夫に話した。朝、お呼びしに行ったらいらっしゃらなかった事。部屋を隅々まで探しても、お姿が見えなかった事。それで慌てて此処まで走ってきた事。事細かく、余す事無く説明した。彼も、頷きながら聞いてくれていた。
「とりあえず、エリウッド様の所へ行ってみよう。もしかしたら一緒にいらっしゃるかもしれない」
 子供になった様な気分で頷くと、ウィルが私の腕を掴んで歩き出した。勿論行く先は執務室。エリウッド様が篭っていらっしゃる部屋。

 しばらくしたら、目の前に一人の老人の姿が見えた。
「あれ、マリナスさん…?」
 ウィルが目を細めて、ポソリと呟いた。私も釣られる様にして目を凝らした。すると見覚えのある…失礼ながら、見事なてっぺんハゲ。あぁ…これは間違いない。マリナスさんだわ、と頷く。彼は手に何か持っているようだった。何か手紙の様なもの。
「マリナスさん、どうかしたんですか?」
 結構早足で歩いていたマリナスさんを呼びとめ、ウィルが軽い調子で訊いた。するとマリナスさんはクワッと振り向いて、
「エリウッド様を知らんか!?」
 と、もの凄い顔で叫んだ。そしてその表情を強調する様に頭がギラリと光った。少し面食らったけど、すぐに気を取り直して今度は私が尋ねた。
「エリウッド様がどうかなさったのですか?」
 するとマリナスさんは手に持った紙を私達に見せた。手に取って、まじまじと読んでみる。其処にはこんな事が書いてあった。
 

僕はもう我慢の限界だ。少しの間ニニアンと城を空ける事にした。
すまないが、どうか探さないで欲しい。
エリウッド


「え………ええええぇぇ―――――!?」
 私は思わず大声を上げていた。信じられなかった。
 あの、あの真面目なエリウッド様が家出なんて!
 マリナスさんは苦虫を噛み潰したような顔をして、まだ何も反応していないウィルの様子を見ているようだった。
「へぇ…愛の逃避行ってやつかな」
 ガクッ。
 そんな音が聞こえて来そうなほど、私から勢いよく力が抜けた。文面と真剣に睨めっこした後に出てくるのがこの台詞だなんて。まぁ、ウィルがとぼけているのはいつもの事なんだけど。今回は少しタイミングが悪い。
 呆れた様に溜め息を吐いて、マリナスさんは足早に歩いて行った。その姿を見送りながら、私はホッと胸を撫で下ろす。
「よかった。ニニアンさ…いえ、奥様が無事だと分かって」
「問題は二人の逃避行先だよなぁ。捜索に駆り出されるぞ、きっと」
 ウィルは何となくウンザリした様子で言った。それとほぼ同時にけたたましい靴音が響いてくる。何事かと思って見てみると、なんと騎士隊の一同が中庭に整列していた。
 
「な…何、何の騒ぎ…?」
「やっぱり。しばらくしたら弓兵隊にも指示来るだろうなぁ…」
 そう言ってウィルは騎士隊の先頭を見ていた。なんと其処に居たのはマーカス様。彼自身も馬に乗り、槍まで持って城門の方へと駆けて行った。あんなに大勢で行ったら村の人達は驚きそう。お父さん、腰抜かさないといいんだけど。
 呆然と彼らの起こした土埃を見ていると、ウィルがスタスタと歩き出した。
「どうしたの?」
「一応探しに行こうかと思って。どうせ指示が回ってくるだろうし」
「…そう、じゃあ私も行く」
 私も彼の後を追って歩いた。一度練習小屋に戻って、防具と弓一式を装備する。いつ山賊と出会うかも分からないので、念のため。勿論会わない方がいいんだけど。


 私達が探し始めたのは村の近く。森の中に体の弱い奥様を連れて行くはずはないし、村の中ならきっと騎士隊の人達が尋ねて回っているはずだから。私達は庶民なりの、騎士様には気付きづらい場所を探す事にした。灯台下暗し、ってね。
「さて、村の周りっていってもなぁ…」
 ウィルは足元に転がっていた石を、コツンと蹴り上げた。
 周りに視線をやってみてはいるけれど、やっぱりきちんと見ていないみたい。視線があらぬ方向を向いている。  感覚なのか、結構それで当たる時もあるけれど、やっぱりちゃんと見なくちゃ。私は彼の見ている方にもさり気なく視線をやってみる。でも人影すら見えなかった。
 でもそれは当たり前。今は朝の畑仕事の時間だもの。村の外に居るのは行商人か、私みたいに狩に行ったりする人だけ。それも朝ともなると人はあまり出歩いていないし。
「エリウッド様が行きそうな所…」
「あの人、結構知ってそうだよなぁ〜親友があの人だし」
「………」
 思わず同意しそうになった。エリウッド様のご親友はオスティアの公子で、日頃から公子らしからぬ行動を起こしている『変わり者』として有名な方。エリウッド様も付き合わされる事もあったというし、脱出手段とかも心得ていそう。
 もしかして、簡単に城を逃げ出してしまわれたのもそのせい…?
 いけない。安易に原因だと考えちゃいけないわ。可能性が無いとは言えないけど…ね…
 軽く頭を振って、更に歩を進めた。

 それからしばらく歩くと、数人が私達を取り囲んだ。ボロボロの服、血走った目、日に焼け、土がついた茶色い肌。手には斧。何処からどう見ても山賊だった。
「よう、いい弓持ってんじゃねーか」
「しかも女連れかよぉ。いいご身分だなぁ、若造」
 私は思わず俯いてこっそり溜め息を吐いた。
 どうしてこういう時に限って、こういう性質の悪いのが出てくるのかしら。
 するとソレを勘違いしたのか、私達を取り囲んでいる男の一人が低い声で笑う。
「がはははは! オレ達ぁ男には厳しいが、女には優しいぜ? 心配すんなって」
 どうやら、こいつらは私が我が身を呪って俯いたのだと思ったらしい。そのまま黙っていると、更に勘違いしたらしい男がその太い腕で私の腕を掴んだ。呆れ果てていたため、つい反応が遅れてしまった。
 ぐいっと引っ張られる。
「きゃっ!?」
「怪我しねぇ様にこっちに…ぐぅっ!?」
 不意打ちで驚いたから、ニタニタ笑いながら口を開いた男の腹に遠慮無く蹴りをかましてしまった。メリッ、という鈍い音がした。
 蹴っておきながら思うけれど、ちょっと痛そう。やりすぎちゃった、かな?
 男は口を開いたまま、何故か仰向けに倒れ込んでしまった。呆然とその様子を見る私。そ、そんなに強く蹴ったつもりは無いんだけど…
「うわ、可哀想な事になって…」
 軽い調子で言うウィル。だけど彼の手に握られているのは持ってきた銀の弓。それでトントンと肩を叩いている。もしかして。
「それで…殴ったの…?」
「レベッカの蹴りを食らって、のた打ち回るのは可哀想だろ?」
「何よっ! ウィルの…」
「うわわっ、『バカ――――!』はナシっ!」
 それを聞いて、思わず振り上げた足が止まってしまった。すっかり読まれている。

 回し蹴りを回避したウィルが山賊たちに視線を戻す。彼らはすっかり殺気立ち、臨戦態勢に入っていた。それを見て、私達も弓に矢を番える。少しの静かな時間。だけどそれはどちらとも無く動いた事により、すぐに掻き消えた。
 山賊たちが一斉に斧を振り上げる。それを危なげなくかわし、番えた矢を放つ。それは斧を持った手元に次々と当たり、動きがみるみる鈍くなっていった。
 私達はこれでもフェレ家に仕えているんだから。馬鹿にしないで欲しいわ。
 動きが鈍くなった所に更に矢を浴びせかける。絶命する者も居れば、傷ついた体を引きずり逃走する者も居た。本来の目的は山賊の討伐ではないから、それは見逃す。エリウッド様と奥様を探し出すのが先決なのだから。

「奥様…何処に行かれたのかしら…」
 しばらく村の周りをウロウロしてみたけれど、一向にエリウッド様も奥様も見つけられなかった。何となく、不安が焦りに変わり始めた頃、ウィルが思い出したように大声を上げた。
「あ―――! もしかしてッ!!」
「え、な、何!?」
 イキナリの大声に、少し戸惑う。
「もしかして、あそこじゃないのか?」
 彼の意図するところが分からなくて、目を白黒させながら思考を巡らせていた。
 あそこ、あそこ、あそこ…駄目、見当がつかない。
 訳が分からずに困惑する私を置いて、ウィルはスタスタと歩き出してしまった。置いていかれては大変と慌てて後を追う。そんな彼の向かっている方向には、小さな森があった。私は思わず立ち止まってしまった。
「…ちょっと待ってウィル。エリウッド様が奥様を連れて森に入るわけ無いわよ」
「この森にはあるだろ? 小さな花畑…」
「花畑」

 記憶を掘り返してみる。

「あ…もしかして、あの花畑…? 昔遊んでた?」
「そうそう。あそこなら森の入り口からそれほど遠くないし」
 ニイッとウィルが笑った。私も頷いた。
 彼の勘は時々当たる。決していつもとは言えないけれど。それでも、私は彼の勘が当たる様な気がしていた―――


 森の中に分け入っていく事数分。目的の花畑が見えてきた。
 そして花畑と同時に視界に入って来たのは、赤。燃えるような、紅蓮の赤。そして緑。儚く淡い、全てを包み込むような淡緑。
 …間違いない、お二人だ。
 そう思った時には、足が走り出していた。
 段々姿が近付いてくる。お二人は花畑の中で、見ているこっちが幸せな気分になるほど幸せそうに微笑んでいらっしゃった。でも、そのまま放っておく訳にもいかない。
「エリウッド様! 奥様っ!」
 二人を見つけた安堵から、顔の力が抜ける。きっと、情けない顔をしていたと思う。
 けれど、エリウッド様はそんな事などおくびにも出さず、笑顔でこう仰った。
「あれ、レベッカじゃないか。こんな所でどうしたんだい?」
 見つかって驚くでもなく、余りにも呑気な反応。勢いよく走り出していた私の足は急停止し、思わず顔面からスライディングしそうになった。あぶないあぶない。
 追いついてきたウィルが苦笑しながら口を開いた。
「エリウッド様、『どうしたんだい?』じゃないですよ。置手紙なんか書いて家出…いや、城出…かな?」
「どっちでもいいでしょ、そんな事」
 話の途中で妙な事を考え込む彼に、私はつっこんでいた。私は無意識に睨んでいたのだろうか、彼は少し肩を竦める。
「まぁいいや。置手紙一つで城を飛び出すなんて無茶ですよ。お陰でマリナス様はスゴイ顔で城の中うろついてるし、マーカス様なんて騎士団率いて領内探し回ってるんですよ?」
 ウィルの話を聞き終えるや否や、奥様の顔色が変わった。見ているこっちが可哀想だと思うくらいに顔面が蒼白だった。エリウッド様の袖を掴む白い手が細かく震えている。

 だけどエリウッド様は殆ど表情を変えずに、
「あれ? 少しの間って書いたと思うんだけど。すぐに帰るつもりだったんだけどな」
 とケロリと言ってのけた。
 かくり、と私もウィルも思わず前につんのめった。
「え、じゃ、じゃあ…『我慢の限界だ』って…」
「ああ、あれ。『新婚なんだからニニアンとゆっくりしたい』ってつもりで書いたんだけど」
 だったらそう書いて下さいよ!
 今度はウィルが恐る恐る口を開く。
「だったら『探さないで欲しい』っていうのは一体…?」
「書置きの決まり文句だろう?」
 何処からそんな話聞いたんですか…
 苦笑を通り越して呆然としてしまう。心配していた自分は勿論、馬に跨り、領内を駆け回っている騎士の人達やマーカス様は一体何だったのだろう…と。
 呆けている私達をよそに、エリウッド様はよっこいしょ、と腰を上げた。
「さて…マリナスも怒ってるというし、そろそろ帰ろうか。マーカスの説教も聞かなきゃいけないようだしね」
 そう言いながら微笑んだ。不安の色を隠せない奥様の手を取り、スタスタと歩き出す。
「あ、エリウッド様!?」
「ああ、そうだ。城までの護衛を頼むよ。ウィル、レベッカ」
「はぁ…」
 にっこりと微笑んで、そのまま森の入り口に向かって行ってしまった。思わずボーっと見送ってしまったけれど、すぐに我に返って後を追った。


 結局、エリウッド様は家出なんかする気は全く無かったそうで、ただ奥様とゆっくり過ごしたかったという事だった。でも手紙一枚で城を飛び出した事については延々とマーカス様の説教を聞く羽目になってしまったらしい。
 だけど、奥様と久しぶりに過ごされたエリウッド様は始終ご機嫌だったとか。説教も意味が無かったと後で嘆いていらっしゃったから、きっと説教の間中ニコニコ笑っていらしたんだと思う。その上奥様はずっと申し訳無さそうにしていらしたので、ますますその事について触れる事は出来なかった。
 普段あまり我が儘を仰らない方だったからビックリしたけど、よく考えたら不思議じゃないのよね。一週間も書類の山に囲まれて、その上最愛の奥様に会えなかったら、逃げ出したくもなると思う。だけど、突然の家出と紛らわしい書置きは勘弁して欲しい。
 今度は家出なんかしようと思う気にならないように、私達が気を配らなくちゃ…
あとがき
家出(城出?)ネタでした。
真面目な公子でも、やっぱり逃げ出したくなる事もあると思うんですよ。
ヘクトル様の影響も少なからずありそうですが。(笑)
『Want To Meet…』に続き、一人称再挑戦。
でもちょっと後悔。敬語と普段の言葉の使い分けが微妙な事に…
一応家臣の設定なので、エリウッド達の事を言う時は敬語かな〜と思ったのですが。
すいません、下手くそで…(汗)
エリウッド視点かと思いきや、実はレベッカ視点なこのお話。更にややこしくてすみません…
家臣の反応を書いてみたかったんです。でも浮かんだのが最初のアレだったんです。
で、無理矢理くっつけちゃいました。懲りない管理人は、次にロイあたり計画しています。
温かい目で見てやって下さい。
長いあとがきまで読んで頂いて、ありがとうございました。
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