僕が侯爵の位を継いで一ヶ月。父上の死によって混乱していた状況はマリナスやウォルト、それに沢山の家臣たちの助けもあって随分安定した。時々山賊が出たりもするけど、それなりに平和な日々だ。 贅沢を言うならば、ずっと城に篭りっぱなしで退屈…かな。 あっ、ウォルト…! 怒らない怒らない。冗談だってば。そんな贅沢は言わないよ。 ―――…多分、ね――― 最近のロイ様は机にかじりついて、熱心に政務に励んでおられます。 乳兄弟で幼い頃から一緒だった僕ですら、見たことも無いほどの集中力です。 エリウッド様が亡くなられる前までは大陸のあちこちを転々となさっていたので、少し不安でしたが…そんな心配は無用だったようです。 今日も朝から机に向かっていらっしゃったので、気晴らしにとハーブティーを淹れて差し上げる事にしました。執務室に引きこもらなければならないロイ様のため、気分がスッキリするように調合した特別ブレンドです。レシピは秘密です。 ちょっとミントを入れすぎたかも知れませんが…その辺は目を、いや舌を瞑って頂くという事で。 「ロイ様、少しよろしいでしょうか?」 コンコン、とドアをノックし、主の声を待つ。 ………。 ………………。 あれ、返事が無い。 「…ロイ様…?」 何となく嫌な予感がして、そっとドアを開けてみました。ふわっと優しい風が流れて来ました。窓が開いていました。そのため風が部屋の中に吹き込み、白いカーテンを揺らしているようでした。 中央に置いてあるテーブルの上には大量の書類の山。落ち着いてきたとはいえ、まだまだ多忙なのです。 だけど。 ここに主の姿が無いのは何故なのでしょう? 「あれ…いらっしゃらない…」 部屋の中をぐるりと一周しても、ロイ様の姿は見当たりません。 机の下を覗いてみます。 居ない。 書類に埋もれているとか。 崩れていません。 開いた窓――これに、僕の思考は囚われていました。 開け放たれた窓。吹き込む風。それになびく白いカーテン…そして外には幼い頃にロイ様とよく登った大きな木。 まさか。 嫌な予感が段々現実味を帯びてきます。まさか、まさか。ロイ様に限って… 必死に振り払おうとしても、その不安が消える事はありませんでした。だって。 …ありえる…大いにありえる… よく木登りをした木。アレを使えば下に降りる事も可能でしょう。そして先の動乱で、ロイ様は多くの事を学ばれました。戦い方、戦略…そして足場、視界の悪い場所での行動の仕方。きっと身のやつし方も盗賊の方々(特にアストールさん)から学び取っておられるでしょう…そして我々は、ロイ様は執務室に篭りっきりだと思い込んでいる。 きっと、逃げるのは簡単。 「ま、まさか、本当に…」 そして見つけてしまったのです。決定的な証拠を。書類の積まれた机の上に。
それを読んで、頭の中が真っ白になりました。此処しばらく執務室に篭りきっていたロイ様。そして今日も朝からこの部屋に篭って、書類と格闘しておられた。もし、それがこのための付箋だったとしたら…? ありえる。あのロイ様なら大いにありえる… 「ま、マリナス様! アレン様! ランス様! 大変です―――――!!!」 僕は置手紙を握り締めたまま、大声を上げて廊下を疾走しました。 「こりゃ、ウォルト! 廊下を走りながら何を騒いどるかッ!」 混乱してワケの分からない言葉を発しながら走っている僕を叱り付ける声。 慌てて急ブレーキをかけ、声のした方を振り返ります。失礼ながら、つるりと見事に禿げ上がった頭が見えました。差し込む日の光がキラリと反射して、少し眩しかったので思わず目を細めました。 「…あ、マリナス様!!」 思わず声を大きくして叫ぶ様に声を出すと、近くで叫ばれたマリナス様は顔を険しくなさって僕を睨まれました。耳を押さえておられます。どうやら耳に来たようで。 「ウォルト、ワシの話を聞いておったか」 「あ、も、申し訳ありません…」 不機嫌そうな顔で僕を睨むマリナス様は、ヤレヤレと溜め息を吐かれました。 「まぁまぁ、マリナス様。落ち着いて落ち着いて」 厳しい顔を崩さないマリナス様の後ろから、ひょっこりと顔を出したのは父でした。その後ろには母の姿もあります。 「どうしたの、あんな大声を出しながら廊下を走って。周りの方に迷惑でしょう」 「そ、そうだった! ロイ様が…ロイ様が…っ」 ロイ様の名が出た途端、マリナス様は勿論、父や母の表情もガラリと変りました。どちらかというとのほほんとしていた両親も、サッと真剣な表情になります。微かな動揺の色が垣間見えました。 「…ロイ様が城を抜け出してしまわれたみたいなんですッ!!」 叫び倒して掠れかけた声を張り上げて、コレでもいうかというほど叫びました。そのためか、その場がシーンと静まりかえりました。 でも。 「…そうか、ロイ様もか…」 え…『も』って…? 「今度は何処かしら…」 『今度』? 「ヤレヤレ…」 え、驚かれないんですか?心配なさったりしないんですか? 「「「やっぱり親子だなぁ…」」」 どういう事ですか!? 何がですか―――――!? マリナス様や両親は驚くというより、心配するというよりも、明らかに呆れ果てていました。そんな周囲の雰囲気に戸惑ってしまいました。 「あ、あの! ロイ様を探しに行かなくてよろしいのですか…?」 慌てて訴えかけると、父はのんびりと返事をよこします。 「いいんじゃないか? その内戻ってくるだろうし」 「父さんッ!!!」 余りにも楽観的な言葉に、僕は思わず声を荒げていました。そんな呑気に構えている場合ではないはずなのに。だけど父だけではなく母やマリナス様まで、のほほんとした先程の表情に戻ってしまっていました。 事情を知らない僕は一人焦れて、今にも地団駄を踏みそうでした。 どうしてそう呑気に構えていられるのか。 主が居なくなったというのに。ロイ様は貴族で、この土地の領主なのに。いくら剣の腕が立つといえども、まだ少年の域を出ないのに。何かあったらどうするのだろう。 そう思うと、いてもたっても居られませんでした。 「…もういいです。僕一人でも探しに行きます!」 マリナス様への挨拶もそこそこに、武器庫に置いてある弓を取りに走りました。そんな僕の後ろから声が聞こえてきます。 「こりゃ、ウォルト…!」 「やれやれ、せっかちだなぁ…誰に似たんだ?」 「何か言いたげねぇ、ウィル?」 「いんや、別に?」 談笑。何だか頭に来て、僕はソレを聞かなかった事にしました。 「…全く、なんて呑気なんだ…ロイ様が居なくなったっていうのに!」 手に持った弓を握る手に力を込めつつ、ブツブツと文句を言いながら歩いていました。あの呑気な反応がどうしても許せなかったのです。焦れて我慢できなくなった僕は、結局弓一式を取り、城を出てロイ様を探しに出る事にしました。 しばらく近くの村の周りを探していましたが、どうにもロイ様らしき人影は見当たりません。あの紅い髪を見逃す事はそうそう無いはずなのですが。 「ロイ様、何処行っちゃったんだろう…」 いくら探しても見当たらなくて、僕は段々不安になって来ました。もしかしたら見つけられないのでは無いか―――そんな思いが脳裏をよぎります。 考えるのを止めようと思えば思うほど、どんどん不安が募っていきます。 そんな不安から逃げるように、近くの森を歩き回っていた時でした。ふと、足元にあるモノを見つけました。 「…あれ、足跡?」 柔らかい土の上に、ブーツのような足跡がついていました。それは比較的新しい物で、点々と奥に続いていました。 もしかして。 ある可能性が浮かび上がり、少し早足で進みました。木漏れ日を浴びながら疎らに茂る木々の間を抜け、夢中で足跡を辿りました。多少は人の往来があるのか、その足跡が残る筋は道のようになっていました。 そして歩く事数分。視界が開けたと思った瞬間でした。鈍く光るモノが閃き、喉許にピタリと当たりました。切れない程度にめり込む冷たい感触。間違いない、刃物だ。そう思いました。 山賊かと思って矢筒に手を伸ばした時、紅い髪が視界に入りました。思わず弓を取り落としそうになってしまいます。 「ろ…ロイ様ッ!?」 「あ、あれっ、ウォルト!?」 刃を突きつけていたのは、探し回っていた主でした。青い瞳を丸くしながら、呆気に取られた様子で僕を見ていらっしゃいます。その手には、やはり鈍く光るレイピアが。 「や…やっと見つけましたよ、ロイ様!!」 弓を放り出し、ガッシと驚く主の腕を掴みました。それでハッと我に返ったらしいロイ様は僕にズイッと詰め寄られます。 「そ、そうだ…どうして此処に! 何かあったのか!?」 今度はロイ様が僕の肩を掴んで、ガクガクと揺すりました。自分が原因だとは思っていらっしゃらないのか、いつに無く真剣な顔で僕を見つめていらっしゃいます。これで貴方が原因です、と言っては申し訳ないような気もしましたが、言うべき事はハッキリ言わなければ。 意思表示は明確に。 「ロイ様を探しに来たんですよ! 急に居なくなってしまわれるから!!」 「どうして。置手紙は残して行っただろう?」 「だからですよ! あれじゃ家出じゃないですかっ!! 疲れが溜まっていらっしゃったんですか。急かし過ぎましたか? 頻繁に執務室を訪ねたのがいけなかったのですか! 何かお気分を害される事があったのですか!?」 落ち着いて話そうとする自分を置いて、舌が驚くほど回りました。やはりロイ様は面食らっていらっしゃるようで、ポカンと僕のほうを見ておられます。それでも僕の舌は止まる事無く捲くし立てます。更に言葉を続けようとした、その時でした。 「それくらいにしなさい、ウォルト。ロイ様が驚いていらっしゃるわ」 僕の止まらない言葉を止めたのは、不意に響いた母の声。 「か、母さん!?」 「…やっぱり誰かさんに似てるよなぁ…」 僕が来た方向に立っている母の隣から、ひょっこりと顔を覗かせたのは父でした。僕が見たのは、母の裏拳を顔面に食らって痛がっている所でした。恐らくボソリと呟いた台詞が原因でしょう。 ロイ様はますます分からないという風に首を傾げて、後から現れた二人を不思議そうに見ていらっしゃいました。 「レベッカにウィルまで…どうしてこんな所に?」 「そうですよ。僕が此処を見つけたのはついさっきなのに。来るのが早すぎじゃ…」 ふと湧き出した疑問に、またしても僕の舌が回り始めます。それを遮るように母が話し始めました。 「ふふ。此処にはエリウッド様もいらっしゃったのよ。ニニアン様と一緒にね」 「そうそう。ロイ様みたいに置手紙残して、家出騒動起こしてな。マリナス様は鬼の様な顔で城内歩き回るし、マーカス様は騎士団率いて領内を駆け回るし…大変だったなぁ…」 父、早くも回想モード。 「で、本人は此処で奥様とのんびりなさってたと。もしかしてと思って来たら…」 「やっぱり親子ね」 そう言って笑いあう両親に、僕は驚いて言葉も出ませんでした。先程まで嫌というほど回っていた舌がピタリと止まって動きません。 もしかして、両親やマリナス様が冷静で居たのって… そっと隣に立つロイ様を盗み見ると、俯いて顔を真っ赤にしていらっしゃいました。 「父上が…そんな事を…? も、申し訳ない…」 お父上の行動とご自身の行動を重ね、若き日のマリナス様やマーカス様の様子をご想像なさったのでしょうか。 両親は笑いを止め、こう言いました。 「さぁ。城に戻りましょう、ロイ様」 「城中が大騒ぎになる前に戻ったほうがいいですよ」 「そうだね。そうするよ」 そう仰って、ロイ様は花畑の中に置かれていた小さな花束を手に取られました。薄い桃色や白、菫色など色鮮やかな花がカサリと揺れます。そっとそれらの花を撫で、ロイ様はこちらに歩いて来られました。 「ロイ様、それは何ですか?」 不思議に思ってお聞きしてみると、ロイ様は照れた様に笑われました。 「押し花にしてリリーナにあげようと思って。どんな花がいいかなって考えていたんだ」 「マメですねぇ、ロイ様」 頷きながら感心する父に、母は横目で睨みながら突っ込みます。 「貴方が無頓着なだけよ」 父は肩をすくめ、お手上げだという風に両手を挙げました。 「おぉ、ロイ様。戻られましたか!」 フェレ城に戻ると、マリナス様が門の所に立っておられました。ロイ様の姿を確認して小走りで近付いてこられます。焦りの表情は見えなかったもののやはり不安はあったようで、僕らの前に立ち止まったマリナス様の表情は晴れやかでした。 「全く、置手紙一つで護衛も連れずに外出なさって。もしその御身に何かあったら…」 「そうだね。すまなかったと思ってるよ、マリナス」 安堵の溜め息一つを境に説教を始めようとなさるマリナス様を、ロイ様はやんわりと遮られました。手に持った花束を指して仰います。 「リリーナにあげるしおりを作ろうと思って。だけど、ここしばらく忙しかったから、皆疲れているだろうと思ったんだ。だから、一人で城を出て摘んでこようとしたんだけど…」 少し伏せ目になさって、視線を床に落とされました。 「かえって迷惑をかけてしまったみたいだね。 …すまない…」 「ろ、ロイ様…」 少し、マリナス様のお顔が緩んだように見えました。 「…という事で。皆に迷惑をかけた分、僕はこれから執務室に篭って続きをするよ」 そう仰って、ロイ様はスタスタと歩き出されました。マリナス様も説教のタイミングを失い、呆気に取られておられます。両親も余りの切替の速さに少々呆けているようでした。 ロイ様、恐るべし… 僕がそう思いながら立ち尽くしている間にも執務室に向かわれるロイ様。隣で我に返ったらしい両親の声が耳に届きます。 「親子とは言えど、ロイ様が一枚上手だったようね…」 「みたいだな。ヘクトル様に何か吹き込まれてたんじゃないか?」 「ま、まさか」 「…まさかな」 僅かに顔を引き攣らせながら笑い合う両親。マリナス様は絶句なさったままでした。 この事件からしばらく、僕はロイ様の監視役をする事になりました。しかしその間、実は密かにしおり作りを手伝わされ、リリーナ様にお渡しするために城を抜け出す計画の片棒を担ぐ事になったのは、此処だけの話。 というのも、あの後僕が申し上げた言葉が原因なのです。 ――乳兄弟なんですから、僕には何でも仰って下さいね。僕はロイ様の味方ですから。 しかしこれは、味方というより共犯者だと思うのですが…? | ||
今度はロイ様です。そして、やはり振り回されるのはウォルトで。 でもウィルやレベッカ、ピッカリ頭のマリナス様も少し活躍。 「親子だなぁ」って台詞を言わせたかったんです。単に。 何気にマーカス様は引退されております。フェレ家も落ち着いたって事で… コレ書いてて気付いた事。 ウチのロイ様、何だか少し計算高い所があるような…? 鬼蓄にも天然にもなりきれない…そんな感じです。 段々黒くなっていきそうで怖いですが、それもまたご愛嬌?(笑) …あとがきというか雑談ですね。長々と読んで下さって、どうもありがとうございます。 ご意見・ご感想など頂けると嬉しいです。 | ||