ディナーカレー
(1)
打掛のブザーが鳴る。今日もアキラの昼食はお茶だ。もっとも、今日に限っては
対局中でなくても昼を抜いたろう。
夕べから部屋に彼が来ている。そして彼には本日予定がない。
『晩ゴハン、俺が作ってやる!楽しみにしてろよ!』
そう言ってアキラを送り出してくれた。
はい、楽しみです。いつもより集中力が出なくて焦るほど(それでも楽勝展開です)
楽しみですとも。アキラは上機嫌である。
ドアを開ける前から匂いがしていた。アキラはにこにこである。
「ただいま。」
「おっかえり〜。さあ当ててみやがれコンチクショー、今日のゴハンはなんで・しょう!」
玄関で腰に手を当て仁王立ち。ヒカルはハイテンションである。
「うーん、カレーだね。」
ずっとこの部屋にいた彼には匂いのパワフルさがわからないらしい。
「うわ、当たり。何でわかんのオマエ?」
「愛の力です。」
「うっひゃー、オマエきもーい。」
【きもい】が解らないアキラは、言ってるヒカルが笑顔なのも手伝ってそれを褒め言葉と
受け取った。アキラはハッピィ野郎である。
(2)
「すっげ上手く出来たんだぜ?感動しろよ?」
「嬉しいな。…怪我しなかった?あの包丁切れやすいだろ。」
「んー、全然平気。玉ねぎがムカついたけど。」
「ああ、痛いんだってね。お母さんも、よく目閉じて切ってるよ。」
「はあー?指切るじゃん。」
「いや、それが切らないんだ。主婦の勘だって言ってたよ。…真似しようとか思うなよ。」
「絶対しねー。なあ、食べようぜ。」
「「いただきます。」」
一口食べて、感動する。カレーはとても良く出来ていた。煮込みが大事と彼のお母さんが
教えてくれたのだと嬉しそうに語ったとおり、十分煮込んだ野菜は甘く鶏肉も柔らかく
ほぐれる。辛さ加減もなかなか。例え失敗作だったって、彼が一生懸命アキラの為に、
繰り返すがアキラの為に!作ってくれた料理はそれだけで5つ星だ。
彼が感想を欲しがって自分を覗き込んで来る。さて、何と言ってあげよう。
「…すごく美味しいよ。」
平平凡凡。自分にがっかり。
「へへ。…良かったぁ。」
それでも彼が嬉しそうだからいいか。
「ありがとう。今本当に感動してるよ。」
食事風景はいわゆるラブラブというやつだった。他人が見たらカレー食ってるくせに
甘ったるいんだよアホボケバカップル!とちゃぶ台返しを見舞いたくなるほどに。
さて、つつがなく終了したディナーはその後ちょっと困ったことになった。
鍋の中には、黄土色に輝くルーがなみなみ山盛りてんこ盛りに残っていたのだ。
初めてカレーを作るヒカルは真剣にルーのパッケージに書いてある【つくりかた】と
にらめっこし全くその通りに作り上げた。手順だけでなく分量まで。
つまり、10皿分作ったのだ。一人暮しのアキラのキッチンで、10皿分。
その事態に先に気付いたのはアキラだった。
(3)
「ご〜め〜ん〜。どーしよ、オレバカだー」
しょんぼりするヒカルは、責任とって家に持って帰ると言ったがアキラは止めた。
全部食べるよと。気を使っての言葉ではなく、心から食べたかったのだが。
「ごめん…。捨ててくれてもいいから。」
冗談じゃない、もったいないオバケが民族大移動を起こす。
そんなわけでアキラのカレー生活が始まった。
嬉しいことに責任を感じたヒカルが毎日一緒に食べに来てくれた。夕食を一緒に取れば、
自然そのまま泊まる事になる。朝が来ても、用が無ければそのまま1日中二人きりだ。
そして夜がくるから、また二人でカレーを食べてそのまま泊まって朝が来て…
カレー生活すなわち同棲生活。素晴らしき日々。
「ごめんな?もうヤだろ?」
「何言うんだ。キミが初めて作ってくれたカレーを何日も食べられるなんて最高だよ。」
ヒカルはいたく感激し、そのためか真夜中のサービスはいつもの5割増だった。
アキラは上機嫌である。にこにこである。日本一のハッピィ野郎である。
カレー生活は5日に及んだ。鍋ごと冷蔵庫に入れて保管しつづけたそれは肉も野菜も
融け切ってどろどろになった。食べる度、アキラは今までで1番美味しいと思った。
部屋に染みついたカレーの匂いにはとっくに麻痺していたが、風呂の湯までカレー臭いの
には流石に驚いた。
そしてついに鍋が空になった瞬間。
ヒカルは「やったー、終わった!」と叫び。
アキラは「あーあ。また作って。」と言ったので。
一瞬の沈黙の後、彼の大笑いがマンションの廊下までカレーの匂いと共に届いた。
―おしまい―