冬の猫
(1)
最近、目を覚ますと進藤がこちらの布団に潜り込んでいることが多い。
最初はとても驚いて、自分でもみっともないと思うような声を上げたけど。二度三度と続けば「また
か」と慣れてきて、代わりに心拍数が増えるようになった。
碁会所での検討が白熱し、喧嘩別れのように進藤が帰ってしまう幕切れが圧倒的多数だったのが、北
斗杯を境にその割合がぐっと減った。そうなると検討は延々と続いて時には再戦ともなり、碁会所を
閉める時間になってもケリがつかず。市河さんを帰れなくさせるのが申し訳なくて、当然の帰結とし
て他人を泊める余裕のあるウチで続きを、となる。
夏も秋も特に問題はなかった。そう、これは冬になってからだ。
起きた進藤に訊いてみれば、何のことはない、布団が冷たいからという単純明快な答えが返ってきた。
ほぼ同時に布団に入り、起きるまでに何もなければそのまま朝まで定位置だ。
要は、何かの理由でタイムラグが生じた時に、この現象が発生するわけだ。
最初はどういう経緯だったかを思い出す。そうだ。そろそろ寝ようとする段になって、急に進藤が詰
碁を気にしだし、「先に寝てろよ」と言い残して碁盤に向かったんだった。
風呂上がりのパジャマの上下にダウンジャケットを羽織っただけで、靴下も履かず裸足だった。
「そんな格好だと風邪を引くぞ」
忠告にも生返事で、もうこちらに関心はなくなっている。お互いそういう人種なので、気にせず先に
床に入ったのだ。そして朝、ボクのとんでもない大声が進藤も叩き起こした、そんな次第。
「おまえがジャマだけど、あったかい布団の魔力には勝てない」
そんな憎まれ口を利くくせに、いつだってボクの体にぴったり擦り寄って気持ちよさそうに安らかな
寝息を立てているのはどういう了見だ。こないだなんか、胴体に腕が回ってきてたぞ。
というか、自分の布団くらい自分で育ててくれ。
凄く、心臓に悪いんだ。
「男なんだし、間違いが起こるワケじゃねーだろ。ケチケチすんなよ」
そうとは限らないな。いざ間違いが起こる段になったら、泣くんじゃないぞ。
(2)
今回は……ボクが手洗いに立った隙に、やはり詰碁を解いていて布団を暖める手間を惜しんだ彼がこ
ちらを占領していた。ボクは傍らに突っ立ったまま、幼い頃の遠い記憶を思い浮かべる。
「そうだ、思い出した。父の後援会の方だったっけ、猫を飼っていらして」
「なんだよ急に」
「普段は寄り付きもしない、愛想のひとつもない飼い猫が。冬場になるとちゃっかり布団に潜り込ん
で来るって話をね」
「オレはネコ並って言いてーのか」
「そうだよ。猫と一緒だ。その方も、トイレから戻ったら布団をしょっちゅう盗られてたって楽しそ
うにぼやいてらした」
彼がいるのにも構わず、掛布と毛布をはぐって入り込む。冷えきった体がボクに触れる。
「おー、あったけー。んふふ」
「こっちは冷たい。まったく、迷惑だ」
「じゃあ、あっちの布団行けば?広いぜ」
「余計冷たいじゃないか」
自分より表面温度の低い体を抱きしめる。進藤の呼吸が乱れる。
「自分の布団に戻るなら、今のうちだぞ」
氷のような足先が、ボクの足の甲に触れる。進藤は逃げない。にやっと小意地の悪そうな顔で笑う。
「よっしゃ勝った」
「勝ったって何がだ」
「夏にさ、オレが寝てると思ってチューしてきただろ。いつ理性捨てるか、こっそり賭けてた」
全身の血が顔面に集中したかのような錯覚に襲われる。まさか、まさか。
「全部わざとか!」
わなわなと体が震える。怒りとも羞恥ともつかない、感情の混濁。
「ひとの寝込みにチューするおまえが悪い」
そうだけど、確かにそうだけど。それにしたって。
するり、と進藤はボクの腕を抜け出して、室内と同じ温度の布団に入る。
「ふわぁつめてェ。うーさぶさぶ、んじゃおやすみー」
ボクは枕を引っ掴み、力の限り彼の小憎たらしい頭に叩きつける。
猫なんかじゃない。そんなの比べ物にならないほど性悪だ、キミは。
<了>