木の芽時の猫
(1)
よくよく、冷静になってから自分の言ったことを振り返って。オレは転げまわりたくなってしまった。
あれがオレの本音だなんて、ちょっと信じたくない。
熱のせいだ。インフルエンザのせい。全部そのせい。うん、そうに決まってる。うんうん。
その証拠に、治ったらこうして「うわああああ」ってなってるじゃんよ。
でも。塔矢は通じねーヤツだから。納得なんかしないんだろうなァ。あーあ。どーしよ。
あんまやりたい放題やられたのがハラ立って、ダメ押し食らわしてやるつもりで塔矢を布団に誘き寄
せたのが効いたんだと思う。見事に伝染ってやんのバーカ。
塔矢に連れてかれたあの医者、インフルには薬使わない主義だったんだ。後でウチのかかりつけ行っ
たらそう言われて飲み薬出された。早く治したいからこっちの方がよかったのに。
ま、もう治ったからいいけどさ。
「……ふう」
何度目だろうか。こんな溜息ばっか。さすがに対局中はやってないだろうと思いたい。
世の中はお花見シーズン。まだじっとしてたら寒いのに、レジャーシート敷いて騒ぐ人間の多いこと
多いこと。
棋院から外濠公園が近いんで、よく誘われるけど。去年は北斗杯の予選でそれどころじゃなかったし、
今年は病み上がりでパス。また熱出して手合を休みたくないもんな。
家への帰り道に傍を通る公園にも、桜の木があってそこそこ咲いてる。チラ見するだけでいつも済ま
せてる。でも今日、オレは、そこでなんか変なものを耳にして立ち止まる。あ、これって。
前に塔矢に言われたのを思い出して、顔が熱くなる。そんな意味合いで言われたんじゃないけど、で
も……。
人気のない小さな公園に足を踏み入れると、そこには、やっぱり、あの、なんか、真っ最中の。
ネコ。
そうですか、やりたいシーズンですか。
あんな風に後ろから上に乗られて、うなじ噛まれながら挿れられたらどんな。
ってうわ、オレ何想像してんだもう!違うだろ!あれは事故だって!そう事故!痛かっただけだし!
後がタイヘンだったし!二度とあんなのゴメンだし!
でも目が離せない。心臓がバクバクしてる。呼吸が乱れる。
下にいたメスネコが、すんごい声で怒って?怒ってんだよな?オスに攻撃した。ヘタクソだったのか
な。ハハ、塔矢みてぇ……ってだから結びつけんなって!
「猫の交尾ガン見して、もしかして欲求不満なの?」
いきなりの男の声に、我に返る。三人、どいつも知らない。酔っぱらい?まだ夕方なのに?会社は?
「こんな可愛いのに、相手いないの?物欲しそうに猫のエッチ見てるなんてさ」
「どこのガッコの子?いいねえ学生は春休みで」
これはもしかしなくても。間違えられてる。結構あるから、いちいち怒んないけど。
こんな背の高い女がいるか、と反論しきれないのが痛いんだよなあ、ったく。ハンパな身長だから。
「アイソないなあ、せっかくの可愛い顔が勿体ないよ?」
余計なお世話だバカタレ。
(2)
「酒くっさ」
ものすごく正直な感想が口から転がり落ちる。
「仕事もしねーで昼間っから呑んだくれてる大人に学生どうこう言われたくねェよ」
「口悪いなァ。そんなじゃ男に好かれないよ?」
生憎、物好きが約一名おりますので間に合ってます。いらねーけど。
「大人にはね、色々あんの。花見の付き合いとかさ。今日だって朝の早よから場所取りで」
「そーそー、寒い中スペース確保して」
それが苦労かよ、めでてーな。こんな時間に出来上がってる言い訳には苦しいぜ。
オレだって週五日みっちり仕事ってわけじゃないけど、空きの日は大抵勉強なんだよ。
こんなとこで油売ってるヒマなんてないのに、ないのに。ネコ見て変な気分になってるから、こんな
のに絡まれるんだオレのバカ。
さっさと帰ろうと公園の出口に足を向けたら、お約束の通せんぼ。
「冷たいなァ。そう邪険にしないで、カラオケでも一緒しよーぜ」
「誰か一人歌ってる間に、交代でキモチよくしたげるからさ。したいんでしょ?エッチ」
こっちにも選ぶ権利ってヤツがあるのを忘れてやがるコイツら。つか、さっきからベタベタ触りまく
りでまだ気付かねーほど酔っ払ってんのかよ。なら醒ましてやる。
「あんたらさ、男でいいからヤリたいってくらい飢えてんの?うっわカワイソー」
きょとんとしてやがる。もう一発必要ってか。
「こんだけ触っても女と区別つかないくらい酔っぱらってちゃ勃たねーだろ、ん?」
オレきっと、すんげー悪いカオしてる。会心の笑顔だと思う。
男だとわかってて手ェ出してくる変態は塔矢だけでたくさんだっつの。
ああ気分悪ィ。このムカムカ、どこへぶつけてくれよう。
────たぶん。オレは、塔矢とすること自体を否定してるんじゃない。
メスネコの役に抵抗感があるだけなんだ。それだけで充分、オレもどっかおかしい。壊れてる。
じゃあ塔矢をメスネコにしたいかって言えば、全然。ほらおかしい。イカレてる。
あの晩の出来事を思い出すと落ち着かなくてそわそわする。やっぱおかしい。ダメすぎる。
あんなん、要は超痛いカンチョーじゃん。そりゃ下痢もするわな。なのに。アタマは覚えてないのに
カラダが覚えてるらしくて。
そうなんだよ。思い出すたびに、なんか溶けそうな感覚がじわっと来ちゃって。
けど塔矢にぶっちゃけるのはシャクだし。言ったらアイツ大喜びで伸し掛かってくる絶対。
それはハラ立つからヤダ。だけど。カラダの中がドロドロして、そんでネコ見てああなって。
「ウチ来るのはいいけど……突然だな、こんな時間に」
アポなし訪問は初めてだったので、塔矢はちょっとびっくりしたみたいだった。
「他に誰か来てる?」
先生の門下の人が出入りしてるから、いつもコイツ一人ってわけじゃないのは知ってる。
「いいや、誰もいないよ」
「そう」
(3)
「進藤、どうしたんだ」
まだちょっと顔色が悪いかな、オレよっか治りが遅そうだったもんな。
「ん、あぁ、べつに……特には」
おいおいおい。嘘でも今年の北斗杯の予選がどうこう中韓の代表がどうこう言っとけよ!
「陽が暮れてから来るなんて、期待させるキミは酷いな」
「期待ってなんだよ」
わかりきってて、しらばっくれる。恥ずかしいし。
「ん、っ」
玄関先だと思って油断してた。ぎゅっと抱きしめられて、唇も塞がれる。
口の中をいっぱい舐められて、アソコがむず痒いような変な感じになって。どうにかしたくて、塔矢
に擦りつけてしまって。なんでこんなんなっちゃうんだろ、わかんない。
「んふ……んぅん……ん……」
漏らす声も、全部塔矢の口に吸い取られてしまう。カラダの表面が嘘みたいに敏感になって、服の上
から撫で回されると鳥肌。これも下半身直結。どうなってんのさホント。
さっき酔っぱらいにキワドイとこまで触られたって全然へーきだったのに。なんで。
やっと唇が離れて、視界いっぱいの至近距離に塔矢のどアップ。
なんとなーく、納得する。コイツだって女顔なんじゃん。だからオレ、誤認しちゃうんだ。そんでき
っと、コイツもおんなじで。
互いに互いを女みたいだって思って、そういう対象にしてるってことなんだろ、結局。
……それで全部説明できんのか?じゃあ、オレのいびつな認識と感覚はどうなんだよ。
塔矢としてもいいって思ってる。でもメスネコの役はやだ。塔矢をメスネコにしてでもって気にはな
らない。じゃあしなくてもいいじゃんって話になるけど、それもやっぱ違う。混乱する。ああ。
「ここ最近は……碁会所に来ても閉まる時間で直帰だったから、避けられてると思ってた」
「ん、避けてた」
息がかかる距離のままで、オレ達は会話する。
「じゃあどうして今日は?」
塔矢の声が掠れてる。なんかエロい。腰にくる。
「……ネコが」
「猫?」
「ぁ、いや。うぅん、こっちの話」
「要領を得ないな。キミは何の用で来たんだ」
「用がなきゃダメかよ……んっ」
耳を舐められて声が出ちゃう。塔矢の腕を振りほどけなくて、逆にしがみついちゃってる。
「改めて抱かれに来たんじゃないのか」
抱かれ、って言葉がずしんと胸に響く。塔矢にはオレみたいな変な迷いはないんだ。くっそ不公平。
「そうスッパリハッキリ割りきれてたまるか!」
うわあ情けねー、涙出そうになってる。
「でも今、キミがこうしてここにいるのが何よりの答えじゃないの?」
もしかしたら、この容赦ない言葉によるひと押しが欲しかったのかな。決められないオレは。
(4)
カラダはとっくに答えを出してる。うだうだ理由つけて逃げ道を探そうってアタマが悪あがきしてる。
どっちを優先させたらいいか自分じゃ決めらんないから、塔矢に決めてもらおうとしてるんだ。
「ボクに抱かれるのは嫌?」
「……男はヤダ」
「もう一度同じ質問。ボクでは嫌?」
こうやって追い詰めてもらって、抵抗するアタマをねじ伏せようとするオレは、ずるい。
「こんなとこじゃヤダ」
前回はみんなすっ飛ばして本番行けってオレが言ったから、自業自得なとこがあった。
熱で関節痛がひどかったし、寒かったしで。早く終わってほしかったんだ。
「ぁ、っ、……ん、ん」
敏感になりすぎた肌を塔矢の唇や舌が撫でていく。漏れる声はオレのじゃないみたい、恥ずかしい。
演技なんかしてないぞ、まあ塔矢はそんなの疑わないだろうけど。
「んッ!」
思わず背中が畳から浮いてしまう。乳首ってそんな神経集中してたのかよ。ちょっと噛まれただけな
のに電気走ったみたいになっちゃった。
もうオレのは痛いくらいに硬くなってて、ガマン汁が腹に垂れそうになってる。これ見て萎えない塔
矢ってすげーな。オレの顔しか見えてないわけじゃないだろうに。
「ああっ」
塔矢の裸の腹が、オレの裏側を擦り上げて。それがトドメ。
胸も腹も自分の出したもので汚したオレを、ちょっとだけ体を離した塔矢がじっと見てる。て、え?
「わ!そんなん舐めんな汚ねー!」
拭き掃除でもするように、塔矢は胸も腹も舐めてくる。イッた直後でさらに過敏になってるからツラ
い。過ぎたるはなんたらってガッコで習わなかったかよ?
と。ころりっと腹ばいにひっくり返されて、いよいよか、と覚悟を決める。
「うぁ冷てっ!なに、っ」
尻たぶを開かれて、そこになんか冷たいのが垂らされたっぽい。塔矢の指が動いて、冷たいヌルヌル
と一緒に中へ入ってくる。前よっか痛くない。くちゅくちゅ音がすんのがやらしくて、耳まで熱くな
る。
「っく、んん、ぁ」
そう、これだ。じわって、中から来る感覚。
「気持ちいい?」
「ん、わ、っかんね、っ」
気持ちいいって言っていいのかどうかわかんない。感覚の整理ができてない。
「ぁ、塔矢、この、ままでっ」
通じるかな。通じなくてもまあいいけど。詳しく説明したらインランとか言われそうだもん。
腹の下に腕が入って、ぐっと持ち上げられる。尻だけ高く上がった体勢。マジかよ通じたじゃん。
「あぁあ……!」
腰から背中へゾクゾクが駆け抜けてく。ちょっと痛いけどそんなんどーでもよくなっちゃう。
(5)
今のオレはあの公園のネコ。オスに伸し掛られて変な声出してたネコ。
あんななんだと思うだけで、恥ずかしさと興奮でどうにかなりそう。
塔矢いいよ、ゆっくりじゃなくても。もっと早くていい。こないだに比べたら全然痛くないから。
「はっあ、あぁ、あー……っ」
深い場所まで入られて、目の奥が真っ白になる。何も聞こえなくなる。……あれ?
肩を揺さぶられて、真っ白状態から帰還。まさか、落ちてた?
「……大丈夫?」
そんな心配そうな顔すんなって。ちょっとトンだだけだって。おまえがイクまでつきあうからさ。
こっくり頷いて、続きをやれよって言ってやる。
「ふっ、あ、あぅ、あっ、ぁは、ぁあ」
ああダメ、おかしくなる、おかしくなるよ、ヘンになっちゃう。またトンじゃう。
「ぅあ──────!」
首の後ろに衝撃。塔矢が噛みついてる。一緒だ。オレたち、ネコと一緒。
違うのは、オレは塔矢に「ヘタクソ」って攻撃なんかしないこと。
「あ────!あ────!あ、っ!」
挿れられたとこがもうどうなってんのかわかんない。突かれてんのか抜かれてんのかもわかんない。
塔矢のもろとも、溶けてとろけてしまってんじゃないかって。
「なくなる、なくなっちゃうよぉ、あぁ、あ!」
オレがオレでなくなる。スライムみたいにでろでろになる。
「進藤、もう……!」
塔矢が低く唸るように終わりを予告して、後ろからオレの両手を握った。
正気に戻ってから気付いたこと。塔矢はちゃんとゴムしてた。そーゆー、抜かりねーとこがなんか気
に食わない。次はしくじらない的な?次があるの前提みたいな?
確かに終わったあとのラクさはダンチだったけど、やっぱ気に食わない。
「キミの御機嫌の基準が意味不明だ」
そうでしょうともよ。オレの御機嫌はおまえが考えるような理路整然としたもんじゃないし。
だって、オレ自身ですら意味不明なんだぜ?おまえに理解できてたまるかよ。
おまえのこと、好きなのかどうなのかってのすら。どこ探せば見つかるんだよレベルなんだ。
「なあ塔矢。もっかい、しよ」
何度も回数重ねたら、それも見えてくるのかな。どうだろ。
「……せめて、敷布団だけでも必要じゃないか。肘から下、擦り剥けてるぞ」
ちょっと呆れ顔で塔矢がオレの肘のあたりを指差す。オレは答えず、薄い唇にキスをする。
────遠くで、ネコが「しよう」って誘う声が聞こえる。
*
『猫の恋初手から鳴いて哀なり』 志太野坡