平安幻想異聞録-異聞-<外伝>
(95)
こんな時だというのに、アキラが意識を取り戻したことに安堵するより先に、
どこか小馬鹿にしたようなその態度の方にに、腹がたった。
「なめるなよ、こんな妖しぐらい……!」
近寄ってきた赤子の頭ほどもある蜘蛛に斬り掛けたヒカルの太刀は、空を切った。
瞬く間だけ、姿をくらましたそれは、今度は几帳の上でこちらを見下ろしている。
「だから言ったのに」
「呑気にしやがって。だいたい何だよこれ! こうなるまで陰陽師のお前が、
何やってたんだよ!」
「この妖したちを、全部消し去る方法があるけど、教えてあげようか」
「何だよ」
「僕を殺せ」
ヒカルは息を飲んだ。
「……馬鹿も休み休み言えっ!」
アキラはかまわず続けた。
「これは、みんな僕から生まれたんだ」
細くなったアキラの手が延びて、太刀を持つヒカルの腕をつかんだ。
肉が前より薄くなっていて、指の骨の形がわかる程でヒカルは何かぞっと
するものを感じた。
「君のせいだ。君が中途半端に僕に情をかけたりするから」
「…………」
「僕は君が愛おしくて、佐為殿が憎くて、押さえきれない情念がこうして外に
あふれ出てしまったんだ」
チイチイと、鼠に似たあやかしが、部屋の隅で鳴いた。ただ、その鼠には
皮膚がない。
赤い内蔵がそのまま剥きだしになって蠢いている。
「醜いね。近衛もそう思うだろう?」
(96)
薄く笑ったアキラのどこか諦めたような表情にヒカルは、なんと答えていい
かわからなかった。
「あれはまったく僕の心そのものだよ。醜くて、とらえ所がなくて、取り押さえ
ようもない」
アキラは天井を眺めながら、たんたんと言葉を紡ぐ。
「あげくにこの忌々しい奴らは、とうとうこの屋敷の奥、この僕のところまで君を
ひっぱりこんでしまったわけか。僕が心のままに」
「何か、俺にできることあるか?」
陰陽師である彼にどうにもできないものが、自分にどうにかできるとも思えなかったが、
それでも何かしてやりたくて、ヒカルは尋ねていた。
突き放すようなことを言いながら、それでもアキラの手が自分の手首を離さない
のは、彼が誰かに――自分に救いを求めているからだと、そう思った。
目線を天井に向けたまま、アキラはヒカルの利き腕をつかんでいる。
「君が欲しいんだ」
若い陰陽師の目線が、ヒカルを捕らえた。
「君が欲しい。それが出来ないのなら、ここから出ていってくれ。それも駄目なら、
いっそ僕を殺してくれ」
アキラの指が手首の筋の間に食い込んだ痛みに、ヒカルは口の中で小さく声を
あげた。
ヒカルに抱えられたアキラが、顔を胸に押し付けてくる。
その姿に何か尋常でないものを感じてヒカルは思わず腰をひいた。
何とかしてやりたいと思ったばかりだが、ヒカルを逃げ腰にさせたのは、もっと
動物的な、危険な気配から逃れようとする抑え難い本能のようなものだった。
例えば、生まれたばかりの子ウサギでも蛇を見たら逃げ出すような。
巣立ったばかりの鳥の雛でも鷹の影からは身をかくそうとするような。
無意識に引いたその体を、アキラの腕が引き止める。
体が硬直して、ヒカルは目をギュッと閉じた。