身代わり
(24)
進藤ヒカルはあたふたとしていた。
ソファの上にある見舞い品を見て、ますます慌てた様子になった。
「オ、オレなんか買ってくる」
「いいから!」
思いのほか強い声が出た。行洋は驚いたが、まわりは気にしていないようだった。
自分の身体の調子をたどたどしくヒカルが聞いてくる。
それは誰よりも温かな言葉に感じた。
自然と笑みがこぼれてくる。気持ちがやわらいでいた。
「今はもうなんともないよ」
そう言うと、ヒカルが傍から見てもわかるほどホッとした顔をした。
そんなに自分のことを心配してくれていたのか。
ヒカルはちらりと斜め上を見た。佐為が胸を撫で下ろしている。
(ホント良かった、塔矢先生元気そうで)
にこにこしながらヒカルは緒方たちの会話に聞き入っていた。
だがネット碁の話が出たとたん、その表情は変わった。
行洋はそれにすぐに気付いた。そして何か渇きにも似た衝動が湧き起こる。
いけない、と行洋は自分に言い聞かせる。
「碁を打つだけなら難しくはなかったよ。碁を打つのは得意だしね」
自分にしては珍しく軽口をたたいた。だがヒカルは笑わなかった。
何かを考えている顔をしている。そのヒカルを緒方がちらりと見る。
たったそれだけで、行洋は自分の保っているものが崩れていきそうになるのに気付いた。
二人きりにしないでほしい。
心から行洋は願った。
(25)
緒方たちが病室から出て行く。
ヒカルはこの千載一遇のチャンスに緊張した。
慎重に言葉を選ぶ。まるで重要な局面での一手を打つ瞬間のように感じる。
ヒカルは"sai"という名を出すのに、何度もつばを飲み込まなくてはならなかった。
その名をヒカルの口から聞いても、行洋は驚かなかった。どこかでわかっていた。
「キミの知り合いなのか」
「……はい」
そう言うと、行洋は次々に質問をしてきた。しかしヒカルはどれにも答えられなかった。
行洋の表情が険しい。
ヒカルは自分が失敗したことを悟った。ダメだ、チャンスを生かせなかった。
顔をおおい、うなだれるヒカルの様子を行洋は見ていた。
こんな子供相手に大人気ないとは思うが、その姿はひどく胸のうちが透くものだった。
だが不意にヒカルが顔を上げた。まるで何かの啓示を受けたかのように。
ヒカルが熱心にsaiと打ってくれと訴えてくる。
そこまでヒカルが心をかたむけるsaiとはいったい何者なのだろうか。
友達? 本当にそうなのだろうか。二人のつながりがわからない。
(saiと進藤ヒカル……)
行洋は興味を抱いた。それはsaiにではなく、ヒカルにだった。
こんな年端も行かない少年に。
もう出て行ってくれ、と心のなかで願った。今日の自分はおかしい。
なのにヒカルは言葉を続けている。そしてそれは行洋のなにかを壊した。
「私が負ける?」
五冠である自分が? それとも、きみのsaiにか?
そう考えると、もうなにも考えずに身体は動いていた。
「あ、うわっ!」
突っ立っていたヒカルは、突然行洋に手を引かれ、ベッドの上に引き倒された。
(26)
行洋が自分を怖い目で見下ろしている。
ぞくりとした。それは恐怖のためだけではなかった。
この距離はまずい。スイッチのように、自分の気分を変えてしまう。
目元を赤らめているヒカルはとても艶っぽかった。唇がうすくひらいている。
行洋は思わず柔らかな頬に手を添えた。瑞々しい感触が手に伝わってくる。
ヒカルはそっと行洋の右腕に手をやった。そのまま肩をのぼらせた。
行洋はその手を振り払わない。
だから左手も同じようにゆっくりと肩にまわした。
行洋の首に触れている手がするべきことは、ただ一つだった。
ヒカルが力を込めると、重力に従うかのように行洋の頭が落ちてきた。
そしてそのままヒカルの唇におおいかぶさった。
かさついてはいるが、行洋の唇はとても柔らかかった。
佐為とはなんどもキスをした。だが本当の意味では、今が初めてだった。
行洋の舌がすべりこみ、ねっとりとからみついてきた。薬の味がする。
まだ足りないというように、行洋は深く深くヒカルの口のなかをむさぼった。
唾液とともに息をも吸い上げると、「んっ」とヒカルののどが小さく鳴った。
その甘く濡れた響きに気持ちを揺さぶられる。
ヒカルは自分の舌を行洋の口腔へと入れた。そして同じようにからませた。
その反応に、行洋の渇きが増した。
「ふっ、せんっ……」
離れていく唇を追うように、ヒカルは切なげに舌をちろりと出した。
行洋はそれを歯で軽く噛んだ。
「いっ……」
痛みに顔を歪めるのでさえ、行洋の情欲をそそった。
だからこそ、暗い感情が湧き出るのをとめられなかった。
「saiともこういうことをしているのかね?」
(27)
その名を聞いて、ヒカルは思わず小さな声を漏らした。
佐為がさきほどから見ていることを忘れていた。
ちらりと目をやると、恐ろしいほど無表情だった。言い訳が思い浮かばない。
冴木のときとは違う。自分は佐為のことをすっかり忘れていた。
行洋とのキスに没頭していたのだ。
(佐為……オレ……)
行洋は明らかに動揺しているヒカルが憎らしく思えた。
両頬をはさむと無理やり自分に顔を向けさせ、その唇を奪った。
「っ、ヤダ……!」
ヒカルが逃れようともがくが、行洋は気にせずさらに腕に力をこめた。
どうしてもこの少年を離したくなかった。saiに渡したくなかった。
ゆっくりと首筋を舐め上げる。するとヒカルの身体はびくついた。
耳たぶをはさみ、しゃぶる。服の上からではあるが手はヒカルの胸を這っていた。
今の自分はなにをしても許される気がした。
「やめ……っ、塔矢せん、せっ……」
抗議の声に、行洋はヒカルの瞳を見た。怯えとともに、熱っぽく濡れた輝きがあった。
「なんで、こんなっ……」
「きみがそれを言うのかね?」
そもそも仕掛けたのは、他ならぬヒカルではないか。
「本当に嫌ならば、突き飛ばして行けばいい。私は止めんよ」
さっきは羽交い絞めにしたくせに、とヒカルは思った。
だが今は腕の力はゆるめられている。その気になれば、ヒカルはここから逃げ出せる。
《何をしているのです!? ヒカル、早く出ましょう!》
佐為は声を荒げ、戸口を指差した。これ以上、行洋の手に置いておきたくなかった。
冴木のときのように、寛容になどなれない。
この者にだけは、決してヒカルに触れさせない。
ヒカルは佐為を見、それから行洋を見た。
この人は佐為のライバルなのだ、と思った瞬間、ヒカルは決めていた。
(佐為、ごめん)
心のなかでそうつぶやくと、行洋にむかって目を閉じた。
(28)
自分の腕のなかにとどまった少年に、行洋は優しくキスをした。
ヒカルは爪先で靴のかかとを蹴って靴を落とすと、ベッドの上に足を乗せた。
すると行洋はその腰を支えながら、自分の身体の下に入れた。
大人しく愛撫を受け入れるヒカルを見て、初めてではないのだろうと行洋は思った。
だが別に気にはならなかった。
たとえこの少年がsaiのものでも、今だけは自分に応えてくれているのだ。
裾から手を入れようとしたが、探ってもよくわからなかった。
ヒカルはずいぶん複雑な服を着ているように思えた。
(このチョッキの下はどうなっているのだ……?)
とうとう行洋は腹のあたりを強くつかむと、そのまままくりあげた。
あまりの乱暴さにヒカルは強ばったが、行洋が自分の肌に触れるとその意図を理解できた。
行洋は現れた白い肌に、そっと頬を寄せた。活力が湧いてくるような気がした。
服の裾を少しずつずらし、ぼんやりと色づいた乳首を見つけた。
平坦な胸につつましやかに存在しているそれに、行洋は愛しさを覚える。
「や……っ!」
乳首を触られ、ヒカルは恐くて身をよじった。冴木とのことを思い出したのだ。
強くつままれるのではないかと思ったが、行洋はそのままゆるゆるとこすりだした。
最初はくすぐったかったが、次第にヒカルの息が上がってきた。
行洋は舌先で転がしながらヒカルの様子を見る。ときどき吸い上げると、あきらかに甘さを
含んだ吐息をヒカルは漏らした。
行洋はさらに服を上にずらそうとしたが、ヒカルの顔にかぶってしまうのであきらめた。
するとヒカルが震える手で行洋の手をとめた。
「待って……オレ、脱ぐ……から」
身体を起こすと、上半身の衣服を脱ぎ捨てた。その頼りない身体つきに、行洋は息を飲む。
ふくよかな女性とはまったく違う。だがそれでも行洋は魅せられた。
上半身だけでは足らない。ヒカルのすべてが見たかった。
「下はいいのかね」
「した?」
そして自分の下半身が勃ちあがっていることに気付いた。
(29)
もそもそとジーンズとトランクスを脱ぐ。全裸になった恥ずかしさをこらえ、向き直る。
すると行洋は自分の寝巻きの前をほどき、ヒカルを抱きしめてきた。直接感じる肌の温かさに、ヒカルは知らずため息をもらした。
これが本当なのか、とぼんやり思う。佐為とは違う、生きた人間なのだ。
行洋はヒカルの背中から腰までを撫でた。手に吸い付くような肌だ。
細い腰を抱え、胸板を舐める。水音とヒカルの吐息が室内に小さく響いた。
性器には触れられていないのに、ヒカルは冴木のとき以上の快感を覚えていた。
「っ、ふ、せん、せっ……」
涙が流れ落ちる。行洋はそれを舌ですくいとり、頬の輪郭を唇でなぞった。
「あっ、はっ……っ」
首を仰け反らせると、白いのどが顕になった。行洋はそこに吸い付いて、紅い痕を残した。
妻にさえ、したことのないことだった。
明子はかまわないと言ったが、どうしても自分はできなかった。
誰かに見られたらどうするのだ。恥ずかしいではないか。そういう気持ちがあった。
しかし今は見せつけてやりたかった。
saiに――――
自分の子供のような一面に、行洋は少なからず困惑した。
自分はこんなことをする人間ではなかったはずだ。病で気が弱っているのか。
いや違う、と行洋は否定した。
新初段シリーズの対局のとき、すでに自分はヒカルに欲情していた。
倒れる瞬間、思い浮かんだのはヒカルだったのだと、今ようやくわかった。
(saiもこんなふうに、この少年に溺れたのだろうか……)
愛撫したのだろうか。何度も何度も、この肌を味わったのだろうか。
佐為はヒカルの脱ぎ捨てた服を見つめていた。自分のできないことを行洋がしている。
自分だってこんなふうにヒカルと戯れたかった。
(塔矢先生、汗びっしょりだ……)
額に汗が浮かんでおり、それがヒカルの上にも落ちてきた。だが汚いとは思わなかった。
こんなふうに汗だくの塔矢行洋を見られる機会など、そうはないだろう。
「んんっ、はぁっ……せん、せぇっ!」
舌足らずな声に、行洋は興奮した。囲碁以上の興奮など、今まで感じたことはなかった。
たまらなくなって、下着を押し上げる自分の性器をヒカルにすりつけた。