パッチワーク 2004.05 アキラ
(1)
今年も北斗杯が終わった。三年連続代表は彼と僕そして社だった。問題は二年後だ。三年前の第一
回では対象者が十四人いたのに去年は八人。今年は僕らと越智の四人になってしまった。なぜならこ
の二年間、十八歳以下のプロが誕生していないからだ。十八歳以下の入段者はこの十年近く僕と芦原
さん以外皆院生の出身だ。だが今年の院生出身の入段は一年浪人の小宮初段と女流枠の奈瀬女流初段
でともに年齢制限を越えている。このままの状態では再来年は対象が越智一人になってしまい、日本
は北斗杯に参加できなくなってしまう。今年の入段者にも院生はいなかった。十一月にそのことが分
かると彼は院生師範の篠田九段に許可を取り、伊角・越智・門脇・冴木といったB予選クラスの若手
や倉田さんに声を掛けて土曜日の院生研修の後、院生の希望者を対象にプロによる指導碁をはじめた。
彼に言わせると院生はアマチュアの大会には出ないし、碁会所でも周りの大人は自分より弱い。若獅
子戦もプロ側は五段以下しかでない。師匠がいれば研究会で高段者に相手にしてもらえるけれどここ
最近は自分のように師匠のいない院生が増えてきているから、院生同士は研修でもしのぎを削るけれ
ど院生同士の順位で安心してしまって井の中の蛙になりやすい。「僕もそうだった。はじめてこの碁
会所で君と手合わせしたとき、同い歳に僕より強い子がいるなんて思ってもいなかった。」その時彼
の表情がこわばった気がしたけれど、きっと気のせいだ。彼はいつもと同じように笑顔で碁会所を出
ていった。彼は僕には声を掛けてくれなかった。院生出身じゃないのが理由なら、門脇さんだってそうだ。
(2)
僕は、彼になぜ僕に声を掛けてくれなかったのかと問いたかった。院生のことで何か彼の気に
さわるようなことを、僕は言ってしまったのだろうか。僕は無自覚なまま人の気にさわることを言っ
ているらしく彼に時々注意された。部屋に帰ってから彼に理由を説明されても僕に理解できないと彼
は「塔矢はお坊っちゃまだからなぁ」とか「塔矢は天才だからなぁ」とか彼と僕の間に距離があるよ
うな、僕が寂しくなるようなことをため息混じりで言う。でも僕を誘わなかった理由は北斗杯の帰り
に分かった。
今年の北斗杯の後、大阪へ帰る社とホテルの前で別れ、僕は彼と地下鉄で帰るつもりだったけれど
彼にタクシーで帰ろうと勧められた。でも、タクシーだと彼の家と僕の部屋では方向が違う。客待ち
しているタクシーに乗ると彼は「新宿御苑」と行き先を告げ。「今日、おまえんとこ泊めて。だめ?」
「大丈夫なの?」合宿も含めると彼は荷物を取りに行った以外もう一週間も家に帰っていない。「荷
物取りに行ったときお母さんに聞いた。」彼は僕と自分の両方の額に手を当てて「うん、まだ大丈夫」
「何が」「お前さぁ、このところ人当たりしてるって言うか、この前の表彰式の時もそうだったけど
人の多いところに行くとその後に熱だしてるだろ。」ばれていた。彼に心配掛けたくなくて黙ってい
たのに。でも、彼が傍にいてくれれば大丈夫なんだ。この前の表彰式の時は僕は芦原さんと一緒にいた。
(3)
彼は森下一門の人たちと一緒で言葉を交わすこともできなかった。でも、今回はレセプションの
時もずっと一緒にいられたから大丈夫だ。でも、そんなことを言ったら彼はあの女のいる家へ帰って
しまうかもしれない。部屋に戻ると交代でシャワーを浴び、洗濯機に汚れ物を入れて、表彰式の後の
レセプションでは飲み物くらいしか口にできなかったので少し早いけれど二階から出前を取り夕食に
した。夕食の後は北斗杯での九局を一つずつ二人で検討した。一昨年は北斗杯の翌日に碁会所でした
けれど北島さんが横から口を出してきて辟易した。去年は彼は一旦家に帰ってやはり翌日にこの僕の
部屋で二人きりで検討をした。韓国・中国戦の検討が終わったところで時計を見たらもう二時を過ぎ
ているので休むことにした。検討の途中から欠伸を連発していた彼はすぐに寝息を立て始めた。僕は
一週間ぶりに彼の隣で休むことができた。僕は深呼吸して彼の匂いを目一杯吸った。この一週間の彼
のいろいろな表情を思い浮かべながら僕は眠りについた。
2004.05 アキラ 了