パッチワーク あかり 2013
(1)
はじめて流産をしたのは高二の時だった。
七度目の妊娠ではじめて三ヶ月を越えた。
でも、いつものように流産してしまうとあきらめていた。
私が子どもを産んだらヒカルが罪悪感を塔矢君と私の両方に持ってしまう。そんなことになったら
また現実を拒否しようとしてヒカルの病気が再発してしまう。塔矢君が居る限り私は産まない方がい
い、だからこれで良かったんだといつも自分にそう言い聞かせてきた。
ヒカルには妊娠のことも、流産のことも一度も言ったことはない。ヒカルはだから知らないはずな
のに私が流産するとヒカルが体調を崩す。いつもその繰り返しだった。ヒカルが体調を崩すのは私と
は関係ないのか、私が妊娠した事に気付いたからなのか、私が流産した事に気付いたからなのか。ど
んな答えが返ってきても、私は自分が傷つくこと気付いていたからヒカルに訊くことができなかった。
私のように流産を繰り返してしまうのを不育症と言うのだと智子先生に聞いたのは何回目の時だっ
たろう。何度も避妊するようにも言われたけれどピルは体質に合わず使えなかった。そしてヒカルが
そんな振る舞いをするのは重要な対局の前だけだった。普段は無意識に私を抱きしめるだけなのに、
途中からたがが外れたように振る舞い最後には意識を失ってしまうその繰り返しでヒカルに避妊させ
るのは無理だった。そして私はサイという人の身代わりにすぎなかった。でも、ヒカルのそばにいら
れれば、ヒカルに必要とされていればそんなことどうでも良かった。
(2)
大学三年の時、おじさんの仙台転勤が決まった。前の人が単身赴任で体調を崩したとかで夫婦同伴
が条件だった。おばさんは体調を崩しやすいヒカルが不安で、仙台なら新幹線で二時間だから対局の
時だけ東京に行けばいいとヒカルも一緒に連れて行こうとしたけれど、昔の低段の頃ならまだしもタ
イトル戦に常に絡んでいて、スケジュールによっては週三局になってしまうこともある今のヒカルに
実際それは無理な話だった。でもヒカルの体調の崩し易さを知っているからおばさんを過保護だとは
思えなかった。結局私が一緒なら−おばさんは私が拒否するのを望んでいたようだけれど−というこ
とでヒカルの東京残留は決まった。でも、おじさん・おばさんが仙台に行ってしまうとヒカルは塔矢
君のところに入り浸りでほとんど家には帰ってこなかった。帰ってくるのは塔矢君が泊まり掛けで出
かけるときや次の対局相手が塔矢君の時、おじさんかおばさんが用事があって東京に帰ってくるとき
だった。
妊娠が四ヶ月を越えたとき産みたいと思ってしまった。
おばさんは仙台に行ってからはじめたキルトのサークル発表会が半年後にあるとかで当分帰京の予
定はなかった。おばさんはヒカルと塔矢くんのことは知らない。
知られてしまう前に消えよう、そう決心した。
塔矢君がいればヒカルも大丈夫だろうと思った。