パッチワーク 2013 アキラ

(13)
 この部屋に戻ってきて戸惑ったのは彼の持ち物が消えていたことだけじゃない、彼の匂いも消えて
いた。シャンプーもリンスもボディーソープも同じ物を使って、三度の食事も同じ物を食べているの
に彼は僕とは違って甘い匂いがした。彼と暮らしていた頃は外出先から帰ってきて玄関を開けるとい
つもほんのりと彼の匂いがして家に帰ってきたと実感できたし、彼が何日も帰ってこないときなどそ
の匂いが薄れてゆくに連れて彼と離れている長さを実感して寂しさが募っていった。寝具にかろうじ
てかすかに彼の匂いが残っていた。僕はその匂いを噛みしめた。

 そして思い出してしまった最初の北斗杯が終わって帰宅したときの寂しさを。
 
 北斗杯が終わって家に帰ると五月四日に帰ってくるはずだった両親の姿はなかった。表彰式で揚海
さんから父は台湾へ行くと教えてもらったが、母も着替えを取りに来た、父と台湾へ行くとのメモを
残して台湾へ行ってしまった。母がいなかったのを幸いに合宿からこちら見ない振りをしていた家事
全般を片づけて、し残したことがないか家の中を見回したとき胸がドキリと鳴った。この三日間の彼
や社・倉田さんの姿が思い出された。気が付くと涙が流れていた。僕の回りには誰もいない。寂しい
と心が言っていた。両親が韓国や中国に行ったときは何も思わなかったのに。そして、自分が寂しが
り屋だった幼い頃を思い出した。

 父は家にいることが少ない上に、家にいるときは来客の多い人だった。僕は父が大好きだったから、
父が家にいない間は寂しくて、父が家にいる間はそれこそトイレまであとをついていった。そして、
父にだっこしてもらうのが大好きだった。お客さんが来ていても、研究会で父が緒方さんと対局して
いても僕には関係なかった。父の膝の上に載って、父に寄りかかって、父の匂いをかぐのが大好きだ
った。そうしなければ父のそばにいることができないとわかっていたんだと思う。でも幼稚園に通う
くらいになると段々他の人の感情がわかるようになり、父への来客の中には父に張り付いている僕に
いい感情を持たない人がいるのに気付いたり、大事なお客様だからと母に止められるようになり僕は
来客中は我慢することを憶えた。そうすると父のそばにいられるのは朝食前と夕飯後だけだった。

(14)
 今はあのわずかな時間が棋士である父にとって大変貴重だったとわかるが、父が大好きな僕にとっ
てもあの時間は貴重な時間だった。でも、その貴重な時間も緒方さんがいれば緒方さんに取られてし
まった。自分も父がしているあの石置きを憶えれば緒方さんの代わりに自分がそばにいられると思っ
た。実際に碁の形になったのは幾つぐらいの時だったろうか。

 あの時から十年。この十年で変わったことと言えば僕のそばに進藤がいてくれるようになったこと
だ。だから僕は寂しくなかった。進藤さえそばにいてくれたら僕は安心できた。でも、もし、進藤が
僕から離れてしまったら、僕はどうすればいいのだろうか。

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