クリスマス撃墜のお知らせ 加リヒ
「きゃっ」
「めいぷるっ」
外廊下から見える冬景色に見とれていたリヒテンシュタインは、カドを曲がるとき
向こうから人が来るのに気付かなかった。
「ごめんね、痛くなかった?」
「はい、平気です……えーっと、アメリカさま?」
「カナダだよ!」
がっくり凹んでいるカナダを見て、少女は首をかしげる。
「いつもご一緒しておられる熊さんは、いらっしゃらないのですか?」
「熊三郎さんは山の自然見てたら野性が目覚めたみたいで、逃げちゃって……いま
探し中なんだ」
ああ、だからか、とリヒテンシュタインは納得した。
「よろしければお手伝いしましょうか?」
「え、でも悪いよ」
卓球場では、トーナメントもいよいよ終盤で楽しそうな歓声が響いてくる。
「気にしないで下さいまし。旅館の方に全てやってもらうおかげで、何もすることが
なくなって実は困っていたのです」
「えーっと……怖くないのかい? 熊吉さん大人しいけど、一応熊だし」
「飼われている動物は主人と性格が似ると言いますし、その主人がカナダさまなら
何も心配しません」
「はは……老人になったら住みたい国だもんね、僕……」
そういうことで、二人で探すことになった。
旅館は広かったが、仲居たちに聞き込みながら一つずつ可能性を潰してまわるう
ちに、探さなければいけない範囲も絞れた。
建物中を一周してしまうと、あと見ていない居場所は一つだ。
「外に行ったのかもしれないなあ」
「あれではないですか?」
崖のほうを見つめてリヒテンシュタインが声を上げた。
少女が指差すほうに、見慣れた毛色がもごもご動いている。
死角のほうに移動していくのに気付き、カナダは慌てて正面の門から外に出た。
建物をまわって先ほど熊二郎を見た場所に向かう。
すべりながら頑張って急いだのだが、間に合わなかった。
現場の雪の上に、熊の足跡らしきものが残っているだけだった。
「カナダさん」
リヒテンシュタインが息を切らせながら、追いついた。
少女の吐く息が白いのを見て、カナダは自分が着ていた羽織を脱いで、彼女の肩
に掛けた。旅館内は暖房がきいていて問題なかったが、浴衣一枚で居るには冬の
外気は冷たすぎる。
「行っちゃったみたいだ。つき合わせてごめんね、戻ろう」
肩を押す手に、リヒテンシュタインの手が重なる。
「ついさっきのことですから、きっとまだこのあたりに居ると思います」
「でもこんな格好だし、風邪引いても仕方ないし。熊五郎さんは……いいよ、きっ
と帰ってくると思う」
「……そう、ですね」
崖際の狭い道を盾に並んで歩く。カナダの後ろを、リヒテンシュタインは不思議な
気持ちで着いていく。
二人とも、熊次郎を探す間中ずっと、気遣ったり譲ったりしてばかりだ。
身近に主張の強い兄弟がいるせいだろうか、そういう癖がついているのかもしれ
ない。 顕著なのは歩幅。
リヒテンシュタインは兄の軍隊式の早歩きに置いていかれないよう、兄と並ぶとき
は常に気を張って歩くが、カナダと居るときははそんなことはない。
少女は心の中でカナダについて意見をまとめる。
つまり、彼はそばに居る人間を緊張させない、肩の力を抜かせるタイプの人だ。
それが結論。
不思議な人だ、が感想。
では手を伸ばしたのは、なんだったのだろうか。
その衝動に名前を付ける前に、リヒテンシュタインはカナダの浴衣を引っ張っていて、
考え事をしながら歩いていた彼女は、もともとすでに危ない場所に立っていて、
カナダがまた雪に足をとられてすべってしまって、二人は崖の下に落ちた。
「めいぷる……」
リヒテンシュタインは、体の下から聞こえたカナダの鳴き声につられて目を開けた。ゆっくり体を起こし、周囲を確認する。
どうやら最下層まで滑り落ちたわけではなく、歩いていた場所の一段下でひっかかって止まったらしい。
貸してもらった羽織がうまい具合に肌を保護したのと、カナダ自身がクッションになったおかげでリヒテンシュタインに怪我はなかった。
「ごめんなさい、私、ずっと乗ったままで」
「か、軽いから大丈夫……っ」
カナダが足首を押さえる。捻挫したらしい。
「待っててくださいまし。助けを呼んできます」
立ち上がり背伸びをするが、身長が足りなくてもとの足場に戻れない。
雪の塊に足をかけてどうにか上を狙うが、カナダが止めた。視野も悪いのだから、無理はするなと。
リヒテンシュタインはカナダのそばに戻り、顔を伏せた。
「すみません、私が浴衣を引っ張ったからですわ」
「いや、僕もすべったのがいけないし。……そもそも、女の子をこんなとこまで連れてきちゃった僕が悪いし」
深夜だ。どこかで楽しそうな声があがっているし、まだみんな寝ていないのだろう。リヒテンシュタインが、それほど気休めでもない事実を思い出す。
「お兄様になにも言いませんでしたから、もしかすると今ごろは私達を探しているかもしれません」
「ああ、そうかもしれないね」
リヒテンシュタインが寒さで体を震わせる。
「そちらに行ってよろしいですか?」
「え? あ、うん。寒いもんね」
彼女はカナダに寄り添うと、羽織の袖を一つはずして、カナダの肩にもかける。
浴衣越しに体が触れる。少女が震えているのをみかね、カナダは彼女の手を取って自分の手で包んだ。
息をかけて暖めていると、不意にリヒテンシュタインが言う。
「……本当は。さきほど、あなたがどこかに行ってしまったような気がして浴衣を引っ張ったんです。
目の前にいたのに、変ですね」
「はは。地味だってよく言われるよ。居ても居なくてもよくわからないって」
「本当に居なくなったり、しないでくださいましね」
「手を繋いでいれば、消えたりなんかしないよ」
リヒテンシュタインはカナダの手を引き寄せて、その上に顔を乗せた。
彼女の長いまつげと、紺色のリボンを見つめて、今度はカナダが口を開く。
「クリスマス終っちゃったら、もう会えるかわからないね。
たまたま世界会議に出席して、一緒に打ち上げできたけど、また次もそうかはわからない」
少女が笑った。
「会議だけしか会っていけない理由はありませんわ。もう出会っているのですから、お互いの家に遊びにいってもかまわないでしょう」
リヒテンシュタインは伏せていた目をあげた。至近距離で視線が交わる。
「会いに行きます。老人にならなくっても」
「……うん、待ってるよ。いつまでも」
ペースが遅くたってもともと自分だってそうだから、慣れている。
冬の星空を見上げてあれは何だこうだと雑談しているうちに、クマのうめき声が聞こえてきた。
頭上、一段上の地面から見慣れた頭が突き出ている。
「く、クマ太郎さん!」
「誰?」
「よかったあー! 凍え死ぬかと思ったよ。そのまま人よんできて、頼むよ!」
カナダの懇願を聞き終えた後、熊子は二人の位置まで降りてきて二人一緒に背中に背負った
「え、え」
「ちょ、なに」
戸惑う二人を無視し崖を上り、
桃色空気がただよう露天風呂に乱入した。
阿鼻叫喚だった。
いい雰囲気が台無し!とキれる国も居れば、誰かから逃げられてほっとする国もいたり、その反応は十人十色。
しかしまあ、お湯にはいって一応体の温まった遭難二国が、女将さんの拳骨から逃げれたわけでもなく。
二人で仲良くたんこぶをつくった姿を見せ合って、苦笑していた。