La Pucelle
戦場で受けた傷は予想よりも鋭く、熱いものだった。
痛いと言うには急すぎて、声をあげるにはあまりに刹那な時間だった。
思い出すだけで恥ずかしい、などと恥じながらジャンヌは自分の左肩の傷跡を見た。
血は止まったものの、まだそれは生々しく彼女を抉った証となっている。
傷口を綺麗にするため、彼女は小川にそっと布を浸す。
程よく湿った所で絞り、大きく開いたワンピースの衿ぐりから腕を抜く。
矢で撃たれた時、不安のあまり涙が溢れて止まらなかった。
もしかしたらこのまま死ぬかもしれないという恐怖があった。
でも、それ以上に自分自身が誰かをこうして傷つけてしまう想像が浮かび上がってきた。
――逃げたいと、すくんだ足でそう思ってしまった。
許されるとは思えないけど理解はしてもらえるだろう。所詮は女、だと蔑まれるかもしれない。
だけど、逃げることは許されない。
小さくか弱い王太子から、そして神からの指名から。
そして何より、あの美しいひとから、逃れられないのだ。
「よー、隊長。具合はどうだ?」
そういいながら茂みをかきわけて一人の男が声をかける。
ジャンヌよりも長い髪をリボンで束ね、空のような青い瞳に、絵画から飛び出したような美しい顔立ち。
思わず、ジャンヌは息を飲む。しかしすぎに、自分の服装を思い出し慌てた。
「な、何ですかフランス! あっちへ行って下さい!」
「ははは。いやー、美しいお嬢さんが怪我したって聞いてな」
「それと、今ここに居るのと何の関係があるんですか?」
「……零れた涙を拭いに来た、って言ったら?」
フランスのその言葉にジャンヌは一瞬ポカンとした後に顔を赤くした。
「……要は笑いに来たんですね! 嫌な人!」
「えっ? 何でそうなるの?」
「だってそうじゃないですか! 私は騎士であり軍隊の隊長なんですよ!
なのに涙を流しただけで様子を見に来るだなんて……そんなの、いい笑いものです」
言い終わり、ジャンヌは俯いた。ギュッと拳を強く握り、手に持った濡れ布から雫が零れる。
そんな彼女を見ながら、フランスは唇をかみ締めながらジャンヌに近づく。
「……ごめん」
フランスの普段良くまわる口からは、彼女を賞賛する言葉も、愛を囁く言葉も出てこなかった。
ただ、不器用な謝罪の言葉だけがジャンヌに向けられた。
「……フフッ!」
少しの沈黙の後、それを破ったのはジャンヌであった。
「普段の貴方はどうしたんですか? 全くもう」
少しだけ呆れたような、でも怒りの解けた口元でフランスに微笑む。
「お、こってないのか?」
「そりゃ、少しは怒りましたよ?」
そう言うと、今度はフランスが俯いた。しかしジャンヌはそんな彼に近づき、フランスの片手を両手で包む。
「でも、貴方はそういう人ですものね。本音を美しい言葉で覆い隠してしまう、そんな人」
「……いいや、お兄さんは美しいモノが好きなだけで、それが曇るのが許せないんだ。うん」
そんなフランスの言葉に、ジャンヌはますます頬を緩めた。
「やっぱり。それに……私もちょっと、八つ当たりをしてしまったので」
そう言い、ジャンヌは自分の額にフランスの手を近づける。
「貴方のために戦う。私はそう決めたのにこんな所で泣いてしまうなんて」
そのポーズは祈りを捧げるポーズのようで。フランスは思わずその細い肩を空いた手で抱きしめた。
「……いいや。事実ジャンヌが居るんだから、他の奴らも戦えるんだぜ」
「でも……私は足を引っ張ってしまってばかりです」
「……」
――じゃあ、やっぱり辞めるか?
フランスは口から出そうになった言葉を押しとどめた。
こんなことを言おうものならば、フランスはおそらく一生ジャンヌに無視されてしまうだろう、と考えたからだ。
彼女の持つ使命の重さは誰よりも理解しているつもりだ。
そして何より、自分のために戦うという誇り高き少女を蔑ろにすることなど出来るはずも無かった。
「……ま、隊長だからって無理に戦うことも無いだろ」
そう言いながら、幼子を安心させるかのように肩を叩く。その一定のリズムに、ジャンヌは頬を綻ばせる。
「ウフフッ。サボるのを薦めるだなんて悪い人ですね」
「適材適所って言葉知ってるか? ジャンヌはしっかりモノすぎるから少しは手を抜かないとな」
「……もう。誰の為にこんな懸命になっていると思っているんですか?」
その言葉に、フランスはジャンヌの左肩を見た。そこには騎士ならば相応しい傷痕がある。
そう、この少女には不釣合いな跡でさえフランスのためなのだ。
「俺の所為だわなぁ……」
「……フランス?」
ジャンヌの問いかけに答えず、フランスはジャンヌの傷口に唇を寄せる。
「な、何をするんです!?」
未だ鉄錆のような味がするそこに舌を這わせ、時間をかけてゆっくりと動かしていく。
「あ……や、やめっ……」
時々傷つけない程度に歯を立てる。甲冑の下に守られたそこは踏み荒らされぬ雪のように清らかだ。
「……ふっ……ん、んっ……」
そこに、矢を突き立てられてしまった。彼女の白い肌に似合わぬ跡が付けられた。
その事実に、何とも言いがたい感情が渦巻く。そうまるで、これは……
「このっ……やめなさい! フランスっ!」
「おわっ」
そう言いながらジャンヌはフランスを突き飛ばした。その勢いに任せてフランスは尻餅をついた。
小柄でも女性でも騎士は騎士。軍隊のトレーニングの成果をここで遺憾無く発揮した。
ジャンヌは顔を下に向けて肩で息をする。そして顔を上げたかと思うと真っ直ぐにフランスを睨みつけた。
「破廉恥です! もしも次にこんな事なさったら一生口聞きませんからねっ!」
頬を赤らめ、顔を真っ赤にしながらジャンヌは服を調える。
うるんだ瞳を拭いながら、ジャンヌは駆け足でその場を去っていった。
「……ハハハ。やっちゃった」
突き飛ばされたまま、フランスは頭を掻いた。そしてそのまま下を向く。
「あーあ。何でいつもこうなんだろうな」
独りごちる。そしてそのまま大きく息をついた。
『でも、貴方はそういう人ですものね』
ジャンヌの言葉が、フランスの頭の中に響く。
『本音を美しい言葉で覆い隠してしまう、そんな人』
「……いやいや。お兄さんってばそんな器用じゃないからね」
ぽつりとそう言い、フランスは空を見上げた。そこには、嫌味なくらいの晴天が広がっていた。