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 オーストリア×ハンガリー




 倹約家のオーストリアの唯一の贅沢は、就寝中でも玄関に明かりを点けて置くことだった。
しかし、それももう必要がない。スイッチが切られれば外は完全に温かい闇で視界を遮断させている。
玄関の汚れを払いながら、息をついた。
彼女が帰って来た。数百、数千の亡命者と共にリストの生まれた町から鉄条網を破って来た。
 窪んだ頬に、ひびだらけの唇。だけど、目だけは初めて会った頃の磨かれた刀剣のよう。
呼び鈴を鳴らさず、立ち去ろうとした気配を感じて、ドアを開けて正解だった。
オーストリアはこれほど自分の聴覚の鋭敏さに感謝したことはなかった。
 靴を履いてなかったため、足には血が滲んでいた。その斑は、破瓜の跡を思わせた。真っ白なシーツに滲む血痕。血痕。
 婚姻を結んだ夜も、その後家族として過ごした日々も、花のように笑う人だったというのに、鈴のように歌う人だったというのに。
「……お帰りなさい」

自分の言葉に、恐怖にも似た顔を浮かべて倒れてしまった彼女は、ようやく今日起き上がれるようになった。
 掃除に使ったふきんを濯ごうとして、台所は目を覚まさない彼女を不安に思う余り、料理中手元が狂って吹っ飛ばしたのを思い出した。
もう一つの洗面台は、彼女が現在使っている浴室にある。
 出て来るまで待とうとレコードをかけたが、A面が終わっても、B面を通しても出てこない。ノックしても返事はなく、慌ててドアを開けた。
湯気の充満した浴室では、タイルに寄り掛かりながら、ハンガリーが足を崩してしゃがみ込んでいた。

「……ごめんなさい」
「何も言わなくて良いです」
「ごめんなさいごめんなさいごめ……」
「ハンガリー……!」
上着をハンガリーの裸の肩にかけ、熱湯に近いシャワーを止めもせず、被さるように細くなった身体を抱いた。
「あなたを妻と思わなかった日はありません。例え、周りの誰しもが否定しても」
「捨ててください、お願い……」
「縛ってでも留めます」
 抵抗の力は驚くほど弱かった。この異常な執着は、彼女を檻に入れた北の身体ばかりが大きい若造と変わらないかもしれない。
「や……オーストリアさんが汚れてしまいます」
「もしあなたが汚れるとしたら、それは過去の私に依ったものでしょう」
 まだ、男に触られる気力なんてないであろうハンガリーに無理をさせたとオーストリアは後悔し、ようやくシャワーを止めた。
湯で濡れた上着はハンガリーに枷のように張り付いていた。
 目立つ傷はなかった。ないことが、傷のない理由をぼんやり浮き上がらせた。

「お湯、止めないでください」
「ハンガリー?」
「寒いんです。寒くてたまらないんです」
「いけません」
 蛇口に伸びる手を押さえつけてオーストリアは、半ば唇を落ち着かせるために重ねた。
 彼女の唾液は、確かに鉄の味がした。
粘膜のひびに塗り込むように舌を這わせれば、ハンガリーの指がゆるゆる解けて行く。
 卑怯なやり方だとはわかっていた。だけど、他に方法が見つからなかった。
 スカーフを片手で解いて行く。バスタブに落ちたシルクはすぐに濡れて行く。
「火傷したいならば、熱湯より私をお選びなさい」
 目が合う。伏せられる。また、目が合う。
やがて、おずおずと腕が回されてた。改めて強い女性だと敬意を払わずにいられなかった。

 ハンガリーの大腿は、女性としては肉厚だった。しかし、今はかなり細く、抱えても軽くなってしまった。
 数センチの湯に浸りながら、仰向けの腿を肩にかけて腰を進める。深く入ってしまい、彼女の負担が大きいやり方をハンガリーは自ら選んだ。
 奥まで欲しいから、と。
 せめてもと、指や下で解せば、確認するように目を細めながら名を呼ばれた。
 終いには離さないでと涙を浮かべ始めたので、スカーフで互いの手首をつないだ。
「あ……」
「大丈夫ですか」
 小さくうなづかれる。縛られた手を合わせながら、キスを交わす。
「あなたが気持ちいいのは、ここの音でわかりますよ」
「ふぁ……はぅん。やぁ、おと……やぁん」

濡れた髪が彼女の頬に張り付き、煽らせる声は、各国を渡り歩いたオーストリアをここまで引き込ませることを改めて実感した。
「毎日、これからは身体の中から響かせますから、覚悟なさい」
 淫らな乙女、という単語がこれほど似合う女性はいない。
 初々しい反応を浮かべるにも関わらず、中心の動きや絡む液は泉より際限なかった。
「そんな……おかしくなってし……はぁっ」
「おかしくなってしまえばいい。異常な環境を克服するには、異常な環境を上塗りするのが一番ですから。ハンガリー」
「ぁんっ、やああん、あああぁあぁぁ……」
 収縮する動きに合わせて精を出せば、ハンガリーはひくひく身体中を揺らしながらストラディバリより艶やかに響かせた。

 ネグリジェのハンガリーは、ピアノの音に目を覚ました。
「……オーストリアさん」
 演奏者は振り向き見慣れた笑顔を見せる。
「どうかしました」
「怖い夢を見ました。寒くて遠いところに連れていかれて、あなたと何十年も離ればなれになる夢」
「それはそれは……さみしかったですか」
「……はい」
 はにかむ頬にそっと口づけて、オーストリアはまるで食事の予定を知らせるように言った。
「おさみしいなら、四楽章が弾き終わるまで大人しく待ってて下さい。その間、スイッチを入れておきますから。今、入ってますよね」
 ハンガリーは、ネグリジェの裾をめくりあげ、脚の間から延びる導線を夫に見せた。
「お利口さん。演奏中に声を立てたらお仕置きなのも忘れないように」
「は……いっ。……ぁ」

 彼女は、新しい責め苦にある。しかし、その目は花よりも瑞々しかった。






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[ハンガリー][オーストリア]

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