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  5月29日


その少女は、矢を肩に受けて泣くような普通の少女だった。
 その少女は、勇ましく振るえぬ剣の変わりにその勇気を奮った。

 その、少女は――


 薄暗い石造りの牢には不釣合いな少女が薄布を纏い座っていた。
 明り取り用の窓しかないその場所の中で、彼女の表情は見えない。

 特別にここまで通されたとはやはり『自分』だからであろう。
 彼女も、彼女と共に戦い抜いた騎士達も、おそらくは。


「……誰です? 話せることは、もうありません」
 男のように切りそろえた髪。不釣合いな細い腕と足。自由に動けないように着けられた足枷。
 彼女はこちらに顔を向けると、一瞬間を置いた後に大きく目を見開いた。
「フラ……ンス……?」
 彼女が立ち上がり、俺に近づく。しかしその途中でかしゃり、と鎖の音が鳴る。
「あ、ごめんなさい。これ以上……貴方に近づけそうにないです」
 申し訳なさそうに顔を伏せる彼女。そしてそのまま元の位置に戻ろうとする。
「……待ってくれ。すぐ、そっちに行くから」
 あらかじめくすねておいた牢の鍵を開け、彼女の前に立つ。
 久々に見る彼女の姿は驚くほど細かった。まるで、消えてしまいそうなほどに。
「少し、痩せたかな?」
「ごめんなさい、おもてなしをすることも……色気も、何も無くて」
「そんなことない。君は世界一綺麗だ」
 使い古された愛の言葉を伝えると、彼女はクスクスと笑みを洩らす。
「そういった言葉は、もっと美しく着飾った人に言って下さい」
「おいおい。今俺の目の前に居る美しい人が、なーんでそんな野暮なことを言うのかな?」
「相変わらずお上手ね」
 彼女の手を取って騎士のように口付ける。薄い皮の向こうから温かさが伝わる。
 細く儚い彼女は、『生』の雰囲気が無くてどうしても、確かめたくなる。
「……もしかして、明日の話を聞いて来て下さったんですか?」
 ジャンヌの瞳が俺を写す。何もかもお見通しの彼女に、視線だけおどけさせてみる。
「何もかもお見通しってワケか。流石聖女様だな」
「貴方まで茶化さないで下さい! ……もう」
 ジャンヌはそう言いながら笑う。その笑顔は同世代の少女と変わらないものなのに。
 そう、なのに。

 ――彼女は何故、過酷な運命に翻弄されなければならないのだろうか?


うっすらと浮き上がる頬骨に口付けを落とす。
 彼女の細い手のひらを握ると、男のように潰れた肉刺と硬くなった皮膚を感じる。

 隊での彼女の役割は旗持ちだった。気高き信念と共に高々と掲げ、味方の士気を上げていく。
 それでも、人を殺したくないと願いながらも、剣を振ることを彼女は辞めなかった。
 全ては祖国の為、主君のため、そして神のために。


 左肩の傷痕に唇を寄せる。これは彼女が戦場で受けた最初のもの。
 確か彼女はあの時泣いていた。それなのに今では、涙も見せずに刻々と運命を受け入れている。

 同年代の少女よりも薄く未発達な胸。片方の飾りに舌を寄せると彼女の身体はびくんと揺れる。
「……胸、感じる?」
「ふぁっ……」
 微かに膨らむ胸に手を這わせ、親指で頂を擦る。もう片方は先ほどと同じく丹念に舌で舐る。
 腕で顔を覆う。そしてその細い身体をよじらせる度に足枷の鎖が鳴る。
「……変になりそうで?」
「そ……です。だから……」
 睫毛同士が触れ合いそうなくらいに顔を近づける。
 赤く染まる頬に手のひらを、羞恥のあまり溢れる涙を指で掬い、何かを言おうとする唇を塞ぐ。
「おかしくなっちゃえよ。俺と一緒に」
 唇を離し、そう言うと彼女はいやいや、と首を横に振る。繋いだままの手は微かに震えている。この震えは、寒さなどでは無い。
「……怖いか?」
「……ええ、とても」
 その言葉に、思わず手のひらにこめる力が強くなってしまった。
 恐怖は、無いほうが可笑しいだろう。なのに、自分の胸が苦しい。
「その、勘違いなさらないで下さい」
 彼女は繋いだ手の上にもう一つの手を乗せる。
「……私などが、あなたに愛されていいのか。そう思うと」
「……遠い、って言いたいのかな?」
 彼女は微笑む。それは無言の肯定。胸が痛み酷く重い気分になる。
「それでも、この罪が赦されるなら」
「……赦されるさ。誰が赦さなくても、この俺が」
 自分の中の感情がごちゃ混ぜになるようだった。ただ、今は彼女に口付けたいと思った。

彼女の白い肌はこの塔の中でますます青白くなり、明り取りの窓に照らされる。
 それは、一枚の絵画のように美しく何にも変えがたいものだった。
 彼女のすべらかな太腿に指を這わせる。彼女がそれに反応し、白い首筋が光に照らされる。
 抱きしめたその身体はあまりに脆く儚く、まるで砂で作られた美しい像のようだった。
 瞳の青はまるで彼女の故郷の空のように澄んでる。
 俺の指に反応する彼女の声は美しく鳴く鳥に似ている。

 彼女はこんなにも美しい。姿だけではない。魂も生き方も、全てが美しい。
 それなのに、世界は彼女を否定しようとしている。


 どうして自分はただの男ではなかったのだろう?

 もしも人間ならば命を懸けて彼女と共に戦ったのに。
 もしも人間ならば死する彼女を庇い共に死ねたのに。


 ただの男であれば……この細い腕を取って逃げ出せるのに。


「――泣かないで」
 彼女はその言葉と共に髪を撫でた。そして言葉を終えると額に口付けをくれる。
「あなたが何を考えているのか、分かるつもりです」
「……やっぱり、こんなのはおかしい」
「いいえ。おかしくなんかありません、わが祖国」
 彼女の指が頬にかかる。彼女の艶やかな髪が俺の顔にかかり、距離が縮まっていることに気づいた。
「私は、神から神託を受けたからこそこうしてあなたと出会えた。それだけで十分なのです」
「違う。君はもっと幸せに暮らして……幸せに生きるべきだったんだ」
 思わず声が震える。自分でも矛盾をしたことを言っているのは気づいている。

 彼女が神の声を聞かなければ俺達は出会えなかった。
 しかし、彼女が神の声を聞いてしまったから彼女は――

「私、幸せです」
 彼女ははっきりとそう言った。そして熱を測るような動作で額同士を合わせ、彼女は瞳を閉じる。
「ただの娘ならあなたとこうすることも出来なかったでしょう?」
 物語を読み聞かせる母親のように、穏やかで暖かい口調。
「それに、貴方が望むなら私はただの女にもなりましょう」
 額にかけられた指は、気づけば俺の手のひらに触れていた。
 細く長く白い、それでいて節くれた指。彼女の生きてきた証のように感触が刻み込まれる。
「赦されるのであれば、貴方だけに愛されるただの女に」
 まっすぐに投げかけられた言葉はまさしく彼女の証。自分とは違う、気高き魂の乙女らしい言葉。
 神に愛された彼女の言葉は、今の俺には、彼女の聖性を汚す言葉でしかなかった。
「……そんな風に言われちゃうと、止まらなくなるよ?」
 ようやくいつものような口調で言えたのは、そんな冗談めかした言葉。そして彼女は答える代わりに、もう一度手を握った。



 薄い茂みの奥はうっすらと潤ってはいた。しかし指で弄ると少しだけ眉をひそめる。
 おそらく、辛いのであろう。それでも彼女はそれを悟らせまいと気丈に微笑んでいる。

 彼女はいつだってそうだ。
 たとえば孤立して無理な戦いを強いられた時も、審問の時も、異端者と疑われた時ですら。
 それが愛しかった。しかし同時に悲しかった。


「……よくないなら、そう言っても良いんだからな」
「へ、いきです。私のことは、どうぞ……」
「お気になさらずにって? それは無理な話だよ」
 眉をひそめ、それでも気丈に微笑む彼女。ああ、やっぱり俺だからガマンをさせている。
「そういうのは眉間の皺をもう少し減らしてから、な」
 その眉間に口付けてから、肉芽をそっと擦る。少しだけ反応が変わったことを確認してから、また指を差し入れる。
 さっきよりは幾分か緩んだその中で指をばらばらと動かしていく。


「ふっ……んんっ……フラ、んス……」
 頬が薔薇色に染まる。瞳が潤み眦に涙が溜まる。先ほどから繋いだままの片手に力がこもる。
「……大丈夫?」
「ええ……だから、私に」
 その先に、言葉はもう要らなかった。ゆっくりと近づき、ロマンスのワンシーンにように口づけを交わす。
 そしてそのまま、彼女のナカへと沈めていく。瞬間、絡みつくひだに全てが持っていかれそうになる。
「あ、ぁぐっ……」
「やっぱ……無理、あったか?」
「そ、そんな、こと」
「ほら、また寄ってる」
 今度はほろほろと零れる目尻に口付ける。そして空いている手でもう一度芽を擦る。
「ひゃ! あ……んっ……」
「待っててな。すぐによくするから」
 彼女の内部を探りながら、腰を揺らす。そして一箇所、彼女の声音が変わる。
「だ、だめっ……」
 嫌悪とは明らかに違う色。アリアを歌うような美しい声で、快楽をうたう。
「……大丈夫。駄目じゃないから」
 不安そうな彼女に再び口付ける。二つの水音と鎖の音が背徳的な空気を作り上げる。
「ふぁ……」
「一緒に、イこうか?」
 彼女の苦悶の表情は、求めるような腰の動きに上塗りされていくようだった。
 腕の中に居る彼女は、足枷の鎖の音以外は普通の娘と変わらなかった。

 ただ一人の「男」に、愛された「乙女」だった。


*******

 最後まで見届けると決めた。

 俺は彼女を見守るために審問の場に紛れる。

 神に見放される形となっても、彼女は神を求めた。ただ祖国を救えとだけ言った存在を。
 神に望むなら、いっそ俺に望んで欲しかった。救って欲しいと。ただ、生きたいと。

 そして、最期を告げる煙が上がる。
 その姿はまるで、神に彼女を永遠に奪われた瞬間のように思えた。



 人垣の向こうの彼女と目があった気がした。口が動く。
 その言葉を最後に彼女は瞳を閉じ、そのまま動くことは無かった。


『すべてを委ねます』




 ――火が強く燃え上がった。

今年もこの日が来たか。とフランスは思った。
 ふらりと家を出るとパリの街中をゆっくりと歩く。凱旋門、エッフェル塔。
 美しい街並みを堪能した後に、花束を買う。

 そして最後に、セーヌ川のほとりで腰をかけた。


「……今年も相変わらず綺麗だった。嫌になる位にな」
 そう言いながらフランスは買ったばかりの花束を川に投げる。
 アイリス、ユリ。色とりどりのそれらははらはらと、川を彩っていく。
「だから、ありがとうな」
 例えるならばそれは死花花のように、恐ろしく、美しく川底に沈んでいく。


 彼女の最後の願い、守ろうとした場所は今日も変わりなく美しく輝いている。
 そして彼女が「居る」この川も、今日も穏やかにある。
 聖女様のご加護のお陰、などと言うと怒られそうだな。とフランスは心の中で苦笑する


「さてと、今日はロレーヌのワインでも飲むとするかな」
 もう一度だけ心の中で彼女に別れを告げ、フランスは立ち上がりそう呟いた。



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