二重帝国前夜
身分違いじゃねーの?とからかいに行くつもりだった。
けどあいつの嬉しそうな顔と掛けられた婚礼衣装を見た瞬間、腹の底にあった黒い感情が一気に吹き出した。
幼なじみのハンガリーとは憎まれ口を叩き合いながら笑い合ったり、協力したり敵になったりと
ころころ関係が変わりながらもつかず離れずの距離を保っていた。
ちょっと前まで自分の事を男だと思い込んでてて俺が胸を揉んでも鼻で吹き飛ばす様なヤツだった。
俺が一方的にこいつは女だって意識するばかりで当の本人はかけらも思っちゃいねえ。
女らしくなってもそれは見た目だけ。
もちろん俺の淡い気持ちなんかに気付く心の機微なんて持ち合わせていやしなかった。
だから俺もそんな気持ちは腹の底に隠し、悪友として、そして敵としてこいつと向き合って今まで来た。
あのすかした貴族野郎の国に圧勝した戦の熱狂から一年経つか経たないかの若葉の季節。
部下からハンガリーとオーストリアの結婚を聞いた時、
「あーーーー・・・」
我ながら間抜けな声がでた。
反応が意外だったようで部下が怯えている。
取りあえずいつもの不敵な笑みを作り、
「わかった。」
そういった俺の顔をみて部下の顔が安堵に満ちた。
とりあえず禿げ上司に相談してくるわといって踵を返す。
上司のところに向かっているつもりだった。
気がつけば一人ハンガリーへ向かっていた。
首都にある一部の人間だけが知る屋敷。
最近国に戻ったというのは聞いている。
その屋敷にその国はいる。
幼いころから何度も来た屋敷だ。
夜だったので使用人はいない。
からかってやる。
笑ってやる。
門の前に立った時ニヤニヤ笑いが出てきた。
門扉を開け屋敷に入る。
部屋に行くまであー言ってやろう、こう言ってやろう。
色々想像しながら勢い良く部屋のドアを開けた。
「よお!俺様が来てやったぞ!!」
そこには色とりどりの刺繍が施されたハンガリーの民族衣装とオーストリアから送られたであろう
白く美しい装飾のドレスが掛けられていた。
そしてその前でハンガリーが幸せそうな顔でドレスを眺めていた。
そんな顔を俺は今まで見た事が無かった。
俺は口を半開きにしたまま、つい見とれてしまった。
こんな柔らかで優しげな雰囲気を醸し出すヤツだったのか??
思わずひるんでそれ以上言葉が出なかった。
暫くしてから、
「あ、プロイセン。」
「すぐ気付けよ。」
「ごめんごめん。嬉しくって、つい眺めちゃうんだよなあ〜」
草原をそのまま溶かし込んだ様な色の瞳に喜びが満ちあふれている。
「なんで来たんだ?あ、話しがおまえのとこに伝わったからかあ。」
にこにこ笑いながら喋る言葉使いは昔のまま。
「もうすぐ、またオーストリアに戻るんだ。行ったら流石にあえなくなるだろうから来てくれて良かった!」
喜びに満ちあふれた笑顔。
俺に話しかけながらも俺を見ていない。
見ているのはここにはいないあのいけ好かない貴族野郎。
俺には、絶対向けられない笑顔だ。
この笑顔はアイツに向けられている。
俺に、俺の国に負けた国へ嫁ぐのに。
なんでそんなに笑える。
自ら枷を嵌めるのが何故そんなに嬉しい?
俺に蹂躙されたヤツの方が俺より良いのか?
ハンガリーを見つめながら腹の底から何かがわき上がってくる。
口の中が乾き呼吸が徐々に浅くなる。
つばを飲み込んでも、黒い固まりがのど元へせり上がる。
俺はそれを自覚した刹那、床を蹴り、ハンガリーの左手を獲りそのまま床へ叩き付けていた。
こいつは油断しきっていた。
「ちょっ・・・!!」
いきなり床に叩き付けられ、背中を打ったせいか声が出せないようだ。
「祝、置きにきてやったんだよ」
「な、何言って・・・?」
ハンガリーの上に馬乗りになる。
下になったハンガリーの目には俺の切羽詰まった顔が映っている。
映る顔はなんとも情けないツラだ。
からからに乾いた喉からなんとか絞り出した声は、なんとも暗く低い。
「結婚祝い」
呟くとほぼ同時にハンガリーのうなじに口づける。
「な!何すんのよ!プロイセン!!!!」
ハンガリーは自由が効く右手で俺の後頭部めがけ拳を振り下ろしてきた。
少しずれた様で背中に鈍い痛みが走った。
けれどそんな痛みなど今の俺には気にならない。
子供の頃に一緒に舐めた甘い花の蜜の様な香がする。
俺は夢中でハンガリーの胸元に印を付けていく。
甘い花の蜜の香に誘われた羽虫の様に。
「止めてって!!止めてよ!!」
ハンガリーの制止の声など無視し首筋を舐めあげ、耳たぶを甘噛みし耳の中に舌を差し入れる。
その瞬間ハンガリーが素っ頓狂な声を出し、俺は舌を引っ込めハンガリーの顔を見た。
恐怖と驚愕で満ちた目だが、力強く俺をまっすぐ見ていた。
「なんで・・・いきなりこんな事するのよぉ・・・」
少しの沈黙。
俺は必死で言葉を選ぼうとしていた。
しかしこの口からは酷くハンガリーを失望させる事しか出来ない言葉しかでなかった。
「あの貴族野郎にシッポ振って甘えに行く雌犬の躾にきてやったんだよ。
貴族っていっても俺様に負けた野郎んトコ・・・ぶっ!!!」
最後まで言い切らないうちにハンガリーの平手打ちが俺の顔に直撃した。
「何よ!あんたに何がわかるっていうのよ・・・」
緑の瞳から涙があふれる。
「オーストリアさんにはずっと憧れてたのよ、ずっとずっとあの人のそばにいたのよ!!」
解ってた。そんな事言われなくても解ってた。
お前があいつを見る目は俺やイタリアを見る目とは全く違ってた。
昔は敵対していた。
けど、長い時間を経てお前はアイツに惹かれて行った。
憧れと愛がこもった目であいつを見つめ続け、あいつのために戦っていた事も全部わかってるんだ。
解っているから・・・
俺はうなだれるしかできなかった。
ここで彼女を無理矢理犯し、傷つける事はとても簡単だ。
しかしそれをしてしまえば一生・・・この黒い固まりが己を支配し続ける様な気がしてならなかった。
泣きながらハンガリーは呟いた。
「なんで今なのよ・・・なんで今こんな事するのよ・・・」
ハンガリーは泣きじゃくりながら続けた。
「あんたは・・・自分の事ばっかりであたしの事なんて見てなかったじゃないの・・・」
「今、なんて言った?」
思わず俺は聞き返した。
「あたしの事なんか全く見やしないあんたを好きだったのよ・・・ずっと・・・」
ハンガリーは右手で顔を覆う。
「ずっとずっとあんたが好きだった。でもあんたはあたしの事なんて全く見やしない。
そんな時に国を獲られてずっとオーストリアさんのところにいて・・・
あたしがいるのもおかまい無しであんたは神聖ローマ引っ掻き回して・・・
不安で寂しくて毎日毎日いつ消えてしまうのか怯えてた。
でもあんたは好き放題戦ってやりたい放題だったわよね?
羨ましかった。一緒に居たかった!でも出来なかったのよ!」
ハンガリーの独白を俺は只聞く事しか出来なかった。
「そんな時に優しくしてくれたオーストリアさんに惹かれたのよ。
あたしがあんたを忘れられないって解っててもよ!
やっと気持ちが整理できかけた時にあんたはまたオーストリアをめちゃくちゃにした。
その時、初めてあんたが憎かった。
その気持ちを自覚したから、オーストリアさんを大切だってやっと解ったから結婚しようって思ったのよ。
でも・・・国をめちゃくちゃにされて憎いって思ってもどっかで許せてた・・・」
その言葉を聞いて、俺はハンガリーをゆっくり起こした。
のど元にあった黒い固まりが、今までのこいつへのわだかまりと一緒に溶けた様な気がした。
そしてそのまま口づけようとした。
「止めて。」
氷の様な声で制止された。
下手な剣でたたっ切られたような感覚。
涙を流しながらもまっすぐ俺を見据えたハンガリーはこう言った。
「これ以上あんたの事嫌いにさせないで。お願い・・・」
言われなければ、俺は気付かなかった。
どうやら俺は大バカ者だったようだ。
自分優先の結果か。
すっと近づきハンガリーの首元に顔を埋める。
ああ、またあの花の様に甘い匂いがする。
「これくらいは許せ。」
そう言ってハンガリーのうなじを少し強く吸った。
「ん・・・っ。」
既に幾つかの跡はあったが、白いうなじにひと際濃い紅い花。
たった一時でも俺のものであったという印。
「・・・帰るわ。」
何もハンガリーは言わない。
ただ俺を睨み据えていた。
もう多分、俺たちの道が交わる事は無い。
ー終わりー