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 〜燐葉石の光〜


  •  ちびリヒのお話
  •  神聖ローマ時代の話で、オーストリアに仕える下級貴族だった頃
  •  神聖ローマ=ドイツ設定あり

「しんせーろーま?」
「ええ、これから貴女、リヒテンシュタインが仕えるべき方です」
少女は首をかしげる。まだ幼い為か、しっかりとは理解できていないようだ。
口の中で、何度か仕えるべきものの名前を呟く。
「しんせーろーま。しんせーろーま……うん、しんせーろーまにつかえる」
「女の子なんですから、もう少し丁寧な言葉お使いなさい」
「えっと、つかえます……でいいの?」
「まだまだですが……よろしいでしょう」
くしゃっと髪を撫でられ、満面の笑みを浮かべる。
やっと誰かに認められた。やっと誰かに『いてもいいよ』といわれた。
そして――自分を認めてくれたまだ見ぬ神聖ローマに興味を抱いた。

オーストリアの下で働いている以上、中々神聖ローマには会えない。
ご飯の時も、掃除の時も、会う機会などない。
姿を見たところで、それが神聖ローマか否か判断の仕様もなかったのだが、それでもとにかく会いたかった。
慣れぬ戦いに身を投じ、身体を傷だらけにし……初恋に似た思いは、小さな身体を動かす動力源となっていた。

「うぅ……いたい…です」
湖で傷だらけの身体を拭う。腕や足にできた傷が水にしみる。
重い剣を引きずり、戦場を走り、頑張ってはみているのだが、所詮は下級の存在。
力もなければ、戦力もない。ただ、他のものについていくだけ。
だから、傷を負っても、誰にも心配をしてもらえない。
「……もう、嫌…です」
湖に浸かっていると、水の冷たさで更に深い孤独を感じる。
争いは嫌だ。戦いは嫌だ。
でも、戦わないと自分が保てない。
「誰か…助けてくだ…さい。もう、嫌、です」
神聖ローマに仕えるためにいろいろ無理をしてきた。嫌いな剣も握った。慣れぬ敬語も練習してきた。
いつか、神聖ローマに会うときの為に。
だけれども、もう誰も評価してくれない。もう誰も自分を見てくれない。
「…ふぇ……」
必死にこらえていた涙が溢れ出す。ぽろぽろとこぼれる涙が、水面に波紋を作っていく。
「ん? 誰かいるのか?」
背後から聞こえてきた少年の声。
その瞬間、オーストリアの言葉を思い出した。
『女の子は慎みや恥じらいを持ちなさい』
現状、身体には何も身につけず、水に浸かっているのだ。
こんな状態を見知らぬ少年に見られてしまったらどうなるか。
難しい事はわからないけれど、きっと『慎み』や『恥じらい』が無いということになってしまうだろう。
そうしたら、神聖ローマに嫌われてしまう。
それだけは避けたい。
反射的に肩まで水に浸かる。幸い、今日は天気も良い。光の照り返しで裸体を見られることは無いだろう。
草むらから、大きな黒い帽子が現れた。そして意思の強そうな瞳。
周りを見回すと、湖に浸かっている少女を見つけ、いらだった口調で問う。
「おい、イタリア見なかったか?」
「イタリア……さん? みない…です」
首を横に振ると、小さく舌打ちし、方向転換しようとする。
久しぶりに誰かが話しかけてくれたのに。自分を頼ってくれたのに。役に立てなくて、それが悔しくて。
「ひっ…ぐ……うぅぅ」
再び溢れ出す涙。
「ちょっ、な、何でお前泣くんだよ!!」
突然の涙に、慌てふためく少年。
涙を止める術など知らないのか、ただただおろおろしているのみ。
「あーもう、泣くな! 泣き虫は嫌いだ!」
「や…嫌わないで……頑張るから、もっと…頑張る…です」
怒鳴り声が逆効果になり、少女は更に涙をこぼす。
このまま放っておければよかったのだろうが、さすがにそんなことはできず、少年は気まずそうに背を向けて水辺に座り込んだ。
「……お前の名前は?」
「ひっ、り、りひてんしゅ……うぐっ、しゅたいん」
「あーあの、最近俺のとこに来た奴か。ちっこい身体のくせに頑張ってるじゃねーか」
きょとんとし、聞き返してみる。
「頑張って……る? 私の事…です?」
「ああ。ちっこい手で剣頑張って振り回しているって。あ、そうだ」
何か思いついたのか、肩かけカバンをごそごそ探し、何かを取り出した。
小さな薬いれ。蓋には美しい女神が彫られている。
少女に近い水辺に置くと、少し離れ、
「それ、傷薬だ。良く効くから使え。じゃあな」
泣き止んだのを確認すると、少年は再び草むらへと消えていった。

湖から出てくると、身体を拭いもせず、薬を手に取った。
薬いれを開くと、白い軟膏が詰まっていた。ハーヴの香りが心地よい。
手にできた傷に一塗りし、薬をぎゅっと両手で握り締めた。
「…頑張ってるって……見ててくれた…です。もう少し、頑張れる……です」
――そして、少女は少しだけ笑えた――

――その後、神聖ローマは消えたと聞かされた。
会いたかったのに、会えなかった。
顔も知らぬ彼女の初恋は、そうして終わる。

守りたかった神聖ローマはもういない。
満たされない心のまま、長い戦いの中に身をおくことになり……
いつしか、戦いに嫌気がさし、中立を宣言する。

だが、その中立も世界の争いの中では意味を持たず。
――そして、兄と出逢った。皆と出逢った――



机の上に置いてあった小さな薬いれを、久しぶりに手にする。
毎日が幸せすぎて、忘れかけていた小さな思い出。
「それは……瑪瑙のカメオか?」
後ろから優しい手が彼女の身体を抱きしめてきた。
肩越しに見事な細工の薬入れを観察していると、彼女が頬にキスをしてくる。
「ええ。昔、大切な方からいただいたものですの」
「大切な人……か」
少しだけすねた顔を見せる。そんな姿を見せてくれる彼がとても愛おしくて。
「嫉妬してくださるんですの? ドイツ様」
「嫉妬じゃない。そのだな……」
図星を疲れたのか、口ごもり、ごまかすかのように早口になった。
「俺も昔そういう瑪瑙の薬入れ持っていたなと思っただけだ。
ある泣き虫にやったから、もう手元にはないが。
そうそう、女神の横顔が蓋に描かれていて、蓋の裏側には青緑色のフォスフォフィライトがついていてな……」
そういって、彼は薬入れの蓋をあけ……

――蓋の裏には青緑色の宝石がきらきらと光を受け、輝いていた――

二人は顔を見合わせる。
どちらかともなく、笑い声を上げ、笑い始め……

数百年ぶりの再会に、二人は唇を重ね合わせた。




カテゴリー
[リヒテンシュタイン][神聖ローマ]

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