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 ロンドンから愛を込めて


翌朝。
セーシェルの元へ、大きめの封筒でエアメールが届いていた。
消印はロンドン。懐かしささえ感じる彼の筆跡。
忙しいだろうに、わざわざ宛名を手書きしてくれたようだ。
現物を送った後、到着に間に合わせるようにメールを寄越すなんて、何とも彼らしい、と思う。
取るものもとりあえず、慌てて封を切ると、中に入っていたのは、
発売後数分で完売したと言われていた、アーサー・カークランドのロンドン公演のチケット
(多分一番いい席だ)に、ロンドン行きの航空券。
それから、――関係者専用のスタッフ通行証だった。


上司に懇願して休みをもぎ取り、一日千秋の想いで指折り数え、とうとう迎えたライヴ当日。

楽屋へ行こうか迷っているうちに、開演時間になってしまい、仕方なく席へと向かった。
観客席は何処を向いても人で溢れていて、今更ながらに彼の人気の凄さを実感する。
ここに来ている人たちはみんな、彼のことが好きなんだ。
…本当に私が、イギリスさんの恋人でいいんだろうか。
マイナス思考の海へ、ずぶずぶと沈みそうになる。ああ、自分はこんなにも後ろ向きだっただろうか。

唐突にどぉん!!と花火があがり、思考が吹き飛ばされる。周囲からは大きな歓声。
『アーサー・カークランド』の単独ライヴが、華々しく開演される合図だった。

とても、本人には一生伝えられそうもないが。
――恋人としての贔屓目を抜きにしても、マイクに向かい、ギターを爪弾き、歌う彼は、
とてもとても格好良かった。
正直に言うと、惚れ直した。
何度か目が合ったような気がするのは、都合のいい妄想だろう。
まるで、ブラウン管の中のアイドルに恋する少女のようだ。そう思うと、何だかおかしかった。

口八丁手八丁の大英帝国様らしく、演奏の合間に挿むトークも絶妙かつ軽快で、
笑い、見惚れ、聞き惚れているうちに、あっという間にラストナンバーになり。
ふと、気恥ずかしさを忘れ、演奏を終えて戻って来る彼を、お疲れさま、と言って迎えてあげたいと思った。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなり、演奏中にも関わらず、席を立って駆け出していた。
最後まで演奏を聴いていたい気持ちもあったけど、それはまた今度、と心の隅に押しやる。
お腹まで響くバスドラムの音に合わせるように、心臓の鼓動がどくどくと走り出す。

スタッフ通用口で通行証を見せると、途端にほっとしたような、嬉しそうな満面の笑顔になったスタッフに、
彼の楽屋と、ステージ通路の場所を示された。
何かしら話が通してあったのだろうか。恥ずかしいけど、確認する余裕はない。

忙しく動き回るスタッフ達を避けるように通路を駆け抜けて、ちょうどステージ裏に出たところで、
演奏がフィナーレを迎えた。割れんばかりの歓声と拍手。
髪をなでつけ、リボンを直して、白いドレススカートの裾を引っ張る。
スタッフじゃないけど、首からスタッフ証を下げているし、こんな格好だけど、ここにいても大丈夫な、筈。
何て声をかけよう。
久し振り過ぎて、今までどうしていたかが、思い出せない。


と。
本当に唐突に、彼がぽんとステージから降りて来た。
細身だが鍛えられた裸の上半身にギターを下げたまま、腕で額の汗を拭い、スタッフの一人に笑いかけ、
軽く放られたミネラルウォーターのペットボトルをぱしり、と受け取る。
ああちくしょう、格好良い。 じゃなくて。
心の準備が間に合わない。
 「っ、」
彼が顔をあげ、こちらを見る。
翠の目が、大きく見開かれた。
キャップを捻られたペットボトルが、中の水を撒き散らしながら足元に転がる。
 「…いぎ…ぁ、アーサーさんっ…!」
いつもの名を呼ぼうとして、慌てて訂正する。
何とか誤魔化せた、と息をつこうとしたら、――急に視界がぐるりと回る。
思わず瞑った目を慌てて瞬くと、そこには、久し振りにそばで見る、切羽詰まったような彼の横顔。
 「ふ、えっ?」
横抱きに抱え上げられている。
 「ちょっと、俺ら楽屋にいるから!」
少し擦れた声で周囲に叫ぶと、彼は勢い良く走り出した。…セーシェルを抱いたまま。


――そして、冒頭へ至る。




快感を散らすように息を吐いて目を瞑り、彼の裸の肩に、額を押し付ける。
本当に久し振りに触れる、彼の身体。彼の匂い。
先ほどまで彼が身につけていた、汗を大量に吸ったTシャツは、彼が演奏中にステージ上で、
やたらと絵になる仕草で脱ぎ捨てていた。
(同時に四方八方からものすごい黄色い悲鳴があがったのには、考えを見透かされたみたいで
心臓が口から飛び出るほど驚いた)
今はもうスタッフが回収している筈である。客席の方に落ちていなければ。
客席の方に落ちていたら、――きっと彼のファンに、コレクターアイテムの一つとして収集されるのだろう。
…ちょっと気に食わない、とちらっと思った。

埒もない考えに浸っていると、くちゅくちゅと柔く突き上げられ、セーシェルはたまらず恋人の背に縋りつく。
 「あ、ふ…ぅあ、」
 「…ん、…っつーか、何で開演前にこっち来ねぇんだよ…」
 「……だって、…」
こめかみに口付けられ耳元で囁かれて、俯いてしまう。
柄にもないが、…恥ずかしくて、緊張して、照れてしまったのだ。
直接逢うのが、あまりにも久し振りで。
それに、今の彼は一流アーティストでもある。何だか、妙に気後れしてしまう。


 「お前も、忙しいの知ってるけど、…逢いたかったんだぞ」
 「…っ!!…ちが、わ、私だって…!」
逢いたかった、という言葉に、ぐわん、と感情の振り幅が最大になり。
抑えていたものが吹き出すのと一緒に、ぼろぼろと涙が零れた。
耳に届いていたはずの外の喧騒も、一気に遠くなる。

 「うわ、ちょ、おい、…セーシェル?」
困った顔をした彼がおろおろしている。そんなところも、見るのは本当に久し振りだ。
 「ひっく、いぎりすさん、の方が、いそがし、って、ぅく、私、だって、わたし…っ」
 「…あー、ごめん、悪かった、泣くなって」
繋がったままの体勢で、背中をぽんぽんと撫でられながら、頬を伝う涙を舐め取られる。
涙腺も感情も暴走して、止まらない。
 「すご、ゆうめい、に、なっちゃって、なんか、…遠くに、いっちゃっ、みたいで…」
 「うん、」
 「あいたかっ…けど、…うち、とおい、し、…いぎ、…す、さんの、…めーわく、に…っ」
 「ばぁか、なるわけないだろ」
 「だって、…って…っ」
 「ああもー、お前可愛いなあ…!」
ひっくひっくとしゃくりあげていると、力いっぱい抱きしめられた。
ステージで、みんなが聞き惚れる歌を、何曲も紡いでいた彼の薄い唇で、優しくキスをされる。
どきどきと心臓が高鳴る。
これは、独占欲?優越感? 良く、分からない。

 「お前、俺のこと大好きだもんな?今もすげぇ、何もしてないのに濡れてたしな」
…はしたない話だが、実際、ライヴを聴いているときから、身体はずっと昂ぶっていた。
彼の声は、腰にクる。
もういろいろと容量オーバーで、いっぱいいっぱい過ぎて、普段ならふざけろアホ眉毛!と、頭突きして
逃げているような言葉にも、あっさり頷いてしまう。
 「ん、いぎりすさん、…だいすき…っ」
 「……っ」
 「…から、だから、…ずっと、そば、に、…いて欲し…っ」
 「ああ…、もう離すかよ…っ!!」
いきなり律動を再開されて、思わず身体を仰け反らせる。勢い良く引き抜かれ、叩きつけられる。
 「ぅ、ふあっ…!」
容赦なく膣壁を擦られ、子宮口まで突き上げられて、我を忘れ泣き叫ぶ。
 「あ、あんっ…やああっ…!」
 「セイ、…」
囁かれる声、名前を呼んでくれる声が、酷く甘い。
――ずっとずっと、逢いたかった。
その気持ちは、自分だってきっと対等に張り合える。


 「や、んっ…いぎ…り、すさ…っ、やああああっ…!」
限界まで高められていた身体は、簡単に絶頂を極めてしまい、瞼の裏に白い閃光が散る。
飛んでいってしまいそうな身体を繋ぎ止めたくて、彼の背中に爪を立てる。
 「…くっ」
 「ぁ、あ、あっ」
彼が眉を顰めるのと同時に、身体の一番奥に、どく、と熱いものが流れ込み、思わず身体を震わせる。
乱れた息遣い。どれもこれも、久し振りの懐かしい感触。
 「…、…早いとか言うなよ…俺だって溜まってたんだ」
少しだけ頬を染める彼に、前に身体を重ねた時を思い返して、こくりと頷く。
他ではおろか、自分でも処理していなかったらしい。奇妙に嬉しい心地で、唇をねだる。
 「ん、」
世界第一位の気持ちいいキスを、思う存分してもらって、上も下も繋げたまま隙間なく抱き合う。
彼の体温に、涙の衝動も、気持ちの揺れも、だんだんと収まって来た。

ふと思いついて、彼の鎖骨にあむ、と噛み付いてみる。
 「いぢっ」
肌が白いので、やたらと綺麗に目立つ歯形がつく。
そういえば背中には、先ほど引っ掻いた傷もついている筈だ。
 「何すんだよ」
 「アンコール、戦闘服でパブらないで下さい、って思って」
 「流石にライヴじゃ着ねぇよ、ばかぁ!」
 「ふふふ、あははっ」
泣き笑いだが、やっと顔を綻ばせたセーシェルを見て、彼もふと、優しげな笑みを浮かべる。
 「続きは、今夜な。…それと、ツアーをやり切ったら、この二重生活も全部終わらせるから」
 「え、…そう、なんですか?」
きょとん、と目を瞬くセーシェルに、掠めるようなバードキス。
 「ん。元々はあいつらのせいだし勢いだし、国の仕事と両立じゃ、いくらなんでも俺の身が持たねぇよ。
  このツアーで、諸々の義理も果たせるだろうし。
  …真剣にやってるやつには悪いと思うが、…お前を泣かせてまで、続けたいもんでもねぇしな」
 「イギリスさん…」
涙腺がすこぶる弱っていて、またうっすらと涙の膜が張るセーシェルの琥珀の瞳に、
瞼の上からキスを落として、ニっと笑う。
 「全部終わらせたら、半月くらい休み取って、お前んとこにバカンスに行くよ」
 「はい。…半月と言わず、一月とか二月くらい、どかーんと休んじゃって下さい」
 「ん、掛け合ってみる」
 「ポリネシアンセックスとか、いっぱいしましょう。…今まで忙しかった分、のんびりして下さい」
 「そうだな、のんびりするか」
 「私の家の歌、覚えて歌って下さいよ。…そしたら、私、それに合わせて踊りますから」
 「おお、そりゃ楽しみだ」
そうして、飽きずにキスを繰り返し、舌を絡めた。


コンコンコンコン、と控えめなノックが響く。
 『…お邪魔してすいませんアーサーさん!そろそろ、スタンバイお願いしますー!』
 「あ、はーい!」
彼が慌てて扉に向き直り、返事をする。やっと現実の感覚が戻って来た。
……外まで聞こえていたかどうかについては、全力で考えないことにした。
そうしないと、彼とはとても付き合っていられない。羞恥で死ねる。

ようやく身体を離すと、彼が体内から抜けていく感触に、身体が震える。
 「…ふ、ぁっ」
繋がっていた部分からドロ、と白濁のものが零れた。彼が荷物の中からタオルを取って来る。
 「悪い、あっち終わったら、ちゃんとするから…」
 「へーきです、私もついて行きます。…アンコールまで全部聴きたいです」
脚の間をおざなりにぬぐって、とりあえず服装を整えていると、彼の動きが止まり、
セーシェルをじーっと見つめているのに気がついた。何か?と首を傾げてみせる。
 「…ったく、お前そんな可愛かったっけか?
  今からステージの上連れてって、これ俺の彼女ですどーだカワイイだろー!とか叫んでもいいか?」
 「頭湧いたこと言ってんじゃねーですよこのアホ眉毛!服着て下さい!アンコールみんな待ってますよ!」
真顔で、神妙に考え込み出した彼の頭を、照れ隠しにべしっとぶっ叩く。

少しして。
換えの服をきっちり着込んだ彼と、指を絡めて手を繋ぎ、連れ立って、セーシェルは楽屋を後にした。

なんだ。
色ボケでエロ大使で変態なところも、彼は何にも変わってない。
自分が勝手に、変わってしまったかも、なんて思い込んで、ひとりで怯えていただけだった。
…良かった。

優しく笑いかけてくる彼に、セーシェルは、久し振りに心から、にっこりと微笑み返した。




その後のツアー先の、各地のコンサートホールでは、関係者の中に、必ず彼女の姿があった。

そして、ツアー全日程を、彼はやたらと上機嫌にこなし、ツアー終了と同時に突然の引退を発表して、
アーサー・カークランドは、音楽業界の表舞台から、煙のように忽然と消え失せた。
彼の正体が何者なのかは、限られたごく一部の者のみぞ知る、禁則事項である。
ごく稀に、イギリス王室や官邸内で、良く似た風貌の青年を、見かけられるとか、られないとか。


更に蛇足だが、彼が恋人の可愛い我が儘を聞き届けたため、ツアー全日程内で彼が服を脱ぐシーンは、
初日のロンドン公演以外では全く見受けられなかった、とのことである。


おわり



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