デビットが上着を羽織るのを見て、ネルソンは眉を顰めた。
　非難するように唸り声を上げたが、デビットは気に留めない様子で 車の鍵と財布を取った。

「出かけるのか」
「ああ、ちょっとな」
「俺を置いて？　今日はずっと一緒にいるって言ったのに！」

　読んでいた雑誌を床に叩きつけ、不満を隠そうともせずにそう尋ねると、 デビットはやっと
ネルソンを見た。

「すぐに戻ってくるよ。お前、アレ好きだろ。マリアサンクのフルーツ タルト。買ってきてやるか
ら、少し待ってな」
「別に、いい」
「雑誌の続きでも読んでろって。すぐだよ」
「結構だ！　いい、もう、さっさと出てけよ！」
「ネルソン…」

　デビットは溜息を落とし、ネルソンが座っているソファへと歩み寄った。 床にしゃがみこむと、
すっかりへそを曲げた恋人を覗き込んだ。ネルソン はいかにも怒ってますといった顔で睨んで
くる。まるで子供のような独占 欲の裏には、離れないで欲しいというやはり子供のような不安感
が溢れて いる。それがわかるだけに、デビットはいつも何故か自分が悪者になった 気がするのだ。

　黙って頬を膨らませているネルソンに、伸び上がってキスをする。
　つり上がっていた眦がふわりと和らぐ様子に心が痛むが、今日ばかりは 仕方がない。回され
た腕をそっと外すと、額に軽くキスを落とす。

「ごめん、ネルソン。ちょっとだけ出させてくれ。いつもお世話になって る子が誕生日だっていう
から、ケーキを持っていくだけだよ」
「なんでお前がそんなことするんだよ。誰だよ、そいつ」
「同じ学科の子だよ。知ってるだろ、昨日だって大量に壊した試験管の 処理を手伝ってもらった
じゃないか」
「ああ…彼女か…」

　ネルソンはぶすっとした声音で呟いた。
　確かにいつも迷惑はかけている。２人でイチャコラする為に早退する時、 気難しい教官への
言い訳を代わりに告げてもらったり、２人でイチャコラ する為にとある部屋を貸し切りたい時に
鍵を借りてきてもらったり。その 間の授業のノートを借りたり。そして昨日は、研究室で２人で
イチャコラ していた為に落下させた試験管をこっそり処分してもらった。教官にウケ が良いので、
とても頼りになるのだ。

　だがネルソンはその存在を快く思っていない。なぜなら。

（あいつ、絶対デビットに気がある…。ケーキなんか持って行ったら 余計に付け上がるじゃないか！）

「頼むよ、ネルソン。昨日たまたま知ったんだ、彼女の誕生日が今日だ って。普段のお礼をす
るにはうってつけだろ？」
「じゃあなんで１人で行こうとするんだよ！」

　再び不機嫌になったネルソンに、デビットは肩を竦めた。
　自分だってネルソンといるよりも大切な用事だとは思っていないが、丁寧な 性格が他を省み
ないことを許さない。それに、言うじゃないか。情けは人の 為ならず。自分の為、今後の自分と
ネルソンの為なのだ。だがデビットは どうしてもネルソンを連れて行きたくなかった。

「だって、ケーキを持って誕生日の女性の所へ行くなんて、その気がなくて も思わせぶりじゃないか？」
「だからお前１人で行かなくても」
「だから俺はお前を行かせたくないんだ」

　ネルソンの声に、デビットのきっぱりとした声が覆いかぶさる。

「彼女が誤解したら困るじゃないか。ただでさえ、お前に気があるよう なのに」
「え……」

　ネルソンはぽかんと口を開けた。だが身体の反応は素早く、「だから 俺１人で行く」と言葉を
続けるデビットを両腕で拘束する。

「ネルソン…離してくれ」
「嫌だ」
「ネールーソーン…」
「離さない。彼女には明日でいいだろ。俺も一緒に行くから」
「そういう面倒なのは嫌いじゃなかったのか」
「行くって言ってるだろ。だから今日は俺と一緒にいるんだ」

　でも今日は彼女のバースデーなのに、とお人好しな発言をするデビット に、ネルソンは何を
言ってるんだという顔で返答した。

「今日は彼女の特別な日かもしれないけど、俺達にだって特別な日じゃ ないか」
「…何かあったっけ、今日」
「知るかよ。でも特別な日なんだ」

　２人でいる、全ての日が。

「だから、俺と一緒にいなきゃダメだ」

　子供のように無邪気で傲慢な愛情表現に愛しさのみを感じてしまう 自分も、結局は同じくら
い彼を愛しているからなのだろう。上着を脱 がそうとするネルソンに逆らわず、デビットは苦笑した。

「そうか…なるほど」
「わかったか？」
「わかったよ、一緒にいよう」

　にっこりと、勝ち誇ってネルソンが笑う。
　この寂しがりやな暴君は、どうやらデビットを操る術を熟知してい るらしい。