――珍しいことがあるものだ。
アラミスはしばらくの間、目の前の光景に自身の目を疑った。
しかし自分はどう考えても気は確かだし、目の前の相手はどう見ても
酔っ払って熟睡している。
「アトスに、酒で勝てる日がくるとはな」
その声を聞くものは誰もいない。
深夜の酒場、主人は前金を貰ってとっくに部屋に上がっている。
賑やかだった酒場もいつの間にやら他の者の姿は消えて、今は4人しかい
なかった。
一番最初に潰れるのは、常にダルタニアンだ。
弱いくせに、騒ぐポルトスやザルのアトスに張り合って飲むものだから、
一刻と経たない間に動か
なくなる。ポルトスは彼らしく騒いで踊ってどこ
までも陽気に飲み、あげくバタリと倒れてしまう。たい
ていは全身にアル
コールが回るためだが、たまにアトスに煩いと殴られて机(あるいは床)
に沈没
することもある。
だから、最後はいつもアトスとアラミスの2人で杯を重ねることになる。
アトスは言わずと知れた酒豪だが、無茶な飲み方をせず、自分のペースを
保っていつまでも飲め
るアラミスは彼に付き合える唯一の人物だ。それでも
今まではアラミスがおやすみを言って別れる
ことが多く、たまに夜が明ける
まで飲んでも、けろりと元気なのはアトスだけだった。
「やっと、人並みに酔えるようになったということかな」
思えば、アトスには酒を楽しむという概念がなかった。
愛する人を一時の激情で処刑人に引き渡して以来、アトスは酒に溺れる
ことはあっても、それに
よって苦しみが和らげられることはなかった。む
っつりと不機嫌な顔で飲み続けるばかりだ。
それが、何の運命の悪戯か、生き延びていた妻から許しを得たのだ。
サビーヌという名の美しい女性は、死ぬ間際にアトスの罪を許し、変わ
らぬ愛を囁いたのだ。
その日以来、アトスの雰囲気が変わったように思える。どこか達観した世捨て人のような殺伐さが
消え、ダルタニアンの一途な性分やポルトスの冗談に微笑むようになったのだ。サビーヌは亡くなっ
たとはいえ、アトスのそういった変化はアラミス達には歓迎するところだった。
柔らかい金髪に顔を覆われて机に突っ伏しているアトスに、アラミスは
優しく声をかけた。
「アトス。お前、飲み潰れ慣れていないだろう。そのままだと風邪を引くぞ」
「ん…ン」
多少むずかりはしたものの、起きる気配はない。
どれだけ飲んでも顔色一つ変えずにいたアトスの頬がほんのりと上気して
いること自体、彼の酔い
の深さを示唆している。アラミスはやれやれと席を
立つと、肩を貸してアトスを立ち上がらせた。変に
寝癖のついたアトスや、
額に机の線がついたアトスなど見たくはない。上の部屋にあるベッドへ運ぶ
つもりだった。
「ン、あ」
身を起こされたことでアトスの頭がカクンと後ろへ落ち、開いた口から
幼い呟きが漏れる。ドキリとし
て顔を向けると、驚くほど長い金色の睫毛
が視界に入ってきた。次いで、はだけた襟元から覗く鎖骨
に目を引かれる。
途端に、アトスの体温が生々しく感じられた。アラミスは柄にもなく目を泳
がせると、
乱暴に上階までの階段を上がり始めた。
アラミスは生粋のフェミニストだが、アトスには女性とは違った意味で特別
な感情を持っている。高貴
な精神に、美しい所作に、ダルタニアンほどではな
いにしろ心酔しているのだ。それが、ふいに無防備
になられても。――なられたら。
「神よ…」
端整な顔に深刻な表情がよぎる。
「神よ、この状況に感謝します」
とんでもない濡れ衣を着せられた神は、だが不在なのか、不埒な信徒に
鉄槌を下すことはなかった。
「アトース…俺が悪いんじゃないからな」
力の抜けた身体をベッドへ横たえ、その上に覆いかぶさる。
ピンク色に染まった首筋へ唇を落とすと、微かに震えるのがわかった。
上衣の裾から手をしのばせ、
女性に劣らず滑らかな肌を堪能する。胸の突起
を掠るとピクリと眉を寄せた。
「ァ…」
「アトス…」
ずしりと下半身に刺激が走り、アラミスは喉を鳴らした。
しかし、身を捩り甘い声を漏らしても、弛緩した身体はそれ以上の反応
を示さない。すやすやと眠る
穏やかな表情に、アラミスは自分の行いが非常
に無体なことのように思えてきた。
「まあ、これから時間はたっぷりあるしな…」
自分に言い聞かせるように呟き、酒臭い息を吐く唇にキスをする。
ごろりとアトスの横に寝そべると、自らも相当に飲んでいたアラミスは
すぐに眠りへと落ちていった。
喉の渇きに目覚めたアトスが、隣に眠るアラミスに驚くのはその数時間後
である。