穏やかに交信していたジャックの声がふいに低くなった。
「ユナイテッド航空240便、落ち着いて。落ち着いて、もう一度
状況の説明を――」
隣の管制卓にいたクルーズは、自分の管制区域をざっと見直して安全を
確認すると、ジャックの方へ身を乗り出した。
途端に小さな紙切れを渡さ
れる。書かれた数行に目を通して、クルーズは青褪めた。顔を上げると、
厳しい横顔を動か
さないまま、ジャックが電話をする手真似をした。すぐ
にクルーズは動き、管制室の後方に設置されている受話器を取り
上げ、
空軍にダイヤルを回した。
「フェニックス空港管制室だ。ユナイテッド航空240便がハイジャック
された…」
同僚の視線が一気に自分に集まる。だがそこまで話してから、国内のハ
イジャックに関してはまずFAAに報告するこ
とを思い出し、舌打ちしな
がら受話器を下ろした。FAAにかけ直し同じことを述べていると、すぐ
目の前の扉が開いた。
見慣れない男達が4人、無遠慮に入ってくる。TC
が何事かと問いただそうと近づこうとすると、男達は懐から銃を取り出
し
た。バタン、と扉が閉まる。
『もしもし? もう一度、ゆっくり便名を言って下さい。それは訓練
ではないんですね?』
「ユナイテッド航空240便だ! フェニックス空港から飛び立ったばか
りで、うちの管制官が機長と交信している」
『訓練や演習ではないんですね?』
「そうだ! あと、ここも――」
最後まで言い切れなかった。
男の1人が敏捷な動きで傍に来て受話器を叩き下ろしたからだ。阻止し
ようとしたクルーズは銃身で頭を殴られ呻いた。
頭部に当てられたものに
ハッとすると、疑いようもなく銃が突きつけられていた。
「さて、諸君。仕事を再開してもらおうか」
静寂が降りた管制室に、抑揚の無い声が響く。
その言葉に男が2人、銃を掲げたままフロアに降りてきた。身じろぐ
管制官を威圧するように銃を掲げて管制卓の前に立つ。
「着陸はいつも通りにしろ。だが離陸する航空機に関しては、怪しまれ
ない程度に南西寄りに飛ばすんだ」
「そんな無茶な…全ての航空機の針路に乱気流でも発生させろとでも言
うのか? 指示に従うはずがない。第一、ここの
管制区を離れたらどう
すればいいんだ」
TCが必死に言い募るが、リーダー格の男は煩わしげに鼻を鳴らした
だけだった。
「その心配は必要ない。ユナイテッド240便と交信している者は?」
「僕だ。バカなことはやめろ。もうFAAに連絡が行った」
「そうか? 途中だったように思えるがな。それに、彼らの慎重さはよく
知っているよ。手続きを踏んでる間に我々の用は
済んでしまうさ」
「言っとくがハイジャックに加担するような真似は――」
ジャックの言葉を遮るように銃声が響き、クルーズは衝撃に床に倒れた。
全身に脂汗が浮かび、痛みに身体が震え始める。撃たれた腕から目が離せ
ない。
「ぐ、うぅう…っ!」
「クルーズ!」
「勝手に動くな!」
走り寄ってきたジュリーを、男は銃身で叩き倒した。だがジュリーは
男を睨み返し、這うようにクルーズの傍にきた。
「その2人は別の部屋に連れて行け。仕事のできない奴に用はない」
リーダー格の男に命じられ、男はクルーズを引っ張り上げるとジュリ
ーを足で蹴って前へと促した。
TCが大声で叫ぶ。
「彼らをどうするつもりだ!」
「君達がちゃんと言うことを聞いてくれたら何もしない。特に君…24
0便を、できるだけゆっくり飛ばすんだ。だが孤立させ
るな。行き先はヒューストンだ。お手の物だろう?」
後半の台詞はジャックに言ったものだろう。
扉を開けて外へ出る時、身体がフロアの方へ向いた。ジャックは男の
言葉を聞いているのかどうか、蒼白になってクルー
ズを見つめている。
クルーズは自分の怪我よりも、ジャックが倒れてしまわないか心配だった。
しばらく意識を失っていたらしい。
ふと気がつくと、クルーズは休憩室の机に座らされていた。痛みが酷
いうえに、両腕を拘束されている。隣にはジュリーも
いて、クルーズと
目があうと僅かに口元を綻ばせた。
「大丈夫?」
「じゃないな。どれくらい経った?」
「そんなに。20分くらいかしら」
クルーズは、ジュリーも恐らく自分と同じ焦燥を感じているだろうと
思った。このままでは自分達はおろか、同僚や航空機
の乗客にまで危険
が及ぶだろう。
リーダー格の男が言った通り、FAAは”トロい”。
過去は亡命や政治的主張が主で、乗客を含んだ自爆テロの目的でハイ
ジャックされるということはなかった。だからまず
は人命優先で犯人達
の言いなりになっていたのだ。911はまさに航空業界を揺るがす大事
件で、ハイジャック犯への徹底
抗戦という姿勢を生み出し、時には撃墜
も致し方ないと決定された。オープンだった機長室への扉は内側からロ
ックがかか
るようになり、手荷物検査もより厳しくなった。対策が練ら
れているのは事実だが、空での犯罪には未だに慣れていないの
も事実だ
った。
「くそっ…テロで悲劇が起こるのも、空軍に撃墜されて乗客が
死ぬのも冗談じゃない…!」
「FAAに伝わっているわよ、何とかしてくれるわ」
ジュリーの気遣うような言葉もたいして慰めにならなかった。
何事もなく事態を収拾するのは困難だろう。相手は人間をたくさん詰
め込んだ鉄の塊で、それもすごいスピードで空を飛ん
でいるのだ。
「おい、お前ら。さっきからうるさいぞ」
それまで黙ってテレビを見ていた男が、身体を起こして近づいてきた。
ジュリーが息を飲んだ。彼女だけは助けなければ…。
だがそのすべも思
い浮かばないまま、クルーズは男を睨みつけるしかできなかった。
男が口を歪めて拳を振り上げた瞬間、扉が勢いよく蹴り破られた。
振り返る間もなく撃たれて男が床に倒れる。やっと助けがきたのかと、
クルーズはため息をついた。
またもや意識が飛んでしまいそうだ。
ジュリーに呼ばれたような気がして重い瞼を開けると、精悍な顔つき
の男が覗き込んでいた。
「CTU特別捜査官のチェイス・エドモンズだ。他の人を助けたいのな
ら、協力してほしい。どんな状況なのかよくわからないんだ」
CTUが何なのかは知らなかったが、クルーズは頷いた。
仲間がもう1人いたらしく、隣にきてしゃがみこんだ。警官モノのドラマで2人一組ってのは本当なんだな、と関係ないことを
思ってしまう。そんな思考も、その男の顔を見ると吹き飛んだ。
「じゃ、ジャック…!?」