「そんなにあいつはいい男なのか?」
幾度も言われた、くだらない問いかけ。
CIAの会議室でこんなくだらない質問をされるのも、急に勘が
働いて捜査へ駆け出して
いった男のせいだ。本来ならばチーフの彼
が出席すべき会合だというのに。
おかげで、代わりに出席したニーナは会議後に何人かの好奇心旺
盛な男達に捕まって
しまった。彼らもよく把握していないCTUに
ついて、その中でも群を抜いて有名なあの男
について、そして何故
か話題はその男の部下であるニーナへの同情に移っていった。
いや、
同情というより、嘲りか。
「CTUへ行った当初は一番の出世株だと聞いたのに、あんな男に
忠誠を尽くして、今じゃ
落ちぶれたもんだ」
余計なお世話だと言いたい。
あんな男と言うけれど、彼よりも有能な捜査官を私は知らない。
共に働ける喜びを、共に
事件に臨む興奮を、わからないこの男達は
気の毒だ。
そして、彼を絡み取るという甘い誘惑。
彼よりも感情的な人間を、私は知らない。捜査を離れれば意外に
弱い素顔に欲情すると
言えば、彼はどんな顔をするだろうか? 家
庭に優しく、誠実であろうとする彼。だが仕事が
それを許さない。
次第に広がっていく不和を傍から眺めながら、いつかこの男は自分
に堕
ちると信じている。この歓喜は他の誰にもわからないだろう。
「なあ、マイヤーズ。こっちに来る気はないのか?」
「私は満足しているわ」
「へえ、君ほどの女性にそこまで言われるなんて、一度ジャック・
バウアーに会ってみたい
もんだな」
「気をつけてね。彼は噛み付き癖があるから」
「君になら噛み付かれても構わないけどな」
馴れ馴れしく肩に手を置いてきた若い男を睨みつける。
デスクワークしかしたことのないような青白い男は慌てて身を引
いた。これくらいで怖気づく
なんて、ジャックには鼻にもかけられ
ないだろう。ニーナは小さく笑うと立ち上がった。これ以
上ここに
居ては、上級幹部の心象を悪くするような発言をしてしまいそうだ。
「では、そろそろ失礼しますわ、皆さん」
「待てよ、マイヤーズ。最初の質問に答えてないぞ」
「最初の質問、というと」
「バウアーだよ。君が離れがたいと思うほど、いい男なんだ
ろう? 仕事でも、プライベートでも」
しつこい男だ、そんなことを聞いて何になるというのだろう。
人を揶揄するのなら、まずは
嫉妬で醜いその笑い顔をどうにかして
ほしい。どうせ、問題行動に比例して成果を上げる
ジャックに反感
を覚えているのだろう。彼の犠牲を知りもしないくせに。
「少なくとも、貴方よりは国家に貢献しているでしょうよ」
「なっ…」
仲間の前で侮辱され、男の顔が歪む。
「それに、勘違いしないで。ジャックと私は何の関係もないわ」
「はっ、どうだか。どうせバウアーなんて――」
「無能な人間の負け惜しみ? 惨めね」
屈辱に更に男の顔が歪み、さすがにまずいかと後ずさった時、
会議室の扉が開いた。
長身の男が緊張感の欠片もない雰囲気で
顔を覗かせる。
「ニーナ、まだいたのか。CTUに戻るなら送っていくが」
「ジョージ…そうね、お願いするわ。では、ごきげんよう」
意外な人物からの助け舟に、疑問を感じる間もなく部屋を
出る。しばらく廊下を歩いた後、
ジョージ・メイソンがどう
でもいいような口調で口を開いた。
「…とりあえず、君とジャックが何の関係もないと知って
良かったよ。事実か?」
「盗み聞きなんて悪趣味ね。事実よ、まだ今のところは」
「やれやれ…」
大げさに首を振る彼に、なぜこんな話を持ち出すのだろうと
苛立たしく思う。
「貴方に関係ないでしょう?」
「俺は良心的な男なんでな。ジャックは妻子がいる身だぞ。
それに、家庭を愛している」
「それが? 貴方が心配することじゃないわ」
「俺は君も心配だ」
思わず足を止めてしまった。利己的で、軽くて、掴みどころ
のない彼に、そんなことを言わ
れるとは心外だ。
「ジャックは、やめとけ。あれは駄目だ。捜査官としての能
力は俺も認めるがな…あいつは
周りを幸せにはできない」
「そう…忠告、心に留めておくわ」
にっこりと告げると、ジョージはもう一度やれやれと首を
振った。ニーナにつられて立ち止
まっていたが、のらりくら
り、といった風情で歩き始める。
「もっと軽くてフリーで扱いやすい男にしたらどうだ? 例
えば俺のような。バツイチだけどな、
ははっ」
もしかして、誘われているのだろうか? 背中をまじまじ
と見つめるが、それで彼の心情が
わかるはずもない。それに、
ニーナの心は既に決まっているのだ。ジャックが駄目だと言
う
のなら、本来の目的を忘れそうなほど彼に嵌っている自分
ももう駄目なのだ。いつかはジャッ
クとの関係に破滅が来よ
うとも、今は誰よりも彼の近くにいたい。
「なあ、ニーナ。奴はそんなにいい男か?」
その言葉は、今まで散々言われてきたものとは違ったニュ
アンスだった。悪口でも軽口でも、
揶揄でも皮肉でもない。
だからこそ、ニーナも本心を告げた。
「いい男よ。誰よりもね」
ジョージは肩を竦めると、外への扉を開いた。
出てすぐにタクシーが待ち構えており、意外に手早い根回
しに、今日は彼の珍しい顔を見て
ばかりだと思った。
「送ってくれるんじゃないの?」
「俺がCTUに戻ってもすることはないさ。自分の役回りは
わかってる。じゃあ、ジャックによろしくな」
最後まで見送りもせずに踵を返すところがジョージらしい。
ニーナは後部座席に乗り込むと
溜息を一つ吐き、ジャックは
もう戻ってるかしらとぼんやり考えた。彼の勘は良く当たる
から、
きっと何か掴んでくるに違いない。となると、当分は
また忙しくなるから、今のうちに寝ておいた
ほうが良い。
楽な姿勢をとり、ニーナは目を瞑った。
常に彼を中心に回っている自分の生活に、少しの幸福を感じ、
少しの嫌気がさした。
END