「ジャックはどこだ」が、ケリー・シャープトンの最近の口癖だ。
放っておけば現場への直行直帰は当たり前、そのくせ報告の一つもろくにしてこない。たまに
連絡があったと思えば事態はかなり切迫している。携帯もなかなか通じない部下に、CTUロサ
ンゼルス支局チーフであるケリーの苛立ちは最高潮だった。
経験豊かな現場捜査官には出来る限りの自由裁量を与えたいところだが、それにも限度があ
る。その捜査官が独走を好む問題児であれば尚更だ。
「ここ数日居場所すら知らせないなんて、一体あの男は組織をなんだと思っているんだ」
嫌味を言いに訪問したシャペルの相手で疲れたケリーは、玄関まで彼を見送った後、ブツブツ
と文句を垂れ流しながらチーフルームへと戻った。途中すれ違った何人かが、同情と苦笑の入り
混じった視線を寄越してくる。そういった緩んだ雰囲気も、ケリーにとってはいささか癪だった。自
分だけはジャックの”やんちゃ”を許容しないぞと、決意を新たにする。
「ライアンが来てたんだって?」
「ジャック!?」
部屋へ入った途端、問題の人物が身を起こして手を上げた。なんとジャックは、チーフルームの
ソファに悠々と寝そべっていたのだ。
「一体いつ、どうやってここに…!」
「ライアンはなんだって?」
ケリーの質問を無視してジャックが問う。
ムッとなりながらも、ここぞとばかりにケリーはまくしたてた。
「君がいてくれれば良かったんだがね。何の為に何をしているのか、とても知りたがっていたよ。
僕もだがね。」
「ということは、たいした用事じゃなかったんだな。いなくて正解だ」
「ジャック…」
「ここにはちゃんと何度か戻ってきてたさ。たまたま、偶然、あんたには会わなかったけど」
「ジャック…」
重い溜息を吐くケリーに、少しは悪いと思っているのか、ジャックが小さく「すまんな」と謝罪した。
数日ぶりに見る彼は、ケリーが見慣れたTシャツにジーンズ姿ではない。会議の時に居心地悪そ
うに着ているスーツ姿でもない。深緑色のVネックに黒のチノパンを着ているジャックは、普段から
は想像できないほど寛いで見えた。思ったよりも小柄な身体は、微笑を湛えると人当たりの良い
一般人にしか見えない。この変装(?)は捜査の一環だろうかと思い、それすら把握していない状
況にケリーは再度溜息を落とした。嫌味の一つも言いたくなるのというものだ。
「あまりにも顔を見ないから、避けられているのかと思った」
「別に…そういうわけでは」
意外にも決まりが悪そうに目を逸らしたので、ケリーも少し言葉に詰まった。
思えばケリーは、ジャックの降格によってここのチーフに任命されたのだ。仕事に対する熱意も
誇りも人一倍のジャックが、ケリーの存在を疎ましく思うことは想像に難くない。
「そりゃ…私だって、君に好意的な感情を持ってもらえるとは思ってないさ。だがここの仕事は――」
「違うぞ」
ジャックのきっぱりとした否定に、ケリーは思わず説教の口を噤んだ。
「違うぞ、ケリー。俺はあんたを買っている。降格されたのは納得していないがな、個人的にはあ
んたが嫌いじゃない」
「そう、なのか…?」
「ああ。今までCIAから送られてきた頭でっかちの幹部とは違う、あんたは優秀だ。統率力に長け
ているし、実戦に対する機微だって備えている」
「そこまで言われると…照れるな…」
「本当のことだ。いい奴が来たなと思ってるよ。シャペルの相手だってしてくれるし、たまにはこん
な期間があってもいい。チーフの座はいつか奪い返すけどな」
「ジャック…もしかして…」
素直に感動しかけていたケリーだが、しんなりと眉を顰めた。
「もしかして私は、君が勝手に動くダシにされているのか?」
するとジャックは、悪ガキのような顔でニヤリと笑った。
「察しの良い奴は好きだ」
「ジャック、私は君に都合の良い影武者じゃないぞ!」
「もちろんだ。俺はどう裏返しても、上部の説教を黙々と聞く耐力はないからな。ハンサムな笑顔
で女性局員の不満を鎮めることだって無理だ」
「そういうことじゃなくっ」
「あんたが上手くやってくれるから、俺は好きに動くことができる」
「動いていいとは言ってないぞ」
「結果は出すさ」
「経過も知りたいんだがね」
やや不利だが小気味良いテンポに、ケリーはこの会話を楽しんでいる自分に気が付いた。頭の痛
い状況は変わっていない。いつの間にやら、とんでもない男に共犯にされたものだ。だがそれが不快
ではない。扱いにくいと思っていたジャックから信頼を寄せられていたのだと思うだけで、心なしか最
近のストレスが緩和されてしまった。
「まだ何も教えられない」
「なぜ? 私達はチームだろう」
「俺は完璧主義なんでな。あとはギブ&テイクだ」
「全く君は…」
ケリーは呆れて怒る気力も失せてしまった。どこの組織に、上司に対して情報提供の見返りを要
求する部下がいるのだ。だがここで流され負けないのがケリー・シャープトンであった。だてにCTU
ロス支局のチーフに抜擢されたわけではない。
「ギブ&テイクというのであれば、私の方が貸しは多いと思うが?」
「前借りだ。後で返す」
「担保くらい寄越してくれてもいいだろう」
「ケチだな」
「慎重と言ってくれ」
お手上げだとでもいうようにジャックが肩を竦め、ケリーはここ最近で一番の快心の笑みを浮かべ
た。だがその笑顔も、一瞬で強張ることになる。ふいに近づいてきたジャックが、掠めるようにキスを
仕掛けてきたのだ。
「なっ…!」
近づいてきた時と同様、すっと身を引くと、ジャックはにっこりと笑って自分の唇を舐めた。その濡
れた唇に、どきりとしてしまう。今日のジャックはケリーの目から見ても男性的魅力に溢れていたが、
今は別の何かを醸し出していた。Vネックから覗く鎖骨や首筋に、細い腰やすらりと伸びた足に…
そして、柔らかな笑顔に。
「ジャ、ジャック…」
「俺のキスは高いんだぞ?」
ジャックの表情はすぐに「してやったり」の悪戯めいたものに変わった。今にも笑い出しそうに小さ
く震えている肩に、ケリーは大きく舌打ちした。ぐいとジャックの腕を取り、まだ笑っている青の瞳を
覗き込む。
「冗談だろう? あんなものじゃ全然足りないね」
「え…んぅ!?」
今度はジャックが驚愕する番だった。
深く絡められる乱暴な口付けに、からかいすぎたかと反省する。振り払おうにも上手く押さえ込ま
れてしまい、そういえばこいつは海軍やFBIに所属していたんだっけと思い出すがそれどころでは
ない。ケリーの指がシャツの裾から入り込んできて、更に焦りが募る。
「ぅ…ちょ、ケ、リー!」
背筋を撫で上げると、ジャックの身体が小さく震えた。バチリと目を閉じたのが、頬に当たる睫毛
の感触でわかった。これくらいでいいかと、ケリーが身を離す頃には2人とも僅かに息が上がっていた。
「くそっ、何をするんだ!」
「それは私の台詞だよ。まさか君があんな」
「あれは俺じゃない、ジャック・ジョンソンだ!」
「…それは、今の潜入捜査用の名前?」
「そうだ! 冗談の通じない奴だな!」
自分から仕掛けたくせに真っ赤な顔で怒るジャックは、「じゃあな、行ってくる!」と足音も乱暴に
部屋を出て行った。
「あ…」
取り残されたケリーは、肝心の潜入捜査について何も聞き出していないことに気付いた。結局、
ジャックにやり込められてしまったのだろうか? 室内のシャッターを下ろしていて良かったなと、
今更のように思う。頭を垂れてシャペルに叱られる姿を部下達に見られたくなかった為だが、こ
んなところで役に立つとは。
「いや、役に立ったというのか…?」
「ケリー、ちょっといいですか?」
「あ、ああ」
トニー・アルメイダが遠慮がちに入ってくる。
シャッターを上げてから振り返ると、彼は興味と尊敬が入り混じった目でケリーを見ていた。
「さっき、物凄い形相のジャックが下りてきましたけど。何かあったんですか?」
「ちょっとな。一勝一敗ってところだ」
首を傾げる部下になんでもないと手を振ると、トニーは手に持っていたCD-ROMを渡してきた。
「ジャックの最近の動向です」
「なんだって?」
「尾行させていたんですよ。すぐに勘付かれて逃げられるから、途切れ途切れではありますけど」
「君が…?」
「指示を出したのはニーナで、尾行は何人かの現場捜査官です」
これでは誰が犯人かわかったものじゃない。
苦笑したケリーをどうとったのか、トニーが申し訳なさそうに頭を下げる。
「勝手な行動をしてすみませんでした」
「全くだな。どいつもこいつも好き勝手してくれる。ジャックの尾行を始める段階で、何故すぐ私に
言わなかった?」
「貴方は正攻法を望む人だから、却下されるのはわかっていました。ですがジャック本人を捕まえ
ても口を割るわけがありません。だからといって、彼を野放しにしておくのはどうかとニーナが提案
したんです。CTUの為にも、ジャックの身の安全の為にも」
「どうしてここの連中はこうもジャックに甘いんだ…」
「ジャックが、有能な捜査官だからですよ」
愚痴のように零した台詞に真摯な言葉が返ってきて、ケリーはまじまじとトニーを見つめた。
「トニー…君はジャックに反感を抱いているのかと」
「ええ。他の局員もそうですね。ジャックは協調性がなくて横暴ですから。でも皆、彼には協力します。
彼を助けます。それが事件解決への近道ですから」
「そう、か…。一勝一敗どころじゃないな、これは」
「何がですか?」
「なんでもない、こっちの話だ」
ケリーは受け取ったCD-ROMを弄びながら、ふと嫌な予感に駆られた。先ほどの、妙な色香を
纏ったジャック・ジョンソンが脳裏に浮かぶ。
「トニー、君はこれを見たのか?」
「ええ、編集したのは俺ですから。僭越ながら、ジャックの行動や接触している相手から事件の背景
を分析しておきました」
そうじゃない、聞きたいのは――
「ジャックが接触している相手というのは、男か?」
「? ええ…潜入先には女性もいるようですが、まあ男ばかりですね」
「それで、ジャックは何か…いや、いい。ありがとう、下がっていいぞ。また何かあったら教えてくれ」
「はぁ…」
怪訝な顔をして退室する彼にも構わず、ケリーは急いでドライブにCD-ROMを挿入した。まさかこ
んな意味で彼の身を案じるとは思っても見なかった。だが、その焦燥感がどこからくるのかは未だわ
からないケリーなのであった。
END