CTUロサンゼルス支局に夜はない。
交代で一日中、誰かがテロの動きを監視している。
しかし今夜はとりたてて緊急の事件もなく、ジャックはふてくされた
態でデスクに向かっていた。
夜勤でなければ、久しぶりに訪れたキムと
その他(チェイス&アンジェラ)と一緒にディナーを楽しめたというのに。
いっそのこと休もうか、と考えたが、溜まりに溜まった報告書に、トニー
の笑顔がそろそろヤバくなってきている。
昨日も帰宅する際、「明日こ
そ出来上がりますよね?」と煮詰めたコーヒーを手に念押しされたのだ。
夜の闇よりも
暗いトニーの瞳に、さしものジャックも背筋が凍った。
彼はここ連日夜勤のようだ。もしかしたら昼間も働いているの
かもしれない。
疲れが溜まるはずだ。
(夜勤が続くのは良くない。やはり生き物は日の出日の入りに従って行動
すべきだな)
彼の苦悩の7割はジャックが解決した事件の事後処理だということに
気付かず、ジャックは今夜のメンバーへと目を走らせた。
トニーは無心にキーボードを打っている。
ちゃんと瞬きしているのかと、ジャックは少し不安になった。
マイロは、まるでそれがカフェインなのだと主張するかのようにナッツ
を噛み砕いていた。しかし今のところ効果はないようで、
頭が船を漕いで
いる。口と指は止まらず動いているが、仕上がる文書が楽しみだ――では
ない、心配だ。
他にも数人がフロアに残っていたが、昼間の快活さはない。
音はといえば、無機質な機械音が響くだけだ。
ぐうっと背伸びをしたまま、ジャックは再びトニーを見遣った。
彼はオーバーワークだな、と思う。自分こそ作戦が始まったら不眠不
休は少なくないが、しかしこうして長時間座っている
苦痛はまた別だ。首
筋は凝るし、尻は痛くなる。トニーはどうしてこれに耐えられるのだろう。
「よし」
反動をつけて立ち上がると、3分の1も仕上がっていない報告書を後に、
ジャックはデスクを離れた。その途端、トニーが
ものすごい形相で視線を
寄越してくる。手に持ったマグカップを上げても、疑わしげな様子は払拭
されない。彼のデスクま
で近寄ると、ジャックはにんまりと笑った。
「僕が脱走するとでも?」
「あるいはね」
「別の推測は?」
「仮眠室で寝るとか」
「凡庸だな」
「…貴方の本性がわかりましたよ」
はぁ、と溜息を吐くトニーの腕を取って立たせる。
「ジャック?」
「コーヒーフィルターの場所がわからない。なんせ、僕は現場捜査官なも
のでな」
「いいえ、それは貴方があまりにここにいないせいです」
言い返しつつも、トニーは先に立って歩き出した。
もともと情が深く、気配りの上手い男なのだ。
だからつい、甘えてしまうのだ。
その帰結に、ジャックは口を尖らせた。
なんだかそれでは、自分は我儘な子供のようではないか?
「チクショウ、面白くない…」
「面白くないのは俺もですよ、ジャック。誰かさんが報告書を先延ばしにし
てくれているせいでね」
ぼそりと呟いた言葉はしっかりとトニーに聞こえていた。
棘の篭った台詞に、素直にジャックは謝ることにした。
「すまない。努力はしているんだ」
誠実な態度に出れば、トニーが強く言えないことはわかっている。
案の定、肩を竦めただけで言い返してこなかった。
そうして、トニーの隙を狙って。
給湯室へ向かう曲がり角で。
ジャックは攻撃に出た。
「トニー」
「なんです?」
振り向いた彼の首に腕を回し、グッと締め付ける。
一気には落とさない。いま気を失われると、運ぶのが大変だからだ。
「なっ…カハッ、ジャ…!」
もがくトニーを引きずって仮眠室へと向かう。
ベッドへと彼を押し付け、後は速やかに気絶させるだけだった。
しかし、そこで誤算が起こった。
ジャックの右手にはいまだにコーヒーカップが握られており、その存在が
決定的な力を出すことを拒んでいた。離せば、
カップは床に落ちて割れてし
まうだろう。何焼きだったか、せっかくキムがロクロ体験工場で作ってくれ
たものだというのに。
そんなことはできない。
ジャックの逡巡はそのまま力の緩みとなり、ベッドというカップにとって
安全圏へと辿り着く前にトニーは拘束を解くこと
に成功した。より厳密に言
うと、ジャックの腕に噛み付いて拘束を解いた。
「うわぁ! お前なんてことするんだ!」
「げほっ、貴方に、言われたくないですよ!!」
まるで忠犬に噛み付かれたように憤慨したジャックだが、トニーに叫び返
されて、ふと自分の状況のマズさに思い当たった。
じりじりと扉へ後退しか
けるが、ギロリと睨まれ足を止める。
「えーと、な、トニー」
「一体何考えてるんですかっ、やっぱり逃げる気ですね!?」
「トニー、落ち着け。今更逃げはしないさ。ただ、ちょっと、お前は休んだ
方がいいなと思っただけで――」
「それであんなことしますか普通!」
「だって言ってもお前は聞かないだろう?」
「だからって暴発しないでください、スパイとみなして撃ちますよ!?」
「お前に撃たれるか。それに、仮眠室で寝るのは凡庸だと言ったはずだ」
「貴方の、手段が、異常なんです!!」
憤慨して詰め寄ったトニーによって、いまやジャックは壁に縫いつけられ
ていた。視線はキョロキョロとあたりを見回し、
なんとか逃げ道はないもの
かと探している。
「ジャーック?」
「だから、お前が心配で! 昨日も夜勤だったんだろう? 夜は少しでも、
ちゃんと寝るべきだ」
アワアワとしゃべるジャックを睨みながら、内心でトニーの怒りはだいぶ
おさまっていた。行動はともかく、目的はトニー
の健康を気遣う恋人のそれ
だったからだ。しかしここで許しては、後々差し障りがある。突飛なうえに
猪突猛進すぎる彼
には、できる時にたっぷりと反省してもらわなければなら
ない。
「寝るべき、ねぇ。それでは、そうさせていただきますか」
「え、トニー、ちょっオイ!」
ジャックの腕を取り強引にベッドへと押し倒す。
「トニー!」
「ジャック。貴方、いきなり俺の首を絞めて仮眠室に捨てようとしたんです
よ? 落とし前はつけてもらいます」
ニヤリと黒々しい笑みを浮かべてそう言ったトニーに、ジャックは先ほどの
「寝る」の意味を理解した。
「っおい、冗談はよせ…!」
「静かに。騒いだら、他の職員が来てしまいますよ?」
「だから、こんなところで――」
「俺にしてみれば、先ほどの貴方の行動が監視カメラに残っていることの方
を危惧しますけどね」
「ちゃんと死角を取ってる。それにあんなもの、少し手を加えればすぐ消せる」
一片の後ろめたさもなく言い切ったジャックに、トニーの眉が顰められる。
しかしそれも全て、トニーに休息を取らせるためだったというのなら。
「貴方って人は、全く――」
たちの悪い麻薬のように人を誘引する、と。
そうは告げずに、頑固そうに引き結ばれた唇へと顔を寄せた。
「んっ…ふ、あ、トニー…ァ!」
性急に後ろから貫かれ、激しい衝撃にジャックはずり上がって逃げようと
する。そのたびに腰を掴んで引き戻され、より
深くを穿たれるのだ。その上、
トニーはジャックの前にも手を伸ばし、更にジャックを追い詰めていた。息
を整える間もなく、
ジャックはただシーツに顔を押し付けて喘ぐしかなかった。もう何度達したかわからない波がまたジャックを襲い、過ぎる
快感に嫌々を
するように頭を振る。
「も、無理だ、トニー…トニー?」
身を捩って濡れた碧眼でトニーを見上げると、彼はふと動きを緩やかなもの
にした。かがみこんで軽いキスを落とし、包み
込むように抱き締めてくる。
「んっ――ジャック。俺は、貴方が無事に作戦から帰ってきて、そしてたまに
こうして触れ合えれば。多少のハードワークな
んて気になりませんよ」
「トニー…。僕だって、……帰ってきたいと思う場所があるから、どんな
作戦にも耐えられるんだ」
「帰ってきたい”人”じゃないんですか」
「……どっちだっていいだろう」
「言ってほしいな、貴方の口から」
トニーの口調が、普段からは想像できないほど甘くなる。
情事の最中にだけ見せる、年下の恋人からのねだるようなお願いに、ジャック
は弱かった。口元が綻んだ隙を逃さず、
トニーがゆっくりと言葉を紡ぐ。
「愛しています、ジャック」
「トニー…」
「愛している。貴方は?」
「…っ」
ジャックはふいと顔を背けた。
そのうなじは真っ赤に染まっており、トニーの口元を緩ませるだけだ。しかしトニーも、まさか素直に返事をもらえると
は思っていなかった。
「――愛してる」
「え…」
「お前を愛している! くそ――ッァ!?」
驚いている間にも身体は素直に反応し、ジャックの中に埋め込まれたものが
必然的に体積を増した。
「ん、っく…、ト、ニー!」
「すみません、ジャック。嬉しかったもので」
トニーはそう言うと、最後の絶頂へと自分達を導くことに専念した。
乱れた息も整わないうちに、ジャックはぶつぶつと文句を言い出した。
「ったく、こんなつもりじゃなかったんだ…なんだってこんな…」
「俺の健康が心配だったんでしょう? 証明できたと思いますが」
「証明してくれと頼んだ覚えはない!」
「軽い運動は脳と身体を活性化させるんですよ。ストレス解消にもなりますし」
「知るか! 軽いだと、あれが?」
「貴方にはきつかったですか?」
「〜〜〜僕は! お前を大人しく寝させるつもりだったんだ!」
「大人しく、気絶させて、ね」
「う……」
ぐっと言葉に詰まると、トニーが快活な笑い声をあげてキスを求めてきた。
それを手で拒むと、多少ふらつきながらも
立ち上がって服を付け始める。
少し身体は重いが、トニーの言うとおり頭がすっきりと冴えていることが
気に食わない。
「体力が有り余っているようだから、ベッドを直してから戻れ。あと、廊下
での映像記録も消してこい」
「貴方は?」
「報告書を作成するに決まってる。いいか、戻ってくる時に、コーヒーを忘れ
るなよ」
「了解。それで、キスは?」
「もう十分した!」
一声叫んで乱暴に部屋を出るジャックに、トニーは満足そうに微笑みを
浮かべた。
「夜は寝るべきだ、か。ジャック、貴方の望みなら、俺はいつだって従いますよ」
その後、夜勤の陰鬱な空気の中、やけに生気に満ちている2人に、他の職員
は一同、心に誓った。
今夜の防犯カメラ映像だけは絶対に見るまい――と。
そうして、CTUはまた一つ平和な夜を越えたのだった。