ジョン・タンストールが風邪で寝込んだ。
その日は週に一度の買い出しの日で、いつも一緒に行っているドクは
仕方なく一人で行くと言った。
「いや、それは駄目だ」
しかしそこで許可を与えないのが、過保護な相棒、ディックだ。
「最近タンストールさんの牧場の調子がいいから、マーフィーの奴、
イラついてる。一人で町になんか行ってみろ、
ボーイズに囲まれるぞ」
渋い顔で心配するディックの言い分ももっともだった。
ボーイズとは、タンストールが「警備団」を備えているのと同様、
マーフィーが持つガンメンのことだ。知事も保安
官も味方に取り入れて
いる彼は、地域一帯の法をも握っている。青年が一人、姿を消した
としても、保安官は気に
も留めないに違いない。
「でも、今までジョンとドクの2人で大丈夫だったんだろ?」
「まぁな、ビリー。でもそれはマーフィーのねじくれた矜持か…それとも、
英国からやってきて成功を収めているタン
ストールさんの存在が、
揉み消すには大きすぎただけだ。いつだって、安心はできなかったさ」
いじっていた銃から視線を上げて問いかけるビリーに、ドクは淡々と答えた。
巨大な力を持つマーフィーに逆らってまで、タンストールに付く者はいない。
それは、ここにいる誰もが身に沁み
てわかっている。
「だからドク、一人で行くのは危険だ。他に誰か――」
「あ、じゃあ俺が行く! 任せとけ!」
何が「任せとけ」なのかわからない陽気な口調でビリーが名乗り出た。
牛や豚の世話から逃げ出せるうえに、お気に入りのドクと行動できるのが
嬉しくてたまらないといった顔だ。その
あからさまな態度に、ディックの眉
が更に顰められる。しかしドクが町へ行く以上、牧場を管理するのはディック
以外
にいない。すぐにサボろうとするスティーブやチャーリーを思えば、扱い
難いビリーがいないことはむしろ歓迎だった。
それに、認めたくないが、最年少
であるビリーの銃の腕前は確かだ。
「ドク、どうする?」
憮然としながらも、伺うように了承を求める。
ビリーに懐かれている自覚があるドクは、軽く肩を竦めた。
「ビリーの面倒を、俺一人で見ろってのか? 自分からボーイズに噛み付いて
いきそうだ。――チャベス」
それまで、黙々とナイフを磨いていたアメリカインディアンの青年へ声を
かける。静かに見返してくる黒い瞳に、
笑いかけながら言葉を重ねる。
「一緒に行かないか? ついでに一杯やっていこうぜ」
「ドク…そういうことは言葉にしないもんだ」
呆れるディックの肩をポンポンと叩き、ドクはチャベスへと近付いた。
「馬車じゃないから、人数はいた方が助かるんだ」
「――別に構わない」
「よし、じゃあすぐに出発だ」
「わかった」
おもねるような愛想ではない、かといって押し付けがましい親しさもない
自然な微笑みに、チャベスは不思議そう
な顔で返事をした。
「何故、俺を誘った?」
「そんなの、荷物持ちに決まってるじゃねぇか。なぁドク」
買い物を済ませ、立ち寄ったバーのカウンターで立ち並んだままグラス
に口をつけた頃、チャベスはドクに訊ねた。
ビリーが、その質問自体が不
思議だとでも言うようにドク越しに身を乗り出してくる。警備団に加わ
って日の浅い彼
には、この集団におけるチャベスの位置や人間関係が
まだよくわかっていないのだ。
混血のインディアンであるチャベスは、警備団の中でも一人浮いていた。
それは深い心の傷や誇り高い精神がもた
らす寡黙であったり、特有の宗教や
信条のせいでもあった。毛色の違うチャベスを、スティーブはあからさまに
嫌っている。
しかし、チャベスが疎外的に浮いているとすれば、ドクは憧憬的に浮い
ていた。警備団の中で最も学があり、性格も
温和で友好的だ。詩を作る繊細
な面もあり、所作にはどこか気品が漂っている。「彼といると、自分がマト
モな人間に
戻れる気がする」と、いつだったかチャーリーが言っていた。
砂風に揉まれ薄汚れた格好をして、手にはライフルを持っ
ていても、ドクは
自分達と同じ「荒野の落ちこぼれ」には見えなかった。何故ドクはここ
へ来たのだろうと思い、次いで、
なぜ自分はそんなことを考えているのだろ
うとチャベスは戸惑った。
ドクはしばらくグラスの中の液体を眺めていたが、やがてチャベスへと
視線を上げた。浮かべているのは相変わらず
淡い微笑で、チャベスはそれ
が自分へと向けられる理由がわからない。
「チャベス。お前は、いつも何かに怒っているんだな」
「…なんだって?」
「違うか? けどその怒りを、俺達に向けるのは間違いだ。俺達はお前を
傷つけるつもりはないし、大切な仲間だと
思っている」
「待て、ドク。何の話を――」
「スティーブが何故いつもお前に突っかかると思う? あいつは、ナバホ
だってだけで人を軽蔑するほど馬鹿じゃない。
お前が、仲間をないがしろ
にしているからだ。警備団にいながら、警備団を拒絶しているからだ」
「な――黙れ、ドク」
「疎外されていると憤慨しながら、お前自身が俺達を寄せ付けないでいるんだ」
「黙れ!!」
咄嗟にナイフをドクの喉元に押し当てていた。
ドクは一瞬驚いた表情をしたものの、抵抗は全くしなかった。隣にいる
ビリーも、じっと2人を見ているだけで銃を取り
出しもしない。そこで初めて
チャベスは気付いた。研ぎ澄まされた刃は寝ていて、決してドクを傷つける
ことはない。チャ
ベスはドクから身を離し、ナイフをまじまじと見つめた。
ドクが微かに笑い声を立てる。
「ほら、な。そういうことだ。ビリーも、お前は大丈夫だってわかってる」
「俺、は…お前らを仲間だと思ったことなんてない」
自分の耳にもその声は弱々しく聞こえた。
ア〜ァと、ビリーが大きく溜息をつく。
「まだるっこいな。怒りなんて誰でも持ってる。世の中が理不尽なのは今に
始まったことじゃないだろ」
それは、過去に家族を虐殺されたチャベスにとっては納得のできるものでは
ない。
しかし、なぜかビリーの言葉は素直に心に入ってきた。
「家族だって自分で選べないのに、どうやって仲間を選べるっていうんだ?
集まった奴らが家族だ。その場所が故郷だ。
それが嫌だったら出て
いけばいい。俺は、気に入ってるぜ。ドクも、それにチャベス、お前もな」
なんせ、べらべらと良くしゃべる奴ほど信用できない奴はいねぇからな、と
続けるビリーに、そうだろうよ、とドクは更に笑
い声を上げた。一番の新入り
のくせに、ビリーは自分を偽ることなくありのままでタンストール家に馴染ん
でいる。ふっと心
が軽くなり、チャベスは自分も微笑んでいることを感じた。
「ビリー…。あぁ、ドク。でも俺はまだよくわからない。一族の血以外に、自分
がどこかに属しているということが」
「いつかわかるさ。仲間ってのが、どういうものか。さあ、そろそろ帰ろう
か。これ以上遅くなったら、ディックが家に入れて
くれないぞ」
ぬるくなったアルコールを一気に流し込み、3人は慌てて戸口へと向かった。
いつも先頭を切りたがるビリーが手をかけ
た途端、勢いよく扉を開けて入って
きた男達にビリーは突き飛ばされた。
「うわっ、何しやがる!」
「ああん? なんだ、ミスター・タンストールのお坊ちゃん達じゃねぇか。
家出か? 可愛がってくれるパパを捨ててきたの
か、おい」
「腐ったこと言ってんじゃねぇ、この野郎!」
わざとらしく”ミスター”とつけて下品に笑い飛ばす男に、ビリーはいきり
立った。瞬時に銃へと指が動くが、その手をドク
に抑えられる。ナイフを握り
直したチャベスを視線で制したドクは、ビリーの前に進み出た。
男達はボーイズの下位にいる気の荒い中年ガンマンで、先頭の男はドクの姿に
口の端を歪めた。警備団は若年のうえ
に顔が整っている者が多いため、マーフィ
ー側にはよくからかわれる。いわく、タンストールが彼らを囲っているのだ、と
。
しかしこの男は冗談だけじゃなく、ドクに興味を持っているようだった。
ディックの言っていた「危険」には、こういう意味も含まれていたのかと、
チャベスは今までさして気にも留めていなかった
ドクの容貌へと目を向けた。
金髪に、淡く弱いようで揺るぎのない青い瞳。柔和な顔立ちや態度は、自分達に
は親しみや
すいものだが、目の前の男には別の対象として映るらしい。既に酔っているかのような赤ら顔で、舌なめずりせんばかりに
ドクを見つめている。
「なんだ、パパに飽きたんなら、俺が相手になってやるぜ、ドク?」
「クソッタレ! 畜生、離せよドク!」
「ビリー、落ち着け。あいにくだが、俺達は”愛しいパパ”のもとへ帰るんだ。
さっさとそこをどいて、一杯やれよ」
もがくビリーを後ろ手に両腕で押さえながら、ドクはいつもの穏やかな口調
で話した。だが顔に似合わないその台詞に、
むしろ煽られた形で男が詰め寄る。
男がドクへ触れる前に、チャベスは猫のような動きでその間に入った。ナイフを
逆手
に握り、男の股間へ突きつける。男が息を飲む気配がした。
「チャベス、待て…」
「いいぞチャベス、ぶっ刺してやれ!」
ドクとビリーの声が重なる。
男が怒りと恐怖に顔を赤くして、それでも自分の優位を示そうと歪んだ笑い
を浮かべた。
「ふん、わかってるのか? ミスタ・マーフィーは喜ぶだろうよ。お前のおかげ
で、タンストールを潰す機会ができる」
「まんざら馬鹿でもないんだな。あいつが、戦争を始めたがっているのはわか
ってるさ。しかし…自分の”ボーイ”をヤられ
てまで、その戦争を始める価値
はあるのか?」
「へっへ…もちろん、ないさ。さあ出て行けよ。またな、ドク」
男は小心者にふさわしく卑屈に身を屈めると、扉の脇へと寄った。後ろに
いた男達も、チャベスの持つナイフから目を離
さずに道を開ける。インディアン
が持つナイフの切れ味がどれほど良いか、知っているのだろう。
チャベスとビリーとでドクを挟んだ形で、用心しながらバーを出る。
扉を閉めて店の裏手に回り、3人は大きく息をついた。外は日が暮れ始め
ていた。帰る頃には暗くなるかもしれない。
「…リチャードの説教は免れそうにないな」
馬を繋いでいた綱を外しながら、ボソリと呟く。
チャベスの常にない軽口に、先ほどの緊張が解かれる。
「そうだな…まあしょうがないさ。大人しく聞こう」
「げ〜、冗談じゃねぇ。あのしかめっ面だけで、十分だっての。あいつ、
どうせ俺にばっかり文句言いやがるに決まってる」
応じる2人に、チャベスは同じ生活を、感覚を、共有しているのだと認識
し、それが「仲間」というものなのかと自問した。
警備団の絆は、血や神な
どではなく、形容できない感情や行動で表されるものなのかもしれない。
「…まだ、わからないな」
ドクとビリーが振り向く。
それに首を振って、チャベスは馬へと飛び乗った。
ドクが言ったように、いつかわかる日がくるだろう。
今は、自分の戻るべき場所があり、そこへ一緒に帰る彼らがいるだけで
十分だと思った。
3人は、戸口に仁王立ちで待っていたディックに平等にゲンコツをくらい、その夜の
皿洗いを仲良くやるはめになった。