微かに歓声が聞こえた。
ここ数日のお祭り騒ぎに慣れた耳には、それがとても遠くで上がったように聞こえる。だが競技場まで、実際はそう
離れていないはずだ。
「ぅ〜ん…………競技!!」
ペッパーはパチリと目を開いて叫んだ。
次いで飛び起きようとしたのだが、手も足も動かない。ぎょっとして見ると、ロープでベッドに縛られていた。
「なんだ? 何が起こったんだ? いま何時だ? 俺のブロンコは! このクソロープ、俺様をハムにしちまう気か!」
縄はしっかりと結ばれており、少しの緩みもない。わけがわからないままソニーの名を大声で呼ぶ。
キィ、と扉が開いて入ってきたのは、ソニーではなくあの警備員だった。
「お早うございます、ルイスさん」
「なんでお前が来るんだ! ソニーは!? その前にこの縄を外してくれ!」
首だけを起こして必死に訴えるが、ヴィクターは困ったように笑うだけでベッドの傍らの椅子に腰掛けてしまった。
ここにきてようやく、ソニーに嵌められたのだと思い当たった。
「あの石頭、まさか馬に乗ってるのか!?」
「ええ、止めたんですがね。頭だけじゃなく、足首も岩のようですよ。テーピングしたのは私ですが」
「馬鹿野郎が…」
「でも逆の立場だったら、貴方も絶対に参加したんじゃないですか?」
ペッパーがぎろりと睨みつけると、ヴィクターは焦って目を泳がせた。
「んだよ、お前ソニーの味方か」
「いえ、そうおっしゃってたんですよ、ギルストラップさんが」
「ずいぶんと仲良くなったんだな」
「どうせ私はここの警備を離れられませんからね。時間がきたら貴方のロープを外すよう頼まれています」
「今すぐ外せ」
「それは無理です」
「チップやらねぇぞ」
「ここ数日、貴方から頂いた記憶はございませんが」
ペッパーは大きく舌打ちした。苛立たしげに息を吐いて首を枕に落とす。
とんだ食わせ者だ、あの男め。最も、昨夜はまさに食ったわけだけれども。それを思うとついにやけてしまうが、色仕
掛けで相棒を騙すなんて、人の心配をなんだと思ってるんだ。いいや、相棒なんて思ってないに違いない。ソニーは俺
のことを、ハンサムで腕のたつ、セックスの上手い都合のいい男としか見ていないのだ。
「決めたぞ」
「何をですか?」
「あんな野郎、好きにすればいいんだ。人の体調管理には口うるさいくせに、俺だって清々すらぁ。解消だ解消。コンビ解消!」
「プッ、くく…」
「なんだよ!!」
本気で憤っているのに吹き出されて喜ぶ奴はいない。唾でも飛ばしてやろうかと思ったが、ヴィクターが立ち上がって
ロープを解き始めたので変な口のまま止まってしまった。
「もう時間か?」
「いえ」
「ソニーに怒られるんじゃないのか?」
「”漏らす”って貴方が泣き喚いたとでも言うよ」
「むかつくな。でもどうしたんだ急に」
何も言わず、ヴィクターは微笑みながら首を振った。
全てのロープが外され、ペッパーは固まった筋肉をほぐし始める。その様子を見ながら、ヴィクターがやっと口を開いた。
「貴方達は似てるな」
「俺とソニー? 冗談じゃねぇぜ」
「どちらも互いしか相手がいないのをわかっているのに、やたらと意固地だ。傍から見ているととても可愛らしい」
「お前やっぱりソニーのこと…言っとくがあいつは俺のだ!」
ヴィクターがまた笑い出した。
「誤解だよ。私は君たち2人の様子が可愛いと言ったんだ」
「知るか、気持ち悪いこと言うな」
「聞いた方がいいよ。昨日の夜、私が駆けつけた時のことだ。何があったか、知りたくないかい?」
「何がって…何もなかったんだろ?」
途端に不安そうな顔をするペッパーに、ヴィクターの顔が綻ぶ。万一自分にその気があっても、この2人を割って入る
のは無理だろうと思った。
「何せ、そう広くもないモーテルだからな。彼らがドア越しに怒鳴りあっているのは、階段の下からでも丸聞こえだった」
「それで? 何があったんだ?」
「急かないで。外にいる奴らはどうも君の悪口を言ってるみたいだった」
なるほど、仲違いしているのに気付いたのだろう。
ソニーを呼び出すのに手法を変えたというわけだ。
『あいつがいるからって、俺が行く理由はない。俺達はセットじゃないぞ』
『なんだ、お前らまた喧嘩中か』
『実は俺、ペッパーは気に食わないんだよな』
『俺も俺も、調子に乗ってるよな、たいしたことないくせに』
『何様だっての。なあソニー、じゃあ俺らだけで飲もうぜ』
『そうだよ、開けてくれよ』
『うるさい! あいつがどれほどの男か知りもしないくせに、俺のパートナーに対して好き勝手言うな!』
「…ソニーが、そうやって怒鳴ったのか?」
「そう。それで男達も痺れを切らして、扉を蹴り始めた。その時には、私がすぐ後ろにいたんだけどね」
「ふーん」
ペッパーは鼻を掻いた。照れているようだ。普段は傲慢不遜な男の意外にシャイな面を目の当たりにして、ヴィクター
は自分もまた照れてしまった。
「ま、まあつまり、君たちは似た者同士ということだ。自分を見ているようなものだから、結局は同族嫌悪だろ。見放せ
るわけがないのに」
また、歓声が響いた。
ソニーの出番はもう終わってしまったのだろうか? どうせならブロンコを見たかった。およそ上品さとはかけ離れてい
るスポーツだというのに、乗り手がソニーだと何故か優美に見える。ペッパーの”タフガイ”ぶりは観客達に喜ばれるが、
ソニーの”クール”な乗り方もペッパーは好きだった。
ヴィクターが腕時計を見て立ち上がり、礼儀正しく一礼をした。
「失礼致します、ミスタールイス。今日のご活躍を祈ってますよ。しゃべりすぎたことは、パートナーの方には内緒にして
おいてください」
ニコッと、非の打ち所のない笑顔でヴィクターは去っていった。
ペッパーはと言えば、ソニーに会った時にかける言葉を考えながら着衣した。怒鳴ればいいのか? とりあえず一発
殴っとくか。でもあいつはご機嫌だろうな。そうとも、やるといったらやる男だ。無様な結果を出すはずがない。俺はこう
言うだろう。「呆れたカウボーイだな、ソニー」と。あいつはなんと答えるだろうか。わかってる、俺ならこう答える。「お前に
そう言われるなら本望だよ」だ。
カウボーイハットを深く被ると、ペッパーは自らも歓声を受けるべく意気揚々と出て行った。