あ。
なんだか可愛い。
そう思ったのが、全ての始まりだった。
人の気配の変化や視線に聡い彼はすぐに気がついて、作戦を説明する口を止めてなんだと
言うように眉を顰める。すると余計にそのギャップがおかしくて、僕は何でもありませんと笑みを
抑えるのに苦労した。目を伏せた先、彼の…ジャックの、指先を見つめながら。
『恋をしちゃいました。』
ジャックの手は可愛い。
そのことに気付いたのは最近だ。可愛いといっても、もちろんその手は立派な成人男性のも
ので、その手がどれほど危険な武器になり得るかも、その手がどれほど不器用に報告書を打
ち出すかも知っている。それでも、意外に丸っこい指と綺麗に切りそろえられた爪を、思わず
可愛いと思ってしまった。やんちゃだけど育ちの良い子供って感じで、その手の持ち主があの
ジャック・バウアーだということが僕の心を浮き立たせた。
「なあ、ジャックの手、どう思う」
「はい?」
ある日、チェイスに尋ねてみた。
相棒としていつも一緒に行動している彼なら、既に気付いているかもしれない。だが彼は一瞬
キョトンとした後、熱っぽく語り始めた。
「まさにゴッド・ハンドですね。どんな武器も使いこなしますし、その速さと正確さといったらもう…」
「いや、そういうことではなく。本体のことを言ってるんだが」
「本体? どういう意味です?」
「だから、その神技を繰り出す手が実は…」
やめた。
ついさっきまでは笑えるネタだと思っていたのに、口に出すとまるで自分はマニアックな変態の
ようだ。不思議そうな顔をするチェイスに、「いやいいんだ」と手を振ってその場を離れる。大発見
と思ったのだが、問題はジャックの手ではなく僕の解釈の方なのかもしれない。
「う〜〜〜ん…」
「どうしたトニー、悩み事か?」
ウンウン唸りながら廊下を歩いていると、その悩みの元、ジャックが現れた。最近の癖で、僕の
視線はつい彼の指先にいってしまう。普段の暴走が嘘のような、ちょっぴり丸くて優しそうな指先。
銃を握るよりも、キムの髪を撫でたり恋人の頬を撫でる方が似合っている。ああ、あの手で触れ
られるときっと気持ちいいだろうな…って、何考えてるんだ僕は!?
「トニー、おいトニー!」
「あ、は、はい!?」
「無表情で呆けるなよ、怖いだろ」
「す、すみません。それじゃ…」
妙な後ろめたさを感じてそそくさと離れようとすると、ジャックに止められた。彼の右手がトン、と
僕の胸を叩き、次いで顔の前に掌が掲げられる。
「興味があるのは手だけか? トニー」
「え――」
驚いて視線を上げ――彼と目が合った。
見ていたのがバレていたという気まずさも、思わせぶりな彼の台詞も、ついでに先ほどまでの
僕の悩みも、その瞬間に全て吹き飛んだ。
彼の瞳の、青から。
目が離せない。
その理由は、さすがにすぐにわかった。
つまりは、あの時から、そうだったのだ。
僕はジャックを――
「トニー?」
「あ、え、ええ、今のところは」
なんてマヌケな返答!
恐らく僕は混乱しているのだ。自分の気持ちと、ジャックの意図を量りかねて。だがジャックは
面白がっているのか、ふぅんと笑みを深くした。
「そんなに俺の手が気に入ったか? 食っても旨くないぞ、きっと」
…もしかしてこの人、僕の気持ちを知った上でからかっているのか? 本人でさえ、たったいま
気付いたのに。一体いつから? 僕がジャックの手を見つめるようになってから? そう思うと恥
ずかしさがこみ上げてきた。顔が赤くなったのがわかる。ジャックが喉を鳴らして笑った。その笑
顔が癪で、もうどうにでもなれと目の前にかざされていた手を取った。
「いいえ、美味しそうですよ。とってもね」
パクリと、中指を咥えてもジャックはまだ笑っていた。
ならば…と意趣返しのつもりでその指に舌を這わせる。口内の奥まで咥え込み、指股をねっとり
と舐め上げる。ジャックの笑顔が強張り、手を引こうとするが許さなかった。味わうようにゆるく歯を
立てながら指先へと向かう。段々と視界に入る他の指が、ヒクリと何度か震えた。爪と指の間を舌
で引っ掻くと、ジャックは棘を指されたかのように息を飲んだ。
一分も経ってない。十秒だって経ってないに違いない。
だが、そうして見上げたジャックの顔はいつの間にと思うほど見事に赤く染まっていた。それを
見て、僕は今更ながらに自分のしたことの大胆さに気付いた。こんな、誰がいつ通るともわから
ない職場の廊下で!
「ジャ、ジャックその、すみませんでした」
僕が手を放してもその位置のまま、ジャックは固まっていた。濡れている指が居た堪れなくて、
ハンカチを取り出して拭ってやる。その間もジャックは自分の手をマジマジと見つめていたが、
やがてため息をついた。
「お前がこんな奴だったなんて思わなかったな…」
その言葉に嫌悪感や拒絶的なものはない。罵られるか殴られるかと覚悟していた僕に、とある
希望を抱かせるには十分すぎるほどだった。
「だって、ジャックが誘うから」
「妙なことをする前に言うことがあるだろうっ」
その台詞は、つまり僕を煽ったことを認めるわけだ。
凶悪的に愛しい確信犯の耳元に顔を近づけ、僕は優しく囁いた。
「そういえば、言い忘れていました」
何だ、と横目で睨みつけてくるジャックに微笑む。
「ごちそうさまでした」
「〜〜〜! ああ、お前はそういう奴だよな!」
「ああ、ジャック、もう一つあるんですが」
「知らん!」
踵を返してズンズンと遠ざかる背中に、「じゃあそれはまた今度」と投げかける。
もうジャックの指先を見つめることはないだろう。
何故なら、これからは彼の綺麗な瞳を見るのに夢中になりそうだからだ。
END