目を覚ますと同時に人の気配を感じた。
思わず身構えたダニーだったが、自分に寄り添うように寝ているのが”新妻”だと思い出し、
苦笑を浮かべる。意志の強そうな眉をなぞり頬へと指を滑らせると、ベブは小さく呻いて片目
だけ開けた。
「どうしたの?」
「なんでも。起こしちゃった?」
「ううん。もともと、誰かと一緒だと睡眠は浅いの」
「その相手が夫でも?」
ダニーが肩を竦めて嘆くと、ベブは笑い声を上げた。
2人は確かに夫婦だが、結婚したのは昨日で、出会ったのは3日前なのだ。
ダニーも堪えきれずに笑い出すと、腕を伸ばしてキスを求める彼女に応えた。
「マイダーリン、今日は何をするの?」
「何って別に…いつもと変わらないさ」
「あら、そんなのつまらないわ。新婚旅行は?」
「ベブ、僕達は…」
「ストップ、ダニーボーイ。ハワイやフランスに行きたいなんて言わない。行くべき場所は一つ、
あなたの故郷よ」
「なんだって!?」
唖然と開いたダニーの唇に、ベブは優しくキスをした。
「ダニー、今のままの生活でいいと思ってるの?」
「そ、そんなことは思っちゃいないさ」
「でも、今のあなたはチンピラ以下。私と一緒に街に立った方が稼げるくらいよ」
「ベブ!」
「黙って聞いて。やり直せるのならやる直すべきだわ。もし、幸せになりたいと思っているのなら」
「幸せに…?」
じっと見つめられ、ダニーはその真摯な瞳に見入った。
「私のことは別に幸せにしてくれなくてもいいわ。自分で掴むから。
ただ、あなたはどうなの? 私と結婚して、何かを変えたかったんじゃないの?」
「その手始めが、故郷に帰ることだと?」
「それはあなたが決めることよ。少なくともこの街は、あなたみたいに育ちの良さが滲み出ている
坊やには似合わないわね」
「よく動く口だな!」
ダニーは抱擁を解くと、ベブの隣に身を沈めた。
彼女の言う通りだった。
青春時代の思い出を捨て、新しい希望を求めて住み始めた街だったが、高校を出たばかりの
青年が生きていくのは楽ではなかった。実家に戻り、まともな職を探す方が賢明なのは間違いない。
「何も言わずに家を出てきたんだ。どんな顔して会えば…それに…」
「それに?」
「あそこに戻ると…きっと彼女がいる」
「”彼女”?」
何かを察したのか、ベブの腕がダニーの胸に回された。限りなく他人に近い夫婦なのにと思うと、
ダニーは状況の滑稽さに今日2度目の苦笑を漏らした。しかし、触れてくる手は温かい。彼女の
柔らかい髪に口付けを落とし、頬を寄せた。
「”彼女”じゃないよ、片思いだった。チアリーダーで、とても綺麗だった。バスケのエースだった
デイブと付き合ってたんだ」
「私は彼女に似てる?」
「いや…全然似てない。君の髪の方が濃いし、雰囲気ももっと…」
「わかった、私と違って淑女だったわけね」
ダニーが返答に詰まると、ベブは快活に笑った。
「嫌味や卑下じゃないのよ、単なる確認。でも安心したわ」
「安心? 何に」
「クッキー作りやレース編みが趣味の、高校生の子供に重ねられるなんてごめんだもの」
「そんなことしないよ。だって君は…」
横になったまま向き合うと、ダニーはベブの活力に満ちた顔を見つめた。
生きることに貪欲で、振る舞いは少し奇抜だが明るい笑い声を持つベブ。
確かに自分は、彼女と結婚することで現状を変えたかったのかもしれない。
「ダニー?」
「なんで…どうして君は、僕と結婚したんだい?」
今になって間抜けな質問なのはわかっていたが、2人を繋ぐのは子供の遊びのような式だけだ。
彼女が本当に自分のものになったのか、ダニーは知りたかった。
「チンピラ以下の僕と結婚して、幸せになれると思ったの?」
「もちろんよ」
ベブはにっこりと笑った。
「言ったでしょ、あなたは育ちがいいって。私みたいな女と結婚して、それに責任を持とうなんて男は
普通いないわ」
「でも君ほど美人で魅力的なら…」
「馬鹿ね。私はチアリーダーじゃない、娼婦なのよ」
「じゃ、じゃあ…僕は君のお眼鏡に適ったってわけ?」
「もう一つ重要なことがあるわ。あなたのご両親よ。アル中でもヤク中でもない、暴力も振るわない
両親よ。私のお父さんとお母さんになるんだわ!」
目を輝かせるベブに、ダニーの胸に愛おしさがこみ上げてくる。細い身体を抱き寄せ、彼女を幸せ
にしようと心に誓う。ベブはクスクスと笑っていたが、ふと不安そうに顔を上げた。
「でも、私、受け入れてもらえるかしら? 嫌われるかもしれないわ、こんな身元不詳の女なんて」
「大丈夫だよ、ベブ。君は身元不詳なんかじゃない。僕の妻なんだ。僕の家族なんだから」
「ダニー…」
「家に帰ろう」
自分でも意外なほど、すんなりと言葉が零れた。
「本当に?」
「ああ。尻くらいは叩かれるかもしれないけど」
「じゃあ私、クッキーを焼いてお父さんの御機嫌を取るわ」
「焼けるの?」
「どうかしら」
2人は額を寄せ、柔らかく微笑み合った。