安全間隔 〔2〕




 コーヒーの香ばしい匂いが広がる部屋で、話は大いに盛り上がった。

 しばらく職場を離れていたとはいえ、ジャックの航空管制に関する知識は 全く衰えていなかった。
 数々の難癖ある機長達との交信を楽しそうに語り、管制塔の設備の粗末さに愚痴を言い、以前
の職場の仲間達を賛美した。

 彼の仕事への愛着を知るにつれ、クルーズは今までの自分の姿勢を恥じた。
 クルーズはジャックのように遥か上空にいる機長達を同士だと感じたこともな ければ、彼らに挨
拶をしたこともなかった。全ては自分が「管制」していると 思っていたが、それは思い上がりだった
のだ。今日のジャックの管制を思い返 し、自分は今まで一人で仕事をやっていたのだと痛感した。
彼の落ち着いた柔 らかい声、親身で丁寧な指示、親近感を沸かせる一言。それらに返ってくるの
は、指示に対する従順な履行であり、友情を感じさせる受け答えだった。

「ジャック、アンタが有能な航空管制官だってのがよくわかったよ。シカゴ ではさぞかし人気があっ
たんだろうな」
「はは、どうだろうな。君だって有能じゃないか」
「ああ、自信はあるぜ。でもアンタのおかげで、自分に足りない点もよくわ かったけどな」
「そうなのかい?」
「ああ」

 しばらくの間、充足した、静かな時間が流れた。
 久しぶりに人と長く話したことで、ジャックの頬は興奮にやや赤く染まって いた。少々浮かれてい
る自分に気付き、照れ臭くなって咳払いをする。

「それにしても――、また管制卓の前に立てるとは思ってもみなかったよ」
「実を言うと、最初はどうなることかと冷や冷やしたよ。現場でリハビリ するんじゃねぇって」
「その通りだな。迷惑をかけた」

 申し訳なさそうに詫びるジャックに、そういうつもりではないとクルーズは 首を振った。

「アンタなら、どこでも受け入れてもらえるさ。これからどうするんだ?」
「そうだなぁ…。まずは再認定試験を受けなきゃな」

 航空管制官が復帰する場合、あるいは他の管制センターに移転となった場合 には、経験や資格
如何にかかわらず、筆記試験及び実地試験が課せられている。

「余裕だろ。フェニックス航空を受けろよ。TCが喜ぶぜ。ヘボいところだけ ど、知っての通り人が足
りないんだ」
「待て、待て。気が早いな。もうしばらくは考えてみるよ。今やってる仕事もあるし、まだ自分が大丈
夫だという確信が持てないし――」

 弱気な発言をするジャックに、クルーズは苛立って舌打ちをした。

「今日のだって、運が良かっただけかもしれない。スコープの前でまた不安に 襲われたら…」
「ヘイ、いつまでしり込みしてるんだ。そんなのは今夜吹っ切ったんじゃない のか? いい加減立ち
直れよ」

 それは、ジャックに現場に戻ってきてほしいという焦りから出たものだった が、会ったばかりの人
間からの遠慮のない言葉に、ジャックも気色ばんだ。

「君に言われなくてもわかってる。ただ、これは僕の問題だ」
「ハッ、その問題を抱えて、何年無駄にしたんだ? アンタの天職は管制官だ。 今日、自分が何を
やったかわかってるのか? すごい誘導だった。アンタの居 場所はあそこだ。事故の亡霊なんか
に、いつまでも怯えてるなよ」
「うるさい!」

 踏み込みすぎているとはわかっていたが、止められなかった。
 ジャックが勢い良くソファから立ち上がり、クルーズはハッと口をつぐんだ。

「君に何がわかる! スコープから緑のブリップが消える恐怖がどんなものか ――機器の故障じゃ
ない、永久に消えるんだ。大事故が起きて――多くの人が 死んだ。目の前で200人近い人の命が
消えるのを僕は見たんだ。責任は僕に はなかったが、それで心が軽くなるわけじゃない」

 直前まで交信していた管制官ということもあり、調査は厳しく行われた。 それだけでも憂鬱に拍車
はかかるというのに、マスコミまで彼を締め上げた。 聞きなれない職種に関心を煽られた彼らは、
ろくに知識も仕入れずに彼の情報を 不用意に流したのだ。そのため、墜落した航空機の調査に
よって正式に事故原因 が出るまでの期間、まるで、彼が誤った指示を出したために事故が起きた
とでも いうような雰囲気が世間にはあった。

「僕を罵る電話がひっきりなしに鳴るんだ。被害者の葬式には出ても出なくても 非難される。マスコミ
には追いかけられ――クソッ、死んだ人達に責任を感じま すかだと!? 妻と離婚したことまで取り
上げられて、欠陥人間のように報じら れた。恋人を失った男が家に押しかけてきて、殴られたことも
あった。僕のせい だと言うんだ。僕のせいで、婚約者が亡くなったと。返してくれ、と――」

 パタパタ、と、ジャックの頬に涙がこぼれる。
 息を喘がせ、身体を震わせて睨みつけてくる彼に、クルーズは何をと考える 間もなく身を起こして
ジャックを抱きしめた。浮上した過去の恐怖に混乱して いるジャックが強く縋りついてくる。

「ジャック――悪かった」

 事故当時、ジャックの傍にいてやれなかった自分が悔しかった。
 もしいてやれたら、自分は彼を守ったのに。
 なぜなら、自分はジャックを。

 感情の帰結にクルーズは驚いたが、腕の中の彼を手放す気にはなれなかった。 むしろ、これから
は自分がいるんだと安心させてやりたかった。彼が泣く夜は、 こうして優しく抱きしめて――

 ジャックの顎を持ち上げると、クルーズは躊躇うことなく彼へ口付けた。




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2006.2.20
がっつりとか言っておきながら、未だエチに到達せず。
すみません、気長にお付き合いくださいまし…。








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