見目の良い男だと、思う。
普段は流暢な文言が飛び出す口も今はぐっと引き締められ、詩作に耽る表情は思わず見惚れる
ほどだ。意志の強そうな眉に瞳、男らしい端正な顔を艶やかな黒髪が包んでいる。なるほど、女性
が夢中になるわけだとアトスは得心した。
本を借りるついでに一杯やろうと、アラミスの館へワインの瓶を持ってふらりと訪問したところ、彼は
詩作の渦中だった。友をもてなそうと気もそぞろに出てきたアラミスに、アトスは気遣いは無用だと言っ
た。彼の集中力の高さはよく知っている、邪魔をしたくなかった。帰ろうとするアトスに、アラミスもまた
遠慮は無用だと言い、では構うことはできないが好きに本を選んでいけと部屋へ招き入れてくれた。
それが半刻ほど前。本棚から抜いた本は、最初に開いたページのままめくられていない。机に向かっ
ているアラミスから、なんとなく目が離せなくなったのだ。家族よりも近い親友だというのに、こんなにじっ
くりと見るのは初めてかもしれない。時折ペンを走らせては、目を閉じて吟味するように口ずさむ。今度
はどんな情熱的な詩を書いているのだろうと、自然と笑みがこぼれた。アラミスは聖職者然としているく
せに、少なくない女性の熱心な恋人でもあるのだ。
だが同時にとても静謐な雰囲気に、自分の存在がこの空間を乱しているのではと心配になった。
やはり今日は帰ろうと、本をそっと棚に戻す。燭台を持つことで明かりが揺れ、それまで動かなかった
アラミスがふいに顔を上げた。
「帰るのか?」
「ああすまない、邪魔をしたな。本は後日、改めて見に来る」
「邪魔などでは。もうすぐ完成しそうなんだ、その後で一緒に飲もう」
「いや、また今度にしよう。さすがに照れるよ」
「照れるって何が」
「それは…女性相手に詩を書くなど、プライベートな時間だろう。友といえど、その場にいるのは気まず
いというか…」
上手く言葉を見つけられないでいると、アラミスが立ち上がった。
文句のつけようのない笑顔でゆっくりと近づいてくる。
「では、女性宛の詩でなければここにいてくれるのかい?」
「それは、信仰を示す詩を作っていたということか?」
「違うよ。女性でも神でもない。もっと身近で特別な人へ捧げる詩だ」
そう言ってじっと瞳を覗き込まれ、アトスは僅かに身を引いた。
「そ、そうか。とにかく私は帰る」
「アトス」
腕を掴まれ、蝋燭の炎がゆらりと揺れた。
「そんなに急いで帰らなくても。完成した詩を聞いてくれないのか」
「アラミスの詩なら人の批評は必要ないだろう。そのまま本人に贈ればいい」
「だから、そうしたいんだが」
一瞬、アラミスの言うことがわからなかった。彼がフランス国家や銃士隊を含め、友人に対して詩を
書くことなど今までなかったからだ。困惑するアトスの手から燭台を取り傍らの棚へ置くと、アラミスは
更に距離を詰めた。
「もちろん、手紙を渡すだけなんて無粋な真似はしない。俺はいつだって、詩を贈る時は相手の目を
見て囁いてやるんだ。知ってたか?」
「いつもとは知らなかったな。アラミス、いい加減にしろ」
「何を? 俺は、もう少しここにいて、詩を聞いてほしいと言ってるだけだ」
「悪いが詩は好きじゃない」
「”言葉を操った他愛無い遊び”だから? 前に言ってたな。でもそれは違うよアトス。詩は遊びじゃな
い。詩は心だ。ポルトスなんかは、じっと見つめてがっとキスすれば言葉は不要だと言うだろう。だが
大事なのは言葉で、心を告げることは気持ちを誓うことだと俺は思うな」
「だからそれは女性相手に言うことだろう!」
わけのわからない問答に業を煮やして叫ぶと、アラミスはやれやれといったふうに肩を竦めた。
「まったく、アトスはムードがない」
「そんなものあってどうする」
不機嫌さを隠そうともせずに睨みつけると、ひどく優しく微笑まれた。先ほどから感じていた居心地
の悪い胸騒ぎが、はっきりとした動悸に変わる。また一歩後ろに下がりかけたが、掴まれた腕によっ
て阻まれてしまう。
「例えば俺が、君を抱き締めてキスをしたらどうする?」
「なんの話しだ? アラミス、冗談もたいがいに――」
「言葉の重要さについてだよ。さあ、答えて」
「…突き飛ばして剣を向ける」
「じゃあ、俺が君に好きだと告げて抱き締めたら?」
「は?」
間の抜けた声を出した途端、抱き締められた。
「好きだよ、アトス」
「からかうな。いつもそうやって人を翻弄しているのか」
「翻弄だなんて。言葉は心だ。アトスの心が揺れるというのなら、それは俺の心に感じてくれたからだろう」
「勝手なことを…」
「じゃあやっぱり、突き飛ばして剣を向ける?」
熱い息が耳にかかり、思わず身を竦ませる。カッと頬が熱くなり、言われた通りに突き飛ばした。
拘束の力は弱く、アラミスはあっさり離れた。
「アトス、好きだ。愛してる」
「っ、急にそんなこと…信じられるか」
「でもこれが俺の気持ちだ」
「ご婦人方にはずいぶんと歯の浮く詩を贈ってるくせに、私にはずいぶんと単純なんだな」
「じゃあ聞いてくれるか?」
「断る。言っとくが私にはお前の言葉は効かないからな!」
「言葉は武器じゃない、心だと言ってるだろう。俺は正直な心中を述べているだけだ。でも、効かない
というのなら聞いてくれてもいいんじゃないか?」
「帰る!」
大声で宣言すると、アトスは背を向けてズカズカと門へ向かった。今度はアラミスも止めない。微笑
と、真摯さが込められた声音が後を追ってくる。
「アトス、いま作っている詩は君へのものだ。他の誰にも見せる気はない」
だからなんだというのだろう。そんなものは無意味だというのに。アトスはふと立ち止まり振り返ると、
すぐ後ろでアラミスも立ち止まった。
「アラミス、私も見る気はないぞ。気持ちは…冗談にしろ本気にしろ既に聞いたのだから、これ以上は
必要ない」
「想いは溢れて尽きることがないんだ」
「やめろ、しゃべるな」
「照れるから?」
「……!」
絶句したアトスに向かって、アラミスが丁寧に扉を開けた。アトスの赤面が、怒りだけではないと知って
いるかのように余裕だ。そして事実、そうだった。まだ戸惑いの方が大きいが、彼の気持ちが迷惑では
ないのだ。こんな混乱した状態で彼の巧みな詩など、とてもじゃないが聞く気になれなかった。
「どうぞ、アトス。気をつけて」
気をつけてなど、銃士に向けて言う言葉ではない。剣の腕前はアラミスだって知っているだろう。だが
結局は何も言わずに、アトスはアラミスの館を後にした。
「質の悪い男だ。第一あいつは神の僕とか言いながら多くの女性と…まあ不誠実というわけでもないよ
うだが、大体にしていい加減なんだ。ふん、詩だと。そんなもの口ずさもうものなら、添削しまくってやる」
ぶつぶつと呟くアトスは知らない。
そのすぐ後で、アトスが置いていったワインと完成した詩を携えたアラミスが追って来ることを。
さて、返り討ちに遭うのはどちらか――
END