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A color
撃ち込まれた銃弾は身体に届かなかった。
目の前の透明な防弾ガラスに傷を付けただけだったけれど、耐えられなかった心は何も感じなくなった。
見えているのに見えていない、そんな感覚のなかで過ごしていたある日、母ではない人が私が乗る車椅子を押してくれていた。
どこかの林のなかのいつもの道をゆっくりと進む。
秋だったと思う。
黄金色の落ち葉がきれいだなと思った。そしてなんとなく押してくれている人の顔を見たくて振り仰いだ。
兄が見下ろしていた。いつものやさしい目。私しか知らない目。
こんな目をしてくれるのは私しかいない。兄は普段はいつも虚ろな目をしていたから。
たくさんの友達や恋人といても何も映さない目をしていた。兄にとって世界はくだらないものでできていたのだろう。
それなのに、私もそのくだらない世界の一部だというのに、私にだけはやさしいおにいちゃんだった。
あなたの妹として生まれてよかった。心からそう思う。
他人だったらあなたは見向きもしなかったでしょう。
「歩いてみないか?」
そう言って差し出された手を、すなおに取った。少し力を入れて立ち上がる。
二人でゆっくり歩く。
どこかで鳥の鳴き声がして、それが空に染み渡っていくような気がした。
風が冷たくてもなんだか気持ちがいい。時々強く吹いた風が落ち葉を散らす。黄金色の光が乱舞する中に立って見とれていると、少し離れたところにいた兄が私を呼んだ。
車いすはあとでまた取りにこようと言って、帰りは小さい頃のように手をつないだ。もう私もはたちになっているのにと少し照れくさかったけれど、嬉しかった。
□
その夜、父が亡くなったことを知った。
追っていた犯人グループに撃たれたのだと。
看取った兄が淡々と話す。たぶん、私がショックを受けないようにと思ってのことだ。
家に戻ってから、母がよく臥せるようになった。今度は私が母を励ます。
そのころからある思いが私の心を占めるようになった。
一月の末に、今度は兄が重傷を負った。建物の爆発に巻き込まれて背中と左腕に酷い火傷を負った。見つかったときは意識もなく、誰もが兄の死を覚悟した。
とうとう、母がショックで起き上がれなくなった。幸い、兄の命は助かったことだけが救いだった。
痛みで動く事もつらいはずの兄は、毎日母の病室へ見舞いにいった。私もずっと付き添って、母と兄の病室を往復する毎日だった。
「月がいるから安心ね」
久しぶりに母の口癖を聞いた。
「粧裕をお願いね、仲良くね」
それが最期の言葉だった。心が疲弊してしまった母は、最期だけはおだやかな笑顔をしていた。
私はもう、強くならなくてはいけない。
兄と私だけの二人だけのお葬式で、私はひとしきり泣くと兄を見上げた。
「司法試験を受けて、法律の仕事をしたいの」
日ごとに強くなる思いを兄に打ち明けた。
とても難しい試験であることは分っている。そのうえ今年から制度が変わる。司法試験の前に予備試験を受けなくてはいけない。法科大学院を修了していれば受ける必要はないが、長い時間を掛けることなど考えられなかった。
旧制度の一次試験を受けることを思えば同じで、どちらにしろ、それまで専門の勉強をしてこなかった私にはとても厳しい。それでも。
「…大学は…いや、お前もあれから体が弱くなったのに無理は…」
「ううん、大丈夫。大学をやめることになってもかまわない。私もおにいちゃんと同じ位置に立ちたい。検事になりたいの」
「同じ位置…どうして…」
「キラと向かいあえる位置」
「………そうか」
兄の本心は絶対反対だ。誘拐され、極限の緊張を強いられたことが原因で、心筋症を患った私の身体が心配だと言った。
その上、たとえ試験に合格したとしても、検事となるのにさまざまな研修をこなさなければならず、正式に検事となるのに数年はかかる。私が希望するのは、犯罪事件を主に扱うことで、残忍残酷な事件だって多い。私の心が耐えられるか、それを案じている。
「大丈夫。病気になったかわりに気持ちは強くなったと思うの」
自信があると言えば嘘になる。だけど今まで、こんなにも何かをやってみたいと思ったことはなかった。そういう意味では、私は兄と似ているのかもしれないけれど、日を追うごとに強くなる思いを全力でぶつけてみたかった。
ふいに、兄の眼が揺れたように思えた。
08.12.15
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